レミリアとのティータイムを過ごした後、立香は眠りについた。怒濤の日々の中で、まともに寝床と呼べる場所で睡眠を取れたのは今回が初めてであり、そのせいか、立香は死ぬように意識を深く沈めた。放っておけばいつまでも寝ていたであろう立香を眠りから現実に戻したのは痛みだった。
「ッ……ん?」
顔に感じる違和感により瞼を押し上げる。そして何かの気配を感じ、その方向へと視線を向けると、そこには小さな
「うわっ!?」
立香は反射的に体を起こし、驚きの声を露にする。蝙蝠は立香が起き上がるのを確認し、飛んで部屋の天井に吊り下がった。何が何だか分からない立香はしばらく呆然とその蝙蝠を眺めていたが、やがて一つの結論を導き出した。
「……もしかしてレミリアの?」
今、このタイミングで蝙蝠がここにやって来たと言うことは、吸血鬼であるレミリアの使いではないか? そんな確信に近い予測を頭に浮かべた立香は、ベッドから出て立ち上がり、部屋の外へと通じる扉を開けた。するとそれを待っていたかのように、天井に張り付いていた蝙蝠は外へと飛び出た。立香もそれに続くように扉を大きく開き、室外へと一歩、進み出る。
あの蝙蝠はどこへ行ったのか?
部屋を出ですぐに浮かんだ疑問を解消するべく、立香は辺りを見渡す。石造りの長い廊下、その側面に一定の感覚で貼り付けられている四角い窓たちが一斉に自分へと視線を送っているような気がして、彼は目を背けた。するとその先に、立香の探していたものがいた。あの蝙蝠だ。蝙蝠はまたもや天井にぶら下がりながらも、立香をじっと見つめているような気がした。
「ついて来いってこと?」
立香は恐る恐る蝙蝠へと近づく。するとまたもや蝙蝠は天井から離れ、そして立香から逃げるようにもう少し先の天井へとぶら下がる。
やはりこれはついて来いと言うことなのだろう。そう解釈した立香は再び蝙蝠へと近づく、そして案の定、蝙蝠は立香から距離を取る。そんな追いかけっこを繰り返し、城内を進んでいく。するとやがて一つの扉の前へと行き着いた。その扉に立香は見覚えがあった。そう、パチュリーの自室だ。
立香は扉のノブへと手をかけ、そっと押し開いた。するとそこには本にまみれた部屋の中で、机を挟み、紅茶を口にするレミリアとパチュリーが目に入った。
「おはよう立香。どうだったかしら?
レミリアは何の悪びれもなく、澄まし顔でティーカップを口元へ運ぶ。そんなレミリアの頭上にはいつの間にかあの蝙蝠がぶら下がっていた。
「……おはようレミリア。愛しのモーニングコールならもう少し優しく起こして欲しかったかな」
立香はそう言いながら、レミリアから少し離れた場所にある椅子へと腰掛ける。すると丁度、立香の斜め前に座っていたパチュリーから声がかかった。
「おはよう。よく眠れたかしら?」
「うん。お陰様で調子がいいよ」
立香の返事にうっすらと微笑んだパチュリーは、椅子から立ち上がり、机の側にある台車の上からパンと器に入った白いクリームスープを手に持つ。そしてそれらを立香の前へと置いた。
「軽く朝食を用意したから、食べながら話を聞きなさい。これから私たちがどうするかを話しましょう」
立香は「ありがとう」と一つ礼を言って頷く。彼の視界にはスープの湯気がゆらゆらと揺れながら上へと昇っていくのが見えた。穏やかに上昇し、そして空気に溶けるよう消えていく湯気の様子に立香は束の間の安息を覚える。
「聖杯を取り戻す。私たちと貴方たちの目的は一緒なわけだけれど、ここでわざわざ別れて行動する必要はないと思うの。貴方たちもこれからどうすればいいのか行き詰まっていたと思うし、それならどうかしら?ここで手を組むと言うのは」
立香が話を聞ける状態になったことを横目で確認したパチュリーは前置きなど不要とばかりに本題へと直接入った。
その内容は協力の申し出。これから聖杯を回収するまで、協力しようと言う話だった。立香としてはその申し出を断る要素は無い。むしろこちらからお願いしたいくらいだった。しかしそれは個人の意見。これを自分の一存で決めるわけにはいかなかった。
