それはいきなりのことだった。大妖精たちの気づかいで家を貸してもらい、その中の小さな部屋で睡眠をとっていた立香。
何もなければそのまま体の疲れが取れるまで目を開けることはなかっただろう。そう、何もなければ。
「立香、起きなさい」
バン!と空気が震えるほど大きな音を立てて立香に割り当てられていた部屋の扉が大きく開かれた。
「うえっ!?」
突然のことに意識をいきなり覚醒させられた立香は体を勢いよく起き上がらせ、ぱちくりと目を見開かせる。そして音のした方へと目をやると、そこには開け放った扉の前に立つレミリアとルーミアがいた。
レミリアの引き締まった真剣な表情から、何か大事が起こっていると判断した立香は、まだ意識がはっきりしないながらもベッドから起き上がり、床に足を着けた。
「二人共、一体どうしたの?」
取り敢えず何が起こったのか把握しなければとレミリアとルーミアにそう問いかける立香。するとルーミアは近づいて立香の手を取り、彼を見上げてこう言った。
「マスター緊急事態!」
サーヴァント二人にせっつかれ、急いで外出の準備した立香は家を飛び出し、集落の中を走っていた。しかし集落自体は焦っている二人とは対照的に、穏やかで静かな様子。どのような緊急事態が起こっているのか立香は皆目検討がつかなかった。
「古城で何か不測の事態が起こっているの」
そんな立香の疑問に答えるよう、レミリアは口を開いた。
「古城で!?」
「ええ。パチュリーが古城に設置していたトラップが作動したみたい。今分かっているのはこれだけ。でも異常が発生しているのは確かだわ」
それは確かに不安が募る。古城には村人たちを置いてきた。もし魔物が古城を襲えば──
そこまで考えて立香はふと思い出した。パチュリーは何も自分の本拠地をがら空きにするほど馬鹿ではない。トラップを設置していたこともあるが、それ以外に拠点を防衛する手段は残していた。
「向こうにいる魔女たちに連絡は?」
そう魔女たち。ほとんど何もしゃべらず、無表情を貫く不気味な彼女たちであるが、味方なのは間違いないのだ。パチュリーはその魔女たちを束ねる立ち位置にいる。言わば彼女たちはパチュリーの部下だった。古城に何かあれば魔女たちが魔術なりなんなりを使ってパチュリーに連絡するはずだ。
しかしそんな立香の考えをレミリアは首を振って否定する。
「取れないみたい。いえ、本来なら取れるはずなのだけれど、何かがそれを妨害しているようね」
なるほど、だから緊急事態なのか、と立香は納得し、足に込める力をより一層強めた。
集落内を走りながら思うのは自分たちが古城へと残していった村人たち。立香がこの世界に来て初めて出会った人間だ。ここは聖杯の造り出した世界であるから、その村人たちは所詮紛い物──幻想に近い者なのかもしれない。しかし立香はそう考える事ができなかった。
大変な状況の中、自分たちを信じてくれた村長。村人思いで、それでいてどこか暖かみのあるバルド。そして無邪気に自分たちになついてくれた子供たち。他にも立香はあの村人から多くの安らぎをもらった。紛い物とは思えないあの村人たちに立香はしっかりと人の心を感じていた。だから心配する。どうか無事であってくれと。どうか生きていてくれと。
運動によって早まる心臓の鼓動と重なるよう、焦りが立香の頭へと流れ込んでくる。段々と表情が険しくなり、立香は両の手をぎゅっと握りしめた。
「……大丈夫?マスター、怖い顔してるよ」
そんな様子に気がついたのか、走る立香を見上げ、ルーミアはそう言う。そこで立香はハッとする。そうだ、ここで焦っても仕方がないと。焦っていては何かあった時、冷静に頭を回すことができないと。
「うん、ごめんルーミア。少し焦っちゃって」
立香は柔らかな笑みをルーミアに向ける。それにルーミアは安心したのか、立香と同じような笑顔を彼に返した。しかしそれは次の瞬間、中断されることとなる。
「あいたっ!?」
立香の額に素早いデコピンが突き刺さる。それは他の誰でもない、レミリアだった。彼女の目は細く伸ばされており、その顔はむすっと軽く膨らんでいた。
「言ったそばからね、色男さん。もしかして私よりも更に小さい娘が好きなのかしら?それはもうロリコンでなくてペドフィリアよ」
