幻影戦記~氷と炎の鎮魂歌~   作:ロバート・こうじ

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2話 針千本を刺されても痛みは過ぎない

2024年12月02日 

 

ソードアート・オンラインがクリアされてから一週間が経過した。目覚めた人は家族との再会を喜び、またある人は筋肉の落ちた鉛の身体をほぐす日々を過ごしている。未だ、現実世界に戻れずにメディキュボイドのバーチャル空間にいるプレイヤー名『ユズル』こと朝田柚季は、画面に映る自分の肉体をもの言いたげな目でリハビリの様子を見守っていた。扉から倉橋先生が来れば、少しだけ息を吐いてから柚季は言う。

 

「…先生、質問があります」

「丁度巡回が終わったからいいですよ。どうかしましたか、柚季君」

「リハビリと聞いて、体を動かすと思っていました。先生のリハビリ方針が針治療なのは分かりますよ。もう一度、治療についての説明をお願いします」

「君の身体はクライオニクス実験で肉体が衰えていただけでなく、内臓も同じ様に衰えていたからね。このまま目覚めても身体の内臓が耐え切れなくなって負担になってしまうんだ。だから、針治療による按摩(あんま)効果で固くなった筋肉をほぐして、血液循環をよくしようという訳だ」

「なるほど、なるほど――では、それを踏まえて頼みを聞いてください。この画面を変えて欲しいです。流石に、全身針まみれの姿を見るのはもう嫌になって来ました」

 

本気(マジ)である。

 

 この男は、かれこれ一時間以上も現実世界にある自分の身体が針だらけになっている映像を見続けさせられている。メディキュボイドの画面は認証した担当医師による許可が下りなければ画面を変更できない。仰向けになった身体の頭から足先まで二十センチの長さに髪の毛なりの太さある針を隙間なく刺されている映像は不安と不満と不快感しか生まない。柚季は外部の許可が無ければ設定できない仕様に設計したメディキュボイドの開発者を恨んでいた。

 時間は午後の一時。倉橋はメディキュボイドのコントロールパネルを切り替え、見慣れた現実世界の画面に切り替わる。

 

「倉橋先生が巡回から戻って来てくれて良かったです。あと数時間遅ければ、メディキュボイドを設計した開発者の性格を疑っていたところですよ」

 

※柚季はだいぶ顔の面が厚かった。

 

「それは申し訳なかったね。ちょっと患者の子と話し合っていたんだよ。術後や入院中の会話はとても大切だからね」

「それを聞いたらお勤めご苦労様ですとしか言えないです。入院中の医師や看護師との会話ほど患者のQOLを高めやすくなりますし…ストレスの少ない環境は自己治療能力を高めるナチュラルキラー細胞を増やすことに繋がりますしね」

 

 倉橋は、柚季のようなメディキュボイドの患者に巡回の名目で談笑をし、暗い空間の孤独を少しでもましなものにしようとしていた。実際にここまで患者の立場に寄り添える医師は珍しいと思い、たまに仕事の話を聞いたりもした。勿論、患者個人の話はしないのだが、大まかな病院事情の話はする。柚季の興味を引いたのは、短期間で精神の病気で運ばれる患者が増えている話題だ。

 

「プライバシーに触れない範囲で聞きますね。精神病の患者は…ソードアート・オンラインに戻ってきた人でしたか?」

「えぇそうですね…君の様な年齢の子が多いかな」

「…うーん。僕の見た目は十六歳ですが、ホントは二七歳か二八歳なんですよね。クライオニクス実験さえなければね」

「!そうだったね…十代後半から二十代後半の人が入院して治療を受けている人は多いかな」

「……やはり心的外傷ストレス障害(PTSO)ですか」

 

柚季の呟きに、即座に的を得た解いを返されて言葉に詰まった。

 

 心的外傷ストレス障害――戦争体験、暴力を受けた体験、性的犯罪被害、交通事故やその現場を目撃した体験や、自然災害などで命が危険にさらされたり、人の尊厳が損なわれたりする経験による極端なストレスで発症される。感情のコントロールは難しくなり、幸福感や満足感を得難くなる。また、パニック症状や実際にその出来事を再び体験しているような感覚に陥り、周囲の状況を認識できなくなる症状だ。

 

 柚季はソードアート・オンラインの出来事を振り返りながら、倉橋先生に伝えた。その方がいい気がしたからだ。次に会う人には殺されてしまうかもしれず、背中を預けた途端に味方に襲われてもおかしくない環境。モンスターやプレイヤーと命を奪い合う極限状態の戦闘。