立香はレミリアの方へちらりと視線を向ける。
レミリアはそれに対し、何も言わずこくりと頷くだけ。それは紛れもない同意の返事だった。
「うん、協力しよう。よろしくパチュリー」
立香はテーブルから体を乗り出してパチュリーへと手を差し出す。パチュリーも何をすればよいのか察し、立香の手を自分の手に重ね握り返した。
「では話を進めましょうか」
パチュリーは立香との握手を終えると、再び座り直し、そう切り出した。
「これから聖杯を取り戻す為に行動を開始するわけだけれど、そこで必ず必要なものが出てくる。それは戦力よ」
戦いにおいて必ず付いて回り、そして最も基本的な部分である戦力。基本的なことだからこそ一番大事な部分ではあるが、立香たちと紅魔館とではその差に大きな開きがあった。こちらには未だに万全とは言い難い吸血鬼にへっぽこマスター。そして新たにくわわたパチュリーと二十人程の魔女。残るは小さな村の住人たちだけ。
魔族やワイバーンを多数従えている紅魔館にはどう戦っても踏み潰されるのが目に見えていた。
「貴方たちも一度、あそこに行ったのなら分かるでしょうけど、ただたどり着くだけでも至難の技なのに、妹様たちと正面から戦うとなると先ず勝てない。そこで私はこれからレジスタンスに協力を扇ごうと思うの」
「レジスタンス?」
立香は新たに出てきた予想外の言葉に疑問を浮かべる。
「ほら、村長が言っていたでしょう? 行き場所のない人間たちを集めて魔族たちに抵抗しておる集団があるって。元々、私たちが目的地としていた場所よ」
レミリアの言葉で、立香は村を出発する前に村長と交わした会話について思い出した。パチュリーは村長の言っていた集団をレジスタンスと呼んでいるのだと理解して、納得の首肯をする。
「レジスタンスと協力して準備が整った段階で紅魔館へと攻め入る。まだ向こうの戦力を把握していないし、具体的な作戦も練れない状態だけれど、仲間を増やしておいて悪いことはないわ。今まで噂には聞いていて、接触を図る為に私たちも何度か捜索してきたんだけど、結局彼らの居場所は分からなかった。どう言う方法を取っているのかは知らないけれど、何かしら隠蔽に特化した能力か道具を持っていると見るべきね」
確かにと立香は頷く。今までレジスタンスが紅魔館に見つかっていないことがその証明だった。
「でも幸運だったのは貴方たちがレジスタンスの拠点の場所を知っていたこと。これでやっと前へと動けるわ」
「それじゃあ、これからの第一目標はレジスタンスとの接触ってこと?」
「いえ、その前にやっておきたいことがあるの。それは立香、貴方の強化よ」
「俺の……強化?」
パチュリーの言う自分の強化。なぜそんなことをする必要があるのか──正確にはレジスタンスへの接触を後回しにしてまでしなければいけないことなのか疑問に思い立香は疑問の声を漏らす。
「ええ、力が落ちているとは言え、レミィはこちらの最大戦力の一つ。ならそのマスターである貴方がただ指示を出すだけの人間では困るのよ」
「でも、俺はそんな戦えるような力なんてないし……」
「別に直接戦えと言っているわけではないわ」
ならどうするのだろうか? と立香は軽く困惑するが、パチュリーはその答えを口にすることなく、勿体ぶるように立香の目の前にあるパンと食器を指差した。
「取り敢えず朝食を食べてしまいなさい。紅茶が冷めてしまうわ」
立香としては自分に大きく関わることなので、そんなことより早くパチュリーの考えを知りたかったのだが、折角用意してもらった料理や紅茶が冷めてしまうのは確かに良くないなと思い、彼は素直にパチュリーの言葉に従うことにした。
立香たちは城の地下に繋がる長い螺旋階段を下っていた。立香の朝食が終わった段階で、パチュリーについて来てと言われ、素直に立香たちが従った結果こうなっていた。人がギリギリ二人並んで通れるような狭い通路の両端に、頼り無い火が点いた蝋燭が規則正しく、一定の距離を保って立ち並んでいた。
