幻影戦記~氷と炎の鎮魂歌~   作:ロバート・こうじ

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25話 愚者の佞言

恐ろしいモンスターから逃げ、湿地草原地帯の安全地帯まで逆走してきたキリトとアスナ。二人は安心する間もなく、後ろで虫の息になってうつ伏せに倒れている黒いローブの物体に引いていく血の気。倒れていたユズルが立ち上がれば戦場と錯覚するほど、目の前のプレイヤーがおぞましい何かと身を引き締めざるを得ない。

 

遅れてきたノーチラスとユナはハラハラしつつ、その様子を見守る。ユズルは仁王立ちで白刃を地面に突き刺し、キリトとアスナを睨み付けていた。熱気と似た紫の揺らぐ雰囲気に見守る二人も唇をきつく結ぶ。ユズルは首に巻き付いた輪を外すも、うっすらと赤い痣を浮かべていた。

 

「目の前のモンスターの突進に一番に逃げて、安全地帯まで約五百メートル。とくに、アスナはずっと気づかずに引き吊り回す始末――何か言うことはあるか?」

 

視線を逸らすアスナを他所にキリトはユズルの顔色を窺う。月夜の黒猫団の集まりで温厚な彼が怒ることはまずない。しかし普段怒らない人が起こると怖いというのは、まさにこの状況である。ひんやり冷たい指先で熱くなった心臓を優しく愛でる様で、それゆえに致命的におぞましい印象を受けた。

 

「返す言葉はありません」

「ホントにごめんなさい」

 

なるべく非を認めるキリトに対し、アスナの方は完全に萎縮していた。そのまま、容赦のない冷酷な眼差しは――アスナ一人に向けられる。

 

「今回は何もなかったから良かった。けど、撤退する最中にモンスターの奇襲に遭えば連携できずに誰かが大怪我して命に係る失態だ――冷静にあることは大切。でも、皆といる時はお互いにできること、できないことを任せる必要もある」

 

萎縮しながらアスナは肩を震わせる。とりわけアスナの胸中に濁った鬱屈な感情を呼び込んだ。モンスターから逃げただけではない。どこかでユナの恋愛を応援するに肩の力を入れ過ぎていたのではないか。ノーチラスを傷つけた彼を心のどこかで目の敵にしていたのではないか――その時、ユズルのきつい眼差しからの問いかけが、アスナの思考を断ち切った。

 

「今回はどちらに該当するか分かってる?」

 

何も言わずに頷くアスナ。数秒間の沈黙に耐え切れずに視線を地面に落とす。しばらくして、膝を伸ばした瞬間に、アスナの身体は軽く飛び上がった。厳しい剣幕でまくしたてていたユズルは、二人に向かって穏やかに言う。

 

「ならいいや――僕から言うことは無いよ。せっかくだから、ここでお昼を食べようか」

 

 ユズルは軽く頭を掻きながら、傷んだ長髪の毛先をさらにぼさぼさにする。キリトは颯爽と、アスナは曇りの面持ちで押し黙ったままだ。シートを広げて昼食の準備をする彼に、ここでようやくアスナはユズルに問いかけた。

 

「あの....ユズル君?わたし酷いことしたのに....もういいの?」

「――ん?話して分かるなら十分じゃない?それ以上言えば、『責める』になるからね」

 

湧き上がる怒りを胸にしまい、アスナはさらに重ねて問う。

 

「じゃあ、なんで責めないの....」

 

瞳に陰りを残したまま肩を震わせるアスナにユズルは耳を傾けていたかどうなのか、ただ黙々とテーブルを設置していた。アスナからすればもっと正論で殴りつける言葉が欲しかった。一つのミスで死に繋がる世界にまとめ役の彼女にとっては重く受け止めなければならない故に――滅多にあることではないが、ごく稀に小さな偶然の積み重ねで予期せぬ結果になることはある。

 

しかし、今回は違う。冷静さを欠いて引きずったユズルを、気づけばHPバーを赤色まで減らし、みすみす彼を消滅させたとなれば、きっと現場にいた三人は理不尽を許さないだろう。今の自分をアスナは許せなかった。ユズルは額を掻きながら、少々の困り顔を崩さない。

 

