ウンディーネ領の噴水前広場では通り過ぎるプレイヤーも、今日は突然のイベントに行き交う足を止めていた。つま先立ちから繰り出される手根を軸にした剣舞に、ある者は身体を揺らし、ある者は手拍子をしてはやし立てる。
細い腕に深い黒髪を風に撫でられながら舞い上がる剣を交差させる技術は、一目では男性とは思えないプレイヤーだ。視線だけは一人の女性を中心に置いた切っ先の一気乱れぬ銀の輝きは疲労を感じさせない。
露店の店主に交渉して借りた簡易レコーダーに流れる音楽は水音とも一体化した。猛々しくも華やかな舞は、さながら雑木林に忘れさられた月下美人の花だった。五分間の舞を終えたユズルは、プレイヤーの拍手を背景に、レコーダーを貸してくれた店主にお礼を言い、ディスクを持ち物に入れる。鑑賞していたランの手を引き、彼女は頬を朱に染めたまま、大通りを抜けてから、ようやく口を開いた。
「どう、その武器の調子は、ユズル」
「本当に馴染む…軽いとか切れ味より…身体の一部を動かす感じだよ」
「違和感ないでしょ。動かしやすいからプレイヤーの運動神経に依存するこのゲームにはうってつけでね。そこらのお店で買うより、いいんだ」
得意満面の笑みで人差し指を立てるランに、隣を歩くユズルは浅く頷いた。
「それにしても、剣の具合を確かめたいって聞いた時は、私が相手をするのかと思ったわ。まさか、剣舞を披露するなんてね」
「どうしても相手を勝つか倒すになれば、殺気をむけやすい。驚かせるくらいなら、周りを楽しませる剣舞の方がずっと優しいよ」
「剣を取り出した方が警戒しちゃうかな。ここはプレイヤーキルの多いゲームだから気を付けて下さいね。でも、何で剣舞を?」
「剣の動作を繋げやすくするための工夫だよ。相手にはアクティブスキルと思わせるフェイクにもなるし、後はスキル発動の硬直時間を無くせるから、ここぞという場面で力を発揮しやすくなるんだ」
「…私もやってみようかな。でも、大変そうね」
「そうかな?慣れた動作を繋げるだけで繰り出せるから、普段の動きであれば身体も覚えて自然に動くよ」
薄笑いのまま頷くランに、ユズルは剣を取り出す意味を察したように、剣を腰に差し込む。何気ない動作でも、いかにプレイヤーキル推奨の世界で、街中で剣を取り出して無傷なのは奇跡かも知れない。
「ユズルもグランドクエスト攻略に来てくれるのは嬉しい…でも、話していたプレイヤーは協力してくれるの?相手からは見ず知らずのプレイヤーに力を貸すんだから、そこは不安かな」
「それだったら、合言葉を伝えれば協力してくれるよ。『ユズルは今でもゲームクリアを忘れていない』。これで伝わるよ」
「分かったわ….紹介してくれた人の中では…私はユナちゃんに会いたいかな」
「ユナに?僕はてっきりキリトかアスナに興味を持つかと思ったよ」
片手剣使いであり、おそらく戦わずとも相手を見極められる実力者に近いランならば、何も言わなかったかもしれない。だが非戦闘員に近いユナに興味を持つのは、相応しくない見解だった。興味があるユナに関する話題を選んでいれば、先に新しい話題を振ってきたのはランの方だ。
「そういえば、それって名前は何て言うの?」
腰に差し込んである黒い剣をランは見つめる。
「特別な武器そうだからきっと立派な名前が…うん?この武器――名前がないや」
「あら、珍しい。でもせっかくならユズルがいい名前とか付けてあげればいいんじゃない」
「でも…ジョバルおじさんの言う特別な武器に…適当な名前は付けたくないな」
そう言い、剣の握りをそっと撫でた。
「昔の名前がないから『名無し』になる。それを英語にした呼び方で『ノーネーム』――うん、そう呼ぼうかな」
手に馴染む黒の剣を『
よほど気を許しているのか。無防備な笑顔を向ける彼女は愛くるしさがあり、一瞬でも見惚れてしまう。もし、ユナと深い関係になっていなければ、彼女に心を寄せていただろう。ゲームのアバターに恋愛感情を持っても、滲み出る彼女の素顔にユズルは惚れ惚れしていた。しかし、自分から彼女を好きになっても現実世界にいるランに会えるとは限らないが。風で乱れる前髪を整えながら歩き、ギルドホームが見えてくると、ランは誰もいない場所に顔を向ける。
「…まだ、ゆっくり歩いてもいいのに…」
「……ラン?」
「うぅん。何でもない」
かぶりを振り、そそくさと離れながらノリに尋ねる。
「帰りましたよ。シノンさんは来ましたか」
