また、二の部分は面倒くさいと思ったら読まなくても差し支えありません。ただ、アンチ・ヘイトになったキッカケを具体的に書いた内容となっています。
2024年10月18日
真新しい商売店のキッチンからまな板を取り出し、食材を小気味よく切っていく。唐突に高級食材の≪ラグー・ラビットの肉≫をシチューという家庭料理の具にするのは、傍からはいささか勿体ない気もするだろう。しかし、これには確かな理由があった。この寒い店内で暖かい食べ物は最高の馳走になる。また、高級食材から滲み溢れるウサギの肉汁は他の具材とよく絡み、味を引き締める。現実世界であれば必要な栄養素と食材を無駄無く味わえるシチューはある意味、愛ある料理だろう。
銀色の鍋に一口大のジャガイモ、ニンジン、玉ねぎをグツグツと煮込む。とろりと溶けた肉の油が鼻腔を刺激する。あっさりとした副食のシーザーサラダは食欲を促し、こってりとしたシチューの和え物に丁度いい。コーンを水で煮詰めたスープを一対一の割合で調合すれば、口に残ったサラダのドレッシングやシチューの刺激を柔らかくし、シチューの香り立ちを引き立たせる。ユズルは「夕食としては申し分ないだろう」と四人分の皿に盛りつけていく。
「お待たせ~。できたよー」
数分後のカウンター席にブラウン色のシチューやコーンスープにシーザーサラダの夕食が並ぶ。四人はお互いに「いただきます」と言い、食べ始める。かつて味わったどんなシチューよりも素晴らしい逸品だった。濃厚かつ洗礼。繊細で上質な肉。味覚の強烈な感覚に聴覚は消し飛び、味覚と嗅覚しか感じないほどであった。
「「「「(美味い!!)」」」」」」
この場は一言も話さず、モキュモキュと口の中で味わう。本当に美味しい料理は口を黙らすというのは本当でした。
一
皿の半分を食べ終え、シチューの味に胃も慣れた段階でアスナは口を切り出す。彼女もまた、変に気を遣わない食本来の味を楽しむ食卓を囲むのは久しぶりだった。
「こうしていると、ここが現実に思えてくるわ。なんだか、ずっと前からここにいるみたいな気がする....最近は、現実でどう過ごしていたか思い出せない時もあるし」
「全くだ....たまに現実のことを思い出さない時もある。かなり焦るけど、攻略会議も前みたいな緊張感も無い当たり――現実かそうでないかの境界線が曖昧になっている感じなんだよな」
ソードアート・オンラインが『デスゲーム』とはいえ、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚の五感すべてを体感して遊べる仮想現実大規模多人数オンラインゲーム。五感の刺激は見たり聞いたり、鼻で嗅ぎ、味わう感性で人の悩みや苦しみを起こす。現実世界で味わう五感を体感すれば、線引きもできなくなるだろう。
「確かに――皆この世界に慣れ始めているのかな....これが仮想世界の闇なのかね」
「俺はなるべく早く帰って嫁を安心させてやりたいな。ずっと店を任せているし、戻って負担を軽くしてやりたいからな」
「「え!エギル(さん)って結婚してるの!?」」
アスナとノーチラスの感傷を吹き飛ばすエギルの爆弾発言に身を乗り出す。今日一番の驚き具合に「そんなに驚くな!!」とエギルは軽く叫ぶ。咳払いをし、話題を反らす。
「まあ、実際攻略のペースも落ち始めているよな――最前線で戦っているプレイヤーの大半は覇気を感じない連中ばかりだ――本当に現実に帰りたいかも分からなくなっている」
第一層から攻略組に関わっているエギルの言葉に、ノーチラスとアスナは顔を曇らせる。思い当たる節があるのだ。副団長などの肩書きに大きな局限はないにも関わらず、それを目指そうとするプレイヤーがいた。他のギルドでより名声を上げようと攻略を進めようとするプレイヤーもいた。その人達を見てきた二人は『現実世界に戻りたい』という意思から離れている言動に迷いを持っていたのだ。
