2024/11/05
十一月の初週の最終日、ユズルは家にいて新しいポーションの制作をしていた。とはいっても時間つぶしをしている訳ではない。ここ一週間にユイのおじちゃん探しやユナと作曲作りを手伝うちに、朝の六時には起きる習慣にしたからだ。
ユズルは思い出したように本のページを開いて調合配分を確認する。端に数字やアイテムの注釈を入れた本には几帳面に羅列されている分、視認性は高い。微妙な調合に難色を示し、気分を変えて、珈琲を淹れに居間に向かうと、ユナはフライパンを片手に朝食を作っていた。アインクラッドも寒さを感じる季節に合わせて、温まる料理を創作しているらしい。
「おはよう、ユナ」
ユズルはユナに挨拶をしながら、珈琲を淹れる準備を始める。
「おはよう、ユズル。私にも珈琲もらえる?」
「珈琲でいいの?最近取れた豆を合わせてカフェオレとかも出来るよ」
「今日は珈琲の気分かな。またお願いするね」
二人は朝食に焼いた魚とプチトマトのサラダセットを並べ、温かいコーヒーを飲む。ユズルの食べた魚の身はしょっぱくも脂身のある魚。だが、ユズルは久しく刺激されたことの無い¨しょっぱさ¨に戸惑いを隠せなかった。
「うん?これ…塩か!凄く美味しい!!」
「アスナさんと一緒に研究したんだよ。他にはマヨネーズとか醤油も作れるようになってね」
「なるほどぉ、これは毎日の料理が楽しみになるな」
ユズルは惜しみなく素直にいうと、ユナは軽く身体をゆらして、「頑張ったかいがあったな。また作るね」などと言いながら、高音と低音を混ぜた鼻歌を歌いながら食べ終えた食器を洗っていた。
一
ルーフバルコニーで自然を眺めながら時間を過ごすユズルとユナは、特に何かをするわけでもなく、特性ドリンクを片手に、日向ぼっこを楽しんでいた。最もアインクラッドの十一月は寒い日が続いていたが、幸運にも良く晴れて、やわらかな光をあふれされている。
「あれからキリトもサチとよく一緒に出掛けて…どうかな?おじちゃん探しは捗ってる?」
「それが全然なんだ。相変わらず進歩は無い。今日はアルゲードから回ると聞いてる位…」
ユズルは首だけねじって振り返る。
「それなら、今日も出かけるの?」
「今日はユナの予定もなければ、一緒にフリーベルの花やセルムブルグで市場を見て行きたいと思ってる。急な予定になっちゃったけど――」
「予定も無いし、久しぶりに出かけようか!待ってて…」
ユナはユズルの言葉に笑みを浮かべ、しばらく外で待っていれば、幻影のローブを身に付けた格好で来た。普段から肌身はなさずに装備していたユズルの服を、体を泳がす感じに着こなす彼女。頬を朱色に染めているも、それがまたローブに良く似合って、華奢ななかに隠れた慎ましさが、より魅力的に見えた。
「お待たせ!準備できたよ。早く行こう!」
「うん!行こうか」
二週間ぶりに二人きりで遊びに行くせいなのか、ユナは楽しそうに笑っている。気恥ずかしさを感じながら――顔を赤くしたまま、まずは手を繋いで移動する。急なデートとなるも、多忙な彼女に予定の無かった幸運に感謝しつつ、二人は転移碑でフローリアに向かった。
二
シリカと訪れて以来のフローリアは冬とは思えないほど花々で彩られていた。新たに建造された洋風の建造物に、花の庭に囲まれた時計塔。周囲には白、淡い黄色、ピンク、ローズ色、黒と、その濃淡を中心とした、鮮やかな花色と匂いを漂わせている。以前は春に近い季節だった分、冬に合わせた花を咲かせる仕様に、雰囲気がここまで変わるとは思っていなかった。
「凄くきれいだな。こんな場所だったなんて知らなかった」
「僕も初めてだよ…前に来たときにはこんな雰囲気じゃなかったと思う」
「そうなの?」
「うん。仕事の依頼でシリカとアイテムを取り行く時にね。その時に、ここの街を通ったんだよね。二月だったから春に近い花が多かった気がする」
フローリアは、アメリカの庭園楽園を想定した男女のデートスポットになっている。人形劇等の有料イベントも不定期に行われているも、無料でボートや釣りを楽しめるのだ。
戦闘の苦手なプレイヤーにも人気で、誰でも分け隔てなく楽しめる所も有名な理由の一つかもしれない。実際に安全マージンの差はひらいているカップル同士で賑わっている光景からも、それが窺える。そんな思考をしていると、ふいにユナは腕に抱き着いてきた。