そんな不気味溢れる階段を下り続けて五分程。立香たちは広大な地下室にたどり着いた。縦、横、高さ共に数十メートルはあろうスペースがあり、地下にこれだけ大きな場所があったのかと立香は思わず周囲を見渡す。
部屋の地面には、何に使うのか分からない鉱石や、紫色の液体が入った瓶等、この部屋の暗さに似合った不気味な物が数多く散らばっていた。
壁にはパチュリーの部屋で見たように、幾つか本棚が貼り付けられており、その近くにテーブルもあったが、そこまで数は多くないようだった。
「ここは工房。私たち魔女や魔術師なんかが魔法を扱う際に色々と都合の良いな場所よ。まあ、魔法を扱わない者からすれば、何だかごちゃごちゃとした広い部屋にしか見えないでしょうけど」
未だに唖然と部屋を見渡していた立香だったが、パチュリーのそんな台詞で彼は意識を取り戻す。
パチュリーはそれを確認すると、部屋の奥へと進み始めた。立香たちもそれに黙って着いていく。
しばらくそうしてパチュリーはとある机の前でピタリと足を止め、その上に乗っかっている何かを持ち上げ、立香たちの方へと振り向いた。
「これは……服?」
そう、パチュリーが手にしていたそれは服だった。白い上着に黒いシンプルなズボン。上着の胸部と腰部分に黒いベルトを巻いたような装飾があることを覗けば、随分とシンプルなデザインだった。
「パチェ。貴方、服なんか作ったの? いえ、作れたの?」
どうやら長年の友人関係にあったレミリアですらパチュリーの持っていた物が意外だったのか、多少なりとも驚きを示していた。
「ええ、と言っても裁縫をしたわけではないわ。特殊な素材でできた布に魔力を通して作っただけ。そもそも私がそんな器用でないことは貴方もよく知ってるじゃない」
立香から見てもパチュリーは器用そうに見えない。いや、“魔”に関するものならそうではないかもしれないが、少なくとも彼女が裁縫をするイメージがどうしても立香は浮かべることができなかった。
そんな失礼とも言える考えを浮かべていた立香に不意打ちを食らわすよう、パチュリーが手に持っていたその服を立香へと差し出した。
「これは魔術礼装。魔術の儀礼を行う際に使用される装備、または道具。貴方にはこれを着てもらうわ。魔術を使う為のサポート用品とでも思えばいい。実は聖杯もこれに含まれるのよ」
立香はパチュリーから服を受け取ると“魔術礼装”と言う言葉を頭の中で反復させた。今まで知らなかった単語を知識として身に付けるように。
「この魔術礼装の効果はある三つの魔術を使う為のサポートをすること。今まで神秘に触れてこなかったような人間でも、これがあれば簡単に魔術を扱えるようになる。と言っても三つが限界だけれどね」
つまりパチュリーはこの魔術礼装を着せて立香に簡単な三つの魔術を習得させようとしているのだった。これがパチュリーのいう自分への強化だと言うことを理解した立香は、その服を持つ手にそっと力を込めた。
そんな中、パチュリーはふと立香へ手を突き出し、人差し指を立てる。
「その魔術礼装に込められた魔術の内一つは応急手当。対象の傷を軽度ではあるけど癒すことができるわ」
そう言い終えると、パチュリは人差し指の隣にある中指を立てる。
「二つ目は瞬間強化。これは対象が持つ力の源を僅かな時間だけ強めることができる。腕力であれ、魔力であれ、妖力であれ、まあ本当に一瞬ではあるけど」
続いて次に彼女は薬指を立てる。
「最後は回避付与。別名、俊敏強化とも言うわ。対象の速力を本当に一瞬だけ強化する。これも効果は一瞬だから攻撃に使うよりは回避として使うことが殆どね」
パチュリーはそう言い終えると、立てた三本の指と共に腕を下ろした。
「……俺がこれを着れば、それらの魔術を使えるようになるの?」