「ええっ!?誤解だよ!」
立香は声を大にして否定する。確かに自分のサーヴァント二人は一般的に幼く見える容姿をしているが、それは意図して自分がそうしたわけではない。だから違うと。
どうにかレミリアの言葉を否定しようと言葉を探していると、ふふっと艶のある笑みがレミリアから発せられた。そこで立香は気がつく。また自分はからかわれたのだと。
「もう、冗談よ。何も私はそんな器量の狭い女ではないわ。それよりもどうかしら?少しは肩の力が抜けたかしら?」
そこで立香はレミリアに気を使われたのだと気がつく。
「うん、ありがとう二人共。もう大丈夫だから」
レミリアはその言葉にこくりと頷く。そうだ。焦っても仕方がない。感情ばかり先立っても仕方がない。今は自分のできることをしよう。
立香は前を向く。そして駆ける。一秒でも早く、村人たちの元へ戻るために。
そうした決意を固めていると、ふと目の前に見覚えのある紫色の服を着た女性が立っているのが見えた。パチュリーだ。そしてその側には大妖精とチルノが並んで立っていた。
「いきなり呼び出して悪かったわね」
三人の目の前で足を止め、息を切らせる立香にパチュリーはそう切り出す。
「大丈夫。それよりも早く古城に行こう。一刻を争うかもしれないんでしょ?」
「状況の理解はしているようね。なら話は早いわ。私たちは今から古城へ戻る。目的はそこで何が起こっているかの把握。もし向こうで何か不測の事態があればそれの解決よ。一番考えられる可能性があるのは何者かの襲撃だけれど……」
「もしその予想が当たっていれば?」
理解は息を整えながら尋ねる。その場合、自分たちのするべき行動を。
「古城にいる者たちを全員こちらに避難させること。今後、必要になるであろう資材や道具の回収。そして古城の消滅ね」
立香はそれを聞き、驚きの表情を見せる。前の二つは理解できる。しかしまさか拠点そのものを消滅させるとは立香も思っていなかった。
「古城を残していると私たち魔女の手の内が読まれる可能性がある。だから消滅させる必要があるのよ。安心しなさい。もしものことを考えてその準備は古城に住み着いた時から終わらせてあるから」
その疑問を解消するようにパチュリーその理由を答えた。つまりは相手に情報を渡さないように、古城ごと全てを消し去る必要があるのだ。しかしもう既に準備ができていると言うことは、最後に関しては何も考える必要はないと言うこと。実質立香たちがすることは人員の避難と物資の回収だけである。
「では話を次へ進めるわ。もし敵襲を受けていたら私たちがどう動くかの説明しましょう。まずは敵の迎撃。それはレミィとルーミア、それと──」
パチュリーは言いかけてチラリと横に目線を移す。
「チルノ、貴方に任せていいかしら?」
唐突に名前を呼ばれたチルノは一瞬呆気に取られたようだったが、次の瞬間には大きく胸を張ってニヒルな笑みを顔に作り出す。
「ふっ、任せなさい!あたいは最強だからどんなヤツが来ようとも楽勝ね!」
心強いようなそうでもないような返事に立香は苦笑する。
「パチュリーは?」
「私は大妖精を連れて資材や道具の回収を行うわ。もし敵襲を確認したら集落の人間にも手伝ってもらうつもりよ。だからその時間を稼いでもらう必要があるの。それも含めた敵の迎撃よ」
つまりは古城の人間を全て避難させたとしても物資の回収ができていなかった場合、まだ敵と戦い続ければならないと言うことだ。
最悪、物資を全て回収することを諦めたとしても、そうすれば今後が苦しくなる。それを考えるとどのみちギリギリまで戦う必要が出てくる。
立香は思わず顔が険しくなるのを自覚する。
「これはあくまでも敵襲にあっていると言う最悪のケースの場合よ。何もなければそれが一番なんだけれど」
パチュリーはそう言うが、状況的にそれはほとんど望み薄なのは間違いない。ともかく何が起こっても対応できる心構えでいようと立香はきゅっと己の身を引き締めた。
そんな時、今まで話を黙って聞いていた大妖精がパチュリーへと声をかける。
「あの、パチュリーさん。その古城へはどう行くんですか?」