「僕は帰りたいかな。他のプレイヤーと¨三人で生還する¨って約束…ノーチラスやユナと¨生き残る¨って約束を護りたいからね」
はっきりというユズルに、ノーチラスは「生還する約束?」に反応する。そう言えば、彼らとは別にもう一つ約束をしている話はしていなかった。ユズルは「生き残る」以外にもう一つ、別のプレイヤーとしていた約束事を話す。やがて、剣を交差して宣言した辺りでエギルは興味深い目をして訊ねた。
「ほう…そのプレイヤーって言うのは――キリトとクラインか?」
「そうだけど――エギル、良く知っているね」
「結構有名な話だぞ。俺もたった今、気づいたけどな。『始まりの街の暗い路道で三人の剣士が生還を誓い合った』って話だ。ただ、それをしたプレイヤーは¨キリト¨と¨クライン¨って言うのは分かっているが、もう一人は分からないままなそうだぞ」
称賛を含めた朗らかな口調で語る。
第一層から攻略組として活躍し、黒猫のような身軽さで戦場を駆け回る黒の剣士キリト。【風林火山】のリーダーであり、味方の死者を抑えた堅実な守りの作戦を得意とするクライン。この二人の活躍から身元調査をしている内に広まった逸話だそうだ。
有名な逸話になっているにも関わらず、あまり気分のいい話ではない。なぜなら表向きで二人と距離を置いていた意味を見失うからだ。しかしながら、¨ユズル¨と繋がりを持っている情報は無い分、二人にヘイトを被せる心配は無い事実に安堵する自分がいた。
「他言無用で頼むよ――二人を危険に晒したくないから....」
「分かってる――ユズル、一応聞くが、お替わりできるか?」
「量としては一人一杯までならできるよ――それとも残すつもりか?」
「冗談言うな。こんな美味しいもんを残せるか」
「それなら、私もお代わりしようかな。こんな機会はないしね」
「俺もお腹いっぱい食べたいぞ」
「僕もお替りしたいから残しておいてね」
エギルを先頭に、アスナ、ノーチラスの順番にお替わりをしに席を立つ。やがて、ユズルの順番となる。意気揚々とシチューの蓋を開けた先には、具の入っていないスープの存在だった。何もない空虚な鍋から発散される底冷えした感覚に支配される。三人に問いかける言葉も自然と低く、虚ろな声で発した。
「....ねえ、なんで具が無いの....」
エギルは無言でシチューの具をかき込む。
「....ねえ、なんで....」
アスナは皿を持ったまま顔を背け、ノーチラスは全身を窓に向けてシチューを食べている。この人達は、他人を思いやる秩序よりも高級食材を食べきる欲望を優先しやがった。仮想世界で人の心を持ち合わせていない様に人の手も持ち合わせていないのか。誰も見ていないとユズルは傷つき、涙ぐむ顔を奥に引っ込め、冷淡なかぶりを被った。
「そうか、そうか。君たちはそういう人達なんだね。前言撤回――この場で食事をしている人達が仮想世界の闇だったよ」
「ユズルくんのシチューがあんまりにも美味しくてつい....ね、ノーチラス君!」
「俺に振るなよ。何気に一番肉を狙っていただろ、入れる時にはほぼ野菜だったぞ」
「....もういいよ。過ぎたことは忘れるから」
自虐心を吐露し、不貞腐れる。あからさまに見下した、凍てついた眼差しとさえいえる視線を食べている三人に注ぐユズルと、その凍り付いた視線をつまみに暖かいシチューを食べる三人の様は、傍から見ると愉悦を感じる光景とさえ思える。
二
事件の全貌をご覧入れよう。
この混沌とした状況はエギルの策略だ。一番先頭だった彼は、鍋をかき回す時に『何個肉があるか』を確認していた。合計十四個の内の半分を皿に入れる。後は誰よりも先に肉を食べておけば「これだけしかよそっていない」風に誤魔化せるからだ。
