Fate/Serment de victoire 作:マルシュバレー
まあこんなに書いてりゃ当たり前かあ
166話 十三日目:戻りゆく日々
思い出を敷き詰めたノートに突っ伏して、俺はいつの間にか寝ていたようだ。
ある種のものごとは、別のかたちをとらずにはいられない・・・・・・とはよく言ったもので、俺の中の寂しさが眠りを誘ったのだろう。
耐えると言ったはずではあるが、やはり心は相当なダメージを負っている。
「・・・・・・はぁ」
ふと廊下の向こう側を見ると、青い、青い空は・・・・・・夕焼けとは思えないほど赤い、赤い空に変わっていた。
起きることもなく夕方まで寝ていたというのか。と思い時計を見れば午前・・・・・・
「ほぼまるまる1日寝てたのか・・・・・・」
どうりで体中がごきごきと鳴るわけだ。頬にもわかりやすい服の跡がついているみたいだし・・・・・・
「・・・・・・飯」
ノートを金庫にしまい込んで、重たい体を無理やり立たせ1階へと降りる。
慣れていたはずの静けさが、やはり心に痛い。
あまりの寂しさに猫でも飼いたくなる気分だが、俺のような人間にペットというのは合わない。
いつ実験中に部屋に来られて事故を起こすかわかったもんじゃないし、どれだけ長くても20年はそう持たない命だ・・・・・・飼ったら飼ったで、未来の俺が悲しむだけだろう。
「飼うなら鶴か亀・・・・・・ってか」
鶴は千年亀は万年と言うが実際のところ鶴が約25年、亀が約100年かそこら(種類にもよるが)なのでどっちにしろ長生きな方ではあるだろう。
・・・・・・飼い方がよくわからんが。
「まあどっちにしろ、か」
朝の燃えるゴミ漁りを狙ったカラスが、いつかのように俺をあざ笑った。
俺以外誰もいない食卓。
篠塚の作っていたものが残っていたからそれを温めて食べる。
どうしてか、塩辛い。彼はいつだって健康に気をつけていたから、味が薄いということはあれど味が濃すぎるなんてことはなかったのに。
「・・・・・・人のせいにしたってなんも解決しねえだろ」
目の前にいてくれる人が、恋しい。
たまらず俺は食事中だというのに立ち上がり、研究室へ歩いていった。
時間経過でスリープ状態になっていたプリンターの吐き出し口に残っていた一枚の写真を手に取り、急いで食卓に駆け戻る。
並ぶ皿の横に、それを置いた。
こんなんじゃ何の気休めにもならないと、わかっていた。それでも・・・・・・俺は彼の姿を見ていたかったのだ。
「・・・・・・ひとりって、こんな寂しいもんなんだな」
彼の使っていたグラス。彼の使っていた箸、茶碗、皿・・・・・・彼の座っていたソファ、彼の読んでいた本、彼の着ていた服、彼の眠っていたベッド。この家には、たくさんの跡がある。
例え生きていた痕跡さえも融かしてくれる誰かがいたとしても、俺は融かすことは願わないだろう。
足跡が春雨に消えていこうとも、忘れたくない。
「ごちそうさまでした」
もうそろそろ、出社の準備をしなければならない。
皿をシンクの中に放り込むだけ放り込んで、寝室へと向かう。
しばらく着ていないうちにカバーへ積もっていた埃を払い、中身のスーツを取り出す。
ワイシャツとベルトを引っ張り出すだけ引っ張り出してきて、昨日のことをようやっと思い出したか俺はシャワーを浴びにいった。
血まみれの彼を抱きしめたのだ、相当いろんなところに体液がついていることだろう。
昨日寝落ちしたので手は洗っていたけど体は洗っていない状態だ、どこか複雑な気持ちもあるが洗っておかねば社会的にちょいと顰蹙(ずわいがにではない)を買ってしまうことだろう。
シャワーから出る液体をちゃんとお湯にして、頭から被った。
「・・・・・・あぁ」