そう言えばそうだと立香も大妖精と同じ疑問を浮かべる。パチュリーは一瞬で戻れると言うから何かしら魔法を使うのだろうが、結局どうやって古城へと戻るのかは全く聞かされていなかった。
パチュリーはそれを聞くと、大妖精の疑問には答えないで、何やらホソボソと小声で言葉を呟きだした。それから数秒後、パチュリーの目の前に紫色に光る魔方陣が地面へと浮かび上がった。直径十メートル程の大きな魔方陣は、周囲の暗闇を怪しく照らし、吹く風に揺らめくことなくただしっかりと地面に張り付いていた。
「この魔方陣を使って飛ぶわ。場所は私とレミィが戦っていた地下工房。戻る時もそこからしか戻れないから注意してちょうだい」
どうやらこの魔方陣で飛ぶのだと理解した立香は納得したように小さく唸る。
「準備はできてるかしら?ならこの魔方陣の上に乗ってちょうだい」
元々準備をしてから部屋を出ていた立香は頷いて紫色にに光る魔方陣の上へと足を乗せる。それに続いてレミリア、ルーミア、チルノに大妖精と続く。全員が魔方陣の上へと乗ったことを確認したパチュリーは最後に自分もそうして目を瞑った。
「じゃあいくわ」
パチュリーが呪文を紡ぐ。長いようにも短いようにも取れる言葉の羅列が音として周囲に流れ、その時間に応じて魔方陣の光がより一層に輝きを増す。
そして最後には目の前を埋め尽くす閃光の白が立香たちの視界を包み込んだ。
白い光に思わず目をつむり、そこから再び目を開けるとそこは見覚えのある暗い室内があった。以前、立香がパチュリーから魔術を教わった場所であり、戦闘訓練を行ったら広い地下室。蝋燭と怪しく光るランプが不気味にその部屋を演出していた。立香の頭の中にある光景とそれは完全に一致していた。
そう、それは前回ここに来た時とまるっきり風景が変わっていないことを意味している。
「変わった様子はなさそうだけど……」
しばらく周囲を見渡して立香はそう結論付けた。だがそれに対しレミリアとパチュリーは表情を引き締め上を見上げていた。一体どうしたのだろうか?と立香が疑問を持った瞬間──。
「っ!?」
「揺れ!?」
まるで地震が起きたかのように部屋全体が揺れる。机の上にあった魔道具や本がそれと同調するように振動する。
それはまるで地面が恐怖を覚え、自身の体を震わせているようだった。
これでもう間違いない。この上で
「上に行くわよ」
レミリアの呼び掛けに続くよう全員部屋を飛び出し、地上へと繋がる螺旋階段を駆け上がる。六人分のけたたましい足音が、回りながら上と下の両方に反響する。
時間をかけ、異様に長い階段を上切り、地上へと到達する。そして古城一階から小さな城門を見ることのできる窓に手をかけ、外を見た。
「魔物が!?」
立香が外を見てまず目にしたのは城壁内にある庭で魔女たちとスケルトン、ゾンビたちが戦闘を繰り広げている様子だった。更にそこから上へと目線を上げれば、同じように魔女とワイバーンの空中戦が見える。そう、ここは既に戦場だった。
恐らく城門を無理やりこじ開けたのだろう。古城唯一の出入り口は最早巨大な木片となっており、村人たちが臨時の住居として城の庭に立てていた天幕は踏み潰され、ぺしゃんことなっていた。
「……スケルトンにゾンビにワイバーン。その他、多種に渡る魔物たちがこんな統一性のある動きをできるわけがない。普通はね」
普通は──そう、確かにスケルトンやゾンビは決して知能指数の高い魔物ではない。人間で言えば赤子程度の賢さしか持ち合わせていないのは確かだ。だからスケルトンたちが陣形を保って戦闘を行っている目の前の光景は異様とそう表現するしかなかった。
しかし立香は──立香たちは知っている。それを可能にする力を、組織を実際に見てきたのだから。
「……紅魔館」
「ええ、そのようね」
ポツリとパチュリーは呟き、レミリアがそれに同意する。
そう、こんな多種多様の魔物たちをまるで軍隊のように扱う力。それを紅魔館は持っている。故にこの敵襲は紅魔館からのもの。そうなればこれは予想していた中でも最悪の状況と言えた。
最早、一刻の猶予も許されない。そう判断したのか、レミリアは手に真紅の槍を出現させてパチュリーへ目線を向ける。
