目の前には煙が集っていた。どうしようもなく炭の薫りが鼻を刺していたが、これがどうも嫌なものではない。
焼ける音がする。ジュー…ジュー…と滴る脂を蒸発させている肉が置かれていた。未だに赤身、まだ食べ頃ではないだろう。
しかし男は焦ってトングで肉を掴むと鉄板の上でひっくり返した。
「危な!?アカンわ、もう少しで焦げそうやったで!?」
「くうてひゃからわかりゃひぇん」
「食うてから喋れ!」
「腕動かせませーん」
「僕が食わしたるからじっとしとき!」
アデルは腹部に包帯を厚くなる程巻いてその上にシャツを被さるように着ていた。
既に黒猫襲来から数時間が経過し、特に基地に被害があった訳でもなく謎のまま真相は消えてしまった為、彼らは休息代わりに昼間狩ったアンジャナフの肉を使って焼き肉をしていたのだった。
時間帯もすっかり夜中、これでは晩飯というより夜食に近い何かだが寝たっきりで体力を消耗していた三人には丁度良いくらいの食事であった。
サシャは両腕に板を挟んで包帯で巻いていた。幸いと言うべきか刃が腕を貫き通した事以外は大した重症はなく、その内動かせるようになるらしい。詰まるところそこまで大事ではないと言うことだ。
「マジで、君んらあんま勝手に触らんで下さいよ?」
「私が狩った肉っすよ!?」
「腕動かせねーヤツがどうやって焼くんだ!?」
「ラッキーこの肉貰うで」
「それは俺んや!」
シマから奪い取った肉をアデルは再び鉄板の上に置いた。まだ生じゃないか、彼はうなじを掻きながら苛立ちを抑えていた。
「ホンマ…君んら…疲れんで…あ、生一杯」
「んじゃワタシ二杯持ってきてもらっていい?」
「煙草…咥えれたけど火つけれねぇや…あ」
サシャは自分が禁煙中だった事を思い出して煙草を吐き捨てた。
口に残る後味の悪さと、心残りが彼女にはあった。
「現状報告でもしようか」
メイリンは凹みのある、使い古された鉄製のコップにコーヒーを淹れて湯気が立つ内にミーナに手渡しながら話した。手渡された彼女はどうしようもなく不健康そうで、生気を感じられぬ程、気を落としていた。彼女はあまりにも悲惨な現実を受け止め切れていなっかったのだ。全ての殺意が自分と、その家族に向けられて正気を保てはしなかった。
「もう…諦めません?」
腐った彼女から放たれた言葉にメイリンは目を丸くして自分のコーヒーカップを落としていた。頬に垂れる汗と見るからに彼は動揺していた。
彼女の発言は、自殺をしたいと言い出しと程近いものであった。だからこそ彼女を生かす努力をしてきたメイリンは、はっきり言って失望してしまった。
「なあ…何言ってんだ…?どれだけ………はあ……もういい。君はそこでじっとしてればいいんだ…後は俺がやるから…もう…何も言わないでくれ」
吐き捨てるようにメイリンはミーナに告げると彼は森の奥へ入っていってしまった。
彼女には空しい淋しさが残っていた。空っぽである。何もかも奪い取られて玩具のように放置されている気分である。もう生きる意味なんて彼女には無かった。
皆疲れているのだ。窶れて、混乱して、常識をなくしてしまった。
「は…ハハ…ハハっ…もう…ホントに…」
噛み締めるように唸り声混じりの悲痛を上げる。
「殺してよ………」
ぽつぽつと彼女には雨が降っていた。
「なら私が殺してあげようかお嬢さん」
「あっ───ヒィッ!?」
上から覗き込む女にミーナは驚いて腰を抜かしてしまった。その女に見覚えがあるのは当たり前の事だった。この女は確かロジエとやり合っていた────
「黒猫……!」
「名前を覚えていてくれたのかい?嬉しいね。脈アリじゃないか?」
「何もないわよ……!この人殺しがっ!!」
「君もこれから人を殺す同業者じゃないか。そんなに牙を立てないで仲良くしようよ」
「誰がっ!人殺しですってっ!?」
ミーナはギラつく眼光を走らせてコップを投げ捨てては、黒猫の胸ぐらを掴むと勢いに任せて押し倒した。湿気のある森の尾久は落ち葉が妙に濡れていて地肌に触れる気色の悪い感触が残る。
彼女は荒い息を吐きながら押し倒した黒猫をひたすらに睨んだ。射殺すような、だが冷たいものではなく怒りに狂い自我を失ったような獣の目をしていた。ギリギリと歯ぎしりを、ヒリヒリと手に力を、全ての憎悪を目先の相手へ。
「ひどいじゃないか…汚れてしまったよ」
「ハァ…ハァ…クソっ!お前…!!」