「ここ、情報屋も多いから少し隠れさせて……」
「分かった」
幻影のローブを身に付けているなら正体は露見することはないけどね、ユズルは内心苦笑いが止まらなかった。意地悪をしているユズルを他所に、冷静になったユナは身に付けている服の性能に気付き――頬を膨らまして彼の頬を人差し指でつつき始める。
「ユズル~隠れなくてもいいって早く言ってよ――恥ずかしかったんだから」
「ゴメンゴメン。まだローブに慣れていないなら仕方ないよ」
「それはそうだけど…シリカちゃんに幻影のローブを交換し合う様に言われて初めて堂々と遊べるじゃない。こんなこと今まで無かったし…なんだか、落ち着かない感じだよ」
フォローをしても、恥ずかしさを隠したいのか両手で深くローブを被る仕草をする。ここで、不安や皮肉を言っても虚しいだけだし、逢引きとは違い、周囲を気にしない初めてのデートだ。どうせなら、楽しめなければ損というもの。
「まあ、せっかく初めての気兼ねないデートなんだから、今日は楽しもう」
「そうだね。今日くらいは羽目を外して楽しむよー!」
改めて、ユズルはフードをつまんでいるユナの手を繋ぐと、ユナは嬉しそうに笑顔を浮かべて、自分の手を強く握り返した。ユズルも強く握り返してしまい、ただの手の平はお互いの身体をつなぐ、ひとつの結び目になってしまう。カップル達がする指を絡め合い、より両腕も密着する繋ぎ方だ。
――俗にいう¨恋人つなぎ¨である。
そのまま二人はフリーベルの散策を続けた。歩くたびに、横切るたびにほのかに香る花の匂いは変わり、様々な花がカップル達を包んでくれている。花の庭園や澄みきった川を観光するうちに、香に当てられたのか、ユナは両腕を組む形で身体を寄せてきた。
「花がいっぱいだなぁ。なんだか見ているだけでクラクラしてきちゃうよ」
一つ一つに異なる香りは嗅覚を刺激し、様々な色彩は刺激をする花達。そして、カップル達特有の桃色空間を花の香に乗せて漂わせる雰囲気にユナは、思わず感じたままのことを呟いた。そんなユナの反応が面白く、ユズルはフードに隠れた彼女を覗き込むように首を傾げる。時間は十一時。早やお昼にしてもちょうどいい時間帯だ
「少し休憩しようか。あまり知られてないけど時計塔にレストランがあってね。上空から庭を見ながら食事ができる、情報屋の間では隠れスポットみたいだから行ってみ――」
言い切る前のユズルを半ば強引に引っ張るようにして、ユナは弾む足取りで時計塔を目指す。二人はお互いに微笑み合うと、明るい思い出が出来た花の庭園楽園を後にした。
三
二人がセルムブルグに到着したのは、カフェが混みだす午後の三時であり、メイン通りから一本中に入った路道を歩いていた。パンケーキと乾燥した花に甘い香りのする白い粉をまぶしたデザートを背景に時計塔で花を観賞できる景色。未だに甘さと余韻を残したまま、フリーベルを後にして、ここまで来た。
「活気が溢れているねぇ…」
フローリアから転移碑をワープし、セルムブルグ特有の雑路の賑わいに身を晒したところで、ユナはため息交じりに感想を漏らしていた。ユズルもアイテム屋や生産屋などの露店はさながら雑貨店の様相だった。
楽器がある。食器がある。衣類がある。第二二層主街区≪コラルの村≫とも似ているも、高級品を几帳面に統一された品々は格式を思わせた。
第六一層主街区≪セルムブルグ≫は面積の広い湖の真ん中に浮く小島であり、高級住宅が多く並んでいるのが特徴だ。当初は水に惹かれた蟲系モンスターの大量発生により、女性プレイヤーによっては地獄に等しい場所であった。しかし、第七十層を攻略した後は、蟲は自然消滅し、元々1LDKと2LDKの高級住宅の並ぶ住宅街は攻略組のプレイヤーを魅了した。また、ロービアから繋がる水面都市でもあり、商人も行き来しやすい環境から立地もいい。前線に赴く攻略組からすれば、破格の場所であった。
二人はそんな風に歩いていると、いつの間にかプレイヤーの人だかりができているのを遠目で目撃する。
「何か人が集まっているね、行ってみる?」
「うぅん。行かなくていいかな…それよりも、早く他を見てまわろうよ」
人だかりを気にしているのか、なぜかユナは早々に立ち去りたいようである。二人はそのまま人混みを抜けてお目当てのアクセサリーショップに向かい、プレイヤーの少ない道で、ユナはようやく安心したように、穏やかな口調で呟いた。
