「また…あの世界に行くのか」
メディキュボイドに寝そべりながらも、柚季は顔を曇らせていた。ソードアート・オンラインの世界はただモンスターとプレイヤーの戦闘が表面上を演出していても、真相はプレイヤーと元プレイヤーによる人間と人間の殺し合い。
アルヴヘルム・オンラインも一部をコピーしているとあれば、茅場の痛切したバグも受け継いだゲームがまともなシステムであるはずもなく、殺意を突き付けられたような恐怖に落ち着かなかった。
「柚季君、そっちの準備は大丈夫かな」
「こっちは平気です。何時でもお願いします」
倉橋先生は待ちかねている様子であった。だが、実を言えば、事件性の高いゲームかもしれない物の使用を許可したのは、倉橋先生自身であり、柚季が気持ちの整理にログインを焦らしても、彼は患者の意思を尊重していた。柚季は一呼吸をいれてから言う。
「リンク・スタート!!」
次第に視界は真っ暗になり、眼の前に虹色の光が駆ける。次の瞬間には、視覚、聴覚、触覚と、五感接続が完了するメッセージが次々表示され、メディキュボイドに横たわっていた重力感覚が消えた。
一
『ようこそ!アルヴヘルム・オンラインへ』
緑や大樹に白い靄に小さな蛍火のような明かりには、まるで生きているかの生命力があった。意識だけで実体のない柚季に、そのまま浮遊感さえ馴染めない。浮いたものを掴む感じを確かめつつ、柚季は、重心を合わせなければ地と天が逆になりそうな気がした。
『新規のお方ですね。最初に、性別とキャラクターの名前を入力してください』
ホロキーボードに『ユズル』と打ってから入力ボタンを押した。巨大なプログラムは名前や性別をチェックし、次の登録画面へと進んでいく。
『次に種族を決めていただきます。九つの種族から一つ、選択してください』
生身かと思う程に精巧なAIによるアナウンスが選択を促す。プレイヤーが選べる妖精の種族は九種類。ホロアバターの全身が現れるあいだ、じっと待った。
水妖精族『ウンディーネ』、土妖精族『ノーム』、猫妖精族『ケットシ―』、火妖精族『サラマンダー』、影妖精族『スプリガン』、風妖精族『シルフ』、闇妖精族『インプ』、工匠妖精族『レプラコーン』、音楽妖精族『プーカ』
九種類の妖精族には基調となる体格や色、背中から生える羽の形も異なる。フェイントと足さばきで相手の裏を読み、決まった形で竹刀を振る柚季の戦い方はソードアート・オンラインや本場でも変わらず、この戦いを活かせる種族を決めかねていた。
影を操るスキル『幻影』からプレイヤーやモンスターをかく乱させ、自分の戦いやすい領域を作らせていた。小技のスキルから敬遠すれば、相手の隙をうめて戦いやすい領域を作り出せるだろう、とユズルは思った。
「これならスプリガンかインプの二択か…影と闇の妖精族もいるなら光妖精族もいればいいのになぁ」
直接勝負の闇妖精族よりも心理勝負に持ち込みやすい影妖精族のアイコンを選択し、ユズルの現身が映し出される。男性であるにも関わらず黒髪の長髪に大きな眼。現実世界よりほっそりした体形だが、上に尖った耳は妖精らしき風貌だった。
『それでは、スプリガン領のホームタウンに転送します。夢とロマンあふれる冒険をお楽しみ下さい』
AIアナウンスが、最後にねぎらいの言葉をかけた瞬間、ユズルの視界は白い光が閃光する。大地の踏む感触を確かめながらゆっくりと目を開き、青い長髪をした女性プレイヤーと目が合った。
二
世界樹から見て東の湿地地帯を領地としたウンディーネ領の首都名は地図には記載されていない。アルヴヘルムの<三日月湾>と呼ばれる弧状湾のすぐ傍の島にあり、大陸とは1つの橋で繋がれている。北側にスプリガン領、南側にインプ領と隣接し、西側の環状山脈には虹の谷がある。
山脈と川に隠れたウンディーネ領は、周囲の環境にマッチしていて、一つの国というよりは、隠れ家にふさわしい場所である。彼女は赤のクリスタルをはめた杖を手にかけながら言う。
「あなた、スプリガンですよね。ここには何しに来たの」
「あ…いや…ここって、スプリガンの領土じゃないですか?始めたばっかりで良く分かってなくて」