少女はかっなって拳を振るおうとした時、背後から構えた腕を捻られて悲鳴を上げた。
「あうあっ!?」
「離せっ…!その手…!」
「レン…その手を離してあげな…」
レンという少女はベージュの髪を乱れさせながら、また握る手に命令とは逆に力を籠めていた。ミーナも胸ぐらかた手は離さなかった。
「レン。離せ」
「………………っ」
しかし、黒猫の強い命令に怯んだレンは悔しそうに唇を噛みながら手を離すとゆっくり後ろへ下がってしまった。ミーナもその様子に黒猫自体の敵対心は薄いと悟りゆっくり手を離した。
「ようやく分かってくれたみたいだね。ありがとう」
「まだ要件を訊いてないわよ…。信用なんて出来ない。私は絶対に人殺しなんて信用しないわ…」
「要件を聞いてくれるだけでも十分だよ」
黒猫は泥に汚れた体をゆっくり起き上がらせるとしっかりとその夜を呑んだような瞳をミーナの視線に合わせていたのだった。敵意が薄いと知ってはいても未だ悪意が溢れる子供のような瞳であった。何が悪い事なのか、まだ知らないようなそんな不気味な様子を浮かべている。
「自己紹介の必要はないと思ったけどレンの事は教えてあげようか。名前はレン・ジン、遠い国から私と一緒に行動をしてる私の女だよ」
「…………」
「無口なのは私だからかしら?」
「いいや。元々だね」
拗ねた様子のレンの隠れた顔はまるでお人形のように整っており、しかし感情を失った表情と瞳は静かに彼女を物語っていた。彼女もまた、外道を旅する浮浪者なのだ。
だからこそ、そのような人間に人一倍鼻が利くミーナは既にレンの事を忌み嫌っていたのであった。
鋭い視線の三角形を作り上げていると森の奥からメイリンが帰ってきた。彼はその様子を見るなり目付きを尖らせて邪険に言い放った。
「合流したか」
「君が呼んだんだろ」
直ぐ様黒猫が言い返す。
ミーナはにわかに彼女の発言が真実だと認めれなかったが少し言葉を詰まらせたメイリンを見て真相に気付く。だが意図が分からない。
「メイリンさん…どうして…」
「比較的安全な選択肢を選んだだけだ…何の問題もねぇで作戦を遂行するにはこれしかなかった」
「その為に仲間まで裏切ってね…ここまでくると私よりひどいんじゃないか───」
黒猫が言い終える前に彼女の喉元には短剣の刃が張り付いていた。音速の勢いで刃を喉元にやったメイリンだが彼の横でレンはヘェビィボウガンを片手で持ち上げて引き金に指を掛けていた。
「二度とテメーより下にするな」
「気を付けなよメイリン…私の女は時々寸止めを忘れる」
チッと舌を鳴らして短剣を投げ捨てや否や、メイリンは椅子代わりに置かれていた丸太に腰をどっしり降ろした。そして彼は大きくため息をつくと黒猫に訊いた。
「今、いや…アンタがギルドと共に行動していた時期でいいからギルドの作戦を聞かせてくれ。こっちには何の情報のアドバンテージがない」
黒猫は黙り込んだ。そして決心したかのように口を開いた。
「彼女達の作戦は血の悪魔の殲滅だ」
「血の悪魔だって?」
メイリンは思わず聞き返した。
「何も知らなそうだね。一から教えてあげよう。君達が今何と敵対しているのかを」
「ギルドじゃないの…?じゃなきゃ誰と相手してるっていうのよ」
黒猫ははっきりと告げた。
「人類…かな」
「……はぁ?」
聞き間違いを疑ったがそんな筈はなかった。こんな所で聞き間違いなんて愚行を犯す筈がない。ただ、それを疑ったのは未だ他人を信じようとしていたミーナの心であった。彼女に残ったそれは、未練を捨てきれなかった覚悟の甘さ故なのか、それとも願っていたのか。
けれど現実は何時だって彼女に絶望を贈った。
「酷い昔の話らしいがかつて、歴史上一番古いとされる人の生きる時代の事、史実には竜大戦が実際にあったとされているがそれよりも遥か古の時代の事だ。血の悪魔の誕生は」
「……お前頭イッてんのか…?急に童話みてーな事語りだして」
「黙って聞け…………」
レンが圧かけてメイリンを黙らせて、黒猫に話を続けさせた。
「……伝説の古龍が存在する。その龍は龍を始め竜を統べる始祖の龍。だからかつての時代の龍は始まりを崇めたと云われている。まるでその時から宗教のような形式が存在していたんだ。まぁ驚いたよ。龍も信仰する時代があっただなんて」
「それがどうその血の悪魔ってのに関係するのよ……てかそもそも何よ血の悪魔って」
