[WR]FGORTA YAMA育ちレギュ [66日22時間15分32秒] 作:HIGU.V
長くなったので、裏話なのに補完しきれてないです。
首後ろを掴まれ持ち上げられたような。
夢現だった所を起こされたような。
そんなものが、自分の持っている大切な記憶だって言うことを、彼は当然のことだと思っている。
熱中していた物が何だったのかも、言語化できないのに。
そうなった経緯もそれを共有した人も、存在しないというのに。
「………………」
彼は、それでも自分が別段不幸だったり、幸せだったりという物を知らないし考えない。
尺度がないからだ。彼には自分と今しかない。
少しばかり考える知能と、言語化して整理できる知性。その程度しか持たないのだから。
「……!」
それでも茹だるような暑さは嫌いだ。
直ぐに、嫌な匂いがするようになるからだ。
それでもこの地域は特に暑いときに信じられない量の雨が降る。
それがなければ彼は渇いていたのだから文句は言えないであろう。
「…………ンッ!」
彼は今日も寝蔵からでると、目の前に落ちている物を確認する。
3回続けて有るときもあれば、7回寝てもないときもある。
だからこそ、あることを見つけたのならば、安堵感と喜びのような物を覚える。
久々の『恵み』なのでまずは、可食部の多い所に噛みつきたいが、こらえる。
数少ない自分の道具である、石と廃棄部を鋭く削った「剣」で腐りやすいものを取り除く。
それは一般的にはナイフと喚ばれるのだが、彼の10年の生において、さらに短い経験では、切れる長いものは「剣」と定義されるものだった。
一通り、取り除き終わったらあとは……
「…………」
獣のような、食事の時間だ。
「──ッ!! カフゥ!!」
生臭い、生きていた生物の肉を食らう時、彼は少しだけ思い出す。
違和感のような、そんな記憶を。
これを食べていたような気がするのだ、
昔、どこかで誰かと一緒に、それは何かもっと美味しいものを。
────いや、これは美味しいものではない。
空腹が満腹に変わっていく中で、四角い箱の中でせわしなく動く人を觀たきがするのだ
────その違いに気がついてはいけない。
自分の残香のような、記憶が名前すら忘れてしまった自分が、
人間であった頃の記憶が、今の野良の獣のような物だったように、すり替わっていくのだ。
それを学者は適応とよび、詩人は忘却といい、彼らは進化と命名する。
名前もない彼はそんなことを知る由もなかった。
しばらくの時間をかけ、満足するまでの食事を終えると、後は眠るまで走る。
この10を10回数えた数踏みしめれば、同じ場所に戻ってこれるほど狭い場所で、彼がすることは、只々倒れるまで走るだけだった。
熱病に浮かされたように、少しでも長く走れるように自分が最も楽な形で走れるように、少しずつ 少しずつフォームを変えながらひたすら走る。
理由は大したものじゃない。なんとなく憧れた、なんとなく格好良いと思った。
そんなモノがそうしていたからだ。それは走って跳んで、靭やかに体が回り、伸びて戦う人だった。
朧気に真似して誰かとそれをやってみた。自分はいつもやられ役の丸い板を持った男の役だった。一度真似してベトベトする物を身体に塗って、大きな人に怒られた。
そんな、普通の子供ならば、誰しも持っていて、きっかけがあれば思い出すが、記憶の片隅の片隅にしまっておくようなもの。それだけが
もっと早く走ってあの動きをしたい。
もっと高く跳んで蹴り上げたい。
もっと上手く体をそらして、吹っ飛ばしてやりたい。
閉ざされた狭い世界では、食事があっても、心が腐り死んでしまう。
単純な子供ならばそれはもっと早い、だが彼は2つの点で不幸だった。
一つのことに取り組む能力に秀でてしまっていた。
取りつかれたものが、生の苦しみから解脱するものが極めるほど深いものであったこと。
だから、彼は狂って死ぬこともできなかったのだ。
走って、走って、走って。寝る前にはひたすら体を曲げて。
食べ物が来たら残さず喰らう。
そんな代わりもしない生活を続け、髪の毛が地面についてしまう程になった頃。
いつものように、恵みを確認に起き出した彼は、初めての出来事に出会った。