「――なんでか?普段からアスナは周りから頼られている分、いつも自分を『正しく(皆の規範)』しようと責めているでしょ?その『正しさ(ストレス)』の積み重ねで冷静になれなかった。分かっているなら責めないし――僕は生きているんだから余り気に病まないでほしい」

 

ユズルが毅然と放った言い分に、アスナは、いまだに、困惑顔だ。

 

「でも――」

「まだ気にしているなら罰を言います――お昼ご飯の準備を手伝ってほしい。流石に五人分の用意は大変だよ」

 

 

 アスナはあっけにとられた。いつの間にか椅子やテーブルも用意され、ユズルは肉や野菜を銀串に刺していた。銀網を敷いた簡易コンロに火を付けるユナに採取した水をろ過するノーチラス。各々が昼ご飯を早く食べようと活気づいていた。銀串に六個を刺し終え、ユズルは野菜が少ないことに気付く。

 

「しまった。野菜がほとんどないや――キリト~偵察中に野菜採取の場所は無かった?」

「現在地はココだから.....この辺りに沢山あったぞ」

 

七四層の迷宮区を一望できるマップをキリトはなぞりながら指差す。キリトのマップは感銘の一言だ。マップにはボスや安全地帯はもちろん、給水場や敵エンカウント率や罠の場所まで記されていた。また空いた概要欄に先程まで戦った敵モンスターの癖や特徴の注釈も入っている。

 

「凄いな、これは!まるで攻略本みたいだ。偵察で神器の逸品でも拾ったか?」

 

惜しみない称賛をするユズルに向けて、キリトも満更でもないと微笑する。いつの間にか彼はシートに胡坐をかいて座り、恥ずかしそうにふっくらした頬を掻いていた。

 

「分かりやすく書いておけば自分の為になるからな――それ見れば行けるはずだぞ」

「ありがとう。この地図を頼りに行ってみるね」

「――あ!それなら私もいいかな。資源集めのプロの実力を見せてあげるよ」

 

凛と通る声で提案したのは火おこしを終えたユナである。額に付いた汗をタオルで抑えながらマップを覗き込む。ユズルとしては有りがたい。このチームのなかで資材集めに優れているのは、紛れもなく彼女だろう。未だに当惑顔のアスナを他所に、ユズルはにこやかにかぶりを振る。

 

「なら、お願いしようかな――アスナ~銀串を刺すのをお願いしていい?」

「....うん、やっておくね....」

 

生半可な返事でどこか張り詰めたような顔。そこにいるのは攻略に精を出す血盟騎士団副団長などとは程遠い、ただの幼い少女でしかなかった。

 

「アスナ、ちょっと――」

「ごめんなさい....少し考えさせて」

 

 気に掛けるかのように呟くユズルを、さらにアスナは言葉を挟む。ユナも目配せで野菜採取である東側に身体を傾けて催促する。これ以上の対話はどんな適切な言語も宙を浮く。微妙な雰囲気に情けをかける気にならず、ユズルとユナは野菜を取りに向かった。

 

 

湿地草原の安全地帯から直進方向に東へ約二百メートル。奥行きの見えない深い森林の付近に野菜は実っていた。元々、銀串に刺して焼くバーベキューを想定した食べ物かの不安も杞憂に終わる。ユナと【鑑定】による識別で巧みに食料を調達していた。

 

「――疲れてきた?ユナ」

 

ユズルに聞かれて、疲労感を奥に引っ込め、ユナは小さく微笑む。

 

「まだまだ大丈夫。もう一段階ペースを上げてもいいくらいかな」

「流石だね。血盟騎士団の活動と歌の活動を両立させているだけはあるな」

「凄く大変だよ?普段はギルドの資材集めをしなきゃだし....空いた時間に原曲を合わせたり歌詞を考えたりするからね。あんまり余裕はないかな」

 

 安堵とも落胆とも言い難い脱力した声を吐く。本当は逃げ出したかった。加入したのも彼との絆を断ち切りたくなく――ただ泡沫(うたかた)の奇跡を信じただけだ。シリカと付き合っていると勘違いして嫉妬し、激流に流されるままに狩りや歌の活動をしていた日々。血盟騎士団にいる目的を見失い、ストレスと嫉妬に飲み込まれかけた時期を支えてくれた親友のリズ。

