本作では、彼女はダークヒロイン。
第一話で和人が直葉を気にしていた理由もあります。
※注意
・虐待の描写があります。
・桐ヶ谷直葉ファンの方は申し訳ありません。
・オリキャラ有り。
2014年7月19日
休日の昼下がり、陽光に降り注ぐ芝生には、立ち止まった少女と同い年の子がはしゃぎまわり、それを見守る親の微笑む姿が目に付く。市で管理された天然芝の公園は、家族連れで和む憩いの場としては有名だ。どんなに明るい光景であろうと少女にはまったく関心は無かった。
ボブヘアーに赤いランドセルを背負った少女。人形のように無機質に、暗い陰りの眼差し。喜怒哀楽の表情と声色は年相応とはいえ、黒いチョーカーを付けた雰囲気に無邪気な子どもの面影を、一切に感じなかった。その少女は、桐ヶ谷直葉。明るい家族を目で追い、暫く立ち止まれば黒いチョーカーの振動に顔を歪ませ、直葉は自宅に足を運んだ。
「ただいま~」
普段から誰もいない空箱に声を響かせる。またいつも通りと思えば、留守の多い家主である母の声がやまびこに返ってきた。
「おかえり、直葉。学校はどう?」
「学校?いつも通りだよ」
「あら、そうなの?さっき学校から電話があったのよ――授業中も良く寝てるって。しっかり授業は受けているの?」
「受けてるよ!その証拠に今日の英語の小テストは満点だったんだから」
直葉は口を尖らせてから無邪気な顔を作り、小テストを母に渡す。パソコン情報誌の編集者をしている母である桐ヶ谷翠が、家にいるのは物珍しい。久しぶりの母親を思って、うなずくだけにした。
「あら、ホントね。この調子で頑張ってね」
翠は丸で埋め尽くされた小テストを見たまま答える。
「あとね――先生から聞いたけど水泳の授業をずっと休んでいるわよね。何かあったの?」
「…少しかすり傷が痛いだけだよ」
「そう…それなら良いけど、あまり無理はしないでね」
そそくさと二階に上がっていく直葉。私用の洋服をゆっくりと脱いでいく。少女の身体ははしゃぎまわる子どもと同年代とは思えないほど変質していた。一般人からすればかすり傷で済む怪我ではない。胸部の皮膚は青く変色し、全身の至る部位に生傷。左腹部の爛れた皮膚には服に引っ掛かったかさぶたが剥がれてしまい、赤い血が流れる。
毎日学校終わりに祖父の経営する道場の跡取りを約束された師範になるべく、稽古で付けられた傷。塩素のプールに沁みるだけでなく、この怪我もキズも直葉の弱さで付けられた恥の象徴でしかない。幼い頃から少女の¨日常¨に傷と怪我は弱者の刻印にしかなかった。この傷だらけの身体は私が弱いから。おじいちゃんの期待に応えられないから。邪念で鈍くなった着替えに、チョーカーの強い振動に襲われるまで、直葉はすぐに気持ちを切り替えられなかった。
周囲からオシャレとしか認知されていない黒いチョーカーは、直葉からすれば当たり前に身に付けている雑貨物に過ぎない。祖父に渡されたプレゼントであり、剣道の稽古に気合を持たせる道具と、表向きではそう通している。実際は、GPSを搭載した小型電力チョーカーであり、躾をする拘束具だ。時間厳守を徹底し、語学、数学、社会学などの勉学に、師範になる剣道の稽古を効率的に行う『詰め込みこそが真の教育である』祖父の英才教育である。最初は悲鳴すら上げていた声も億劫と思い、何日も過ごすうちに直葉もそれを虚ろに受け入れていた。
母に伝えれば現状を変えられるかも知れない。だが、桐ヶ谷翠は母の手一つで家計を支える大黒柱であり、祖父に娘を預けて安心して仕事に取り組んでいる母親に、直葉はたった一人の肉親である翠にだけは心配などさせたくは無かった。
「私は、強い…まだ、頑張れる…私は、できる…私は…」