温かい液体が皮膚を滑り落ちていく感覚は、とても気持ちがいい。
滞っていた血流が強引に目を覚まされ駆動する。やっと普通の思考が取り戻せただろうか。
軽く汗を流したところで風呂場から出て、体中にタオルを駆けめぐらせる。
そろそろいつも起きる時間だ。今日はゆっくり行ったって大丈夫。
いつもなら絶対にしないであろうドライヤーまでかけて、髪を万全に乾かす。
ぼさぼさの髪を櫛でなんとか調教し、いつも通りの状態にまで持って行くことができた。
「・・・・・・ふぅ」
下着だけの姿になって廊下をさっと通り過ぎ、寝室に置いてあったうちのズボンとワイシャツだけ着てリビングのソファにどかっと座る。
テーブルに書類などを広げて整理し、今日使うであろうものを揃え特定のファイルに綴じた。
後はもういつもの時間に出るだけだ。
テレビをつけると、やっぱり一局を除いてどこもかしこも海が死んだ件について報じている。
不破のカバーストーリー流布は完璧であったとはいえ、疑り深い連中が関係者にああだこうだと聞き込みをしているらしいが、社員にとっちゃいい迷惑だろう。
新しく社長になった勅使河原は、毅然とした態度でしめじのようににょきにょき生えてくるマイクへ向かって淡々と事実を述べていた。
一応海の側近だったこともあり魔術に関しては少しの知識があったらしく、不破も彼にだけは真実を話したそうだが・・・・・・あの様子を見るにうっかり漏らすだなんてことはおそらくない。
「次のニュースです、──市の路上にて轢き逃げ事件が発生しまし────」
見る気を無くしたので俺はテレビを消した。
ムクドリの地味にうざったらしい鳴き声が響き出す。
あーあうるせえな、なんて思いながらソファの上で寝返りを打とうとした時である。
「・・・・・・こんな時間に呼び鈴?」
宅急便を頼んだ覚えなどはない。
誰だろうかと思ってのそりと起き上がり、玄関へ向かう。
「・・・・・・あの顔は」
門扉の前に立っていたのは来栖さん。
人事部の規則に合った服装をしていて、おそらく出勤前・・・・・・
「・・・・・・どうしたんだ、こんな朝っぱらから」
「ちょっとだけ、克親さんのことが心配で」
体の前で鞄を抱え、恥ずかしそうにうつむく彼女。
わざわざ会社とは逆方向にある俺の家まで来てくれたのだからそのご厚意は無碍にできないだろう。
「・・・・・・ありがとう。正直、まだ心折れかけな感じだった」
来てくれて助かった。とそう言って笑えば、来栖さんは安心したようにふうと吐息を漏らした。
「せっかく来てくれたんだしちょっと休んでく?時間に余裕はあるだろうし」
「そ、そうさせてもらいま・・・・・・もらうね」
門扉を開け、来栖さんを招く。
茶の一つでも、と思ったが今の冷蔵庫状況を考えると水とコーヒーとジュースしかない。
「やっぱぼっちに戻るってのは辛いな、寂しいのなんのって・・・・・・あ、何飲む」
「じゃあ、アイスコーヒーをひとつ」
「あいよ」
大きめのコップ2つにコーヒーを注いで、ソファの前にあるテーブルへ置いた。背もたれへかけていた俺のジャケットを横にかけ直し、来栖さんを導く。
「隣だなんて、そんな」
「何言ってんだ、お付き合いしてくださいって言ったのはそっちのほうだろ?」
ぐ、と先日のことを思い出したか言葉に詰まっている。
おそらく心の奥でめちゃくちゃな量の演算を繰り返しているんだろう。マンドリカルドと似てい────
・・・・・・いやいや、なに姿を重ねているんだ俺は。いくらマンドリカルドのことが忘れられないからって、そんなの来栖さんに失礼だろう。
首を横にぶんぶんと振るい、湧いた邪念を押さえ込む。
「・・・・・・克親さん?」
「なんでもない」
やっぱダメ人間だな、と・・・・・・俺は静かに、唇を噛んだ。