勝利か、敗北か。それだけがALOが開始された以降の数年間、妖精達のプレイヤーの関心であった。領主になったプレイヤーは領地を、噓をつき他の領地を裏切っても、生きて我が地を守らなければならない。ニュービーと呼ばれる新人は、まず自分の身の丈を知ることを教えられた。家に入られれば盗む者よりも盗まれる者が、殺す者よりも殺される者が、真面目よりも間抜けな馬鹿者だと嘲笑われる風潮であった。
プレイヤーキルを推奨するゲームなだけに、流血の代わりに飛び散る青みある白いポリゴンの煌びやかな仕様は、ただひたすらに切実な好奇心を求めて生まれた。美しき光はプレイヤー達を刺激した。肌色の皮膚に覆われた動脈の青色よりに、静脈の白色よりに強調された色彩と温度。それらを引きずり出されて敗北するまでに奏でる敗北者の感じる苦痛と断末魔。平等に分け与えられた勝利と敗北の相互作用はALOを徹底的に堪能し尽くすには充分であった。
一
奇妙な浮遊感に乗せた過去の思い出に、風に押し返されたままに醒めぬ意識のままシノンは飛行する。いつも通りに雲一つない青空。森林ならではの曇り無い空気とは真逆に、より彼女の違和感を際立たせた。
「この浮遊感は気持ちいいな…海の上で浮いているような感じだけど、シノンはあんまり浮かない表情だね」
視界の外から数時間前に誘った男性の声がした。心配されるほど表情を変えていないシノンの微かな変化を見透かされたのかもしれない。横顔を向けるユズルを前にして、シノンは感情を誤魔化す様に彼のゲーム操作を指摘する。
「些細なことよ。そんなことより、初めての飛行にしては安定しすぎてない?」
「これくらいは前に似たようなことを真似したら上手くいった」
この言葉には難癖の一つは付けたかったものの、個人の運動能力で決まるゲームでは言い様はない。羽を動かす方法として操作盤で動かす他には、普段は意識して使わない背中の筋肉を意識して動かすやり方であった。
「似たようなことねぇ。それってどういうものよ」
「えっと…ちょっと高い木にハンモックでぶら下って寝るときの浮遊感」
「どういう状況か、いまいち想像できないわね」
「動物観察でそういう状況があっただけだ」
まぁ…本当は崖にぶら下がって寝ていた感覚に似てるんだよなぁ
ユズルは全身を揺らしながら宙返りをするものの、動揺した荒い飛行に長髪が顔に張り付いてしまう。ソードアートオンラインの体験を正直に話せば山頂の大好きな登山家と思われるか、頭のおかしい人になる。故に、シノンには言葉を選んで伝えたのだ。
このユズルの、会話を選ぶ特有の詰まる物言いには、隠し事よりは察してほしい、と、シノンはそう胸の中で解釈した。
(嘘がほんとに下手)
クラインと隠し事をしているあたり、あの二人には共通した何かがある。さっさと言い寄れば簡単に目的を白状するであろうも、声の聞こえる距離まで近づきかけてから、ふと気が変わる。
息の合った連携をした戦い方を何処のゲームで身に着けたかは知らないけど、あの二人はここで裏切る人物でないのはたしかだった。それに模擬戦の時点でお互いに手を抜き合っていた打ち合いをした後では、どうにも肩の力が抜けてしまう。
(気にとめないのがいいわね)
今日までフカ次郎以外には裏切りで神経を張らしていた疲弊感。リーファに奇襲を受けて以来は彼女に狙われ続け、同族からパーティを組めない迫害を受けていた孤独感。反吐が出るほどうんざりとした環境の続いているせいで、きっと自分だけがそういうことに敏感になっているだけなのだと、私は思った。
「言いたくなければ別にいいわ」
「それは助かる。このグランドクエストが終わったら、何か旨いものを奢るよ」
「それって遠回しに、『この戦争が終わったら結婚する』的な死亡フラグ?それはいいとして、そうね…」
奢りに彼女は人差し指と中指を下唇に触れて考える仕草をする。