「ええ、少しコツはいるけれど、今まで魔術を知らなかったド素人でも小一時間あれば使えるようになるはずよ」
パチュリーの言葉を聞いた立香はじっと手の中に収まる魔術礼装を見つめる。
今でも実感は沸かないが、自分はこれから魔術を扱うことができるようになる。指示を出すだけではない。本当の意味でレミリアをサポートすることができるようになる。立香からすればそれは今まで自分がやりたくてもできないことを可能にする、特別な意味が込められた思いだった。
「確かにこの魔術礼装は便利な物よ。但し、これらはそう連続して使えるモノではない。三つ全て幾らかのインターバルが必要になる。だから使い所はしっかり見極めなさい。それも含めてマスターの役目よ」
「分かった。ありがとう、パチュリー。大切にするよ」
立香が真っ直ぐにパチュリーを見つめそう言うと、パチュリーも微笑みを立香に返した。
「さて、では練習も兼ねて少し戦ってみましょうか。今のレミィ──いえ、貴方たちがどれだけ戦えるのかも把握しておきたいし」
「えっ!? でも俺、この魔術礼装……だっけ? これの使い方もよく分かってないし。なにより、こんな所で戦ったら工房が無茶苦茶になるんじゃない?」
確かに工房の広さは戦えるだけのスペースがあるものの、辺りには魔法関連に使うであろう資源や道具がちらほらと設置してある。もしここで戦闘をおこなえば、確実にそれらの幾つかが破損することは目に見えていた。
しかしそんな立香の心配を他所にパチュリーはレミリアと立香から距離を離し、しばらくしてピタリと止まった。これは所謂、戦闘体制であった。
「使い方は習うより慣れろよ。この礼装に魔力を通して、イメージするだけ。これまでレミィと令呪のパスを繋いできた貴方なら、そのくらいはできるはず。それに工房の心配もする必要はないわ。余程の攻撃でなければ、小物も含めてこの部屋にある物は壊れないようにプロテクトしている。魔女なら当たり前の措置よ。実験が失敗して何かあったら大変だもの」
つまりこの工房にある物は柔な模擬戦程度では壊れないとパチュリーは言っているのだ。しかし立香は未だに決心がつかない様子で困惑の表情を浮かべたままだった。
「立香、いい機会よ。これは実戦ではないのだから、気楽に受ければいいのよ」
そんな立香の後押しをしたのは誰でもないレミリアだった。この二人が了承しているのに、自分だけが渋っているのは申し訳ない、と言うよりは馬鹿馬鹿しく思えた立香はパチュリーと戦う決心をし、姿勢を低く構える。
「分かった。行こうレミリア」
「ええ、じゃあしっかりとしたバックアップを期待しているわ」
レミリアは立香の前に出て、紅い槍を出現させる。パチュリーもいつの間にか取り出した魔術書を開いており、戦闘を始める体制は既に整っていた。
「パチェ、貴方と戦うのは久しぶりだけれど手加減はしないわ」
「あら、弱体化している貴方が私を倒せると?」
二人の間を飛び交う挑発。まだお互いの牽制でしかなかったがそれは一気に崩壊する。
「フッ!」
瞬時に移動したレミリアがパチュリーに向かって槍による突きを放つ。目にも止まらない早業だったが、それを阻むかのようにガキンと言う効果音が響き槍先はパチュリーの前で停止する。その様子はまるで彼女の間に見えない壁があるかのようだった。
「流石レミィ。万全でなく、そのパワーとスピード。恐れいったわ」
「難なく受け止めておいてよく言うわ」
二人は僅かな言葉を交わし距離を取る。いや、違う。形としてはレミリアから一方的にパチュリーが距離を取ったようだった。恐らく吸血鬼相手に魔女である自分が近距離戦に持ち込むのは悪手だと判断した故の行動だろう。
そうして距離を取ったパチュリーは宙へと浮いて自身の周囲に色鮮やかな光弾を出現させる。そしてそれを一斉にレミリアへ向けて放った。レミリアはそれに対応できていなかったのか、光弾が自分の方へと向かってくる様を眺めているかのように動けないでいた。
──ッ、回避付与!
