インターホンの音に身体を震わせた。
時計を見ると、家に帰ってきてから考え事をして30分以上も経っていることに気がついた。
机の上には買ってきた商品がはいったレジ袋が置いたままだった。
カメラを覗くと、金髪セミロングの幼馴染がパーカーにジーパンとラフな格好で立っていることを確認すると、二重に掛けられたドアを開けてその人物を招き入れた。
「こんばんは果南」
「鞠莉…どうしたのこんな夜に」
幼馴染である、私の小原鞠莉はその質問を聞くなり不思議そうに首を傾げた。
「今日、水曜よ?いつも来てるじゃない。ちょっと遅くなっちゃったけど連絡入れたわよ?」
それを聴きポケットに入った携帯を見ると、鞠莉からの連絡が来ていた。
考え事をしていて気が付かなかったのだろう。
「毎週来なくてももう大丈夫だって。」
「ダメよ。ちゃんとご飯食べてるか確認しないとだから。」
そう言って、私の間をするりと抜けていくと、靴を脱いで綺麗に揃えて中へと入っていく。
毎週水曜日に、鞠莉もしくはそれが無理なら他の子が私の家に来る。
あんなことがあった手前、まともに食べ物を食べることすらままならなかった時期があった事から、私を心配して様子を見にくるのだ。
「忙しいなら、別に大丈夫だよ。」
「ダメだって言ってるでしょ。私たちは果南がちゃんと寝れてるかだとかご飯食べれてるのかだとか心配なの…、ってあら、買い物の帰りだったの。」
机の上に置かれたレジ袋の中を見るなり、それを持って冷蔵庫へと向かった。
私は慌てて側へ寄った。
「ご飯、食べたの?」
「あ、うん。」
実は、考え事をしていて食べていないなんて言えば、余計な心配をかけてしまうと思い嘘をついた。
ジッと鞠莉から視線を感じたけれど、気にせず冷凍庫に食品を詰めていると視線を目の前の冷蔵庫に戻して、
「そう。」
と呟いた。
どうやら誤魔化せた様だ。
「お茶、入れるね。」
「私も手伝うわよ?」
「いいから…、座って待ってて。」
そう言って、鞠莉に座る様に促す。
鞠莉は何か言いたげに立っていたけれど、いそいそと作業をしているとゆっくりと木製の椅子に腰掛けた。
つい先程のあの出来事が脳にへばりついている。
信号ですれ違ったあの男は間違いなく少年Bだった。忘れるはずもないあの顔。私の愛する人を無常にも奪った男。
私はあの時どうすれば良かったのだろうか。
こっそりと後をつけたけれど、あのアパートに住んでいるのだろうか。
今何をしているのだろう。仕事をしているのか。それとも更生施設から出てきたばかりなのか。
「果南」
その言葉にハッとした。
キッチン越しに鞠莉を見ると、心配そうに私を見つめていた。
「お湯、沸いてるけど…。」
後ろを振り返ってポットを見ると、既にもうお湯は湧いていた。
「大丈夫?」
「あ、うん。気がつかなっただけ。大丈夫、」
ダメだ。しっかりしないと。
また、彼女たちに迷惑と心配をかけるわけにはいかない。
そう言って、私は茶葉が入った湯飲みに湯を注いだ。
〜〜〜
果南が出してくれたお茶をゆっくりと啜った。
目の前の彼女は、ボーッと虚に何もない場所を見つめている。
やはり様子がおかしい。
何か、考え事をしているようで、心ここに在らずという感じがする。
何かあったのだろうか。
「果南、大丈夫?」
そう聞くと、慌てて首を縦に振った。
4年前のあの日から、彼女をずっと気にかけていた。当時は酷く、気を抜いて彼女を1人にして仕舞えば、自らの命を経ってしまうかも…という程に荒れていた。
だから、私を含めてAqoursの8人は毎日交代で彼女の元を訪れて側に寄り添ってきた。
今では少し落ち着いてきたが、それでもやっぱり心配で、週に一回、この水曜日に彼女の様子を見に来る。
「何かあった?」
「え?」