「急ぎ足になって、ごめんね」
「気にしないで。ちょっと驚いたけど」
ユズルは恋人つなぎをしながら、言ってみた。
「何も無ければ、そのまま向かってもいいかな」
「少しだけ待って…隠し事はしたくないから言わせて」
ユナは少し恥じらうように視線を外して、深呼吸をする。
「さっきの人だかりはレインちゃんファンの人なのよ。グッズを見て分かったわ」
「レインの?」
「うん…それでマネージャーからも言われているの。あんまり他のファンの人と接触は控えてほしいってね」
「それは、辛くない?」
「辛いよ。ファン同士で小競り合いもある分、推し以外の子を悪く見ている人もいるの。私は皆が傷つくのは嫌。それもあって、歌手やアイドルなんかはプライベートでも自由な時間なんて無いようなものよ」
「そうか…ユナは家でいつも作詞や作曲を丁寧に仕上げていたのはそういう事情もあるのか」
普段の歩幅より狭く、足取りを合わせて目的地まで歩いていく。
「あとは、子どもっぽいとは思うけどね…『可愛い』レインちゃんに夢中になるのが嫌なのかな」
ユズルは片手でユナがプレイヤーと当たらないよう注意をしながら言った。
「僕はユナの唄も、それを歌うユナも好きだよ」
「どうして?」
「皆は衣装とか仕草を可愛いと言うけど、メッセージを秘めた想いある声色に涼風の歌声…僕は歌い手としては可愛さより唄の綺麗さの方が惹かれるよ」
「そんなに真っ直ぐ言われると恥ずかしいかな。でもユズルとなら、もっと深い意味の唄になるんだよ」
「そうなの?」
「ひとつひとつが、違ってくる」
「それが、深まっていくの?」
ユナはうなずいてから、独り言とも思える口調で言う。
「わたし、かわっているのかな…」
「そんなことはないよ」
女性の感受性が高すぎるからといって、恥じることはない。それどころか、ユナの感性は出会った頃よりも成長している。それは、一人前の女性としての、成熟する過程と考えた。ユズルは急に興味がわいて、近くにあるベンチに座りながら訊ねてみる。
「僕が関わる時と、そうでない時は、変わってくる?」
「全然変わってくるよ、どこか暖かくて苦しくて…」
ユナは目を閉じて、心のままに感覚を放出する。
「なにか、手先まで包まれるような感じになるのよ」
熱のこもった説明も、ユズルには、想像できない世界だった。聞いている内に、ユズルは徐々に妬ましくなった。それほど多彩に、深く感じる女性の感性は深く多彩で豊かなのだ。
一つの色に集中してしまいやすい男と多彩に感じ取れる女性を比較すれば、初めから勝機など無い。これからも次第に受け止める刺激を増え、その過程でユナの成長に自分もいるとすれば、もっと唄を伸ばせるだろうと。
「正直に言えば、ここまで成長するとは思わなかったな」
「でも、ユズルが、そうしたのよ」
アインクラッドの歌姫にそう言われるのは、ファンとしても男としてもこれほど幸福なことはないが、ここまでユナの花が咲いたのは、彼女自身に素晴らしい素材を否定してはいけない。言い換えれば、どれだけ良い素材でも誰かが気付かなければ、花を綺麗に咲かせることはできない。
「それは、ユナに才能があったからだよ」
「私に?こういうのは才能なのかな?」
「良く分かっていないけど、これだけは言える。僕はユナの声に惹かれて出会えたんだから」
独り、晴れやかに思い出を漏らしていたユズルの意識は、完全に緩みきっていた。ユナは彼の肩口から内懐に回り込むような動きに、ユズルは不意を衝かれる。右肩から引き寄せられてしまったユズルを捕らえ、勢いのままその口を――柔らかく冷たい唇が、重なる。
口腔と口腔を繋ぐ外部で、大切な女性の味と冷たい感触。川で冷たくなった石を温めるように、他に紛れもなく、確かなものに感じられた。
「…歌も詩も頑張ってみる。余計なことは考えないでみるわ」
唇を合わせたキスの余熱を残した掠れ声で、ユナは静かにユズルに伝えた。その後は、ユズルのお目当てであるアクセサリーショップを見回り終えたのは、午後の十八時すぎだ。夕焼けの沈み始める前に、セルムブルグの宿を借りた時には十九時だった。上位プレイヤーに人気もあり、宿も空きにくいと思っていたが、すんなりと宿泊できた。直にフロントのNPCに303号のルームキーを手渡される。
