2024年11月7日
第五十層アルゲートから離れた町外れの露店、ユズルはラーメン作りの要であるスープの仕込みをしながら、三種類の味ごとに改良した細麺とちぢれ麺を打ち込み、塩味と激辛味の調整をするうちに、気が付くと開店時間の一時間前に迫っていた。
ユズルは余った時間を箸置きの配置や長椅子を用意し、開店の準備を始める。箸の本数を数えていると、ユナは屈託のない笑顔を浮かべていた。ミュージックプレイヤーコンボから作曲したチャルメロの音楽やシリカやリズベットによる演歌や歌舞伎音頭を録音したデータの試運転をしている。
「ごめんね。お店を取れなくて…」
「気にしてないよ。予定を変更して露店にはなったけど…問題ない。自分のできない所はユナにやって貰えているからお互いさまだよ」
ユズルは深夜も灯りを灯せるように、アイテムを屋台瓦の隅に設置する。ユナのマネージャーは市街地や主街区のお店を確保しようとした矢先に、他のプレイヤーとの競り合いに負け続け、方向性を見失い、人力型屋台のお店を競り勝った。
愕然とはしたがお店の形態が変わっただけで、ユズルの改良を施した屋台は、移動式屋台ラーメンに生まれ変わった。
手の空いたユナはフレンド登録をしていたシリカとリズベットにラーメン屋に合う音楽を依頼し、二人はヨナ抜き音階を用いる力強いこぶしの効いた歌声を練習した。ユナ直伝の歌唱力テクニックの一つにある母音を意識しながら二回言うやり方により、二人の演歌はラジオ越しでも爽快な気分にさせてくれる声となった。
「この唄だって最初から教えたでしょ?音楽が悪いと店の印象を良くできないから合わせてくれて助かった。これで話題になる条件は整っているんだから...気合い入れていこう」
「うん。分かった…ただ、今日は初日だからあんまり緊張しないでね」
気持ちを切り替えたユナはアイテムストレージに用意したラーメンのどんぶりを準備していく。ユナがいうのに頷いてから、ユズルは情報屋の新聞を眺めていた。開店時間三十分を前に、クラインとディアベルが近づいてきた。もう一人は初対面の人物に、ユズルは怪訝な顔をするも、エギルの紹介からアインクラッド解放軍に近いリーダー格プレイヤーと思い、計画に支障はなく、朗らかに対応する。
「おう、ユズの字!来たぞ!」
「今日は誘ってくれてありがとう!」
「私も来てよかったのか?」
バツの悪そうにディアベルは苦笑する。第七四層の戦いを終えば、一か月に経とうともボスの部屋は見つかってはいない。いや、本来は出現すらしていない。プレイヤーの死者数が満たされていないのだ。招待を受けていない男はさぐるように辺りを見回し、場違いな仕草をしている。
「申し訳ない。本当はキバオウも来る予定だったんだけどね――彼は攻略に忙しいみたいで――レベル上げをするから来ないそうだ。代わりと言っては失礼だが、彼を連れてきた。【アインクラッド解放軍】のシンカーだ」
「シンカーだ。これからよろしくな」
茶葉色の短い毛に無精ひげの剃った清潔な面貌に、穏やかな瞳。噂に違わぬ人物ではあるも、この死と隣り合わせの世界では利用されやすい人物だ。だが、交渉役ともなればこれほど適任な者はいない。そんなことを考えていたユズルを他所に、ディアベルは割り箸を三人の前に置いた。
ユズルはクラインから、しょうゆラーメン三人前の注文を受ける。アインクラッド解放軍の暴挙や聖竜連合の非道を思い出したユズルの顔は強ばり、シンカーとディアベルを見回してから小さく気の抜けた声を漏らす。
「…それは仕方のないですよ。ゲームのレベル上げは大事ですからね。はい――しょうゆラーメンをどうぞ」