「今日、1日何をしていたの?」
彼女は私の質問の意図を理解すると、1日あったことをつらつらと話してくれた。特に変わりばえの無い1日だったよと笑うと、湯飲みを啜った。
変わり映えの無い1日。それを聞いて少し安心した。
「そう、何かあったらすぐに言うのよ。」
「心配しすぎ。」
「当たり前よ。」
何か考え事をしている風だったのは何なのだろうか。
大事に至らなければ良いのだけれど。
「私はいつだって、貴方の味方だから。」
私にはそう言って励ますことしか出来ない。
彼女の気持ちは彼女にしか分からないから。
愛する人を失った彼女が見る世界はどんなものなのだろうか。彼女の苦しみはきっと想像し難いほど苦痛なもので。
どうか、果南が少しでも幸せに生きていてほしい。そう願い気にかけることしか私には出来ない。
「ありがとう。」
そう言ってぎこちなく笑う。
向日葵のように明るく綺麗だった彼女の笑みが、あの日に失われてしまった。
彼女の笑った顔が好きで、色々ちょっかいをかけてみたり…そんな事をふと思い出す。
「ねぇ、鞠莉」
私と彼女の間を虚に見ていた彼女は、そう呟いた。
「なに?」
そう聞くと、少し間を開けて、
「やっぱり何でもない。」
そう言ってまたぎこちなく笑った。
〜〜〜
石造の硬く佇んだ古いアパートの前に立つ。
今日、あの男の後をつけて、最終的にその男が入っていったあのアパート。
こんな所に来て何をしようとしているのか…。
けれど、どうしても気になって来てしまった。時刻は深夜1時を指していた。
ゆっくり階段を上がると、2階の奥の部屋の扉の前へと立つ。インターホンに指をかけて、下ろしてを数回繰り返す。
インターホンを押してどうするんだ。私はあなたが殺した男の婚約者だなんて言った所で相手は困惑するだけだろうし。もし認めたとしても、どうするんだ。
謝罪なんかを求めているわけじゃないのに…。
それでも、どうしてかその男の事が気になって仕方が無い。
インターホンから手を離してポストに手を突っ込むと、後をつけた時と同じように鍵が入っていた。
それを取り出して、鍵穴に刺し回すと、ガチャリと音を立てて扉の鍵が開く音がした。
静かにドアを開けると、真っ暗な廊下があった。
暗くてよく見えなかったが、すぐに目が慣れ、奥には散らかった8畳ほどの部屋が広がっている。
誰もいない。
本能的に靴を脱ぎ部屋に入っていくと、部屋の中には洗濯物や食べ終わったラーメンや弁当のゴミが机の上に散乱してた。
机の上に無造作に置かれていた書類に目をやると、西島たかしと名前の欄に書かれていた。
やっぱり、この男の家は少年Bの家だ。3年前に、見た時の名前と一致する。
怒りとあの時の記憶が蘇り、またキリリと頭から鈍い痛みがした。
こんなところまで来て何をしているのだろう。ここに住む男が少年Bだと知ったところで何も出来やしないと言うのに、こんな不法侵入までして。
そう思って帰ろうと引き返すと、ガチャリと音を立てて鍵を差し込む音がした。
反射的にマズイと思い、キッチンの影に身を潜めた。
誰かと電話しているのだろうか、話し声とともにその人物は中に入ってくる。
「え、ああ。コンビニ行ってたんだよ小腹が空いたから。」
そう言って入ってくる男はやっぱり少年Bだった。おでこの黒子が特徴的で、目つきの悪い。今日すれ違った時と同じレザージャケットを羽織っていた。
その人物はぱちっと部屋の電気を付け、どっしりとテレビの前に座った。
まずったなぁ。
どーやってここから出ようか。今なら向こう向いてテレビ見てるからバレずに出れるか。
そう思い覗こうとした時、思いもよらない言葉が聞こえた。
「金なんてその辺の高校生脅して取りゃいいだろ。大丈夫だって、バレねえから。」
は…?