眼前の女性は、急に現れた男性プレイヤーに驚き、それと同じくらいに嫌な顔をした。視線を泳がせて両手を慌てさせるユズルに、ふと沸いた好奇心からか、微かな笑みを唇に浮かべ、垂れ眼の女性は、くすくす笑った。
「いいですよ。そんなに固くならなくても…ここはウンディーネ領で私はシウネーと申します」
「僕はユズルです。どうぞよろしくお願いします」
「何かの縁でしょう。付いてきてください」と言ってシウネーはユズルを武器やアイテムの扱うお店の領地内へと案内する。ウンディーネ領の店内はどれも透明な水の佇まいで、海を思わせる広々とした高い窓がいくつかついていた。
「しかし、貴方は運がいいですね。スプリガンは他種族から嫌われていますから、いきなり攻撃されても仕方がないんですよ」
「そういうものです?」
「私は友達とこのゲームをしていますが、皆が別々の種族になっていますから。それもあって理解はしてるつもりですよ。他種族の立場を分かっていればいくら経験値が欲しくても、ましてや新人相手にいじめはしないですよ」
「もし、ここで倒されれば、アルヴヘルム最速デスを記録してましたか」
「申し訳ないですが、そんな不名誉な称号はありませんよ」
シウネーは、半ばそう思っていても、システムにそんな称号があれば面白いと言うように、首を横に振った。
「初めてでは何も分からなくて不安でしょう?私の仲間達は他のゲームで知り合ったコミュニティの集まりですからいい人ばかりです。お話だけでも聞きに来ませんか?」
「ええ」
ユズルは言った。
「ぜひ、お願いします」
三
彼女の仲間が集まっている場所は、ウンディーネ領の森の茂みにある質素な家であった。大きな窓が正面に二つあってカーテンは半開きになっている。玄関のドアから、庭のように広がったリビングのお蔭で、楽にプレイヤーを見渡すことができた。女性プレイヤーがひとり、ユズルをやや正面から向き合った。
「シウネー、必要なアイテム買ってきてくれました――って、その子はどうしたの?」
彼女の様な赤い眼に見慣れていないユズルは視線をそらす。大きく、何かを探ろうとしているみたいなその瞳は、一瞬にして彼の心を読み取ったそうだ。
「バグかなにかと思うんですけど、こちらの方に転送されてきちゃったので、保護してきたんです」
「え、シウネーが男の子を連れてきちゃったの!?」
「ちょっとユウキ、言い方!!」
隣の部屋からひょっこりと顔を出した『ユウキ』と言われた少女は思ったことを口にしたのか、そのしぐさは、活発な明るさが、ユズルを安心させていた。彼女は語気を強めて言うも、その部屋の奥からヒソヒソ声を目立たせる。
「私も声をかけられたい」「年上の女性にお持ち帰りされる可愛い男の子…うらやま...いやけしからんな」「スプリガンの有用性は…と」「新人を教育――新たな光源氏計画」など――
「ここは名前だけですがスリーピング・ナイツのアジトみたいなものです。私はギルドマスターの『ラン』です」
「僕は『ユズル』です。仲間の集まりに急にお邪魔してしまって…すみません」
「私達もこのゲームを初めて日は浅いですから、シウネーに仲間の勧誘をしていたんですよ。こちらこそ、お邪魔ではなかったですか?」
「いえ、僕も初めてで戸惑っていたから頼りになります。シウネーさんの様な優しい方に出会えてよかったですよ」
ユズルは静かに言った。二人は、その様子を見ても、驚いた素振りはみせなかった。それどころか歓迎の表情を覗かせた。奥のヒソヒソ声も大きくなった。
「男の初めてを奪った女――アリだな!!」「シウネーはショタもいけたのか」「純情そうに見えて実はアレだったか」「人は見かけによらないわね」
シウネーは、よほどのことがない限り、本気で怒ることのない女性だが、見た目の良い青年を連れてきただけで、散々に言うメンバーの態度には、温厚な彼女でも癇癪を爆発させた。
「…ランさん、ユズルさん。少々席を外しますね」
とびきりの笑顔でそう言い残すとヒソヒソ声のする部屋の奥へと消える。シウネーの声から何かを唱え終えた後――店内に爆発音を轟かせた。
四
「バグかなにかと思うんですけど、こちらの方に転送されてきちゃったので、保護してきたんです」
「「「え!本当ですか!!」」」
