春───出会いと別れの季節。
よく見聞きするフレーズだ。
この時期、個人を取り巻く環境がガラりと変わることが多い。
それ故に、いつのまにかそう呼ばれるようになったらしいが……俺もまたそのご多分に洩れず、取り巻く環境が一変した。
遂にというか、漸くというか───小学生になった訳だ。
1990年4月9日
入学式は先日の事。保護者同伴での目出度い席となった。
もっとも、特に感慨深いものはなく、ただひたすらに眠いだけだったが。
俗に言う有り難いお言葉ラッシュである。前世でも何度かお世話になった覚えがあるが、この世界でも相変わらずのようだ。
……偉い人の有り難いお話というものはいつの時代・世界でもピンからキリまで、という事なのだろう。
聞かせるのではなく、つい聞き入ってしまうように話をするのが腕の……もとい、口の魅せどころではないのかと。
校長先生、その他ゲストの方々。やはりここは、ラダビノット司令を見習うべきでは?
睡眠導入剤のような入学式は特に波乱もなく、幕を下ろした。
そして今日、クラス発表を終えてそれぞれのクラスに移動し、顔合わせと自己紹介に入っているのだが───。
(ここ……地球の日本……だよな?)
宛てがわれた教室、名前順の関係で中央列の最後尾の席に座った俺は小声で呟いた。
この場所からならほんの少しの動作と、視線移動だけで教室全体を見渡せる。
目の前に広がる光景に対して驚きを隠せずにいた。
(……茶髪なんて序の口、紫や藍なんてまだ真っ当。青、緑、赤って何だあれ……黄土色? ぅぉ……あれなんてもう桃色通り越してビビットピンクの領域に両足突っ込んでるんじゃないか……?)
俺が口走っている色の名前は他でもない、そう───彼ら新入生の髪の色である。
(……染めてるわけじゃないんだよな。あの色の毛が頭から生えてるんだろうけど……)
前々から外出した際に時折見かけたし、先日の入学式でだってチラホラと視界に入ってきていた。
だがこうやって目の前にズラッと並んでいるのを見ると、やはり文字通りの異彩を放っている。
当然だが、一般的な黒髪の子もいる。
俺の両親も黒髪だし、俺の髪だって天使の輪完備の艶のある黒だ。
しかし、どう見ても茶色がかっている子のほうが多い。
黒が少数派ってどういうことだ。世も末だな。
そして文句なく圧倒的に目を惹くのが、点在する極彩色。
(彩度と明度が半端じゃない)
常識の範疇を超えない赤毛や茶髪なんて可愛いものだ。
スカーレット、スカイブルー、エメラルドグリーン……余りにも色鮮やかなその毛髪。
本来、人の身体から自然に生えてくる体毛の色としてはあり得ない、のだが───。
(───前世の経験が邪魔をするけど、"当たり前の色"だって解るんだよな……)
……いや、語弊があったか。
解るというよりは、まず当たり前だという受け入れる"本能"があり、それに対して"理性"が否と訴えかけてくる感じ。
結局、俺が異質な存在だということなのだろう。
今では結構慣れてきているというのもあるが、更に小さい頃はかなり違和感が酷かったしな。
それにしても、いくら見渡しても奇抜な色は見当たるのに金髪や銀髪を確認出来ないのはどういうことだろうか。
TVで外国の報道とか見た時は普通にいたんだが。
「一応、人種の線引きはされてる……ってところか?」
金髪と銀髪は日本人には自然発生しないと思っていいかもしれない。
基本である黒に、金と銀以外の多種多様な色が追加されている、と。
とりあえず髪の色については現実を受け入れて、ここらへんで納得しよう。
そもそも別に難しく考える必要もない。
ただ色のバリエーションが増えて、個性を発揮する場所が増えただけだ。
そんな程度の問題でしかない。
今はそれより……目前に迫った自己紹介か。
「はーいじゃあ次は一番後ろに座ってる君!」
「はい」
俺は教師に指名され、静かに立ち上がる。
視線が集中……凄い見られてるな。
周りの子供達が無垢な瞳で、穴が空きそうなほど俺を凝視している。
────ここが戦場で、子供達が光線級なら、俺は蒸発してるんだろうなぁ。
そんな馬鹿げたことを脳裏に浮かべながら、自己紹介を始める。
「不破 衛士です。苦手な教科は特にありません。趣味は読書と運動です。これから一年、ご指導宜しくお願いします先生」
「───おぉー……噂通りだぁ……あ、ハイ、こちらこそ宜しくお願いしますね」
(……噂?)