 ただ、リズがいなければ掛け合いなしに私は壊れていたと。同時にシリカとのキッカケがなければ彼への恋い焦がれる思いと熱さを知らなかっただろう。

 

「もし僕が――」

 

ふいに掠れた弱々しいような声がユナの耳に問いかける。

 

「もし僕が、犯罪者と呼ばれなければ――ユナを支えることができたかな?」

「急にどうかしたの?」

「アスナと事故はあった。それを除いても人と関わる楽しいこの時が普通なら――今の自分がどれだけ痛みを抱えているか実感したよ。世間から犯罪者と呼ばれなければ、もっと皆を支えることができたんじゃないか、とね」

 

 切羽詰まった声で、ユズルは答えた。それは彼の口から初めて聞いた痛々しい言葉。しきりに『犯罪者』と言い聞かすユズルに、ユナは堪らなく嫌だった。想い人がこれほど苦悩に晒されていながら、自分では何かをする術を知らない。そして、今の彼女にできるのは――虚しい問いを投げることだけだ。

 

「本当はどうしたいの?」

「皆と一緒にいたい。もう誰かに捨てられたくは、ない」

 

ユズルは即答する。何度も裏切られ続けた二年間の深い闇に虚しい光があると自分自身に信じ込ませる――ただの愚者の佞言(ねいげん)だ。後ろから肩を揺すられたユズルは、振り向いた境に、真正面から彼女と向き合った。潤みと熱をおびたユナの眼差しは、哀切に、苦々しさを伴うものだ。

 

「――そうね。ユズルの頑張りは知っている人にはあなたが思っている以上に伝わっているわ。アスナさんだけじゃない、エー君やキリト、シリカちゃんだって....ユズルの繋いできた結びつきは必ずあなたを見捨てない」

 

ユナは優しくも、残酷に指摘した。ただどうしようもなく吹けばすぐに消えてしまう虚しい希望を抱かせているだけだ。十分に頑張っている人に、さらに頑張る様に追い詰める言葉。それは彼も分かり切っているはずだ。ゲームが終わるまで続く逃亡生活に選択肢など無いことを。

 

「怖いんだよ。自分と関わっている人が危険に晒されるのを....誰かが襲われていても助けに行けない無力な自分を責めるしかない。約束を護るにも階層が高くなるほど強くなる攻略組に負けるかもしれない――さっきはアスナに注意したが、誰かに伝われば比べる間もなく『アスナが正しい』となる。そうなれば....一番相手にしたくない攻略組が僕に狙いを定めてくる――今は後悔しているよ」

 

今にも泣きだしそうなほど追い詰められた顔。そこにいるのは優しくも厳しい男の子とは程遠い、世間から苛まれ続けた非力で臆病な人間でしかなかった。

 

「あなたは一人じゃない」

 

ユズルの震える肩に両手を添えて優しく言い聞かせる。

 

「誰もあなた一人を戦わせはしない――私は守る。キリトもノーチラスもアスナもきっと守ってくれる」

 

ユナは知っていた。もし危険があれば攻略組である三人の強靭な強さが彼を救ってくれる。それは決してユナでは叶わない相談だ。せめて自分が出来ることがあるとするなら、かつてリズがしてくれたように心を支え、シリカに誓い、傍にいると決意したくらいのもの。役に立たなくていい。こうやってささやかでも、彼を癒してやれる時間が長引いてくれないものか――そんな彼女の思いは一瞬で虚しく消えた。

 

索敵からプレイヤー反応に、ユナは身を強張らせる。人数は四人か五人?プレイヤーキルであれば二人では危険だ。頭に警報音を響かせる。

 

「誰かが近づいている――プレイヤーは四人か五人だと思う」

「二人で迎えるのは危ないか。なら、キリト達と合流しよう――向こうが気づく前に」

 

索敵に気付いたユナに弱々しい彼の声は、いつもの冷静な馴染みある声に戻っていた。彼女の異変を見ただけで、ユズルは察する。ユナの両手から離した目の前には第四十層の撤退戦で見た顔だ。

 

「今持っている野菜だけを持ち帰ろう。合流さえすれば迎撃ができる」

「うん、すぐに行こう」

 

 忍び足でその場を後にする。だがユナにとってはやり場のない怒りを想いの底に沈めていた。まだ彼との話は終わっていない。まだ自分の本当の想いを伝えていない。ただ、プレイヤーが来ただけで二人の会話は夢と錯覚してしまう程に、ユズルをどこか遠い存在に感じてしまう。速足で駆ける彼の背中に、一種の寂しさと不安に悩まされていた。

 

――このまま....どこまでも遠くに消えてしまうような....嫌な予感が....