スリーピング・ナイツのメンバーは、丸いテーブルを囲みながら座っていたので、ユズルは、全員の顔を見ることができた。しかし、そのうちの三人は髪の毛がチリチリになっているし、ユウキはピンと伸びていたアホ毛が三本に増えているのが異様だった。
「…白々しいですね。もう一回、唱えましょうか?」
「これ以上は辞めておきなさい。話が進まないわよ」
ランは、いい加減にしろ、と言いたげに落ち着かせる。丸眼鏡のひょろりとしたレプラコーンの青年が手をそろそろと挙げた。
「わ、わたしくは、タンケン、です。た、たぶんだけど…最近のアルヴヘルムは、誤作動もあるから…そ、それだと…思う」
「誤作動?」
ユズルが聞く。
「そ、そう。例えば…同じ、違うアミュスフィア同士が…近くで作動させれば…そ、そのプレイヤーの…近くに、転移とか…」
ゲームの誤作動に、その場にいたプレイヤーは目を丸くしてしまう。
「…あ~それなら心当たりがあるな。僕は病院のメディキュボイドでログインしてるから、病院内でアミュスフィアを使っている人がウンディーネ領か他のプレイヤーにいたからかも知れない。チラリと見たけど、スプリガン領はここの北側だしなぁ」
運営のずさんなシステムの不具合に退屈このうえなく、肩透かしするほどに小さな出来事であるかのように、ユズルは溜息をついた。
「どこでログインしていると言いました?」
「え?病院のメディキュボイドだけど」
ランは前のめりになりながら質問していく。
「それってどこの病院ですか?」
「横浜の港北――」
言いかける前に、けたましい音が響き渡る。全員のメンバーは、その音のしたプレイヤーは誰か、同時にメニュー画面を開く。
「ちょっとゴメン。仲間からの連絡だ――え…」
言葉を失ってから、彼女が口を開く。
「友達が『サラマンダーの集団に襲われてるから助けてくれ!!』――メールがきて…シノンと一緒だから逃げながらこっちに来てるけどピンチそうだって」
「落ち着きなさい、クロービス」
たしなめる様に、ランはクロービスに言う。
「まずクロービスと一緒に救援に向かいましょう。落ち延びて来る友達に会えるかもしれないわ。戦闘になるからサラマンダーと亀裂の少なくて済むプレイヤーが望ましいけど…」
「それなら僕が行くよ。新人だけど…まぁ何も分かってないからしょうがない程度で済むと思うから」
ユズルの言葉に、暫しの沈黙が続いた。クロービスがそれを打ち破る。
「あんた…戦えるの?このゲームは初めてじゃ、まともに戦えないなら囮にするわよ」
「大丈夫ですよ。こことよく似たゲームで戦えてました…腕には自信があるので」
クロービスはなにかいい訳でもしそうな顔をするも、思い直し、彼の実力を測る意味でも提案を受け入れた。初心者用の片手剣にスプリガン初期設定の防具。必要最低限の装備に申し訳なさそうな顔をせず、ユズルは落ち着き払っていた。
五
アルヴへルムの上空は青々した空と深い緑色の木に覆われた大地は、排気ガスや汚染水で成長した木では見られない色つやをした葉をしている。その空ではシノンとフカ次郎が赤い装飾を纏ったサラマンダーの集団を敬遠しながら羽を慌ただしく動かしていた。
「ちくしょうめぇ!サラマンダーに追われるなんてツイてないぜ!!」
「あんたがその猪を捨てれば逃げ切れるでしょ!!さっさと捨てなさいよ!!」
と、張り詰めた弦から矢を放ちながら叫んだ。
「なに言ってんだ、シノン!こいつはそんじゃそこらの猪じゃねぇんだ。『キングボア』だぞ。激レア中の激レアだ!!こいつの肉を喰いたくて、一週間も粘ったフカ様の気持ちを考えろ!!」
フカ次郎が言い放つ。
「勝手に呼んどいて勝手なこと言うな!!真剣な声で『シノン…ちょっと付き合ってくれ』と言われて馬鹿に付き合っているこっちの気持ちを考えろ!!」
シノンは言う。二人は環状山脈を越えると、見覚えのない男性プレイヤーと見覚えのある女性プレイヤーとすれ違い、クロービスの遠距離攻撃による風魔法の突風でサラマンダーの進軍を止めた。荒い息を整えぬままに、彼女が言った。
「フカ次郎、まだデスされてなかったわね」
「おぉ!間に合ったか、すまねぇ…ちょいと失敗しちまった」