次にアスナは鍋の肉は合計七個と確認し、その内の四個を皿に入れた。これで次に控えているノーチラスとユズルは二個ずつ食べることができる。そう考えた。しかし彼女はかき混ぜた鍋に一つだけ余分に取った事実に気付かなかった。
そして、ノーチラスは鍋をかき混ぜずに浮いた三つの肉を取る。彼もまた、肉は底に沈んでいる、と思い違いをしていた。護衛の疲れでお腹いっぱい食べたい。食欲に抗わずにシチューの浮いていた少ない野菜を全て皿に移した。
お分かり頂けただろうか。これによって最後のユズルにシチューの具は何も残っていない結果となった。犯人のエギルは証拠を胃の中に隠し、何食わぬ顔で皿を洗っている。これで事件は迷宮入りだ。
三
言い逃れる言葉を失い、シチューを食べ終えたアスナはどうフォローをいれるか思考を巡らせる。ノーチラスも声をかけようとすれば、アスナは制止する。彼女の眼差しに何かを決意した感情が込められているような感覚を読み取った。
「実は、明日第七四層の迷宮区を探索しようって話だけどユズルくんも一緒にどうかな?」
「....行きたいけど――迷惑にならない?」
「迷惑なんてことはないわ。皆ユズルくんの事情を知っているもの。来てくれれば喜んでくれるわ」
僅かな沈黙の隙を逃さぬとばかりに言を重ねるアスナ。そんな彼女をユズルは軽く睨む。仮想世界で何度も経験した裏切りと似た感覚に彼はなんとも不愉快だった。何を言われても悪口にしか聞こえない。ノーチラスはそんな彼に、
「そうだぞ――メンバーは俺と副団長にユナとキリトを誘っている。キリトとも知り合いなら気負いしなくていいだろ。探索と言っても迷宮区のマッピングを済ませるだけだしな」
ユズルからすれば魅力的なお誘いだ。ずっと前から仮想世界で叶えたかった夢。誰かと一緒に話をして過ごし、誰かとモンスターの倒し方を話し合う狩りをする。誰もが当たり前にしている日常――それこそがユズルの望んでいた¨ソードアート・オンライン¨というものだった。かぶりを取ったユズルは改めてメニュー画面を開き、次の日付にスケジュール表を指さす。
「誘ってくれてありがとう。行くけど――何時にどこに集まる予定なの?」
「第七四層のカームデット主街区――転移門広場の前よ。時間は午前の訓練を終えてからだから、11時かな」
手早くスケジュール表に書き込む。シチューを食べられたことも些細に感じるほど、抑えきれない嬉しさが、ユズルの心から湧いて出ていた。
「分かった....ありがとう、アスナ、ノーチラス」
「…ええ、また明日ね、ユズルくん」
「おう、遅刻するなよ」
普段から疑心暗鬼になっている自分に久しぶりに会えた仲間からのお誘いに、このときばかりは仲間との繋がりを感じ、ユズルはより明日が待ち遠しく感じた。
四
エギルの店を後にし、川の流れる茶色い石橋にノーチラスとアスナは、街灯に切り替わりつつある面で居並んでいた。灯りで鱗のように輝き、それを眺めるノーチラス。横顔をチラリと見ながら、石橋を背に上空の星を見上げるアスナ。彼に尋ねる口調に、多少の怒気と皮肉を混ぜた言い分を投げかける。
――まさか自分の提案にノーチラスが乗るとは思わなかった。
ユズルの心情の流れからでも、何も言わなければ『断る』雰囲気だったからだ。
「つい、誘ったけど....ユズルくんを一緒に連れて本当によかったの?」
「アスナが言わなかったら――自分から誘ってたよ。ユナの為にね」
「でも分からないな。ユナちゃんのこと、ずっと好きだったんでしょ。何で二人が結ばれるような手伝いを?」
「幼馴染だからかな。ずっと近くで見続けていたからこそ....分かっただけだよ。ユナがアイツに本気で惚れているってね」