ユズルはディアベルの言葉を聞き流しながら、三人の注文したしょうゆ味のラーメンを置いていく。クラインやシンカーはまず久しぶりに嗅ぐ醤油スープの香りを楽しみ、空気を含むようにスープを飲み込む。味を確かめながら細い麺を噛みしめていく。朗らかな顔でラーメンを楽しむディアベルとシンカーに交渉を持ちかけた。
「ディアベルさん、シンカーさん。今日のコルは支払わなくて構いません。代わりにウチのラーメンは美味しくて音楽のセンスもいい、とギルドの仲間に話してください。明日は開店キャンペーンで、二十人以上の長蛇を作れれば半額になるので、ついでに伝えてください」
満足気に頷いて、シンカーとディアベルは席を立つ。
「ユズの字。俺はどうなんだ」
「もちろん無料だよ。ただ兄貴には個人で頼み事をしたいんだが、いい?」
「水くせぇこと言うなよ。おめぇが何の考えも無しに急に屋台なんて始めるわけがねぇ、だろ?今日はそれを確かめに来たようなもんだ。その頼みごとを俺が断ると思うか?」
唐突に、見透かされたクラインに問いかけられて、ユズルは麺作りの手を止めてしまう。冗談めいた口調のクラインは腕を組んで答える。
「そうは思わないけど…」
「――だったら、損得なんか考える暇があんなら、ぐちゃぐちゃでもいい。全部話せ。それで最後に『頼む』っていやぁ言いんだ。俺らは義兄弟なんだからよ」
「…兄貴には敵わないな。そのラーメン食い終わったら話すよ」
ユナにアイコンタクトをしてから、細心の注意を払って事情を説明した。クラインはその間、口を挟まずに渋い顔を浮かべて、黙ってユズルの言葉に耳を傾け続けていた。だが、亡くなったプレイヤーからモンスターが作られている仕組みは伏せた。重要な部分を空白にした穴だらけの会話にも関わらず、降ろした重い荷を受け止めてくれるクラインに、確かな安寧を感じていた。
2024年11月8日
アインクラッドは例年に無い寒波を乗せた偏西風に支配されていた。空が晴れ渡るまでには至らなかったが、乳白色に霞んだ雲から差す光だけは十分にあった。
そんな天候を物ともしないラーメン屋台には新たに真紅の御旗を掲げた赤いバンダナをした無精ひげの男が並んでいた三人のプレイヤーに爽快な笑みを投げかける。
「へい!らっしゃい!!屋台『風林火山』ラーメン!開店だぜー!!」
「ク、クラインさん…凄く生き生きしてるね」
「こういうこと、したかったのかな…兄貴が料理できるのは知らなかったし…しかも、かなり美味しかったし…」
料理上手なクラインに戸惑うユズルと弾けんばかりの笑顔を浮かべるクラインに戸惑うユナ。互いに役割を分担し、三人でラーメンの切り盛りをしていると、人相の悪い男が駆けてきた。それも数十人を連れてくる様子は、ある意味では営業妨害である。
「おう、大将!!今日は並んで二十人以上の長蛇を作ればうめぇラーメンが半額なのは、間違いねぇよな!」
「おうよ!この風林火山の旗に誓って、嘘っぱちは言わねぇよ!!」
※風林火山にそんな意味はない。
「へへ…相手が悪かったな。俺達の協力者は聖竜連合十五人にアインクラッド解放軍の遊撃部隊の十三人だ!」
「かぁ~きたねぇな!!まぁ男に二言はねぇ!ちゃんと半額にしてやるから、たらふく食えよ!!」
クラインは大げさに胸を叩けば、男どもによる雄叫びが木霊する。ユズルはディアベルやシンカーによる噂の結果に笑みを浮かべた。
「あのギルドってずっといがみ合っていた筈よね…どうして食べ物一つで半額にしようとしてまで協力するのかな…」
「案外、あのギルドは小競り合いでみみっちい所があったからね。美味い人参をちらつかせれば簡単に動くんだろう」