立て板に水の如く喋り一礼すると、先生は呆けた顔で俺を見ながら返答した。
まあ……新入生からスラスラと淀みもなく、今の口上が飛びでてきたのだから仕方もないか。
俺は着席して目を瞑りこれ以上喋ることはないと遠回しにアピールする。
「それじゃ次の列、一番前の君!お名前は?」
意図を組んでくれたのかそのまま続行。順応が早くて助かる。有り難い。
ムスッとした顔で「まだ何か?」とかイキり散らす状況には成らずに済んだようだ。
待機時間が出来た俺は後に続く連中の元気溌剌とした自己紹介をBGMに、今この瞬間より六年間に及ぶ小学校生活について思案を巡らせた。
「それじゃ不破君。この願書、受け取って下さい!」
担任がいきなりそんなことを口走りやがった。
「───いや。いやいやいや。あの、ちょっと待て。違う。待ってください」
唐突な展開に対して、驚きのあまり教諭に対してタメ口で突っ込んでしまった。
受け取って下さいって何をだ。
そもそも何で職員室に連れてこられた?
新入生は午前で学校終わるんじゃなかったのかよ。
駄目だ、今この状況に至るまでの過程が綺麗さっぱり消し飛んでる。
スタンド攻撃でも食らったのか?
「もー、今説明したでしょう?聞いてなかったんですか?」
ハイ、スミマセン。聞いてませんでした。
「検定の願書ですよ」
「……け、ケンテイ?ケンテイって、検定ですか?」
視線を担任の女教師から突き渡され、今は俺の手の中にある封筒に移す。
───普通そんなもん入学初日の小一にやらせないだろ?
「……で、何の検定なんです? これ」
思い浮かぶのは漢検とか英検とかそれぐらいしかないんだが。
「
「──────ぱーどぅん?」
「ですから、高認ですよ。ちゃんとした名前は『高等学校卒業程度認定試験』」
「───は?」
───さっぱり意味が解らない。
高認。
確か大検……『大学入学資格検定』から名称が変わったアレのことであってるよな……?
こっちの世界じゃこんなに改正が早いのかよ。
生前じゃ21世紀入ってからだったと思うんだが……。
いやいや待て待て。何でそんなものを俺に勧めてくるんだ。
俺はまだ、六歳だぞ。
受験条件に年齢制限ぐらいあるだろう。条件が満たされていない。
何考えてんだこの先生。
兎も角───。
「あのですね先生。俺の年齢じゃこんな資格受けられないでしょ? 六歳ですよ?」
「……?いえ、受けられますけど」
「いやいや……空覚えですけど確か大検、じゃなかった、高認って十六歳からじゃないと受けられないでしょう。 中学校も卒業してない六歳のガキじゃどう考えたって無理ですよ」
「あはは、本当に……実際自己紹介の時にも目の当たりにして驚かされましたけど……語彙も知識量も落ち着きも、小学一年生とは思えないですね……ええ、はい。そうですよ。大検の時では無理でしたね」
……大検の時では───?
言い回しに違和感を覚える。
妙に引っ掛かる言い方だ。
「一昨年のことです。教育基本法の全面改正があったのですが───ご存知ですか?」
頷く。
1988年の教育基本法、全面改正。
既に確認できている。
「先生の仰る教育基本法の全面改正とやらが、義務教育科目の切り捨てや大学の学部統廃合のことを指しているなら」
「……おー……すご……本当にお利口なんですね。ただちょっと訂正。それだけではなく、他にも連動して改正されていった法や資格も存在するんですよ」
あー……参った。
そんなところまで変わってしまっていたのか。
自分なりに情報収集していたつもりだったんだが。
つまり……俺の調べが足りなかっただけで───。
「───今から俺が受けさせられようとしてる『高認』も、その内の一つだったって訳ですか」
「ええ、そうです。名称が『大検』から『高認』へと変更された際、内容も同じく全面改正されています」
絶句する。
それは、俺のようなガキでも……小学校一年生でも高認が受けられるような、途轍もなくブッ飛んだ改正が行われたということか。
───極めてナンセンスだろう。
もはやそれは改正ではなく、改悪だ。断言してもいい。
……だが、俺にとっては紛れもない改良だ。
そんな案件を通しやがった大馬鹿野郎に、最大限の敬意を込めて感謝の言葉を贈ってやりたい。
この状況は間違いなく利用出来る。
そうだ。これは───千載一遇の好機だ。
「───先生。お手数掛けますが、改正内容の説明をしていただいても宜しいですか」
「あら、興味が湧きました?それでは、説明させていただきましょう」
「何とも……入口の広い資格ですね」
要約すると、試験は年に二回で8月と11月、年齢条件は数え年七年目から。
そして───義務教育終了後、即大学入試を受けられることが出来るという、破格の価値を持つ資格。
……事実上の飛び級の許容に等しい。
改正前と改正後の説明を受けたが、大雑把にまとめるとそういうことになる。
「しかしまぁ……よくそんな改正内容が通りましたね。下限が六歳からって……正気の沙汰じゃないでしょう?」
「そうですねぇ……実際、去年は六歳で受けた人、0人でしたし。それどころか12歳以下で受けた人が全国から両手で数えるぐらいしかいませんでしたし」
元よりそこそこ難関なんで勿論その子達も全員落ちましたけど、と先生は付け加えた。
……全然駄目じゃないか。
「……で、俺に白羽の矢が立ったのは何故でしょう?」
「自己紹介でビビっと来たから……では納得出来ませんか?」
───今一、説得力に欠ける。
何よりも初対面のはずなのに、先生からは俺を知っている素振りが散見される。
「アハハ、納得してないって顔ですねー」
「ええ……はい、正直言うと」
「フフ、理由はもっと単純ですよ。不破君ってここらへんだと凄く有名な天才少年なんですよ?」
は?