クロービスは両手を伸ばした手を下し、蔑んだ目でフカ次郎をじろりと見た。フカ次郎は引き攣った笑みから、片目をつぶって見せた。サラマンダーの集団の関心は、女性プレイヤーから新人プレイヤーのユズルに移される。
「誰だお前」
「見ての通りに、始めたばかりの新人ですよ」
肩をすくめるユズルに、サラマンダーのプレイヤーには格下に思わせる態度を増長させた。集団から短刀をちらつかせる男と巨漢な男が相当気を悪くしたのか、列を崩して襲いかかる。
「はっ!ニュービーが俺達の相手をするだぁ…なめてんじゃねぇぞ!!クソガキ!!」
十人のサラマンダーで一番巨漢の男による怒鳴り声が後方にいた味方も威圧させる。そのプレイヤーは興奮していたのか、自分の身体に鋭利な剣特有の熱い熱に襲われて腹部からぱっくりと口を開くまで時間がかかった。まだ離れていない意識から見た短刀の男も、ついさっきまで握り締めていた大剣が胸に突き刺さっている。そんな結論を導いた瞬間、飛行能力を失っていることすら気付かないプレイヤーは地に叩きつけられて絶命した。
「あのプレイヤー、芸者のような動きが出来るのね」
「シノンにはどう見えたの?あたしには何が起こったのかすら分からなかったけど」
早口で言うクロービアに、シノンは冷静に分析していた。
「あいつは普通に二回の攻撃でプレイヤーを倒した。武器を持った手を落としてから、とどめをさした…その後、相手の武器が消える前に柄を蹴り上げてもう一人のプレイヤーに攻撃したの」
「それを平然とやってのけている。妙に戦い慣れた動きをしやがるねぇ」
フカ次郎もユズルの戦いにランランとした表情をし、左肩に『キングボア』を担ぎ上げたまま答える。これから、サラマンダーの集団との戦闘が始まる。そう思った瞬間に、別の声が割り込まれた。
「おーい!!」
地上から上昇して現れた赤い日本風の鎧を着たプレイヤーが集団の間に入り込む。右腰に日本刀を差し、左腰に短刀を手にしている。サラマンダーにしては小柄な武装をしていた。
「すまねぇ、その勝負待ってくれ!」
「新人のクラインじゃねぇか。誰の許可があって勝負を止めた?」
サラマンダーのプレイヤーはしかめ面をした。
「いやいや、それが俺個人のことでな」
「何!?新人の分際で勝手なことをするな!」
「おう、それは悪かった――な」
言い切る前にクラインは鞘から日本刀を抜き取ると、薪でも切り落とすかの勢いで他のサラマンダーを斬りつける。鎧に弾かれる金属音が響き渡り、あっけなくポリゴンとなって消えた。残ったサラマンダーの一人が、怒りに顔を赤く染める。
「クライン貴様、気でも狂ったのか!仲間を襲って生きられると思うなよ!!」
「俺は一度でもお前らを仲間や人と思ったことはねぇぞ」
クラインが口をはさむ。だが、何か哀れむような目でプレイヤーを見ていた。
「サラマンダーの俺達を侮辱するのか!!」
「テメェらに人の感情があるのかよ!!新人を嬲って遊ぶ。男なら泣き叫ぶまで攻撃するわ、女なら動けなくしてから犯しやがる!そんな奴らの仲間ならこっちから願い下げだ!!!」
恫喝した声に後ろで萎縮していたプレイヤーの一人は蒼白してしまう。事実を言われた怒りか、種族を侮蔑されたからか。派手な装備をしたリーダー格のサラマンダーを逆上させた。
「もう、許さん!!テメェら、ぶっ殺してやれ!!」
萎縮して戦意を無くしたプレイヤーを他所に、サラマンダー達はクラインとユズルに向けて無差別に大刀や斧を掲げる。殺意を跳ね除けながら剣を交差させる二人が背中を合わせれば、ユズルは背後から声をあげる。
「クライン――いや、兄貴!!後ろは預けたよ!」
「――ッ!!背中は任せたぜ!」
ただの一言に新人の二人の面相は――絶望でも動揺でもなく、うっすらと笑みを浮かべた。二人は剣の構えを大きく右に傾け、左方の隙を無視する。
――今の僕(俺)には頼もしい片腕がある。
魔法と剣風が荒れ狂う戦いの火ぶたは切って落とされた。
抗うつ剤が少しずつ効いているのですが、まだ上手く気分や体調をコントロールできていない日々を過ごしています。
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