ユズルはユナが一切のプライドを持ち合わせていない【聖竜連合】と【アインクラッド解放軍】を不服そうに疲れた溜息をもらした。クラインの背後に座り込んで、スープの入った鍋をかき混ぜるたびに鍋にカンカンと打ち鳴らす。調理を他所に、ユズルは忙しなく動くクラインを遠望しながら、乾いた声で呟く。
「まぁ、これが狙いなんだけど…ね」
「もし長蛇の列が出来なかったら、サクラを頼んで行列のできるラーメン屋さんを装うはずだったんでしょ。しなくてよかったじゃない」
「それは本当に安心してるよ。…さて、長蛇の列ができたか。そろそろアルゴとケイタから連絡が来るはずだ」
塩味のスープを付け足した段階で、アルゴとケイタからメールの連絡。送られてきた写真は赤いバンダナの若大将に長蛇の列で見切れた写真だった。誰が見ても、上手い味を連想させるラーメン屋のイメージ画像に、ユナは画面を覗き込みながら眼を輝かせた。
「これで大丈夫だね。下準備はこれで十分じゃないかな」
「そうだね。後は――」
「ユズの字、ユナちゃん!わりぃが手伝ってくれ!捌ききれなくなってきた!」
余韻に浸ろうとした途端、クラインの豪快な野太い声が沸き起こる。
「…ひとまずは手伝おうか…」
クラインの抗議に、ユズルは苦笑して肩をすくめた。いずれにせよ、これで全ての準備が整ったのである。茅場晶彦の皮を被ったプレイヤーが来れば、ソードアート・オンラインは終わり、生き残ったプレイヤーは現実世界に戻れる。
二年半ぶりに帰りたくても帰れなかった平和な箱庭に、帰って寛ぐことができる。ユナは広大な幸福を募らせる反面、現在の幸せを手放す喪失を奥底まで追い遣っていた。
2024年11月13日
ラーメン屋台の経営は順調すぎるほど売り上げを伸ばしている現状に、ユズルとクラインは思わず顔を見合わせたが、細麺を用意しているユナには、三日ぶりの休日を自ら手伝いに来てくれるほどにゆとりを持っていた。
この数日に、彼女は血盟騎士団の宣伝を含めた二泊三日の深夜ライブをこなし、赤らめるほど白い頬こそしていたが、そんな疲労感を感じさせないほど活気に満ちていた。気怠さを誤魔化していると思われたのか、澱みない言葉で語り始めた。
「深夜ライブと言っても、そんなに大変なお仕事ではないわ。もともと、得意な唄を九曲だけ披露するライブだからね。レインちゃんと張り合う必要も無いから、グッズ販売の写真撮影とかはもう断っているの。マネージャーから、プロポーションで勝負も必要と言われたのが癪でね。仮想世界なら、ここは長所のビブラートをさらに伸ばしていきたい、って言い争いになったんだ。ユズルはこの話を聞いてどう思う?」
「二泊三日で第二五層と第五十層、後は第七四層の深夜に唄を披露して皆の英気を養うイベントだったよね」
「そうよ」
「何がどう転んだらプロポーションで勝負することになったんだろ?」
「マネージャーからは何も話してくれなかったわ」
「ユナはグラビアとか興味あるの?」
「ある訳ないでしょ。ライブで似合う衣装を着るのは好きよ。それをファンの人に見てもらうのも好き。でも、素肌を他人に見せつけるのは別問題よ」
麺となる茶白色の塊を叩きつけ、割り箸やラーメンの皿を揺らす。世の中の不満、憤り、不条理を込めた麺を完成させていく。沸騰したお湯に麺を放り込む横顔は、肩の荷を下ろしたような癒された表情。クラインは視線を合わせず、野生の本能で冷や汗をかいた。
「ユズの字、何とかしてくれ。お前の嫁だろ?」
「ああいう、悩みよりも話を聞いてほしいだけの時は、嵐と一緒だ。過ぎ去るのを待つしかないよ」
クラインの懇願をラーメンのスープを混ぜ合わせながら、片手で野菜や肉に包丁の切り込みを入れ、しらっとした顔でメンマやチャーシューを用意していく。
「ちょっと席を外すね」