「話していた通り、私たちは人員と物資の回収をする為の時間稼ぎをするわ。パチュリーそちらは頼んだわよ」
パチュリーはレミリアの言葉にこくりと頷くが地下室に戻る気配を見せず、自分の持つ垂れ目を鈍く輝かせた。
「その前に一つ、言っておかなくてはならないことがあるの」
そう言って彼女は人差し指と中指の二本の指を立て、自分の顔の前へと持ってきた。
「私がここに来ていること、それと私が貴方たちと協力関係にあることは紅魔館に漏れてはならない。これを念頭に置いた言動をしなさい」
なぜそんな事が必要なのかと一瞬疑問に思うが、その答えを考える暇もなくパチュリーは答えを口にした。
「手の内がさらされるのを防ぐ為よ」
つまりはパチュリーがレミリアたちと協力関係にあるとが相手にばれれば、それを知った上での立ち回りをされることになる。それを防ぐ為になるべく自分の情報は黙秘したい。
パチュリーはそう言っているのだ。立香はパチュリーの考えを理解し、承認の頷きをする。それに満足したのか、パチュリーは階段の方へと体を切り替える。
「行くわよ、大妖精」
「は、はい!」
その言葉を置いて、カツカツと階段を降りる音が断続的に聞こえ、最後には戦場の音に書き消され消えていった。パチュリーたちはするべきことをしに、地下へと戻っていった。ならば立香たちがすることも一つだった。
「こっちも行こう。レミリア、ルーミア、チルノ!」
「ええ」
「うん!」
「任っかせなさい!」
四人による戦闘を開始する合図。それが今、激化する戦火の中で木霊した。
二階から下へと降り、戦場へと赴いた立香は思わず足をすくませた。
辺りを見渡せば爆炎や雷が地面を焦がし、上を見上げれば怪物と人外のデッドヒート。城の庭で行われるにはあまりにも大きな殺意の応酬。今まで経験してきた戦場とはレベルの違う死の近さに、立香の足が止まるのは仕方がないことだった。
しかし立香がそうしていたのは僅か数秒。次の瞬間には前を向き、しっかりとした足取りで地面を掴んでいた。何が立香をそこまで奮い立たせているのか。その大きな理由の一つは“懸念”と言う感情だった。
「まずはここにいた村人たちがどこにいるのかを把握する! だから始めは近くの魔女たちの元へ向かって話を聞こう」
そう、立香は心配しているのだ。今、戦場と化しているこの庭は元々村人たちが自分たちの住居として使っていた場所。しかし辺りを見渡してみても村人たちの気配は全く感じられず、見えるのも村人が臨時の住居として建てていた天幕だけ。しかもそれは踏み潰されているかのように地面へと倒れていた。
──村人たちは無事なのか?
立香はそれを一刻も確認したかった。だから止まっている暇はない。この焦りにも似た不安感。それを払拭するには村人たちの安否を把握する必要があった。
立香は周囲を見渡し、自分たちから一番近い魔女たちを確認すると、その方向へ指を自分の指した。
「今からあそこへ向かう。レミリアは先頭に立って進路の確保を。ルーミアとチルノは敵か近づいていたら迎撃をお願い」
それを聞いた三人は立香の指示通りに動く。チルノがちゃんと自分の言葉を把握できているのか立香は心配だったが、見たところ一応は指示通りの動きをしているので立香は安心の息を漏らす。
ゾンビたちはゆっくりながらも確実に立香たちに迫り、スケルトンもまた武器を使い四人に襲いかかる。それをレミリアは真紅の槍で一閃し、ルーミアとチルノは弾幕でそれぞれ近づく敵を打ち倒していく。
しかしその中で、迫り来る化け物を倒していくうちに立香は気がつく。
「こいつら、今まで戦ってきた奴らより……強い!」
そう。今まで戦ってきたゾンビやスケルトンは何も考えず近づいてきた者をとりあえず攻撃する単調な動きしかしてこなかった。しかし今戦っている魔物たちは違った。相手の攻撃を見て、それを対処する技能。更には耐久面、攻撃面と言う単純なステータスも強化されていた。
その証拠に、レミリアの攻撃を受け止めるスケルトンや、ルーミアの弾幕を相当数、受けたのにも関わらず倒れないゾンビを立香は何度も目撃していた。
「うがぁー。コイツら鬱陶しいわね!」
チルノは中々数を減らせない魔物に苛立ちの声を上げる。立香もそれには同意する。思っていたよりも進むペースが遅い。気持ちが急いているのもあり、小さな苛立ちが立香の胸をざわつかせる。