「連携報酬としてグランドクエストの領土に到着したら、ガトーショコラのケーキをご馳走しなさい」
「それくらいならいいぞ」
「あら、案外すんなりと言うわね。値段は3000コルよ。普通の倍はするわ」
普通に聞けば3000コルのケーキなどぼったくりの値段だ。さて、この男はどんな反応をするのだろうか。内心ではシノンは相手のリアクションに心躍らせていた。
「料理は人と人の間に縁を育む。その値段は払わせてほしいし、笑ったシノンの顔はもう一度見てみたいからなぁ」
「……」
咄嗟に意味の分からなかったシノンは数秒の間をおき、上空飛行で身体をユズルの反対側に向けたまま、見事に安定した飛行を続ける。器用にもユズルには彼女の表情が見えない形でだ。
「ねぇ…なんで顔を背けるんだ。こっちに顔を向けろよ」
「…ノーコメント」
短くもはっきりとした声にユズルは聞こえないふりをして彼女の反対に飛行するも、逆に飛行に慣れているシノンの顔を捉えるには足りずに、いたちごっこを繰り返していた
「…おーいシノンさん…無視はないだろ、無視はぁ。強情な女はモテないぞー」
「うっさい‼こっちくんな‼あと見んな‼」
白の羽と黒の羽を左右上空に交差する光景は、遠目では蛍の戯れる浮遊そのものであろう。強張っていたシノンの顔が、みるみると笑み崩れていくのに気づかなかった。額に風に乗せた緑の葉をくっつけるも、手では払わず、飛翔の風で自然と離す。
――ほんの少しだけ、心に馴染む平穏に熱を帯びていたこと。
そんな見えないものを無意識のまま、ユズルの感情に感化されたシノンは目的地へと意識を向けた。
二
「着いたわ。ここがグランドクエストに向かう一番の近道よ」
先程まで視界に広がっていたアルヴヘルムの緑の光景と一転して、薄暗い洞窟が視界に入る。ここはアルヴヘルムの中央に位置する他の領地を行き来する近道となる『ルグルー回廊』だ。吸血能力持ちのコウモリや水魚系が生息する湿地帯の洞窟であり、空気の流れは皆無だが、開放的な空洞が狭い空間ならではの圧迫感は感じない。
「ここはルグルー回路って洞窟で、この道は私がよく使う抜け道みたいなものよ。ちゃんと着いてくれば、短時間で抜けられるわ」
そう呼びかけても、両腕を前に伸ばしてストレッチをするユズルは「そうか」と気のない相槌を打つだけで、左足に差していた短刀を抜いて耐久性を確認していた。
「……」
シノンはユズルの急に変わった態度が気に喰わなかった。さっきまで飛行で戯れていた奴とは思えない。ましてや、飛行中に迷いやすい洞窟の最短ルートのイメージトレーニングに励んでいたにも関わらずに、さも当然の態度で武器の手入れをしていた。
「思ったより正攻法でいくのか。細道かデバックエリアの様な隠し通路を期待してたから」
「そんなものがあればグランドクエストなんてとっくに攻略されてるわよ」
「――それはそうだけど、ここまで他のプレイヤーと遭遇しないとなぁ」
腕試しでは物足りないのか、ユズルはのっそりと呟いた。ただ敵がいなかった、というだけの肩透かしにしては妙な低い声に、此処までで苛立ちから不審に変わるのには、シノンにとっては充分であった。
「あら?思い通りにいかないのは不満だった?」
「スリーピングナイツも合わせて同時に動いたら妨害に合うはずだ。それでも他のプレイヤーと戦闘になってもいい…でも誰も連絡が無い。誘導されているか、妨害する余裕もない何かが起きているか…判断するには情報が少なすぎるよ」
「ふぅん――そういうことならフカ次郎なら何か知っているかも知れないわ。このゲーム以外にもリアルの友人と交流して情報を引き寄せるのよ、アイツ」
「そうしてほしい。此処まで順調に進みすぎているのも妙だ。ここで情報収集をしておきたい」
「随分と慎重ね。もう少しリラックスしたら?」