手鏡に映る自分に言い聞かせていく。今まで何度繰り返したんだろう。期待に応えられず電気を流される自分に、毎日、その時、その日に――
――積み重ねられる罪悪感に押しつぶされそうだった。
布装束に着替えた直葉は高校生の使う竹刀を引きずりながら、道場に向かった。期待に応えられない罪悪感とも、誰にも本当の自分を曝け出せない悲しみとも違う、無意識に積み重ねられる憎悪の堆積。
黒い情念の灯火は、桐ヶ谷直葉の心の奥で静かに火花を貯め込みはじめていた。
一
2016年5月15日
埼玉県川越市の敷屋敷、とあるこぶし木のある敷地。近隣住民からすれば、傍目でも四季に合わせた植物や手入れされた木々に、昔ながらの【桐ヶ谷道場】の威厳を知らしめていた。川越市における名門と実力を兼ね揃えた地位に、そこらの新参者の経営する事業者であろうとも、道場の看板に後座を譲るなどまずあり得ない。そんな名声や安寧を得ようとも道場の師範たる桐ヶ谷源一郎は内面の怒りを抑えずにはいられなかった。齢六十を超える高齢に関わらず、内側から敷き詰められたかのような太い筋肉に厳つく彫の深い顔立ちに、鋭い目つきは歴戦の手練れを思わせる。
だが、桐ヶ谷源一郎の怒りは全く脹れる見込みはなかった。年を取るほどに理想と現実の差を感じていたからだ。
たしかに門下生は増え、道場の経営は安定してはいた。そして、後継ぎである直葉は剣道を歩む剣士としての十分な素質を備えていた。その点だけは、新参者と比べるまでもないほどに才を秘めている。同等に素質を備えておるのは、門下生では鳴坂和人だけであろう。が、直葉は女だ。将来を見据えれば、どこか腕の立つ男を引っかける極上のエサに育て上げた方がよい。何故、元から男に産まれなかったのかと、憂うたびに恨まずにはいられなかった。
男よりも強く、そして、その女の蜜に味をしめた優秀な男に道場の世継ぎとなるべく調整をする措置。犬の躾けに扱われる電気首輪を改良した電流チョーカーによる『教育』であった。
――だが、直葉の心はどこまでも未熟だった。
道場の稽古に耐え切れない門下生を庇い、慰めてばかり。他人に同情するなど、足枷でしかならない。直葉が女である以上、花を愛でる様にゆっくりと育てればよい。『教育』という水をじっくりと撒き、時間をかけて『更生』させてやればいい。桐ヶ谷直葉は源一郎の築いてきた道場の跡取りとして必要な存在だ。簡単に逃げられては困る。怒りの矛先を載せた激しい稽古を、離れていく門下生には交えず、耐え抜いた者にのみ牙を剥けた。
少人数でありながら【桐ヶ谷道場】の門下生はかつての栄光を取り戻す功績を上げるも、なお勝る功績を直葉は最年少で塗り替える羽目になった。だが源一郎にとって、それはあまりにも望まぬ名声であった。名声を逆手に直葉の心に寄り添う弱者など生粋の魂を脆弱にするものでしかない。
二
結論から言って、源一郎の『教育』は英才教育という名を借りて日夜絶え間なく虐待を行った。彼女の人体を壊さない三十ボルトの電力に設定し、一時期は意識を失うほどであった。大急ぎで心肺を圧迫させ、取りあえず意識を取り戻したものの、怯える直葉の不甲斐なさに竹刀で根性を叩き直せば、また気絶を繰り返していた。
それはまるで拷問のような日々を直葉は続けた。次第に直葉は他人を庇わず、慰めの言葉を投げかけなくなった。かつて彼女が慰めていた門下生を徹底的に叩きのめし、降伏する者にも容赦のない剣捌きに源一郎は完成の近い器に消沈していた心を満たしていた。しかし、源一郎は気づいていない。直葉に巣くう黒炎の火種を。直葉を跡取りどころか強大な敵を作り上げてしまったことを…
三
2017年3月17日
その日は春を感じさせる生暖かい陽気で、強い風を感じさせる。そんな暖かい光や突風をうっとうしいと憤りを募らせながら桐ヶ谷道場へ赴こうとした直葉は、途中の庭でばったりと和人に出会った。