立香は咄嗟に魔術のイメージを脳内に巡らせ、スキルを発動させる。実際のところスキルが発動できるのか心配していた立香だったが、そんな心配は何だったのかと思う程に呆気なくスキルは発動した。
立香はスキルが発動した安堵感で一瞬嬉しそうに頬を緩めるも、それを書き消すような爆音が彼に向かって飛来する。
風圧で思わず目を閉じる立香。それから巻き起こった爆音が耳から剥離したところで立香は瞼を持ち上げる。するとそこにはご立腹な様子で自分を見上げるレミリアの姿があった。
「…………ちょっと、立香」
「は、はい」
「あの程度なら回避付与しなくても避けられたわよ」
レミリアの指摘に立香はキョトンと瞼を数回上下させた後、驚きの表情を露にする。
「……えっ!?本当に?」
「ええ、直前まで光弾を避けなかったのは相手の攻撃の特徴を見分ける為。決して私が動けなかったわけではないわ」
レミリアは言うこと言ったと言うように体を反転させ、再度パチュリーへと向き直る。
「まあ、戦闘経験が皆無な貴方には難しいでしょうけど、今はそうも言ってられない。頼りにしてるわよ、マスター」
立香はレミリアの言葉に頷きながら、己の過失を再確認する。それはスキルを無駄に使ってしまったこと。一見、大したことのないように思えるが、スキルを使えばそれに応じたインターバルが発生する。もし本当に使用しなければいけないタイミングでインターバルに掛かる時間が終わっていなければスキルを使用することはできない。これは戦闘において致命的なスキとなる。
──もっと適切な判断を。
立香は一つの目標を己の胸に刻み付け、気を引き締めて直す為、深く肺に息を取り入れる。
「もういいかしら? レミィ」
「ええ、お陰さまでね」
レミリアがそう返事をした瞬間だった。パチュリーがレミリアに手の平をかざし、炎の塊を放出させる。レミリアはそれをかわそうとしたが、しかしそこであることに気がつく。
──自分の後ろに
もしここで炎を避けてしまえば、立香が炎によって丸焦げになるのは確実だ。
そう判断したレミリアは回避の為に羽ばたかせていた翼を急停止させ、大きく槍を振るう。誰もいない空間に向けて槍を振るう様は、まるで素振りをしているかのようだったが、しかしそうではなく、レミリアが槍を振るった箇所から魔力の暴風が吹き荒れ、周囲の物を吹き飛ばす。それはパチュリーが放った炎も例外ではなく、あれだけの熱量をもった赤と朱が混じった塊は呆気なくその姿を消した。
「……なるほど、今度は私の訓練と言うわけね」
レミリアは何かを理解したようにつぶやく。
その時だった。いつの間にか立香の周囲に赤、青、黄、緑の色をした巨大で長細い宝石のような石が四つ現れる。その一つ一つが立香の背丈程の高さを有しており、何か不思議な力を宿しているような輝きを放っていた。
「賢者の石よ、我が敵を滅せよ」
パチュリーの号令により立香の周囲にある石たちの輝きが増していく。美しく神秘的にすら思えるその輝きだったが、立香からすればそれは自分の死を招く恐怖そのものでしかなかった。
生命誰もが持つ死に対する本能的な怯え。それから逃れようと立香は思考を回転させるが、どれを選んでもたどり着く結末は一つだった。思考がついに停止しかけ、体が石のように硬直した立香だったが、それを融解させる声が彼の元へと届けられる。
「立香、周りの石は無視しなさい。パチュリーが攻撃を仕掛ける前に決めるわ」
無意識だった。考える暇もなかった。脊髄反射とも言うべき勢いで立香はレミリアへと顔を向け、一つの単語を頭の中で浮かび上がらせる。
──瞬間強化。
立香のスキルがレミリアへと送られ、レミリアの魔力が、力が一瞬だが底上げされる。
レミリアはそれを確認すると、翼を一回だけ羽ばたかせ、宙へと浮く。そしてそのまま空気を蹴るようにして、パチュリーに向かって突っ込んだ。まるで弾丸のようなスピードで飛来するレミリアに周囲の空気は荒れた大海原のように波打つ。