初めてユズルと出会った日から衝撃的な別れ方をして一年。ユナは劇的に変わった。常に安定して厳しい支援物資のノルマをクリアし、空いた時間も独自で経験値を稼いでいた。唄の活動も加えたオーバーワークになりかねない仕事量にも弱音を吐かずに続けた彼女。今では攻略組にいても恥じない戦闘センスを持つプレイヤーだ。自分の知る「か弱く、守ってあげたい」彼女はどこにもいない。ここまで、「強くなってやる」と決意したのは、彼の影響もあるだろう。自分では彼女を心まで支えられず、幸せにできないと感じたまでだ。
「やっぱり――私には分からない。本気で好きになった人なら諦めきれないはずよ」
「本気で好きだからだよ。ユズルと初めてあった時、ユナのあれほど笑っている顔やあれほど怒った顔は見たことが無かった。その日からずっと気にしていたけど――あれは、惚れている感じだったからな。ユナには幸せになってほしいだけだよ」
「....いいわ、私も手伝う。でもね、ノーチラス君。我慢だけはしなくていい――私はいつでも貴方の味方だからね」
アスナはそれだけ言い、一人で転移門まで歩いて行く。茶色いレンガ橋と薄い街灯に一人で佇むノーチラス。彼の頬をつたい、雨粒を一つ一つ落としていく。川の水面にゆっくりと小さい水泡を生み出す。水面に少しの間だけ浮かぶ泡はすぐに消えた。
「ありがとう....アスナ」
いつも大人のように振る舞っていたはずの彼が、今は子どものように枯れるまで流した。一年以上も一人の女性を想い続けた青年の結末。彼の嗚咽と涙の中で…思い出だけが鮮明に笑い語る。これは、血盟騎士団の副団長とその付き人のみが知る
五
2024年10月19日
その日はいつもより入念に準備をしていた。今日は、仮想世界で初めて仲間と探索をする日なのだ。浮足立つのも仕方ない。アスナからは「11時に集合」と言われていたが、ユズルはそれよりも早く待ち合わせ場所に着こうとしていた。現在時刻9時50分――
「これは早く来すぎたかな」
第七四層のマイホームから徒歩で行けば予定より一時間も早く待ち合わせ場所に着いてしまう。やせた山と岩に囲まれた殺風景な風景は、あまり長居できそうでない。しかしながら、石造りのレストランには新作のデザートを多種多様に揃えている。時間が有れば訪ねたい場所だ。しかし今日の自分は目的が違う。待ち時間は読書で時間を潰そうとした。
転移門広場の辺りに着いた時、予想外の出来事に困惑した。遠目からでも分かる。転移門広場のベンチに白いフードを被ったユナが腰かけていた。凛とした姿勢に深く被ったフード。一人で佇むその姿は一種の花がある。約束の時間まで一時間もあるにユナが待ち合わせ場所にいるのは違和感があった。
「あれ、なんでこんなに早くいるんだろう」
一瞬だけ戸惑うも、誘われているメンバーの彼女を一人で待たせるわけにはいかない。気づいてしまった以上はユナを放っておくわけにはいかない。そのまま早歩きでユナに駆け寄る。黒いフードの人物が駆け寄る際に、一瞬だけ彼女は自分に近寄ってくる存在に怯えたように身を竦めてしまう。数秒間の沈黙。何かに気付いたユナは赤らめた頬をフードで隠し、とっさに唇を結ぶ。
「久しぶり、ユナ。待ち合わせ時間は11時って聞いていたけど....もしかして僕が待ち合わせ時間を間違えていた?」
「ううん、間違えてないよ。私も早く着いちゃっただけだから....本当に久しぶり、ユズル」
【解説】
・恋水:愛しさのために流れ出る涙。恋の涙。
次回は原作「キリトvsグラディエール」のような修羅場な展開が書ければいいな、と思っています。お楽しみください(^^)!
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