今なんて。
「明日の夜にでも、塾帰りやら学校帰りやらの奴を狙えば良いだろ。」
金、脅す…。
何を言っているんだこいつは。
「面倒な事になるのは嫌だからな。バレないようにやりゃ大丈夫だろ。」
なにを、言ってるんだこいつは。
ちっとも、悪いなんて思って無かったんじゃないか。
ーー更生なんかして無いじゃ無いか。
ぷつりと何かが私の中で切れる音がした。
これまで溜め込んでいた真っ黒い何かが、入れ過ぎた容器から溢れ出し、私の身体を侵食していく。
キッチンから無造作に置いてあった、新品の様な綺麗な包丁を無意識に私は手に取ると、ゆっくりと足音を立てず、キッチンを出てテレビを見ながら電話するそいつの後ろに立つ。
「あぁ。明日朝俺の家来いよ。おう、待ってるわ。じゃあな」
そう言いその男が電話を切ると同時に私は包丁を振り上げた。
気配を感じ取った男が後ろを振り向いたと同時に、私は渾身の力を込めてそれを座った彼のみぞおち辺りに振り下ろした。
その西島という男は私の姿と自身に起きた事を見て驚きと苦痛の表情を浮かべた。
「な…なんだ…よ…おまえ」
そう呻き声をあげる彼に私は包丁を引き抜きもう一度今度は下腹部の辺りを思いっきり刺した。
「うっ、がぁ…ああああ」
まだ死なないのか。
私の愛する彼を殺しておいて、まだ生きようとするのか…
消えろ。
消えろ消えろ。
消えろ消えろ消えろ。
消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ。
早くこの世から消えろ!!!!
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!消えろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
何度も何度も何度も私は狂ったように包丁を突き刺した。
気がついた時には赤黒い液体が床を侵食していた。動かなくなったそれを見ても何の感情も起こらない。
それが絶命したのだと分かっても、晴れた気持ちにはなれない。
こんな奴らが、普通に社会に出て生きているのだと思うと、益々激しい怒りが湧いてくる。
失った時間は戻ってこない。
どう足掻いたところで彼は戻っては来ない。
そんな事はもう嫌と言う程には分かってる。
けれどそれは、こいつらのせいで、こいつらが居なければそんな事にはならなかったんだ!!!
ここまでして崩れない茶色に染められた髪と耳に付けられたピアス、べっとりと涎がついた口を半開きにし、死んでいると分かるそいつの顔を見ても、私は耐えられなかった。
またふつりふつりと怒りが湧くと同時に私はこいつの腹部に刺さった包丁を抜くと、顔をぐしゃりと躊躇なく刺した。
何度も何度も何度も目や鼻や口を目掛けて刺す。
もし生き返っても顔がぐちゃぐちゃにってるように。この忌まわしい顔が私の前に二度と現れないように。
何度も何度も……包丁が刺さらなくなるまで続ける。
血で刺さらなくなった包丁を見て、ぐいっと服で拭き取ると、今度は下半身へと体の向きを変えた。
股間、太もも、それに目掛けてまたズブり刺す。
起き上がれない様に。立てない様に。二度と歩けないように。
許してやるもんか。
絶対に許してなんかやらないんだから。
更生なんてしていなかった。
事件のこともこいつらのことも名前を伏せて、それが少年達の為であるから。と言い聞かせられ何も分からない地獄が続いて、1年。
そこで初めて少年法の「被害者等による記録の閲覧及び謄写」という法律の条項で、少年A.少年Bの名前と顔を知ることができた。そしてそれから3年、生きた心地がしなかった、何度も何度もこの地獄から抜け出して後を追う事を考えた。
そして、何度も何度も怒りと復讐に身体を支配された。行為に至らなかったのは、こんな私を心配してくれる子達がいたから。
でももう、そんな事はもう何一つとして関係がないし……手遅れだ。
動かなくなったそれを見下ろし、それを踏み付けるようにして超えていく。
返り血を浴びた服装をそこで脱ぎ捨て、彼のタンスから着れそうな服とズボンに履き替える。
その男が先程まで電話していた携帯電話が側に落ちていたので、それを手に取った。電源をつけたがロックが掛かっているらしく心中で舌打ちをしたが、指紋センサーで開けられそうだと、血のついたそいつの手を拭って携帯の画面に押し付けると、見事に開いて電話帳の画面がすぐに表示された。
それを操作しながら部屋を出ると、階段を降りた所で自分の手に大量の血が付いていることに気がつき、すぐ目の前にある公園の水道へと向かった。
外の寒さは、私の今の身体には何一つ刺激なんて感じ無かった。
周りを見渡しながら空を見上げる。
内浦の闇の空に、ぽつりぽつりと星が浮かんでいるだけだった。
ありがとうございました。
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