ゆっくりと息を吐き、フカ次郎宛てにキーボード画面を指さしながらも、彼の疑い深い思慮に呆れていた。ユズルは困った風に左手で頭を軽く掻く。シノンへの問いに、ユズルは即答で応じた。
「いや、そうしたいけどねぇ、気を引き締めててそれどころじゃない――だってシノンが狙われているんだからな」
「――え?」
耳を疑う隙もないまま、次に続くユズルの行動は神速の早業だった。真上から振り上げた短刀が、虚無の空間に激しい波動を震わせる。直後、猛獣の疾風を止めるまもなく、ユズルの返し刀は空間の揺れた一部分を斬りつけ、大量のポリゴンを上空に上らせた。その右翼から姿を現した金色の長髪を束ねた少女は右手に握っていた剣を握り直す。
襲撃者はいつからそこにいたのか。ユズルはいつから襲撃者の存在に気づいていたのか。斬撃の飛来から、ユズルは敵の正確な位置を見定めていたのだろう。メッセージに気を取られた僅かな隙のうちに、ここは戦場へと化していた。
「シノンを狙っていたのはお前か。何故、狙う…?」
少しでも離れれば飛ぶ斬撃を発動させる隙が生まれてしまう。ユズルは三十センチも満たない短刀の斬撃を容赦なく切り込む。その衝撃は大地を何度も爆ぜ飛ばした。
「気に入らない奴を襲うのに理由なんている?相手の力加減も分からないで戦うなんで馬鹿ね。邪魔するならあんたから消えてもらうわ」
だがユズルの目は彼女の頭の上を捉えたまま、その場から離れることはせず、攻撃の勢いを緩めなかった。
「そう…ただの馬鹿だったか」
それまでの打ち合いから足を上げて地面を大きく踏み込む。剣を交えたのと同時に、彼女を中心にして、何の前触れも無く大地が盛り上がり、鋭利に尖った石の槍は彼女を護る防壁となった。
「おっと!?」
驚愕の声を漏らしつつ、後方に三歩ほど退いて彼女の攻防から逃れる。レイピアの形をした細い長剣に手の平を添えれば、瞬時に緑の陽炎を包ませる。遠方からは緑光の大刀にさえ思わせる覇気は、ルグルー回路前の無音を支配していた。さっき受けた斬撃とは桁違いの魔力は、不吉な蜃気楼をとして、ゆらりゆらりと細剣から立ち上がる。
「――皆殺し確定ね。精々、私を楽しませろ」
不敵な笑みを浮かべる少女。ユズルの耳に静寂とは別の風音を聴き分けていた。かと思えば、彼女の背後から赤や青や黄色の弾幕で土埃が視界を遮った。一目では何人いるかも分からない数ではあるけれど、一人一人は統率された動きよりは、プレイヤーが好き勝手に魔法を唱え、武器を構えている寄せ集めの遊撃部隊にさえ思われる。
「シノンがいたぞ!一人の今がチャンスだ‼奴を倒して、名を挙げろ‼」
目の前にうつる氷体や火球の存在を意識に追加させ、ユズルはすぐに短刀を下向きに魔法を地面に叩きつけた。いずれにせよ、戦闘狂の彼女との直接対決を避けられる乱入者の存在はありがたい。流砂の煙幕から一体の幻影を錯乱させ、有象無象の集団を斬りつけては姿を暗ます。
「やったな⁉何のつもりだ⁉」
「違う!俺じゃ――痛ってぇ‼」
ユズルが砂ぼこりに隠れた幻影による攻撃をしてまわっていたので、錯乱した弾幕魔法がたちまち地上に集まった埃を砂嵐へと変え、お互いに誰が何処にいるかも分からない空間に支配された。上空にいたプレイヤーも砂嵐から無差別に放たれる魔法攻撃に離れる以外に選択はなかった。
この一瞬の隙を逃すまい、とメニュー画面からすぐにシノンの居場所を見てから、彼女に近づき、声に凄味を効かせながら言った。
「シノン‼ここは乱暴に突破するぞ!」
「無理よ‼何処に進めばいいのか分からない!」
「洞窟から流れる風で分かる!絶対にこの手を離すなよ‼」
まるで男と女が迫る恐怖から逃れるように、ユズルは左手で彼女の手を繋ぎ、指先は朱色になるまで深く握りしめて走り出す。
「待って!ここはランダムに配置の変わる洞窟よ‼闇雲に入ったら何処に行くか分からなくなるわ!」