いつもみたいに、白い石のような肌の色ではなく、自分に近い色の肌の色だと言うことは珍しいが、そんなことではない。
それは、恵みが生きていたのだ。
いや、生きていたモノが来たことは多々あるが、それは明確な意識をもっていた。
呆然と地面に背中を付けて寝ているが、目は瞬きをして、眼球は動いている。
「……子供?……そう、こんな子まで……」
初めての状況にどうするか考えていると、それは此方に話しかけてきたのだ。
「……だ……ぁ……れ……だ」
彼は、痛みを覚えた時、力を入れる時。そんな時しか声を出すことをしていなかった。
しかし、会話という行為を覚えてはいた。
「私? さぁ、誰だったかしらね……それで、ここはそういうところなわけね?」
「? そ……う……と…こ…ろ?」
「血の匂いがするわ、殆ど鼻もきかなくなったのに、吐きそうなほどの匂いが」
彼は少しずつ、言葉を発するのだが、その恵みは此方よりずっと話す言葉が早い。
何を言っているのかわからなかったが、恵みなのには変わらない。
「ただでさえ歩けもしないのに、ここに落とされて右腕と腰から下の感覚もない、ただ死ぬしかないのならば、抗っても無駄じゃないかしら?」
だが、前に起きた時には大きな恵みがあったから、空腹ではない。
こんなことは初めてなので、どうすればよいかわからない。彼は困惑も相成って、食事という考えが無くなってしまった。
改めて恵みを觀てみると、放っておいても死にそうなくらい弱っていた。少しそれを残念に思った。そしてその残念という感情を、いや感情というものを覚えたその事実に、彼は驚いた。
「はなし…………できる…………恵み…………はじ…………めて」
「恵み……? ああ、やっぱり、そういうことね。アイツがやりそうなことじゃない……そう、ねぇ君、おはなしがしたいのかしら?」
「はなし……している……うん、はなす」
彼はそう、本当になんとなく。それだけの理由でその恵みを持ち上げて、自分の寝蔵まで持ち帰った。雨がしのげる穴蔵でしかなく、中にあるのは葉を集めた寝床くらいだ。
そこに、ゆっくり寝かしつける。運んでいる途中と寝かすときに、恵みは小さく叫んだが、恵みが叫ぶこと自体はたまにあるので、彼は驚かずに近くに座り込んで顔を覗き込んだ。
「もう、何日も生きられないでしょうけど、最後に死ぬ場所が、こんな所になるなんてね」
「恵み、はなす、どこから来た?」
「ええ、それじゃあ君に教えてあげるわ」
彼は、その日、初めて人という存在になれた。
会話というモノは人間にとって何よりも必要であること。
明るい光は太陽であり、暗い光は星や月であること、暑いのは夏であることのような形而的なことを知れた。
「白い石を……そうそうやって持ってみなさい」
石を打ち付けて火を起こすこと、恵みは火で焼いてから食べたほうがよいこと。
切れない髪の毛は燃やして短くすれば良いことも。
分け与えても、彼女は死ぬまで水以外を口にしなかったが、そんな生きるための知恵も。
「そこで、青年は剣をとったの、そうしないといけないと思ったから」
物語という物を知れたのも彼女がいたからであろう。
普通の子供が、長い時間のなかで経験していく多くのことを、急速に高い密度で彼は知っていたのだ。男女の差も、自分が憧れたモノの呼び方も。彼の生の中である意味最も充実した────
「さようなら、お姉さん」
「………………」
────4日間だった。
たった、それだけの時間、彼は人でいられた。彼女がどんな人物だったのか、名前も何も知らないまま、他の恵みのようになってしまった。
それはつまり、彼は今まで何を食べてきたのかを、強く意識させられることだった。
寝床から運び出して、何時もの平な場所に寝かせる。
「人は食べないと生きていけない、人は生きないと何も残せない、それでも私は食べたくない、私の意味は君が残すことがわかったから」
そんな言葉が呪いのように彼の耳に蘇る。
剣と呼んでいた、石のナイフで何度も何度も切る。
土がついてしまったが、なんとか切り取れたその一部分だけを寝床に持って帰り、後は穴を掘って埋めてしまった。
不思議とお腹は減らなかった。
それからただ走るだけで、一日が終わらなくなった。