流石にこれを無防備で受けたら不味いと判断したパチュリーは賢者の石に割いていた魔力を手のひらから放出させ、防御壁を展開させる。
その瞬間、爆発的な衝撃波が生まれた。肌から皮膚が剥がれてしまうのではないかと錯覚してしまう程の空気振動に立香は思わず尻餅を着く。
そしてそれに平行するかのようにパチュリーもレミリアに吹き飛ばされ、轟音を伴って部屋の壁へと激突した。どうやら防御壁を展開したものの、衝撃を吸収させることはできずに防御壁ごと後ろへ吹き飛んでしまったようだった。
塵と部屋に点在していた紙きれがばらまかれる中、立香は「いや、やり過ぎじゃない?」と至極真っ当な感想を浮かべていた。
吸血鬼のレミリアならまだ安心できる部分はあるが、あまり耐久があるとは思えない魔女のパチュリーがあんな威力の攻撃を受けて無事であるとは立香は思えなかった。
しかしそんな立香の心配を否定するかのように、塵の煙幕から一つの人影が現れた。
「……ちょっとは遠慮しなさいよ、貴方たち」
そんな愚痴と、そして小さな咳と共にパチュリーはこちらに歩いてきた。如何にも不機嫌そうな顔で、立香とレミリアを交互に睨み付ける様は一見、恐怖を覚えるが、しかし彼女が無事である事実を表している証明でもあった。
「それは貴方もでしょう。私はてっきり立香の訓練だと思っていたのだけれど、何しれっと私のことも試しているのよ」
そう、これは立香だけでない。レミリアの訓練でもあった。これからもレミリアと立香がペアとして動いている以上、個としての力が弱い立香は狙われる対象になる。それを守りながら戦い、そして時としてはそれを逆手にとり立香を囮にする。そのように柔軟な対応ができるのかパチュリーは試したのだ。普通ならそんな危なっかしい真似はできないが、これは圧倒的スピードを持ち、相手より先手を打てる吸血鬼だからこそできる戦法だった。
「まあ、とにかく一先ずはこれで終わりましょう。もう、私も身体中が痛いし」
パチュリーは顔を歪ませ、腰を擦りながらそう言う。
「ええ、そうしましょうか。それで立香、貴方はどう? 少しは魔術を使った戦いが分かったかしら?」
「うん、何となくだけど」
「そう、まあ私のマスターなのだからそれぐらいしてもらわないと困るのだけれどね」
立香の返答にレミリアは納得したようで、満足を薄塗りした表情を浮かべる。
こうして立香は初めて、魔術と呼ばれるものに触れた。完全な自力で行ったわけではないが、それでも本来なら知ることすらなかったものを扱えるようになったのは事実だった。
それから、その日は解散となり。翌日、立香たちはレジスタンスの元へと向かう為の準備と休息を取ることとなった。
パチュリーからの指導を終えた立香は一人、古城の中庭へと足を運んでいた。それはここに来てからしばらく会っていなかった村の人間たちのことが気になった為であった。
相変わらず古城の中庭は雑草が散らかるように生えていたが、どうやらここに来て村人たちが僅かながら整備したようで、初めにここに来た時よりは随分と整えられてはいた。
「村長」
立香はそんな中庭に足を踏み入れてすぐ、目に入った既知の人物へと声をかけた。
「おお、お前さんか」
村長は顔を上げて、立香の方へと足を進める。どうやら彼はテントのような簡易住居を他の村人たちと共に組み立てている最中だったようだ。
立香が見る限り、その周囲にも同じような物がちらほらと建てられており、彼らは現在、その中で暮らしているようだった。
「どうです? 皆の様子は」
立香は早速、ここに来た目的となる疑問を口にした。
「うむ。まだ魔女たちに怯えは見せているものの、安全に生活しておる。ワシらとしては幸運だったと言えよう」
確かにと立香は同意を示す。このまま先へ進み続けるよりは、こうして安全地帯を確保してしばらくとどまる方が生存率は上がるはずだ。少なくともレジスタンスと言う集団を観察する時間は確保できた。これだけでも立香たちにとっては道中、パチュリーに合流できたのは幸いと言える結果だった。
