夢心地のサチを宥めるのに、幾分の労力を費やした。お嫁さんは女の子も一度は憧れるキュンキュンする夢ではある。いきなり先を越してママになったと言われれば『恋のABC』の騒ぎではない。いきなり『恋のHIJK』の段階である。ケイタはまだ呆けているサチを気配る。
「おーい…他は落ち着いたぞ。起きてるかー」
「うん………」
「キリトも思い切ったことをするよな。いきなりパパになるなんて…」
「うん………」
「…サチは超かわいいよなー」
「…うん……」
だめだこりゃ、と棒読みでもケイタなりの変化球であるに関わらず、あいも変わらない生返事に首筋を軽く掻いてしまう。だが、現実世界でキリトは高校生。女性に年齢を聞くのは失礼と言えども、サチは高校のパソコンサークル仲間で年齢は同い年だ。女子高生であるサチに合わせて『JK婚』となれば、つまり合法であるに違いない。よって犯罪で無いといえばそうである。
「これだったなら――キリト、お前は責任を取らないといけないな?」
ケイタの指摘に、今度はキリトが言い訳をする番だ。
「なんでそうなるんだよ。黒猫団の皆でユイを育ててやればいいだろ」
「そうはいうけどな。あれを見てみろ」
視線を外したキリトの先には、子ども達に積み木によるマンション建設をお披露目し、その十秒後に小さな揺れで倒壊するさまに目くじらを立てず、爛漫とした花を咲かせているユイがいた。サチはぼんやりぼかしながら慈しむような眼差しでユイを見守っている。
「もう母親の目になってるぞ。ユイもサチを気に入っているなら、キリトは二人を連れておじちゃん探しをすればいいだろ。情報屋が気になるなら俺達がバックアップしてやるよ」
ケイタの勝手気ままな言い様に、キリトは呆れて溜息をついた。
「…まあ、ゲームクリアまでユイを守ると言ったからな。サチも付き合ってくれるなら…そうしてくれるとありがたい」
「任せとけよ。また、何かあれば連絡するからな」
扉の先で索敵を行ってから、ケイタは扉を開けた。ピナのファイヤブレスを受けたテツオやササマルは黒焦げになった髪で付いてくるも、チリチリに焦げた匂いのする偵察隊など悪目立ちすぎて隠密行動しにくい。おもちゃ箱に入っていたハゲ面の被り物と帽子を被せて誤魔化すこととした。配置場所を選びながらケイタは目をつぶり、サチに向かって頑張れよと呟いた。
一
いまユズルがいる部屋では、サチの爆弾発言により心酔してしまったユナを窓側に移したまま、冬陽のあふれる場で長く光を浴びせた。そろそろ午後の十四時だが、部屋は静まり返り、深呼吸をするユナの吐息だけが小気味に聞こえる。ユズルは軽く包みこむと、顔を真っ赤にしたままのユナは、ユズルの裾をギュッと握ってきた。
「あの子が起きたみたいね。せっかく乗りかかった船だから、今日はあの子のおじちゃん探しに付き合ってもいい?」
「ユナならそう言うと思ったよ。今日はいいけど…まあ――次は二人でどこか行きたいかな。やっぱり、一緒に居られる時間は大切だから。それに…埋め合わせもしたいからね」
頬を朱色に染めて凛々しい顔をしても誤魔化しきれていない仕草にユズルはニコニコ笑いながら言う。
「あ、うん…やっぱり、まだ気にしてるの?」
「そうだよ――うやむやにしていたけど、やっぱり商人の信頼問題と割り切っても同じ業界の妻がいるのに、他のアイドルグッズを売るのはやっぱり複雑だよ。新婚なら余計にそう思う」
「私はあんまり、気にしてないよ。最近は歌手も増えてきているし…でもそういうことなら、フリーベルに行きたいかな」
※嘘である。