走っているだけだと思いだしてしまう。速く、速くと走るだけでは、考えてしまうのだ。
あの人から聞けた、少しばかりの知識でしかないが、自分の目指した動きを繰り返す。
蛇のように手足を撓らせ、地を這う様に身体を低くしたと思えば、高く脚を蹴り上げる。
意味など無かった体の動きに意味が出てくる。
この頃恵みが生きている事が、それも襲いかかってくることが多いことも追い風になった。
最初は人の形をした、よくわからないものだった。
雲のように真っ白で、ジタバタと動いて抵抗する程度だった。
最近では、寝蔵から出て近づくと襲いかかられるような、そんなものが普通だ。
「ハァ!」
いつものように、懐に入り込んで、弾き飛ばすように攻撃を入れる、体制を崩したら蹴りを入れて終わりだ。
悲鳴を聞きながら、動かなくなるまで蹴り殺す。
もうなれてしまったが、前は死にそうになるほど血を流すこともあった。
身体が大きくなってきたのに合わせて、生きていくのが難しくなってきた。
悲しいことが、辛いことが、増えたのではない。
楽しさを感じられない時が、退屈だと思うようになってしまったのだ。
「ああ、楽しかったな」
体を動かす以外にも色々した。
たまに混ざってくる抵抗が激しい恵みは戦闘にしか使えないが、不具があるものや、抵抗が少ないモノは────
「ああ、楽しいのにな」
昔よりも低くなった自分の声は虚しく消えた。
強くはなっているのだろう。身体は大きくなり、動きも軽やかになっているのだ。
あの人に教えてもらった、植えた木を毎日飛び越すのだって、もう背丈よりずっと大きくなった木を超える程飛べる。
今だって、自分よりも大きい恵みの動きをみてから、余裕を持って処理ができた。
それでも、ここから出られない。
自分の生きた意味を残せていない。
あの人に会ってから10回目の夏は終わるのに、自分はまだ始まれてもいない。
攻撃を受け止めた腕の熱は、痛くもないのにしばらく冷めなかった。
※※※※※※※
その男から持ちかけられた取引は、彼らの所属している組織にとっては一考に値するものであった。
ホムンクルスというよりも、錬金術は魔術としてはメジャーな部類であり、使い手も多い。
しかしいかにメジャーとしても、魔術は魔術。
おおっぴらに自分の成果を公開するようなことはなく、その行為自体が、同業他社から忌避される。
魔術は人でなしのあつまり、根本的な目的以外に興味がない。目的が果たされるのならばその魔術すら捨てて飛びつく者が魔術師という、ある種矛盾した存在だ。
そういうお題目こそを掲げてはいるのだが、手段と目的が入れ替わってる者は一定数存在する。
魔術使いと言われる魔術自体が目的となり、魔術師の目的に興味がないものが呼ばれる蔑称だ。
今回の話はそんな男からだった。
「廃棄予定の実験体なんて、本当に見る必要あるんでしょうか?」
「さぁな、適正の条件すらよくわからないんだ、虱潰しに探すしかない」
「人理保障機関カルデア」それが、彼らの所属している組織の名前であり、彼ら自身は末端の現場職員、いわゆる使いっぱしりと喚ばれるものであった。
胡散臭い野良の魔術使いからの連絡で動くようなものは、その程度の人員だったが、逆に言うとそれでも動かさざるを得ないような、理由があったのだ。
「只々20体の確保していたサンプルの破棄を外部委託されているだけな気もします」
「実際の所そうなのだろうよ。だが一般人のカバーストーリーの流布や、魔術師の家に金を払うより、俺たち3人の人件費のが安いんだろうさ」
彼らの組織は、今とある素質を持つ人物を探している。メインのメンバーやそれを抱えるサブメンバーは目処が立っているのだが、予備の面子も考える必要があった。予定した数まではまだ足りず、インチキめいたスカウトまで始めている始末だ。
献血の振りをして都市を行脚しているなどと聞けばどれだけ困窮しているかわかるであろう。
────十数人、処分予定の人間がいる。それを君たちに提供しようというのだ。君たちがどういう基準で人を集めているかは知らないが、魔術すら知らない人間にも手を広げていると聞き及んでいるよ。そんなに後処理をするのならば、最初からなにもない人間がほしいのではないかい?
