大粒の雨と風が木造の家の窓に殴りつけるように振っている。そのせいで、沈黙したこの空間に窓がガタガタと揺れる音が木霊する。
「人を、殺した…って、え…、」
私は、少女から出たその言葉に動揺していた。
いや、だってこんなまだ子どもの女の子が、そんな、殺人……だなんで。何かの冗談かと疑ってしまう。
「本当だよ。」
そう言う少女の瞳はしっかりと私の目を見て離さない。嘘などではないという少女の意思が、私に訴えかけてきている。
「仲間だね。」
少女はそう言って笑い、壁に立て掛けてあった猟銃を一瞥すると、また大きいソファへと深く腰掛けテレビの方へと視線を向けた。
「殺したって…なんで…。」
「んー。お姉さんと似たようなものかなぁ。」
「似たようなもの?」
そう言うと、テレビの方を見ていた少女はこちらへと振り返って頷いた。
「うん、どうしようもなかったから。だから殺しちゃったの。」
私を見て、表情をひとつ変える事なくそう言う少女の言葉には、どう言う訳なのか納得してしまった。
数日前、赤黒い液体が床の上を侵蝕していく異形のそれを見て冷静になった時…、"あぁ殺してしまった。どうする事もできなかった"という気持ちになったから。
何も感じない。
自分が憎きあんな奴の身体を包丁で滅多刺しにしても、何も感じない。
あるのは、一抹の虚無感と喪失感だけで…。
こんな事をしたって意味はないなんて事は、もうよくそこで分かっている。けれど、人を殺してはいけないと言う自制心よりも、心が言う事を聞いてくれない。
だから、もう1人の少年Aには、一枚一枚爪を剥がした後で四肢を裂き、最大の苦痛を与えてやりながら、命乞いをさせた後に殺したい。
「新しく来た男にママが殺されたから、私があいつを殺したの。」
そう言って少女は壁に立て掛けてある猟銃に目を向けた。
「新しいパパになるだなんて…、初めからあんな奴信用なんてしてなかった。毎日毎日ママや私に暴力を振るって…、あの日は私を庇ったママが頭を打って動かなくなって。挙句にはそいつが私のせいだとか、ママの自業自得で俺は悪くないだとか吠えるから、後ろ向いた隙にそいつに銃を打ってやったの。」
そう語る少女の目は色味を失い生気がない。
ボソリボソリと魂が抜けたように言葉を発するだけ。
「その後は…、土に埋めた。どうすればいいのか分からなかったから…、見様見真似で夜中に車を運転して山の奥に……。そいつの死体とママの死体…、一緒にしたくなかったから、離れたところに穴を掘って。
だからお姉さんが、あの男の知り合いとか警察とかの人だったら私が疑われちゃうから、あんな風に脅すような事を…。驚かせちゃって本当にごめんなさい……。」
少女から放たれる言葉は残酷で救いようがなかった。
少女は両手で顔を覆って深く息を吐いた。
「間違い…だなんて思ってない。それでも、あんなクソ野郎を殺してしまった感触が頭からこびり付いて取れない。あんな奴さえいなければ…、別にお金持ちじゃなく貧乏でも狭いアパートでも良かったのに…。なんで…。」
そう言って顔を両手で覆う少女の前で、私は自分の両の手を凝視した。
私の手には大量の血痕が付着しているように錯覚してしまう。洗っても洗っても落ちないドス黒い汚れ。
彼がいなくなってしまったあの日に価値を失い、少年Bを惨殺した日から私は、人としての尊厳も失ってしまったのだ。
彼が握ってくれた手。彼に触れた手。
もう一度、あの幸せだった日に戻りたい。
全て夢だったよと、誰かに笑ってほしい。
でも、そう考えれば考える程、嫌と言うほど身体に現実を叩き込まれる。辛く苦しい時間が私を支配する。
「あなた、年はいくつ?」
両者の沈黙の時間が不快に感じて私は適当な話題を振る。
「16…」
未成年。
見た目で何となくの察しはしていたけれどやはりそうだった。
少年Aも少女Bも、私の彼を殺した時は未成年だった。少年法という悪魔の法律が…私を苦しめてきた。そして事実、何も反省していなかった奴らの隠れ蓑になった。
この子も捕まってしまえば、AやBだなんて呼ばれるのだろうか。更生を目的とした施しがされて、事件を無かったことのようにされて…。
でも、この子がした事は本当に捕まってしまう様な事なのだろうか。この子はその男から暴力を受けていて、お母さんが殺されて…。ならば、仕方がなかったと済ますのが妥当なのでは無いか。
やっぱり少年法は必要なのだろうか。この子は何も殺したくて殺した訳じゃ……。
そこまで考えて私は辞めた。もう分からなくなってしまいそうだったから。
「名前は…。」
「え」
そう言って両手から顔を離すと、私の方へ顔を向けた。何かを考えているようで、目が左右を行ったりきたりを繰り返す。
「大丈夫。誰にも言ったりしない。」
私がそう言うと、少女の緑色の瞳がじっと私を見つめて離さず、小さく息を吸い込んで吐き出した。
そしてーーー
「ーーーマリ」
彼女から出たそれは、よく耳に馴染んだ名前だった。
〜〜〜
レース状のカーテン越しから窓の外を見ると、先程よりも雨が強くなっている気がした。向こうに見える木々の枝は風と雨のせいで左右に大きく揺れている。
濡れた髪をバスタオルで拭いていると、マリと名乗った少女が白いティーカップを二つ持って私の側へと寄ってきた。薄らと白い湯気が空気に立ち込める。