「明日、元々向かう予定だった生き残りの集団の元へ向かう予定です。そこで話がまとまれば、またそちらに移動しましょう。今は安全だと言っても、村人たちのことを考えるといつまでもここにいるわけにはいかないでしょうから」
「おお、そうか。それは助かる。お主たちには感謝してもしきれないな」
村長はそう言い終えると、暫し考えるように口を閉じ、それから立香に向き直った。
「お礼と言っては何だが、こちらで食事を用意しようと思う。お主も参加してはくれないか?」
「えっ? でもお邪魔なんじゃ……」
立香は遠慮がちに言う。
「そんなことはない。皆ももうお主たちを怖がっているものは少ない」
村長の言葉に立香は驚きを露にする。自分たちが知らぬ間に村人たちにそんな変化があったとは思いもよらなかったからだ。
立香はしばし、考えるように体の動きを停止させ、それから恐る恐る口を開いた。
「なら、お願いします。あの……レミリアも呼んでいいですか?」
自分はレミリアの
「おお、もちろん歓迎しよう」
村長は何の迷いも見せずに、「なんだ、そんなことか」
とでも言うような軽い調子で柔和に微笑んだ。
「立香お兄ちゃん、遊ぼうよ!」
「レミリアお姉ちゃん、空飛んで!」
それは周囲の暗い情景を無視するかのような声だった。幼さだけを全面に押し出した、可愛らしいと言う言葉が似合う声だった。幼さ故か、その声が男のものか女のものかすら判別する事は難しく、どこか統一感に満ち溢れていた。
乾きを弾けさせたような音を奏でる焚き火の前で、そんな声を一身に受けているのは、立香とレミリア。村人たちを魔の手から救った二人だった。
パチュリーから貰った白い
しかしそれを見なかねたのか、村長が子供たちに向けて一つ優しい叱咤をした。
「これ、お前たち。少し向こうに行っていなさい」
「えー」
子供たちから不満の声が上がる。
「ほら、言うことをお聞き」
再び村長がそう言い聞かせると、子供たちは渋々と言った様子で立香たちから離れ始める。それから「バイバイ」、「また遊んでね」等と言い残して各々、自分たちの親の元へと去っていった。
「すまんの」
村長は呟くようにそう言う。
「いえいえ、自分としては少し嬉しかったですし」
立香がそう返答すると、村長はにっこりと微笑んで焚き火にかけていた鍋の蓋を取った。中には野菜と肉を煮込んだ、スープ料理が入っていた。濁りがかった黄金の料理は、湯気を発しながら沸々と小さく煮えたぎっている。それを村長は木で作られたお玉のような器具ですくい、それを皿の中へ慎重に流し込む。それをもう一度行い、出来上がった二つの皿を立香とレミリアへ渡した。
「ほれ、夕食じゃ。こんなものしか用意できないが、これまでの感謝として受け取ってくれ」
「ありがとうございます」
「いただくわ」
皿を受け取った立香とレミリアは、スープと平行して渡されたスプーンを手に持つ。皿に溢れんばかりのスープに立香は一瞬スプーンを入れることを躊躇ったが、レミリアが隣でスープを口に運んでいるのを目にし、習うように同じことをした。
「それで、どうですかな? 明日は元々我らが目的地にしていた場所へ向かうと聞いておるが」
立香とレミリアが食事を始めてしばらく、村長はそう話を切り出した。
「正直、会ってみないと分からないわ。拠点を見つけたところでまともに話を聞いてくれるかすら怪しいし。立香がどう立ち回るかにかかっているわ」
今のところ考えうる一番の問題がこれだった。明日、レジスタンスの元へと向かうのは立香、レミリア、パチュリー。現在、人間たちはかなり緊迫した状況にあるはずだ。そんな中、魔女と吸血鬼がいきなり自分たちの拠点に現れたら当然、向こうは敵対行動をとるに決まっている。となれば、レジスタンスのメンバーと同じ人間である立香がどう彼らに話を持ちかけるかに全てがかかっていた。
「何人か村人を同行させた方がよろしいか?」
村長はレミリアの言わんとしていることを察し、そんな提案をするが、レミリアな首を振ってそれを拒否する。