この女は彼の見えない所で目から血が噴き出しそうなほど悔しがっていた。結婚をしてからビジュアルも歌唱力も上がっていた。そこに、異物として混入したレインという新星のアイドル。ユナにとってユズルとの絆は音楽で結ばれたようなもの。グッズ販売であろうとも、同業界の女に心を寄せられたくない。その女に内側から染められるなど許せるはずもない。抑えきれない不快さが、ユナの喉奥から湧きあげていたのだ。
「フリーベルは依頼を受けて以来だから楽しみだな」
「埋め合わせなんだから、その分たくさんサービスしてね」
頬を緩ませてしまい、口を滑らした言葉を慌ててつむぐ。男女が沢山サービスをする面白そうな会話にいつの間にかドア越しからひょっこりと覗かせ、シリカはニンマリして子どもとから視線を離した。生暖かい目で二人の交際を見物するのが、シリカお気に入りの娯楽の一つだった。
「あたしもフリーベルに行きましたけどいい所ですよ。お花も綺麗で、水も透き通っています。初めてデートに行くなら絶好の場所と思いますよ」
「へぇ。まだ行ったことないのよね。やっぱり情報屋を欺くとなると難しいから」
ユナの茶色い目線を落とすと、うりゅと小首をかしげるシリカが目に付いた。
「…情報屋に気付かれてはならない。ケッコンシステムでお相手のアイテムストレージを共有できる。ユイちゃんのおじちゃん探しをしたい――」
シリカは目をつぶり、深く空気を吸い、そして浅い息を吐いていく。ユズルとユナは静かに、何かに気付いたであろう彼女を見守る。やがて、ゆっくりと目を開いたシリカはぎこちなく答えた。
「あ…でも…幻影のローブをユナさんも共有すれば…バレずにいけるかもしれません…」
「え!?それならいけるかも!ユズル、少し借りてもいいかな?」
「いいよ。試してみる価値はありそうだ」
思い付かなかったシリカの提案から、すぐにユナはアイテムストレージにある幻影のローブを装備できるか確認する。
アイテムストレージには、市場で買えば高いポーションがずらりと並んでいた。青に赤にピンクに黄色。改行したアイテムの方には、きちんと並べられた数十種類ものお菓子が選り取り見取りだった。
ユナはアイテムストレージを一通り品定めし、大切なものに保管されている枠にうずもれていた幻影のローブを見つける。
「上手くいくといいなぁ」
メニュー画面を開きながら独り言を呟く。シリカちゃんの思う通りにいけば、今日まで粗探しをする情報屋かもしくはファンの目を気にせずに、プライベートな交際ができるのだ。幻影のローブを身に付け、上手くいったユナは嬉しさよりもほっと胸を撫で下ろした。
二
午後のオヤツにユズル特性の甘いチョコレートケーキやバタークッキーを作り、ユイのおじちゃん探しの準備を始めた。幻影のローブほどではない認知を遮断する黒灰色のローブを着付け、護身用の片手剣を装備してから居間に戻ると、キリトとサチの間に手を繋いだユイがいた。
「だいぶ、待たせたね」
ユズルが声をかけると、ユナは初めて気が付いたように振り返る。
「分かったわ――それじゃ、お姉さんはもう行くね」
ユナは子ども達と名残惜しそうに離れる。サーシャも子ども達をあやして慰めている辺りから、彼女は短時間で子ども達と仲良くなったそうだ。
「大丈夫だよ。また会いに来るから、それまでいっぱい食べて、いっぱい寝て、皆と遊んでね。お姉ちゃんとの約束だよ」
ユナが言うのに子ども達はうなずいて、ユズルと共に外へ出る。離れる前に、彼女はシリカと同行を誘うも、彼女は「聖竜連合に襲われてまだ子ども達は怖がっています。私はしばらく傍にいます」と言い、ピナの毛づくろいを手伝っていた。どこか一心を置いた彼女に念をおすことは、それはシリカを心配しているというより、彼女を信頼していないことになるのかもしれない、自分の心に言い聞かせた。
「…私もしっかりしないとな…」