「えぇっと…それが、まだです」
また、すべり込みながらジュンも言う。
「ここまで遅いのも心配だな」
「待っていても気持ちが揺らぐな。よし!シノンには悪いけど、待たせている皆にサービスするよ」
ダイニングテーブルにまな板や包丁を出現させ、最後にコック帽子を被る。何かを振る舞おうとする様子に、プレイヤーの注目が集まった。
「ここでフルーツさえあれば、パフェをご馳走するよ。さぁ、ジャンプして下さい。その膨らんだポケットにあるでしょう」
「昭和の不良か!そんなことしなくてもやるぞ。使い道も無かったから、今までの狩りで手に入ったものがある。使ってくれ」
ユズルの持ち物からケッコンしたユナと共有していたアイテムの中にあった一通りの調味料とドリンクをテーブルに並べる。テッチから貰えたフルーツを一口サイズから、飾り切りを揃えていく。ノリやシウネーからバターの様な濃い味付けの材料を貰い、弱火の魔法から少しだけ溶かした固体を、粉と混ぜ合わせる。
「ユズルさん、揺れる物が無いノリとユウキにはセーフだが、リーダーとシウネーにはアウトになるから言わないほうがいいぜ」
何気なく意見したジュンの背後にはただならぬ雰囲気の女性が現れていた。握った拳を反対の手で包み込んで鳴らすノリとジュンの頭を片手で掴むシウネーに、誰もが見て見ぬふりをする。
「おいこらジュン…そりゃ一体どういう意味だぁ…」
「デリカシーがないですね…ユズルさん、ちょっと席を外しますね」
魔法職にも関わらず、サラマンダーの腕力を越えた力に抗えず、痛みからジュンの呻き声が鈍く反響した。
「たった今から、ギルドメンバーに教育をしなければならなくなって…」
「あ、はい。デザートは保存しておきますね」
その後はシウネーに引きずられながら助けを求めるジュンを無視し、やがてギルドハウスの裏側に姿を消した。
「お姉ちゃん、ジュンの言ってた『揺れる』って、何のこと?」
「ユウキはまだ知らなくてもいい事よ」
粉の玉も無くなるほどに両手で捏ねていると、横からクラインに声をかけられた。
「ユズの字、何か手伝えねぇか?」
「そうだな…これはクッキーだから、これを鉄板で中火を保ちながらゆっくりと膨らましてほしい――型は抜いておくからお願いするよ」
それぞれがシノンの到着を待つ時間も退屈はしていない。ジュンを『教育』という名前とは別に『折檻』による悲鳴が木霊すも、クリームの甘い香りとクッキーの香ばしい匂いに、殺伐さは依然としてない。そう考えると、ユズルはシノンとの戦いに心を滾らせていた。
一
ゲームでは九時を過ぎ、やつれた顔をしたジュンを木陰で休ませていた時に、シノンはウンディーネ領を歩いていた。背中に差した弓矢に、緑の甲冑を当てている。浮ついた眉間のない笑顔より、きりりと冷涼に張り詰めた眼差しの似合う、そんな稀な質のある美少女であった。
「悪いわね、だいぶ遅くなってしまったわ」
詫びれなく澄ました様子は、何かを食べ合う黄色い声に、疑うような、困惑したような、僅かに彼女の表情を硬くさせてしまう。そんなシノンは目を細めて、その正体を見る。ちょうどユウキの頬についたクリームを取ろうとしたランが、指ですくっている所であった。
「このメロン風のパフェ、美味しいよ!!お姉ちゃん!!」
「ユウキ、唇にクリームが付いてるわ。でもホントにおいしい…この苺も中々ね」
これからユズルと決闘をするだけに考えていたシノンには、このデザートを食べ合うメンバーに泡を喰ってしまう。食ってかかりそうになるシノンに、上機嫌なフカ次郎は意地悪な笑顔で、食べかけである柑橘類のパフェを掲げてみせた。
「なんだよ、シノン。遅かったからもうパフェの材料は残ってねぇぞ」
※本気である。
これこそ、ユズルの作戦である『私より先に皆が楽しんでいる作戦』。待ち合わせ場所に遅れてくることはあっても、呼んだ仲間を置き去りにはしない。それを承知で自分達だけで楽しむ行為は背徳感がある。置いてきぼりにされた仲間は、遅刻した自分が悪いのであって言い返せない。この作戦は中学生や高校生の精神が未熟な人間には、より効果的な方法である。そしてプライドの高い人間であれば、より精神攻撃は大きい。だが、シノンの表情は変わらない。
「それは悪かったわね。でも私は、パフェとか子供っぽいのは好きじゃないし。今度、新作のデザートを食べに行くから、気にしてないわ」
※嘘である。