「いえ、止めておくわ。人数が多くなれば移動速度が遅くなる可能性もあるし、それに同行させた人間を貴方たちの元に帰せる保証もない。メリットよりデメリットの方が大きいわ」
確かに人間を数多く連れていけばレジスタンスの信用を得る確率は上がるかもしれないが、旅をすることに慣れていないただの人間を同行させて、何が起こるか分からない道を進んで行く気にレミリアはなれなかった。
「なるほどの。まあ無理せず、無事に帰ってきてくだされ」
村長は頷く代わりに顎を軽く撫でる。それから腰に重りを付けていたかのように彼はゆっくりと立ち上がる。それに応じるように焚き火を発生させていた組み木がガラリと崩れた。
「量は少ないが、酒があっての。舌に合うか分からんが、どうじゃ?」
レミリアは村長の提案を聞いて興味深そうに目を細めた。
「せっかくだし貰おうかしら。立香、貴方も貰っておきなさい」
「えっと……。じゃあ、お願いします」
立香は二十歳になったばかりで、外の世界にいた時もさほどアルコール飲料を飲んだことはなかった。そんな自分が五百年前の地酒を飲むことができるのか?と一瞬疑問に思ったが、レミリアが勧めるので、立香はそれに従った。
村長は立香とレミリアの返答を聞き、ほくほくとした笑みを口の端に張り付けた。それから村人たちのテントにゆっくりと一人で向かい始めた。
「立香。あまり彼らに入れ込んでは駄目よ」
背を向けて立香から去っていく村長の後ろ姿をしばらく眺めていたレミリアだったが、唐突にそう言って口を開いた。
「分かってはいるでしょうけど、彼らは聖杯が造り出した思念体のようなもの。現実として本当の生命を持っているわけではないわ。だからどれが最優先のものかしっかり見極めなさい」
聖杯に取り込まれたのは紅魔館と、その近くにいた者たちだけ。だからレミリアの見覚えがない者たちは聖杯の記録や、聖杯を造り出した者によって作成された生命の疑似体と言うことになる。故にあの村人たちは確固たる“生命”ではない。言うなれば、ゲームのNPCのようなものだ。
「…………うん。大丈夫」
立香は
“もしも”のことがあれば、自分はあの村人たちを見捨てなければならない。頭では分かってるが、感情がそれを阻害する。
深く、強い暗闇を照らす焚き火から再びガラリと音が鳴った。
『パチュリー・ノーレッジ』
《クラス》キャスター
《種族》魔女
《ステータス》
筋力 E
耐久 D
俊敏 D
魔力 A++
幸運 B
宝具 A+
《クラス別能力》
陣地作成(A)道具作成(A)病弱(B)
《スキル》
・高速詠唱(E~A)
魔術の詠唱を高速化するスキル。一人前の魔術師でも一分は必要とする大魔術の詠唱を半分の三十秒で成せる。
本来ならばパチュリーは魔女の中でもトップクラスの詠唱速度であるのだが、体が病弱で喘息持ちなので、体調によって大きく前後する。
・属性魔術(EX)
元素魔法を操る技術。西洋魔術では、世界を構成する要素は四大元素(火水風地)とされ、東洋魔術では五大元素(地水火木金)であるとされる。パチュリーはこの五大元素にプラスして日と月が操れる。
・賢者の石(A)
自ら精製した強力な魔力集積結晶、フォトニック結晶を操る技術。ランクは精製の度合いで大きく変動する。
パチュリーは主に魔術元素(月日地水火木金)を結晶化することで、それぞれの賢者の石を半自動的に敵を攻撃する装置として運用している。
《スペル》
・
ランク:C
種別:対軍
レンジ:5~25
最大捕捉:1人
巨大な火の球体を打ち出す。その様は小さな太陽のようである。……終わり。
・以下小ネタ
パチュリー「ちょっと、どうしたのよ立香は。ぐでんぐてんじゃない」
レミリア「お酒を飲んだのよ。どうやらお酒は強くないらしいわね」
パチュリー「明日、出発なのにどうするのよ?」
レミリア「だから貴方の所に来たんじゃない。パチェ、治癒魔法を頼むわ」
パチュリー「……はっ倒すわよ。貴方のマスター共々」