「恐らく何かしらの力で強化させてるんでしょう。今はまだいいけど、囲まれると厄介ね」
レミリアは言いながら、それでも吸血鬼と言う種族のアドバンテージを生かし、どんどんと魔物を殲滅していく。
「マスター、急いだら駄目。体は急いでも、気持ちは冷静に」
段々と厳しい表情になっていた立香を見てルーミアはそう言う。
「……うん、そうだね。その通りだ。ありがとう、ルーミア」
ルーミアに言われ、立香は呼吸を整え、周囲を見渡し、頭を冴え渡らせる。今一度、この状態を確認し、最善の行動を導き出す。今、自分が何をすべきなのか? それを客観的に見て、その情報を元に答えを構築していく。そしてそこで一つの結論を出した。
「魔女たちの元へ向かうのは中断しよう」
「へっ?」
立香の言葉に、すっとんきょうな声を出したのはチルノだった。
「何言ってるのよ?あんた馬鹿?それじゃあ村人たちがどうなったか分からないじゃない」
チルノの言葉にルーミアはキッと彼女を睨み付ける。自分のマスターを馬鹿にしたことが気に触ったようだった。
「ごめん、言葉が足りなかったね。向かいはするんだ。けど、皆で固まって動くのは止めよう。それじゃあ時間が掛かりすぎる」
立香は言葉を切り、ルーミアとチルノを交互に見る。そして自分の考えを話し始めた。
「ルーミア、チルノ。二人は固まってお互いに援護しつつ、魔女たちにパチュリーが来ていること。そして人員と物資の回収の為の時間を稼いで欲しいこと。最後にそれが完了したら地下の工房から逃げることを伝えて欲しい。それがある程度済んだら、またこちらに戻って欲しいんだ」
立香の指示を聞き、レミリアは彼がどんな結論を出したのかを察した。立香は目的を一つずつ達成するのではなく、全体の目標を同時進行で進めることにしたのだ。
今、自分たちがすべきことは魔女たちにこちらが立てた作戦を伝え、実行することと。そして村人たちの安否の確認及び保護だ。
だから立香は飛ぶことのできない自分からルーミアとチルノを分離させ、本来の機動力を取り戻した二人に情報伝達させることにしたのだ。そして自分たちは近場の魔女たちから村人たちの安否を聞く。危険性は増すが、それならば立香たちの役目を迅速に果たすことができる。
「敵を倒すのは後回しでいい。なるべく早く、魔女たちに作戦を伝えたいんだ。できる?」
立香の指示を聞き、ルーミアは小さく頷く。
「分かったのだー。でもマスターたちは?」
「俺とレミリアも同じようにする。二人は空にいる魔女たちを優先して欲しい」
ルーミアは微笑んでそれから上空へと飛び立っていく。
「あっ、ちょっと待ちなさいよ!」
チルノもそれに続くよう空へと昇る。それをしばらく眺めた立香はレミリアへと視線を落とす。彼女は満足そうな顔で立香を見上げていた。
「よし、俺たちも行こう」
「ええ、賢明な判断ね。見直したわ」
そのやり取りを合図に二人は走る。レミリアが近く敵を屠り、立香は空いた道を進んで、近くの魔女たちとの距離を縮める。
時間にして数分戦った後、唐突にレミリアは立香の体を掴んだ。
「レミリア!?」
「この距離ならいけるわ」
「それはどう言う──」
立香がレミリアの真意をしたところで彼の視界がぶれた。そしてかすれる視界と共に飛来するのは全身を包む風の感覚。凄まじい暴風が立香を襲った。
しかしこの感覚には見覚えがあった。それは立香がレミリアと共に紅魔館へ向かう際にワイバーンと空中戦を繰り広げたあの感覚。
そう、立香はレミリアに片腕で抱えられて空を飛んでいた。いや、正確には空とは言えないかもしれない。なぜならレミリアは地面すれすれを飛びながら槍で目の前の魔物をたちを弾き飛ばしながら進んでいたからだ。
それはレミリアが空を飛ぶワイバーンに目をつけられないように考えた故の行動だった。
「ぐえっ!」
先程まで凄まじい速度で飛んでいたレミリアが急停止したことにより、立香は腹に多大な衝撃を受けた。
「大丈夫かしら?」
立香を地面へと下ろしたレミリアは地面に両手両膝をつく立香へそう尋ねた。
「ま、まぁなんとか」
立香はそれに片腕を上げる形で返事をする。