彼女は冷静さを保ってはいるも、実年齢は思春期真っ盛りであり、内面とは異なる。素直になった実際の中身はさっきからこんな感じだ。
(羨ましい…あのメロンの光沢に柔らかそうなホイップ。その上に飾られた星形のチョコレート…ズルい!!もっと早く来れば食べれたの!?分かっていれば、時間稼ぎなんてしなければよかった…)
甘党とは言えないものの、フルーツの盛られたパフェには財布のひもを緩ませるくらいには好きであった。果実を剥きだしにしたメロンや苺に光る艶の宝石。生クリームやソフトクリームに散らばるシナモンの粉香は海の天の川。それらの果汁と流れる川を受け止めるスポンジの大地。これにチョコレートやキャラメルのシロップを彩るパフェは上品なデザートの代表格である。
(…いえ、これは挑戦ね。あいつが私の気持ちを揺らがせて勝負を急かさせるやり方のはず…そうと分かると、段々腹が立ってきたわね。意図的に私を除け者にするなんて…そもそも一騎打ちをすると分かっていて呑気にデザートを振る舞うなんて――妬ましい――いえ、ふざけてるわね)
※遺憾である。そもそも遅刻したのは理由よりも、シノンの作戦であった。決闘を申し込んだ後は、相手の気合を張り巡らせる。敢えて到着時間を長引かせれば、彼の集中力を乱せるだけではない。手早くユズルの実力を測れると考えていた。よって、ユズルとシノンも似た作戦を実行した時点で駆け引きの勝敗は引き分けに持ち込まれた。
(こういう奴には、徹底的に灸をすえてやらないとね…)
デザートを無視された彼女の殺る気スイッチは全身の細胞を活性化させた。ユズルの意地悪で好物を食べ損ねたシノンの怒りは明白であり、彼女の手に馴染む弦を手遊びしながらも、ユズルに一点を見逃していない。対戦相手を¨敵¨と見定めた瞬間であった。
「引き締めた~弦の~」
辞世の句を詩吟の様に歌いながら、ユズルの頭に狙いを定めて矢を固定する。流暢な言語に瞬きをしない鷹の眼は何者の獲物を逃がさない。殺気のにじむ背中は、誰かが妨害しようにも、アミュスフィアの防衛本能機能で動くことはできない。放たれた矢が、真っ直ぐにユズルの顔に距離を詰めていくも、射抜いたのは彼の頭でなく、白いコック帽子を引っかけたまま木に突き刺さる。
「ちっ。やっぱり、あの反射神経は並外れか。避けたわね」
やさぐれ気味に地面を蹴るシノンに、ユズルの視線は近くにいたランとフカ次郎に向けている。
「さっそくシノンが仕掛けてきたね。待たせられた分だけ――存分に滾らせてもらおうか」
ユズルは腰に差していた剣を一旋させて持ち直し、体内に溜まっていた沸々とした闘気をここにきて解き放つ。二人の放つ闘気と、その緊張に張り詰めた大気を察したフカ次郎は、ある確信めいた予感を悟っていた。
――ユズルは『リーファ』と同格かそれ以上のプレイヤーだ、と。
アルブヘルム・オンラインの有名なプレイヤー名を上げるとすれば、一番で有名なのは三人のプレイヤーだ。サラマンダー族の『ユージーン』とケットシ―族の『シノン』とシルフ族の『リーファ』だ。特に『リーファ』は武芸を極め、飛行に優れており、対人戦においては最強の一角である。だが、彼女はその強さを差し引きしても、他のプレイヤーを顧みない凶暴性と傲慢さが問題であった。
シルフ族で片手半剣から繰り出す剣技は同じ大地の着地を許さない。音速の飛行から唱える風と大地の魔法攻撃は同じ天空を舞う行為を許さない。だた強者との戦闘に枯渇し、難敵を求めるプレイヤーではあった。だからこそ、グランドクエストに挑戦しようとする強いプレイヤーを狙って現れるかもしれない。現に、雪のインゴットのある嘘情報を流してシノンをおびき寄せたことから、それをやりかねなかった。
¨すげぇ…本当にすげぇ!!グランドクエストを妨害してくるかもしれねぇリーファを止められるかもしれねぇ。ともあれ、対人戦での力量を見極めておくのも必要だな¨
リーファとシノンの競り合いから迸った弓と剣の打ち合い。激突した覇気の熱量。その脅威と驚愕を、目の当たりにしたフカ次郎だからこそ、分かった。あのリーファとも戦えそうな久しく見ぬ強者が、目の前にいる。新人でありながら、予想外の難敵に廻り合えた戦慄に、フカ次郎は武者震いが止まらなかった。
「お手並みを拝見させてもらうぜ。面白いプレイヤーさん」
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