有名な───天才少年、だって?
うん?うーん……。
「……初耳ですね。世間を騒がせるような……例えば、記者に取材されたりなんて事は、一度もなかったんですが……」
「謙遜しないでいいんですよ?取材とまではいかずとも、注目はされていたはずなんですけどね」
謙遜とかではなく、マジで思い当たる節がないんだがな……。
注目されていたとは、どの程度の事を言うのか。
積極的に目立ちに行った覚えがない。
だからこそ、この唐突に舞い込んできた『高認』にはとても高揚しているわけで。
「ぇ……本当に自覚なかったんですか」
先生が呆れたように言った。
「青年や大人に混じって参考書やら学術書やらを読みふけってる幼児が、町の公共図書館や近辺の本屋さんで頻繁に目撃されてるんですよ。目立たない訳ないじゃないですか」
───あー、あー……。
確かに、暇さえあれば居座っていた。
自由な時間は身体動かすか勉強するかの二択しかしてこなかったし。
おまけに小遣いなんて貰ってないから、必然的にそういうところで立ち読みだの閲覧だのを繰り返した。
そうか、妙にチクチクすると思ったら注目されて視線が刺さってたのか。通りで居辛かった訳だ。
たまに声とかも掛けられたっけか。こんなに難しい本読んで偉いね~、なんて誉められてたが、完全に地域で子供を見守ろう系の社交辞令だと思ってた。
……確かに噂が流れて有名になってしまってもおかしくはない、のか?
「まぁそういう訳で、君は入学前から教師達にとって注目の的だったんですよ。私が受け持つことになるとは思いもしませんでしたけどね」
「……それで、自己紹介の時、受け取り方に含みがあったんですか」
「ええ、そういうことですよ。大人は案外、見ているし、情報の共有もしているものです。あ、それとこの子ならもしかしたら受かるんじゃないかなーって」
この教諭、行動力ありすぎでは。
だからと言って俺を職員室まで引っ張ってきてわざわざ願書手渡ししてくれるとか。
……そもそも、だ。
「あの先生、願書も既にあるなんて用意周到すぎませんか」
「あ"ー、それはですねー……」
先生が言うには、何でも文部省の方から各学校に「可能な限り六歳の新入生の受験者引っ張ってこい」とのお達しを受けたとのこと。
そこから更に周りの教師からお役目を押し付けられて今に至る、と。
おまけに給料の査定に響くのだとか。酷い。
……普通は無理だろう。幾ら条件緩和したからといって、六才児に高認なんざ受けさせるものじゃない。
俺は中身が見た目相応ではないっていう規格外だけどさ。
「それで、不破君……願書のほうなんだけど、受け取ってもらえるかな?」
友人に願い事をするように訪ねてくる先生。
ちょっと腰が低すぎるような気もするが、それも愛嬌か。
「先生、おめでとうございます」
「え?」
「減給は免れたって事ですよ。俺みたいな変り種のガキがいてよかったですね」
「……そ、それじゃ、受けてもらえるのね!? 本っっっ当にありがとう!」
何やら今にも小躍りしだしそうなほどテンション上がってるな。
……こちらも気分は高揚してるが。
「いえ。むしろ、こっちが感謝したいぐらいです。先生に高認のこと教えてもらえなかったら……前に進むのが遅れるところだったんで」
───これで、大きいか小さいかはともかく、前には進めたような気がする。
高認が施行されてから今に至るまで、未だ下限ギリギリの六歳でこの資格に通った者はいない。
……つまり仮に今回で通れば、全国で始めて六歳で通過した天才児としてある程度注目されるのは間違いない。
これを足掛かりにすれば……逸早く、何かを成すことが出来る人間になれるかもしれない。
「それじゃ先生。俺は早速試験の対策したいんで、帰らせてもらいます」
「はい、気をつけて帰ってねー!」
先生はそう言うと、校長ぉぉぉぉ!噂の子が高認受けてくれましたー!と叫びながら校長室の方向へ全力疾走していった。
……元気だ。
父さんや母さんもそうだけど、俺の周りには元気で前向きな人が多い。