「これ、紅茶。嫌いだったら入れ直すけど…。」
差し出してくれたカップの中身は柔らかみのある赤茶色の液体。そのカップを手に取ると、鼻腔を柔らかく包み込むような香りがした。
ありがとう、とそのカップを口につける。
液体の柔らかく温かい口触りに、ミルクのまろやかさと紅茶の香りが嗅覚と味覚の両方を刺激する。
ミルクティーだ。
もう一口、コクリと口に含むとカップを窓のヘリに置いた。
「お風呂…ありがとう。昨日入れてなかったから助かったよ。」
マリはニッコリと笑い、うんと首を小さく縦に振った。
バスタオルで髪を押さえつけるように拭くと、シャンプーのいい香りがした。お風呂も大きくて、シャンプーもかなり高そうなものだったから、やっぱりお金持ちの家の子だったのだろう。恐らく…その新しい父親とやらが。
さて、この後どうしようか。
雨の中…やつのいるペンションとやらに向かってもいいけれど。
警察が私の犯行だと決定づけて動いているなら、少年Aの保護に動いていてもおかしくは無い。少年A自身が、テレビや週刊誌などの報道を見て自分の身をどこかに隠しているかもしれない。もう、あのペンションにはいないかもしれない。
少し動くのが遅すぎた事を後悔する。
念には念をと、神経質になりすぎて、タクシーなどは使わずに、人のいない時間帯で周りの目を気にしながら電車にバス、そして可能な限り歩いて移動をしてきた。
もし、少年Aが警察に保護されていたとなれば…私にはどうする事もできない。
「ねえ」
窓の外を見て考え込んでいた私を、マリという少女が現実へと引き戻した。
彼女の方へと向くと、ソファの隣をぽんぽんと軽く手で叩いた。ここへ座れと言う事なのだろう。
私は窓のヘリに置いた紅茶を手に持ち、ソファに腰掛け、目の前の木製の机に置いた。
彼女はそれを見るなり、私の方を見て口を開いた。
「テレビで言ってる事って…本当の事なの?」
「うん。」
「昔…その、婚約者をその人達に殺されたって、言うのも……?」
恐る恐ると言ったような口調で私に聞く。
聞いてはいけない事を聞いて傷つけてしまうかもという、彼女なりの気を遣っての事だろう。
私はコクリと頷くと、マリという少女はバツが悪そうに眉を顰めた。
「ここに来たのは…」
こんなまだ16歳の子どもにこんな事を言ってもいいのだろうかと迷ったけれど、彼女も私に話してくれたし…恐らくこの子とこれ以上の関係になる事はないだろうと思い、愚痴程度に、思い出話程度に話すことにした。
「もう1人を殺すため。」
「え」
少女からボソリと出たその言葉は乾いて声が少し枯れていた。突然の衝撃的な発言に驚いたのだろう。
「あの日…4年前あの日。突然、本当に突然に愛していた人が殺されて、私は地獄へと突き落とされた。それでも、きっとそれ相応の罰を殺した奴らは受けるのだろうって、思ってたけど…、そいつらは未成年だった。名前も少年A少年Bへと変更されて、なもかもが伏せられて…。逮捕はされないとか更生のための処置だとか…、訳の分からない御託を並べられて…」
この4年間、ずっと世界が白黒に見えた。
美味しいや楽しいという感情が、薄くなって…、何も感じなくなってしまって。
毎日割れるような頭痛に、眠れない日々。
あの日から…あの日からずっと
「生きた心地がしなかった。」
少しの沈黙が生まれる。
少し話しすぎたかなぁと後悔していると、マリは再び私に質問した。
「その婚約者はどんな人だったの」
「優しい人だった。彼は…世間知らずだった私に色々な事を教えてくれた。美味しいものや綺麗な景色まで、楽しくて楽しくて毎日が幸せだった。」
人として、1人の女としての幸せがあそこにはあった。
恥じらいながら、震えながら、家でプロポーズをしてくれた時は、何よりも嬉しかった。この人とならどこへだって行ける。本当にそう思えた。
またあの日に戻れたら、と意味のない事を回顧して、また頭痛がする。
そんな事を考えても、あの人は帰ってこない。
意味もなく、紅茶のカップを手で弄る。
「あなたは、殺した事…後悔してる?」
後悔か。
正直、少年Bをこの手でめちゃくちゃにして殺した所で、何か気分が晴れる訳では無かった。
喪失感と、こんな事をしたってどうにもならないのになという虚無感しか無かった。
でも…それでもーー
「ーーー後悔はしてない。」
それだけは自信を持って言える事だった。例え過去に戻れたとしても、私はきっと同じ事をする。
心が、身体が、復讐という甘すぎる蜜に骨の髄まで侵されている。
「そっか。」
マリはそう言って私から目を逸らし、目の前の空間を見た。
「何か、私にできる事は無いかな。」
「え?、」
「あなたの力になりたいの。」
「でも…」
こんな16歳の未成年の少女に、私の問題で迷惑を掛けてしまうのは気が引ける。
私は首を左右に振ると、少女は私の手に触れて1人分空いた距離を詰めて座り直した。
「協力させて欲しい。ほんの少しでも力になれるなら。遠慮も心配もいらない。だって私の手も、もう汚れきっているから……」
そう言うマリという少女は、眉を寄せ口元を引き締めて、睨みつけるほどの真剣な目つきをしていた。
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ではまた次回