 人を殺めても罰せられずに、むしろ称賛される場から平和な現実世界に戻れば、デスゲームの常識に囚われるほど押し寄せる負の感情に耐え切れなくなる。他は、まるでゲームにいる夢から醒めたくないばかりに、現実世界にゲームの常識を持ち込んだ殺人鬼も誕生してしまう。長い目で訪れてしまう危機に、柚季は苛立ちを隠しきれず、一通りを伝えてから軽くうつむき、画面越しの倉橋先生に向けて姿勢を正した。

 

「たかがゲーム…と言えども、どれだけ華やかに話せても誤魔化せるものではありませんよ」

「そうなのかい?」

「はい。報道されていたテレビのキャスターとかは勇猛果敢に戦ったプレイヤーを褒めたたえて『英雄』と言い、デスゲームが地獄より温いと思っている。でもそれは、当事者からすれば『冗談じゃない』で一喝されます」

 

急に張りのある声に、倉橋も気を引き締めてしまう。長く伸びた髪に幼い顔つきの少年から発せられる怜悧ある怒気はスピーカー越しでも肌を通り抜ける感触から、大人以上に大人にならなければならなかった少年だ。なぜかそれが良い影響ではないような気がして心配になった。

 

「人間の負の感情をこれでもかと詰め込まれた『戦争』で…正真正銘の『地獄』でした。あの世界に何か尊さがあるとすれば、一緒に心を支え合った人との繋がりだけですよ。生きるに必死だった人達を『英雄』な言い方で、さも崇高な戦いを思わせる…これではデスゲームに憧れを持った人が――また誰かが第二、第三のデスゲームを引き起こすだけです」

「柚季君は、あのゲームを恨んでいるのかい?」

 

倉橋先生の問いに、生還者は数秒の間をおいて答えた。

 

「…恨んでいないと言えば嘘になりますが、気にはしないようにしています。それにあの事件はまだ終わっていません。僕は、回復したらそれを調べたい…それが今でも前を向く目的ですから」

 

 きっぱりと言い切る柚季を、自身の価値観と照らし合わせれば半ば希望と、半ば焦燥に駆られているように見えた。この少年は生き急いでいる。レンズを覗き込むような目線で柚季を見つめる倉橋先生に「どうかしましたか?」と彼は尋ねた。

 

「私も医者として人の生き死にをたくさん見てきましたが…仕事と割り切っていても、人と関わるたびに思います。この世に命を賭けてまで成さなければならないことは何もない――とね」

「…それは、いったい何故です?何かあっても、自分の目指すものを達成すれば後悔は無いのでは?」

「医者からすれば手術や治療が成功したとしても…周りがどれだけ尽くしても、死んでしまえば残された人は皆が悲しみと後悔から自分を責めてしまっていました。私個人としては、それを見るたびに医師としての在り方にいつも迷うものですよ」

「私には先生がよく分からなくなります。今まではこんな事は無かったのですけどね」

 

苦笑しながら言うと、倉橋は微かに画面越しに視線が合った。思わず柚季は、自分の手元に視線を外した。

 

「君に分からないと言われると、どうすればいいのか困るかな」

 

 倉橋は朝田柚季こと『ユズル』のやってきたことを分かっていない。彼は攻略組として多くのモンスターを倒してきてはいない。また、裏方の支援をしていたのかも分からない。しかし、あのデスゲームで『何か』を掴んだからこそ、彼は前を向こうとしているという実感はあった。

 

「私は医者として必ず、君が動けるようになるまで治療をしましょう」

「動けるようになるまでどれくらいなんですか」

「針治療が終われば、少しずつ体を動かしていくよ。早くて三ヶ月を目安に退院かな。それから定期的に経過観察をして、身体の詳細を掴んでいこう」

「詳細を掴んでいこうって、その言い方を聞けば、完治に時間はかかりそうですね」

 

笑いながら言うと、倉橋先生もつられたように笑った。午後の二時を過ぎ、患者のカルテを整理する時間になると、タッチパネルを操作してバーチャル空間にいる柚季の眼前に青白い長方形の紙が具現化される。

 

「本当は患者にカルテを見せてはいけない決まりだけどね。君の場合は、この十四年分の家族構成や細かい状況を把握しておいた方がいいでしょう。僕が戻ってくるまで、他の人には見つからなければ見ていいですよ」

「ありがとうございます!」

 

柚季が弾んだ返事でお礼を伝え、嬉しそうな顔をしてから倉橋先生が言った。

 

「では、これで失礼するね」

 

メディキュボイドの試験室に誰もいないから、柚季はさっそく速読でその内容に目を通し始めた。

 

 

(あれからどう状況が変わったのか。色々見てみるかな)

 

 カルテというよりは論文の様に活字が多く、この十四年間に変わった自分の身の回りの環境に関する記述であった。十四年前に起きた交通事故で鳴坂葵と鳴坂行人は軽傷で済んだことにひとまずは安堵する。そして、加害者である菊岡誠二郎の家族からクライオニクス実験やメディキュボイドの費用を賄われていることを。月一回の頻度で家族が様子を見に訪問していたこと。すくなくとも柚季の読むカルテの記述は、心を奪い、前に進む明確な道筋を指し示す内容を備えていた。

 

(お金の代わりに加害者に実刑が下りなかったのは不服だな。でも、代わりに治療費を代用にしている。この裁判の結果は恐らく、この菊岡って人のコネかな…随分と落としどころを上手く運んでいるな――ん?)