黒猫はポケットから煙草を取り出して一服するとミーナの質問に答えるように続けた。
「そんな信仰心の強い龍が溢れていた時代、異端の龍が産まれたんだ。ソイツは自らもの事を上位者だと名乗っては自分が信仰されようとし始めた。それは周りからはとても非難されたらしい。上手く言えばその龍は自らが邪教の神様になろうとしたんだ。けど信仰されていたのは始祖の龍であって異端の龍ではなかった」
「─────だから彼女は人の子を孕んだ。いや──人そっくりの化け物をね、産んで自らを信仰させたんだ。その化け物たちが今のロジエと同じ穢れ血の一族の正体、血の悪魔だよ」
「龍が人を孕むって……冗談じみてきたな。本当に童話みたいだ」
「結局信仰心が強いのはいつの時代でも人らしいね。なんせ群れるんだ、教会や大聖堂まで造って裏切りの異端、ナーバァの赤龍と仮名された古龍を崇めた一つの血の悪魔よって国が出来た」
────
「ミコト君は何で人が神様とかを崇めるか分かるかい?」
「………いえ」
大蟻塚の荒地の段々が酷く、川が通り日夜構わずモンスターが下で彷徨く崖の上、地図にさえ載っていないエリアにフユメ率いる特別隊と、ミコトは駐屯所を佇ませていた。
二人は緑色の生地を使った迷彩色のテントの中で話し合いをしていた。
「私はね、感謝してるんだと思う。あの頭を下げる行為や尽くす行為は全て祝福を下さった神様への感謝の表れなんだよ───だから」
フユメは冷徹な口調で続けた。
「人以外が信仰するべきじゃないんだよ。獣も、穢れ血も崇めて、触れていい文化でも行為でもないんだ。信仰とはどの時代でも人以外真似ていい行為ではないんだ。もっと神聖的で、輝かしいものではなくてはならないんだ。だから穢れた血で汚してはいけない」
「………はい」
フユメの首もとにちらりと車輪を形どった銀のネックレスが見えた。仄暗いこのテントの中でも薄く輝いて淡い光を放つ程磨かれて大切にされていた。
「けど見よう見真似で神聖を侵したなりぞこないだった訳だ。そもそも獣に信仰心なんて存在してなどおらず、人の形をした化け物は己が信仰されようと権力を強めて、いつかは五つの五大勢力を作り上げて内戦を起こした」
フユメは説いた。人のなり損ないごときが信仰心を持つことはそれ即ち侮辱であると。穢れ血を血で洗い、聖血を求め権力を作り、欲の槍に溺れた愚かな獣の突き刺すべきだと。かくゆう多くの学徒がこの考えを素晴らしいものだと考えていた。
某有名な学派の古く昔の学長はこう唱えた。
『信仰と知恵は我らにあり。獣とは宇宙を志す我らを拒む夜である』
その学派は首もとに車輪のネックレスをさげているという。それは永遠に廻る人の脳を暗示し、またこの車輪を蛇と言う者もいる。学派は、宇宙から降った隕石から神聖の神秘を見出だしたとされており、初代学長の偉大なるルーゲウス学長は宇宙を崇めた最初の学者として名を残されていた。
彼らは穢れ血を憎んだという。程度の低い信仰を学ばず繰り返し、さながらその姿は滑稽であまりの愚かさに彼らは自らの信仰心が酷く侮辱されていると考えた。多くの名のある学派出身の学者は当時の国王に関与する程の力を持って彼らを危険と唆し、また王もそれを元より危惧しており殲滅の作戦は順調に進んだという。
「昔起こった事が今こうしてまた再現されようとしている。ただ足りないのは穢れ血同士の討ち合い。それすら足りれば私達は確実な勝利が約束される。国王が望んだ完璧なる穢れの殲滅が遂行されるんだ」
「夢が叶うんだ。ねぇ素晴らしい事だと思わないか?」
ミコトは言葉を失った。まるで狂信的ではないか。神に心を奪われたのでは決してなく、魅せられているのだ。弱い所に噛みついて一時的な快楽と安心を与えて依存させる。まるで禁じられたご法度の薬品のように震えて差し伸べられる手を待っているのだ。
フユメの幾輪もの輪っかが掛かった瞳が真っ黒の中で揺れている。ああ、またこれか。黒い湖に滴を垂らして波紋をたてる。揺れているのだ、彼女は。
彼女は立ち上がり、テントを出て沈み掛けた夕陽を拝みながら両手を広げて告げた。
「さぁ大粛清の夜が来る」
さながらその構えは今から来る夜を迎え討とうとする狩人の姿であった。
アステラでは反感が翻っていた。狩人が狩りを行う事を禁じられ、狩猟地域への道を封鎖されていた。