「そんなこと言っても、他にやりようはないだろ‼」
三
「逃げられたか。だがルグルー回路に逃げ込もうが無駄だ。他の奴に続け!」
ルグルー回路の前は、砂塵と人混みで包まれている。そんな乱痴気騒ぎの状況からルグルー回路に入る二人を眺めて、やや紫色の混じった紺色髪のシルフは苛立っていた。この男は、先ほどユズルと一戦を交えたプレイヤー『リーファ』と同じ種族であり、今回の指揮を任されたプレイヤーだ。
だがルグルー回路に入ろうとしない戸惑ったプレイヤーに、彼は口に泡を飛ばしながらも吐き出す。
「いくら『二つ名』を持つとはいえ、暗闇の多いルグルー回路では得意の射撃はできん!近距離ではただのプレイヤーだ!今のシノンなら、ここにいる誰もが打ち取れるのだぞ‼」
上空に避難できたプレイヤーは散り散りとなりつつも、指導者の命令に背中を押されて、次々にルグルー回路へと入っていく。普段は交わることのないシルフ族やサラマンダー族にエルフ族の混合軍は如何にも上物の獲物であるシノンに狙いを定めていた。遠距離物理攻撃を得意とする彼女が、最も無力化される絶好の機会を逃さないためである。
「やはり寄せ集めの集団など編成すべきでなかった…まぁシノンをルグルー回路に誘き寄せただけよしとするか」
「彼女は魔法の射程範囲外からでなく、ケットシー族の視力からも見えない場所から狙撃のできる唯一のプレイヤー…それを今日のメンテナンス作業の前に仕留めなければならないのは、無力化されても荷が重いのでは?」
魔法職に相応しい杖で額を小突きながら話すプレイヤーに、男は満足げにやりと笑う。
「倒す必要はない。今日だ。今日だけでいい。メンテナンス作業になるまで、この迷宮を彷徨わせるのが目的だからな」
全ては順調である。アルヴヘルムのメンテナンスまで六時間ほどであるのに、閉じ込めるだけでいいと、真意の読めない返答に首をかしげてしまう。二人は地上に降りて、ルグルー回路に行く寸前に背後から声を当てられる。
「……なにしてくれんのよ」
いつの間にか無数のプレイヤーを倒していたリーファがこびりついたポリゴンの細剣を振り払いながら、淡々とした声で言った。
「リーファか。一人で勝手な行動をするな。もう少しでシノンを追い詰めていたものを――」
計画を台無しにし兼ねないリーファの行動に小言を言おうとした。次の瞬間、相手の言葉は最後まで発せずに途切れた。油断なく剣の構えを解いていたプレイヤーの顔と口は左右にずれ落ちる。
「は!?り、リーファ⁉」
予想外の行動に取り巻きは驚いて聞き返した。
「アイツが油断してた絶好の機会だったのよ…」
細剣をゆったりとした動作で向けるまでのリーファの所作は洗礼されていた。足払いから剣を向ける動きは芸術そのものである。それだけに凍り付いた瞳と少しも乱れない刃が、より憎悪を滲ませていた。
「誰が援護しろって頼んだ!?…誰が遠距離魔法で攻撃しろって言った‼?――誰が言ったのよ!!!」
シルフ族の杖を持ったプレイヤーの頭部に細剣を突き刺す。運悪くも魔法職でも回復に特化した聖職者であるプレイヤーは一撃で絶命しなかった。頭部から剣を引き抜いたリーファは、地に当てるたびに減る剣の耐久値を無視して、仰向けになった同族の喉から上半身に何度も風穴を開ける。得体のしれない原型まで変えた肉魂を一突きし、刃先の消えた剣を見たリーファは、内心で痛恨の舌打ちをしていた。
「――ちッ‼」
意図的に残しておいた二つの眼球に刀身の無くなった柄を投げつけ、大きく見開いた眼をルグルー回路に向ける。翡翠の瞳に映る鋭利な翳りは唇から手へ、感情の輝きを残らず伝導させた。周りに誰もいないのを確認したところで、リーファは倒すべき相手と制裁する敵を決めてから、迷いの迷路に潜り込んだ。
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