「あぁ…なるべく早く帰ってきてくれよな」
「それまでに、沢山麺を用意しておくね」
ユナとクラインに店番を任せ、ユズルは屋台の近くに流れている川のほとりに設置されているテントに向かう。オレンジ色のテントでユイはキリトにチェスを手ほどきしていた。将棋の様な盤上だが、駒は一度倒れれば自分の駒として使うことはできない部分は、まるで戦争の指揮をしているようだった。
「パパ、これでチェックです」
「まだだ、俺はまだ負けていないぞ」
「クイーンとナイトで攻められている状況ではキングの逃げ場は限られますよ。パパは駒を大切にしすぎです。キングは左と前しか進めませんから、次にビショップでキングにチェックメイトをかけますよ」
「甘いぞ。キングの傍にはナイトがいる。一手でも攻撃を緩めれば、今度は片方のルークとクイーンでキングを追い詰めてやる」
駒の犠牲を減らす戦を進めるキリトに対し、ユイは次の手は駒を犠牲にしない戦い方を読み、キリトの駒を誘導しながら次の手を優位に進めていた。だからといってキリトも負けてはいない。ポーンやビショップを取られながらも、ナイトやルークで斬り込みつつ、何度か取られそうになる場面は長考を繰り返し、確実にユイの陣形を崩していた。白熱したチェスにユズルは控えめな口調で飛び込む。
「取り込み中だけどいいか?」
「大丈夫ですよ。あともう少しでパパに勝てますから――ビショップを動かして…チェックです」
ユイの声は満足そうだ。すでに勝利を確信していることを、あえて強調している。
「大分追い詰められているみたいだね。でも戦況は八分二分か――キリトは、アスナとノーチラスには連絡が着いたの?」
「その連絡はもう済んでる。今日の夜には、ヒースクリフと一緒に来るそうだ。これで、やっとギルドマスター全員を誘い込むことができたな――ナイトでビショップを取るぞ」
…それは悪手だぞ、キリト。真剣勝負に水を差さない沈黙を好意的と受け止めたのか、ユイは口元の緩みを片手で隠し、キリトの陣地まで前進したポーンをクイーンに成らせた。
「チェックメイト」
前進したナイトでは後方にいるクイーンの突進を止められない。対局を終えたユイとキリトはやけに静かだ。ユイはともかく、キリトは挨拶のひとつをしても良さそうなのに。
「参った。次は大駒を動かして勝っていきたいな」
負けた理由を正当化するキリトに若干引いてしまう。軽蔑の目を向けてやりたいが、それは堪えて少し後ろを窺う。
「一応だけど計画の確認ね。今回はラーメン好きな茅場晶彦を誘い込み、生け捕りにする。ユイちゃんはおじちゃんを特定できたら、ラーメンに微調整を加えながら『辛味』を与えて欲しい。キリトは特定次第、エギルに連絡してお店に来てくれるように伝えて欲しい。後は、合図をしたら、思いっきりやっていいからね」
「分かった。だが、あのあこぎで得がないと動かないエギルが来てくれるのか?」
「根回しはしたし、万全だよ。予定は狂っても、計画の成功は揺るがない」
キリトとユイを労い、ユズルはテントから離れる。時間は掛かったとはいえ血盟騎士団の団長がくれば、ソードアート・オンラインでギルドを建設したギルドマスター全員が店を訪れたこととなる。屋台に向かう途中に、水たまりに足を引っかけてしまい、履いていた黒い靴を汚してしまった。水を吸い込んだ重い靴を持ち上げ、ユズルは溜息をついてから屋台の方へ走った。
エピソードゼロ:投稿優先の期待値調査
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孤独な少女(シリカ編)
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