「…」
出会い頭に和人の迷いの表情に、直葉は怒りすら覚えていた。
「えっと…直葉はこれから稽古か?」
「…見て分かんない?これから遊びに行くとでも思ってるの?」
「あぁ。そうだな」
愛想笑いをして見せたつもりが表情は柔らかくなるばかりか、さらに直葉の目を吊り上げてしまう。
「あの…直葉さ、なんかどんどん違う人に見えてな」
「訳わかんない。私はいつも通りよ」
「そうかもしれないな」
乾いた小さな声で呟くも、和人は胸の中で「そんなわけないだろ!」と怒鳴り散らしていた。半年前に門下生として入った和人でさえ、桐ヶ谷直葉は別人の様に変わり果てた。人形のように無機質で、空虚で濁りきった目に不気味な光。かつて、子犬のように明るく優しい少女の面影は、もうどこにも残っていなかった。
「せめてさ、今日だけ遊びに行かないか。折角の休みだぞ。遊ばないなんて損だと思わないか」
「馬鹿にしてる?そんな余裕ある訳ないでしょ。第一、和人と遊びたいと誰が思うの?」
和人の横を素通りする直葉の横顔を見ながら、そのとき和人は痛切に、心から悲願した。
――手遅れにならないでくれ、と。
過剰に傷を負った直葉の心は、きっと永く尾を引くだろう。だがせめて、心の傷が時間とともに癒えるものであってほしい。それまで、直葉の心が致命的な部分まで壊れていないでほしいと。
鳴坂和人は踵を返し、桐ヶ谷道場を睨み付けてから自分の家に向かった。
四
今日も道場は竹刀の打ち合う軽快な音を響かせているつもりだった。源一郎は直葉が道場に入るや否や、神速の抜刀で直葉の頭部を殴った。
「遅い!貴様は何をしとったか!!」
「…申し訳ありません。少し――」
「言い訳をするな!!5分の遅刻と言えど、師範の心が身についていない証拠だ!!まだ、教育が足りないのか!!」
返答を待たず、木刀に切り替えた源一郎は直葉のいたる部位に二十合以上を叩きつけた。直葉の体は、魚の臓器物のように、目木の床にうつ伏して、声も音も聞こえなくなる。苛立ちを抑えぬまま、チョーカーの電流で無理矢理に意識を覚醒させた。
「まだ、終わっとらん!この程度で気絶など甘ったれるな!」
激情に任せていなければ違っていたのかも知れない。年老いた身体に全身の血液を急激に早めていたせいか。自分に危害を加える考えが無かったのか。いきなり頭部を払われて、木目の床に転がされる羽目になってからも、雷鳴の頭痛に視界が霞んでいく。源一郎は寝転がったまま頭上を見上げて、見たことがない女の顔を見た。何の感情をうかがわせることもなく、直葉は無表情に見下ろしている。
――愚鈍の抜刀に反応できなかった。師を手にかける愚か者が。儂は貴様を許さん。地獄に堕ちろ。
心中を理解しようともしない後継ぎに、彼は意識の途絶える瞬間まで、呪詛を叫び続けた。
五
道場の冷たい床の上、直葉は目の前で仰向けに痙攣している源一郎の姿を見守っていた。今まで嬲り屠ろうとしてきた祖父がやけにちっぽけだ。しばらく考えた末に、直葉は「ああ、そうか」と納得した。
――きっとこれは、祖父が教えたい心構えだ。
強者が弱者になる末路を見せつける為に、師範たる祖父は実例を見せてくれるのだ。
――分かりましたよ。師範。
少女は従順に頷き、笑みを浮かべる。源一郎の痙攣が徐々に小さくなり、息を引き取る様を、直葉は最後まで達観し、その眼に焼き付けた。
【後書き】
桐ヶ谷直葉はハーメルンを読み始めてから気に入っているキャラでもあります。
彼女の歩む道を暖かく見守って頂ければ幸いです。
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