 

 

ユズルとユナの到着時に、バーベキューの準備は壮大なものに変わっていた。ノーチラスは二リットルのペットボトルにろ過した水を用意し、アスナは気分の整理を付けたか余った野菜や肉を刺した銀串を鼻歌交じりに焼いていた。キリトは大皿に焼けたばかりの食べ物に涎を垂らさんとばかりに顔を緩ませている。

 

 プレイヤーがこちらに近づいていると伝えれば、急にアイテムストレージを操作して武器を装備し、プレイヤーの視線は東の薄暗い樹海に集中する。合わせる様に、ユナは相手との距離をカウントし始めた。

 

….三….二…一…ゼロ!

 

 にゅっと木々の間からプレイヤーの姿を現す。総勢六人は赤い甲冑を装備した男達だった。リーダーと思われる男は、赤いバンダナを頭に絞めている。攻略組で知名度も高い【風林火山】のメンバーだ。知り合いと分かれば、緊張をひも解いた。顎に軽い無精ひげを生やしたリーダー格の男は、【月夜の黒猫団】に所属するキリトに向けて笑顔を浮かべながら近づく。

 

「よぅ、キリト!久しぶりだな!」

「お前は相変わらずだな、クライン」

 

 義兄弟の契りを結んだキリトとクラインの再会。ノーチラスとアスナはまだ真新しい三剣士の誓いをたてた話題の人物に興味の目を向ける。第四十層でお世話になったカル―とオブトラにユナは挨拶をした。泣き崩れてしまった状況で、お礼を言う余裕も無かったからだ。ただ一人。黒いフードを被ったプレイヤーは何も言わず、見て素知らぬ様子を貫いている。

 

「キリトよぉ、今日はえらく新しい顔ぶれが多いな。そこの黒いフードのプレイヤーは誰だ?俺ぁ初めてだぞ」

 

 クラインに幻影のローブを話していないとはいえ、心底惨めな気持ちになった。このローブの性能を知っているのは月夜の黒猫団の他には、ノーチラスとシリカとユナだけだった。その反面、自分のトップシークレットを伝えていないのは、信頼に他ならない。事情を知る者の白けた雰囲気に戸惑いを覚えたのはクライン自身だ。

 

「――クライン久しぶり。ほぼ二年近くになるけど会えてよかった」

 

ようやく声を上げたユズルは半ば明るく、半ば冷徹に対応する。

 

「二年前は危険を冒してまで会いに来てくれた。他愛もない愚痴を言い合ったり、キリトに伝言を伝えたりもしてくれたよね」

 

思い出話に語る人物に穏やかではない発言を読んだ風林火山のメンバーは耳を傾けるも、黒フードは声色を変えずに続ける。

 

「会った時はソードスキルを使えずにフレンジ―・ボアに吹き飛ばされたりした初心者だった。でもデスゲームになって慌てたキリトと僕を心配して安全な道まで誘導してくれた――僕の大切な兄貴分だよ」

 

 落ち着いた口調とは別にクラインはみるみる顔色を失っていく。自分のことを『兄貴』と呼ぶのは、ただ一人しかいない。共に生還すると誓ったもう一人の『弟』だ。

 

「もしかして――ユズの字か?」

 

疑うような、まるでそうであって欲しくない意味を含めたクラインの物言いに、黒フードを外したユズルは柔らかな口調で言った。

 

「そうだよ。久しぶりだね…クライン」

 




クライン自身と直接会うのは第六話ぶりですね。
 
オリ主は彼の設立した【風林火山】とはなんとかコミュニティを取っていても、何かしらの理由で会えなかった分、感傷深いです。

次回は、第十話で登場した彼も久しぶりの登場です。お楽しみください( 一一)

エピソードゼロ:投稿優先の期待値調査

  • 孤独な少女(シリカ編)
  • 人の温かさ(リズベット編)
  • 働くAI(ユイ・ストレア編)
  • 超食べたい(ヒースクリフ編)
  • 受け継がれる幻影(???編)
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