誰にも聞こえないほど小さくうなずきながら、ユナはこれからが正念場であると実感する。
三
街を出歩いてみよう、とキリトは提案すると、ユナとサチは承諾した。勿論、ユズルとしては、おじちゃん探しをするうえで第一層から散歩するのはやぶさかではない。ただ、のんびり歩きながら、探したかっただけかもしれないと。
「でもどうして、下層から順番に探すの?」
「あぁ。ユイは第一層で保護されたみたいだからな。それなら、下層から一層ごとにある有名どころから探ろうと思った。場合によっては、ケイタ達と情報を共有しやすいし、動きやすいからな」
のほほんとした口調のサチに、キリトは穏やかに返した。しかし、実際はケイタ達の情報網を使えば効率的に依頼をこなせるはずの思考を、キリトは無視していた。自分でも似合わない行動であり、ユズルの恍けた顔つきで意図が分からない訳でなく、サチに懐いているユイが少しでも長く居させたいという無駄な行為はキリトの方針にまったく相応しくない。
ささやかではあるも、一時だけでもデスゲームであることを忘れたかったからかもしれない。キリトの胸中では、約束を果たすだけでなく生き残る意味合いに微少の変化を生じていた。現に、小さな歩幅をせわしなく固い路道を踏みながら、それでも付いて来ているユイの疲労感に誰よりも早く気付けたのだ。効率よりも感情を優先するなど、ゲームプレイヤーとしては失格かもしれない。
「ユイ。頑張って歩いてるな」
「はい!パパとママには迷惑はかけられません」
あれやこれやと悩んでいたキリトを他所に、幼いユイはえっへん、と胸を張る。
「そうか。なら、ここまで頑張ったご褒美だ」
頑張った証として、キリトはユイを肩車することで話をつけた。
「きゃ!――わあっ!高い、高い!」
キリトの肩車は、ユイのお気に召したようだった。眼前に広がる視野から、その場では気づけなかった世界が広がる。おまけに足も速くなり、急に大人になった感覚にユイは高揚していた。
「わーい!じゃあ、しゅっぱーつ!」
「おーし!いくぞー!」
キリトはユイを肩車させ、小走りに街を駆け抜けていく。上下に揺れるスリリングな刺激にはしゃぐユイ。キリトは肩から伝わるユイの体重に、一瞬の哀しさがあった。命に重いとか軽いとか測れるはずもない。それでも、攻略で馴染んだ剣の感触と重さ以上に、キリトの胸に苦いものが沸き上がる。
――この世界の剣や凶器の重さには慣れていても、少女の軽さに慣れない自分がいた。
満面の笑みのユイや、後ろにいるサチ。その横に並んで見守るユズルとユナに悟られぬよう、キリトは精一杯の平静を装っていた。ユイの重さは、皆を守ろうと戦い続けたキリトにとって、今まで振るってきた武器の何よりも重石だった。
この苦味は自分を責めたてるばかりで、癒されることなどないのに手放したくはなかった。それに、何でだ――キリトは、夕焼けに染まった空と大地を見渡しながら自問する。
――なぜ、心配させて泣かせたサチと笑顔のユイを、こんなにも寂しいのか。
「…約束するよ。ユイを待たせたりはしない。パパは必ず、すぐにおじちゃんを見つけるからな」
デスゲームで今日会ったプレイヤーが、明日もまた会える保証など無い。ユイも一緒にいた人との死別を感じたのだろう。それでもどんな結果であれ、これからユイが誰かの死を自分の所為と思わないほどに、生きて幸せを感じて欲しい――そんな身勝手な想いを生んでいた。
少なくとも、ユイに抱く胸の痛みは、疑うまでもなくキリト自身が少女に対する愛情の証であった。
エピソードゼロ:投稿優先の期待値調査
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