「───負けてられないな、俺も」
俺は渡された封筒を鞄に放り込み、職員室を退出した。
「あ、母さん、父さん。俺、高認受けるから」
夕食時。俺は早速両親に報告してみる。
「……コウニン?」
「エイジ、何だいそれ」
ま、普通は知らないよなぁ。
あまり世間に露出してないみたいだし。
「大検って聞いた事ない?」
「ああ、それならあるよ。僕の友人も昔受験していたな、そう言えば」
「……でも、大検と何か関係あるの? その……コウニン?っていうのは」
「うん。何でも一昨年の教育基本法が改正されたときに、連動して改正されたらしくて───」
二人に大雑把に説明する。
名称が大検から高認に変わった事。
年に二回施工されるようになったこと。
受かれば義務教育終了後、すぐに大学入試を受験出来る権利を与えられること。
大検の時より受験条件が大幅に緩和されて、年度末までに満七歳になる者から受けられるようになったこと。
改正されてから二年、未だ六歳での合格者が出ていないこと。
───そして、俺がそれに挑戦してみたいということ。
二人ともポカンとした表情で固まっている。
やはり、いきなりこんなこと言われても困るか。
「な、なんというか……小学校入学初日から凄いことになってるな」
「パパ……私、愛息子が誇らしすぎて鼻から愛が出てきたわ……」
「それは血だよママッ!?ティッシュティッシュ!」
いやぁ夫婦漫才が冴えてる。
本当に見ていて楽しいな俺の父と母。
「で、さ。そういうことだから、その……悪いんだけど、受験料とか、過去問題集も……」
真剣な目で俺を凝視してくる両親。
何だ。そんな金、家にはねーよとかそういうオチか。
流石にそこまで貧乏ではないと思ってるんだが。
「エイジが僕達に何かをおねだりするなんて、初めてだよね」
「ええ、こんなこと今まで一度もなかったもの……それだけ真剣なんだ」
俺は二人の目を見返し、静かに頷く。
────ああ、真剣だ。この上なく真剣だとも。
俺はここに来て漸く、何かに挑むということが出来るのだから。
この六年……俺は何もしていないんだ。
確かに勉強や運動は暇さえあればした。
だが、積み重ねたそれを試す機会は一度足りともなかった。
それどころか、そういったことはまだまだ先になるだろうと思っていたんだ。
でもそこに転がり込んできたのが今回の高認だ。
おまけにここで受かってしまえば漏れ無く国公認の天才児だ。
この好機は、絶対に逃せない。
「うん。気持ちは解った。お金の事なら全然心配いらないさ。むしろ
「そうねぇ、ご近所さん見てるとこんなご時世なのに、お子さんがアレが欲しいコレも欲しいと大変そうだし……」
「あはは、俺はあまりそういうの興味ないから」
……違うよ母さん。大変じゃないんだ。
まだ、大変なんかじゃないんだよ。
大人が子供の我侭を許せる程度には、まだ日本は平和なんだ。
歴史に狂いが出るかもしれないけど……後八年前後でBETAが来るんだ。
そうなったらもう子供の我侭を聞いてやる余裕なんて大人たちにはない。
「───ありがとう。俺さ、絶対受かるから。父さんも母さんも、応援してくれると嬉しい」
だから、備えなくちゃいけない。
平和が欲しいなら……迫り来る戦に備えて、打ち勝って、掴み取らないといけない。
今回の高認の受験は、備えの第一歩に過ぎないんだ。
だから俺は、こんなところで躓いてられない。
明日からは運動量も抑えて、試験対策に時間を割り振ろう。
小学校でも授業中の行動にある程度自由を貰えるように交渉してみてもいいかもしれない。
あの先生なら当たり前のように承諾してくれそうな気もする。
とにかく全部の労力を勉強に注ぎ込んで───。
「エイジ。お前が初めて自分の意思で挑戦することだ。頑張りなさい」
「私も応援してるからね。でも頑張れとは言わないわ。今までだって、勉強も運動も頑張ってたもんねー?」
「……ママ……?僕もう頑張れって言っちゃったよ……今からでも取り消していいかなぁ……」
「と、父さん、別に気にしてないから。うん、頑張るよ。無理しない程度に」