 

 ふと柚季は、事件の記述よりも家族構成に視線を変え、家系図を食い入る様に見つめた。カルテに柚季の知らない情報としては驚愕の事実であり、内心では混乱していた。

 

(朝田詩乃?十五歳?親族でもないし、養子でもない。血縁関係で三親等以内だから父さんと母さんの子になるのか。僕に妹とは…これはまた複雑な関係だな)

 

 クライオニクス実験による冷凍睡眠の間に、自分は兄になっていた。この場に倉橋先生か親がいれば、問い詰めていたかもしれない。慌てながら残りを全てスライドさせ、最後まで文字しか記述されていないカルテと分かれば、もう妹のことを知り得るのは無理と分かった。

 

(流石にカルテに顔は載っていないか。まぁ、急に会っても妹が僕を家族と認めるかは分からないし、戸惑わせるだけになるな)

 

 親兄弟で一緒にいる時間が長ければ長いほど深く理解できるかといえば、そうでもない。家族観であっても、誰かに頼り、誰かに頼られる人として安心できると認められなければ、そこに家族の『個』として居場所は無い。時間をかけて『兄』として評されるように、寄り添っていきたいと、柚季は苦笑いを浮かべる。

 ソードアート・オンラインで一番追い詰められていた時期にクラインが何度も会いに来てくれた。一緒に暮らしてくれたユナはいつも本音をぶつけ合ってくれた。時間こそ短いも、柚季はここまで人を理解し、分かり合えた経験は無かったのだ。

 

(うむむ…そうなると退院してすぐに妹に会うのは避けた方がいいか。となれば…病院で住み込んで体調を整えながら、メディキュボイドの検索機能で事件を探っていこうかな)

 

項目の全てを見廻した所で、柚季はカルテから目を離すと画面を操作して収納し、次にソードアート・オンラインで恋人として付き合っていたユナを気にしていた。

 

 犯罪者として追われていた時とは違い、いつ会えるのか分からない闇の中を歩かされるわけではない。今度は彼女と同じ到達点に向かって進んでいる。それがたまらなく愛おしくなり、それと入れ替わるように、今度は悠那に事件を伝えたことが気掛かりになっていた。

 

 明確ではないも、ソードアート・オンラインの真実を知るもう一人のプレイヤー名『ユナ』こと、『悠那』は柚季とは違う視点で事件の情報収集をするだろう。悪事をしていたコーバッツを社会的に弾劾しようとする容赦の無さや、ストイックに唄に対する強いこだわりとプライドから知りたいことをとことん追及する彼女だ。何もしないでいるなどありえない。

 

(本当は無理をして欲しくはないけど…あの意地っ張りでちょっと頑固さもあるユナがただ待っているだけとはとても思えないんだよなぁ)

 

 それでも、彼女を信頼しているだけに、柚季は身動きが取れなくても落ち着き払っていられた。そうなれたのは、やはり悠那という、最も好ましい女の子と廻り合えたからであり、この人と逢えるなら、多少の孤独や危険は仕方ないと割り切れていた。

 

もう一度悠那に会えるならば、また恋人として、今度は現実世界で似合う服やアクセサリーを探したり、あまり他人の目を気にせずに遊園地や水族館みたいな場に遊びに行く様なことをしてみるのもいい。

 

――そのためにも、倉橋先生に検索許可をもらわないといけないな、うん。

 

柚季は身を固くして、これから倉橋先生にどう説明しようかを考えながら、ともかくメモ画面を開いて、検索する言葉を書き溜めるところから始めた。

 

【補足】

QOL…クオリティ・オブ・ライフ

 生活の質、生命の質などと訳されている医療や介護で使用されている専門用語。ある人がどれだけ人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているか。

 一例として、会社や学校の移動時間が長ければ移動時間の分だけ、個人の時間は無くなりますし、身体の疲労も溜まりやすくなります。逆に短ければ、浮いた時間だけ個人の時間を取れやすくなり、生活に満足感を得やすくなる。

 近年では、ビジネス用語としても注目されている。

 

エピソードゼロ:投稿優先の期待値調査

  • 孤独な少女(シリカ編)
  • 人の温かさ(リズベット編)
  • 働くAI(ユイ・ストレア編)
  • 超食べたい(ヒースクリフ編)
  • 受け継がれる幻影(???編)
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