室内は洋風の家財道具で統一されている。外はすでに闇で覆われているも、広い窓を通して、オレンジの明かりに、広い水面はその光で青く浮き出ている。
「なんだろう。幻想的な景色ね」
ユナは幻影のローブをアイテムストレージに仕舞い、両手を伸ばして背伸びをする。堂々と歩いていても「誰かに見られたら」と、緊張していたせいか、人混みを離れてようやく落ち着いたようである。レストランは多くのプレイヤーで賑わう場所も、またユナに幻影のローブを装備していくのも可哀そうだ。部屋で雑談をしながら売店で買った夕食をゆっくり食べていたので、食べ終えると二十時半を過ぎていた。
ユナは、今日は一日中緊張していたのか少し疲れたようである。水面に張った湯風呂に浸かり、寝間着に着替えると、ユズルは自然にユナを抱き寄せる。その瞬間を待っていたのか、ユナも素直に體を寄せ合う。
セルムブルグの外は静寂で静まり返り、ユナの腰に手を当てた衣擦れの音が耳をかすめる。長い抱擁を終え、ベッドに横たわると、ユズルは寝台にある明かりを消す。途端に寝室は闇に包まれ、窓から差し込む光が白く浮き上がる。
「今日はしなくていいの?」
「ユナも疲れているから、今日はしない。代わりに、いっぱい甘えさせたくなった」
布団のほんのりとしたあたたかさに外気の寒さを凌ぎながらとりとめのない会話を繰り返していく。気疲れとあたたかさに、ユナは次第にまどろんでしまう。途端にユズルは手を伸ばし、ユナは艶のあるミルクティー色の髪を撫でられる感触をたしかめながら、深い眠りに入る。
四
壁画全体を映し出すモニターに流れ降りる数字。薄暗さに清潔感のある白い床。研究室を思わせる複数のパソコンに白衣を着た人達が集い、手早くタイピングをしている。部屋の隅に置かれたカプセルと向き合う、男の人と女の人が何か話し合っていた。
「本当によろしいのですか?」
「今の医療では治らない。そして成功すれば日本の技術は大きく前進するだろう。結果がどうなろうと、時がくれば…解除してやればいい」
毅然とした態度で語る男に、伏し目がちに女は意見を受け入れた。
「…可哀想ですね…」
「世界では一秒間に人間は2.4人増やし、4秒に1人は死んでいる。この人間もその内の一人だ――国の発展の為と思えば本望だろう」
――何の話だろう。
白衣の男はカプセルに備えたリモコンを操作する。やがて――カプセルから吹き零れた白い靄が研究室に充満し、視界の奥まで遮られた。
2024/11/06
記憶に残っているのはそこまで。その白衣の人達の表情や、どういう内容か分からないが、どこか恐怖で凍りつくような、言葉では言い表せない感触だけが頭に残っている。夢から醒め、ユナはすぐにベッドの横を見れば、ユズルは軽い寝息を立てて眠っていた。
寝顔をチェックしてから、アイコンを開けば時間は八時半。大きい窓を覆うカーテンの隙間からでも白い光を細くさせる。ユナはその白い光を見ながら、さっきまで見た夢を思い出す。
あんな研究室は知らない。女子高では科学の講義室としても、パソコンや大画面のモニターなど見たことがない。あの男と女の研究者は初めて見る顔ではあったが、男の人だけはどこか聞き覚えのある感じだった。私の知り合いだったのだろうか。パパは有名な電子工学の大学教授だから、その教え子なのかもしれない。
ただの夢なのかもしれない。でも、頭にこびり付いた奇妙な感触は生々しく、ただの夢にしてはあまりにも洗礼されていた。まだ、ユズルの起きるには少し時間がかかりそうだ。
気分を変えてもう一度寝直そう、と布団に潜れば¨ピロン¨と音が鳴る。むくれたままメッセージを開けばサチからの連絡だった。
「急にごめんね。実はユイちゃんのおじちゃん探しのことで、ユイちゃんが伝えたいことがあるそうなんだ。詳しい内容は聞いていないけど、ユズルも一緒に会ってくれないかな?」
静寂の朝の光の中、夢の光景を気にしつつ、ユナは淡々と返事をしようとサチに送るメールをタイピングした。
次回はユイちゃん自身の話となります。
また、7話と21話の伏線回収をする話となります。
お楽しみください(*^_^*)
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