ギルドが反感を受け入れはしたがそれへの対処をする事はなかった。彼らは高価なスーツに身につけてただアステラのハンターを管理して手出し出来ぬように監視していたのだ。
総指令も今の状況を把握出来ずにいるのだ。他の誰にこの事態が掴めたであろうか。今この災厄の中では正常な者こそ異端者であり、狂う人ほど人らしいのだ。
「じいちゃん!おかしいだろ!?何でギルドが狩りに出る事を全面的に禁じたんだ!?今からもう一度アイツらの所に!」
「やめんか……奴等に何を言っても今は意味がない…」
「それでも!」
後に退かない調査班リーダーは必死に何度も抗議したが総指令は彼の提案に頷くことはなかった。何も見えぬ中、国にも及ぶ程の連中に何を言っても聞く耳を持たないであろう。深淵とは隔離と未知によって完成する。深淵を歩ける者はまた、ある選ばれた戦士にのみ実感だけの床を歩かせるのだ。
告発すべき真実は全て深淵の底に隠されているのだ。秘密とはとても甘いものなのだ。
「今は休んでおけ……いつか来るその時までな」
「なんだよ、来る時って」
総指令は少し考えて答えた。
「いや……胸騒ぎだ。ずっと胸騒ぎがしているんだ…」
彼の胸騒ぎだけが荒事を予言した。否、それはもう既に実行されている最中という形で的中していた。きっと彼らに詳細な真実が伝わる事は決してないだろうが最悪は密かに実行されているのだ。
きっと彼らに伝わるのは深淵の神隠しにあった後の、嘘で成り立つ歴史だけであろう。
醜い戦争も、飢餓も疫病も自然災害もハッキリとした歴史は残らず、薄れて誰かの記憶で名前を持たずまま途方に暮れるのだ。改竄とその繰り返しとはそういう事なのだ。
「サシャも駆り出されてメイリンもフユメもいない。ミーナに限ってはあれ以来姿を見せていないし…ミコモ行方が分からない。きっとアイツらに巻き込まれたんだ」
彼の考察は見当違いの方向に外れていた。巻き込まれた等、フユメにとって都合のいい勘違いではないか。きっと彼女は彼を見るなり心の底で嘲笑いながら見下すのだ。フユメとはそういう女なのだ。
彼等はフユメの意図せず作った嘘に見事に騙されて無知以下の大馬鹿になってしまったのだ。
嘘は常に見抜けなければならない。
愚か者は此処で足をつまづいて地獄を拝むのだ。
「だいぶ疲れているように見れるが?休まないのか?」
「いや、もう休んださ」
日は落ちてすっかり辺りは常闇に包まれて森は夜に隠されていた。ぱちぱち音を響かせる焚き火は白煙を昇らせて今でも燃え続けている。メイリンと黒猫はそれを囲むように席を離して座っていた。
他の皆は寝静まって静寂が彼らを覆っていた。そんな中、黒猫は空気を濁すような発言に出た。
「お前、もういい歳だろ。ハンター稼業なんて辞めてもう女の子の一人、嫁に取って余生を謳歌したらどうだ?金なんてギルドから直接雇ってもらってるんだ。貯まってるだろ」
「急にどうしたんだ。……おい止めてくれ何だかこれ以上は危ない気がしてきたぜ……」
黒猫は静かにメイリンの顔を見つめていた。何だか、気まずい雰囲気になってしまったとひしひし感じていた彼はコップに入ったコーヒーを覗き込んだ。じんわりと彼の顔が浮かぶ。
「─────メイリン。彼女を誰かと被せるのは辞めろ」
「……………ああ、そう…だな。いや、あの子はただ似てるだけだ別に、被せてる訳じゃねぇんだがなぁ…」
痛いところを突かれた。別にそういう訳じゃないと弁解しようにも自分には彼女に未練が無いかと訊かれて無いとは言い切れないが気がしていた。
メイリンにとってミーナはただ守りたいだけの存在。いやそれが既に彼女と重なっているのかもしれない。過保護とはある種の束縛なのだろうか、彼女を一時的とはいえど縛る事が救いであるとするならば────メイリンは手段を選ばない。
「もう……寝る」
「そうかい。確かに寝ないと駄目だな、多分日が変わってる」
そう言って二人は同じテントに戻ると直ぐ様に横になって先に寝ていた彼女たちを見習って眠りについた。
ミーナだけが違う方向に寝返りをうってそっぽを向いていた。
読了ありがとうございました。
ちょっと重大な報告すると二週間投稿にしました。
これからは頻度が下がるかわりに文字数を増やす方向にしました。
ではまた。
導きの青い星が輝かんことを……
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