「少々無理はしたけど、お陰で着いたわよ。邪魔物は排除しておくから、ゆっくりとお話しなさい」
未だに苦しそうにしていた立香だが、その言葉ではっと顔を上げる。そこには無表情でこちらを見る少女の姿があった。紫色のローブを来て、頭にはくたびれた三角帽子を被る姿。それは立香たちが目指していた魔女の姿だった。その魔女は突然現れた立香たちに驚いた様子も見せないで、ただ無表情に彼を見ていた。長く黒い前髪から覗かせるその目は、まるでガラス玉のように綺麗で無表情だった。
立香は先程まで苦しんでいたのも忘れたように、表情を引き締めゆっくりと立ち上がる。それからその魔女の正面に立ち、口を開いた。
「えっと……実は作戦を伝えたくて。まあ、パチュリーからの伝言だと思って貰えれば」
「……はい、分かりました」
目の前の魔女のあまりにも希薄な人間性に立香は思わずたじろぐが、彼は続けて説明をする。
「今、パチュリーが古城内にある必要な物資を回収しているんだ。あの地下の工房にある……」
「……ワープホールですか?」
「そうそれ!ワープホールを使って。それで自分たちは今からその為の時間を稼ぐことになっている。そしてパチュリーが物資の回収を終えたら全員ワープホールから逃げる。逃げるタイミングは何かしらパチュリーが教えてくれると思う。これが作戦なんだけど……」
「……理解しました」
説明を終えた立香は目の前の少女の顔色を伺う。唐突に伝えられた大きな作戦に対して何かしらの反応があるのではないかと思ったが、魔女はコンクリートで顔を固めたように表情を崩すことはなかった。その様子は生気を感じとれず、立香は自分が先程まで話していた彼女が本当に生き物であるのか一瞬、疑問を持ってしまう。
その間、立香が何も話さないので説明が終ったと判断したのか、魔女は戦闘に戻ろうと立香に背を向ける。そこで立香は慌てて彼女を呼び止める。
「少し待って、実は一つ聞きたいことがあって」
そう、もう一つの目的。半分はそれを聞くために彼女へ接触したのだ。今は見る影もない、彼らの居場所を聞くために。
「ここの中庭にいた村人たちはどこに行ったのか分かる?ここにはいないようだけど……」
魔女は止めた足を百八十度回転させ、再び立香に向き直る。そうして彼女は告げた。何てことのないように、まるで明日の天気を告げるように彼女は告げた。
「……全員亡くなりました」
「…………えっ?」
「……魔物が攻めてすぐ、全員亡くなりました」
レミリアが立香の異変を察知したのは、彼が魔女と話してしばらくだった時だった。まるで思考が停止したかのように、ここが戦場だと言うことを忘れてしまったかのように、立香は呆然とその場に立ち尽くしていた。戦闘による轟音とは無縁の場所に独り彼はいた。
それは立香と話していていた魔女が彼から離れても終わる様子はなかった。
「……立香」
レミリアはそう呟き、切りかかってきたスケルトンを吹き飛ばしつつ、急いで立香の元へ急行した。
先程去っていった魔女と入れ替わるように、未だに立ち尽くす立香の正面に立った。そこでレミリアは始めて立香の顔を見た。立香は口許を震わせ、瞳も動揺しているせいか揺れ動いていた。
恐らく悲しんでいるのだろう。恐らく憂いているのだろう。でもそれ以上に放心と言う言葉が似合う様子だった。
「立香」
レミリアは再び彼の名を呼ぶ。今度ははっきりと、どこかにさ迷わせた思考を取り戻させるように、優しいような、それでいてどこか
しかしそれに対する反応は希薄なものだった。
「……死んじゃったみたい」
立香は脆弱に唇を動かした。
「殺されて、それでそのまま魔物になったんだって」
立香から語られた村人たちの結末。それはこの世界ならばどこにでも転がっているような呆気ない結末だった。
これまで何度も行われてきた人間の死。しかし立香はまだ二十年近くしか生きていない。だからつい最近まで言葉を交わしていた人物が死んでしまう、そう言った出来事を立香は一度も経験したことがなかった。
「分かってるよ。ここにいる人たちは聖杯が作り出した