────前言撤回。頑張りすぎる必要もなさそうだ。
ああ、今まで通り……適度に頑張ろう。
親に無用な心配をさせるのは、子供としても気分がいいものじゃないよな。
大分、気が楽になった。
さて。じゃあ明日からまた────いつも通りに頑張っていくか。
1990年8月29日
広めの和室に一人、『青』を纏う幼い少年が片膝を立てて座り込んでいる。
少年は真剣な眼差しで複数枚の書類に目を通していた。
「───失礼致します」
静謐な空間に凛とした声が響く。
「別に挨拶なんぞせんでもよいと何度も……はぁ。入っていいぞ
少年は声の主を招く。
障子を開けて入ってきたのは月詠と呼ばれた『赤』を纏う少女。
月詠は少年の前まで音もなく歩き、姿勢良く畳に正座した。
「悪いな、わざわざ呼び出して」
「いえ。丁度剣の稽古も終わって身支度も終えたところでしたので。お気遣いなく」
少年は、そいつはいいタイミングだった、と言うと手にしていた書類を月詠に差し出す。
「……これは?」
「鎧衣さんから。例の試験の報告書だ」
月詠は素直に書類を受け取り、文面に目を通したところで眉を顰めた。
「……二十に届くかどうか、というところですか。貴方の想定よりは多かったですね」
「何、嬉しい誤算という奴さ。骨を折って無茶を通した高級な
少年は心底嬉しそうに破顔した。
そんな少年に呆れたのか月詠は溜息を付き、未だ眉を顰めたままでいる。
「全員の所在は割れているし、追々近場から接触していこう。と言ってみたはよいが、俺達の現状は暇どころか……激務と言って差し支えない惨状だからな。総当たりには時間は掛かるだろうが」
「そればかりは致し方ありません。しかし、わざわざ格別の餌まで用意しての釣りだったのです。魚が逃げる前に、都合をつけるべきかと」
月詠はそう言って再び書類に目を落とす。
暫くの間、静寂が訪れた。
「───この少年」
突如、声を尖らせる。
その双眸は驚愕の色に満ちていた。
険しい表情で書類を見つめる月詠にさも愉快そうに声が掛けられる。
「ああ。そいつだそいつ。随分とまぁ、
「は───い、いえ、それには同意します。ですが、私は名前に驚いたのではありません。この点数は───」
「解っている。
「此度の試験、調査の篩に掛けるために敷居は跨ぎやすくすれども、難易度自体は変わらずと聞いております。にも関わらず、それを全科目満点通過というのは……」
「そうだな。それこそ朝から晩まで勉強漬けで、徹底的に詰め込んできた秀才か。或いは───」
少年は一拍置き、声を弾ませて言い切る。
「───
「──────ッ!」
少女が息を飲む。
つまり───二人の目論見通り、
「早急に、この少年と接触すべきかと。早いに越したことはないでしょう」
「まあ待て。まずは近場からだ。第一……そいつがいるの熊本県だぞ? 些か遠すぎる。それに───メインディッシュは最後まで取っておいた方がいいだろう?」
飄々とした少年に痺れが切れたのか、月詠が声を荒らげる。
「貴方は直ぐにそうやって───ッ」
「冗談だ。そんなカッかするな……月詠、BETAの東進がもう始まってる。来年には───
少年は少女を宥めると、縁側の障子を開けて外の空気を取り入れる。
夏の湿った風が室内に吹き込んできた。
「更に、
少年は少女のほうを振り返り、解ってくれるだろ?と付け足した。
「───申し訳ございません。取り乱しました」
「いいさ。さて……そろそろ座学の時間だ。急ごうか……悠陽様と彩峰のおっさ……おじ様を待たせると後が怖いからな」
「ふふ……そうですね。時間には厳格な方達だ。遅れて拳骨を食らうのは御免です」
二人は揃って和室を退出し、書斎のほうへと脚を向ける。
「……それに、な」
「はい?」
「これは勘だが……心配せずとも、そう遠からんうちに巡り逢えるさ───この、
「───はい。本当に、痛快で
「はッ───これはまた何とも、手厳しいヤツに目を付けられたようだ。可哀想に。ご愁傷様だな───」
───