立香は口を止めた。きっと、言いたいことがもっとあったはず。きっと、胸には多くの感情が渦巻いているはず。しかし立香はその先を口にしなかった。いや、もしかするとできなかったのかもしれない。未だに現実味のない事実が邪魔をして、立香の感情が外に漏れだすのを塞き止めているようだった。
「ええ、それでいいのよ人間」
そんな立香にかけられたのは、まるで不特定多数に向けられるような言葉だった。
「貴方たちはそう言う生き物だから」
しかし、そのベクトルは確かに一個人へと向けられていた。
「怪異よりも心の機微に鋭い。合理性より感情に左右されやすい。それが貴方たち人間よ」
誰でもない一人の人間──“藤丸立香”。レミリアは怪異として人間へ、年長者として年下へ、そしてサーヴァントとして自分のマスターへそんな言葉を彼へと送る。
「例え
ぶれていた立香の視界が定まる。放棄しかけていた思考が軸を帯びて明確となる。先程まで動かぬ人形だった立香がそっと顔を上げる。そしてその目にレミリアを捉えた。
「……ごめん、レミリア。うじうじして」
先程まで力の抜けていた立香の顔に、今はハッキリとした力強さが見えた。彼らしい前向きさ、それを確認できたレミリアは、からかうように口を曲げ、立香を見やる。
「思っていたよりも立ち直りが早いわね。あと数日はこうしているのかと思ったわ」
「うん、そうだったかも。でも、失ったものに引きずられて、今をなくすことはしたくないから。だから悲しむのは帰ってからにするよ」
レミリアは思わず微笑む。そうだ、だからこそ私は貴方を認めたのだと。
決して何か突出した才能があるわけではない。頭脳も、体力も、魔力も、あらゆる能力が平凡なただの人間。そんな自分が彼をマスターとして認めた要因の一つは、その前向きさだ。くじけることなく先へ進む者であるからこそ、自分は藤丸立香の
「なら行きましょうマスター、今を──未来を守るために」
立香にも負けない前向きなレミリアの言葉。それに答えるよう、立香はニッとはにかむ。そうして再び二人は混濁する戦場へ赴く──
──はずだった。
「えっ?」
何の前触れもなく、切っ掛けもなく、突如として二人は銀に輝くナイフに囲まれていた。人が通れるような隙間もなく、その数十にものぼるナイフの切っ先は、立香とレミリアを中心に向けられていた。そしてそれら全てが勢い良く二人に襲いかかる。
「ッ!」
奇襲にしては濃すぎる密度の攻撃。しかしレミリアはそれに気がつくと一瞬で立香の足をすくってこけさせ、手に持った槍で幾つかのナイフを弾きながら立香に覆い被さった。
一瞬のことで何が起こったか分からずに、立香は呆気に取られる。しかし自分の頬にポタリと生暖かい雫が垂れることでハッと思考を浮上させる。
「レミリア!」
立香は叫ぶ。レミリアが自分を庇って負傷した。彼女の腕や背に刺さっているナイフがそれを証明していた。
「……大丈夫よ」
レミリアはそう言い、立香に覆い被さっていた体制から立ち上がる。それから忌々し気に体に刺さっているナイフを抜いて、地面へと放り投げる。
不思議なことに、レミリアから離れたナイフは地面へと落下すると、白い光の粒子となって消えていった。それはまるで、ナイフが空気に溶けるようだった。
「お変わりになりましたね、レミリアお嬢様」
レミリアが全てのナイフを抜き終えたその時、声が聞こえてきた。
凛とした、まるで雪解け水を思わせるような美しく透明な声だったからかもしれない。戦闘による轟音や、ワイバーンの咆哮が轟く中だと言うのに、その声は妙にハッキリと立香の耳へと潜り込んできた。
その声の持ち主はゆっくりと、それでいて優雅にこちらへと近づいてくる。
女性だった。月を反射する艶やかな銀髪のショートカットと、ミニスカートのメイド服姿が印象的な女性。顔はまるで超一流の芸術家が造り上げたかのように整っており、こちらを射抜く視線の元にある二つの瞳は、真冬のような冷たさを感じさせる青色だった。
「……貴方程じゃないわ。主人に刃を向けるなんて、随分な狂犬になったじゃない」
──ねぇ咲夜。
レミリアはそんなメイドの女性を正面から見据え、そう言い放った。
・以下小ネタ
立香「……レミリア!」
レミリア(痛くて泣きそうだけど、マスターの前でカッコ悪いところ見せたくない……)