まさに此方の需要をしっかり満たしたような条件だ。他方に声をかけている以上、耳聡いものであれば自分から売り込みに来ることは珍しくない。事実Bチームまではそういった熱意かやる気がある人員で埋める事ができた。
よくいる魔術使いの、ろくでもない実験。ソレに巻きこまれた者、巻き込まれそうな者、まもなく巻き込まれそうな者、それらを一挙まとめて提供する変わりに、カルデアに要求されたのは僅かばかりの金と、新しい拠点としての人里離れた土地。言わば二束三文でしかなかった。
背に腹はかえられぬと、彼ら3人が向かうと案の定というべきか指定された数カ所の魔術使いの拠点には、鎖に繋がれ宙を見ているような者が殆どだった。
既に神秘に携わっていない社会では、死亡か行方不明になっている、消えても問題のない人材。
しかしながら、全くと言っていいほど使い物になりそうもなかった。
「次で最後です。ヤツ曰くとっておきの掃除夫だそうです」
「掃除夫? 実験体じゃないのか?」
「実験体等を破棄する所に、いつの間にか住み着いていた、恐らく生き残った実験体とのことで」
「12年前に妹を投げ捨てた後、死体が消えてたから、適当に戦わせてたら未だに生き残っていると笑いながら話してましたよ」
「また悪趣味だな」
山上にある古びた館。地元の人間にも怪談のような形で伝わっている建物へ、そして山頂を越えて反対側へ下っていくとその場所はあった。
「────総員警戒、血の匂いだ」
「隊長……あそこの岩が動いてます、誰か出てくるようです」
黒ずんで汚れた肌と、ボロボロの髪の毛。木の皮で作ったようなズタボロの服。野蛮を絵に描いたような獣のような男が、ふらりと此方に近づいてきた。それはこの世に本当に存在しているのかあやふやでありながら、強烈な違和感を放つ妙な男だ。
色鉛筆で画用紙に描かれた絵の一部がクレヨンで塗りつぶされているような、存在への違和感があった。
「あれが……こちらに近づいて……いえ! 襲いかかってきます」
「無力化しろ」
事前に警戒をしていたからか、驚くほどあっさり魔術にかかり倒れ込む。その途端今まで感じていたような違和感は霧消して、焦燥感のようなものも消え去った。
「本当にいたとは……」
「ヤツの供述どおりですね、リーダーどうしますか?」
「命令通り、捕獲、いや保護する」
その後、検査の結果不幸にも彼らの求める適正を求められる水準で所持していることがわかり、彼は「備品」として、カルデアに購入され配備されることになった。
どこまでも、筋書きのような話に首をひねるものはいたが、火急の事態である以上大きく声を上げる者はいなかった。なにせ彼らは世界の危機を目の前にしているのだから。
※※※※※※※
「所長、お忙しい中お時間いただきありがとうございます」
「気にしないで、レイシフト適正が高い、魔術師の元実験体が安価で手に入った以上、一度確認しておきたいのもあったから」
数千m級の山のその奥、余人では到底たどり着くことができない場所、それがカルデアの本拠地であり、今の彼がいる場所であった。
彼は目が覚めると、特に抵抗することもなく拘束されたまま、ここまで運搬されていた。途中で出された食事には、水を除いて口をつけなかったが、暴れることもなく不気味なほどおとなしかった。
「このように、特に暴れることもなく、会話での意思疎通も問題なくできます。適正はかなり高く、Bチームの平均を有意に超えております」
「本当に掘り出し物ってわけね」
「はい、此方に搬送しましたが、最終判断は所長におまかせするべきかと思い、此方に」
彼は小さな部屋の寝台に腰掛けて、目の前の鏡を見つめていた。身体は洗浄され、髪の毛も最低限整えられている。異様なまでに発達した肉体も相成って、どこかの格闘技の選手のような、ありふれてはいないが、特別な存在でもないように見える。
「年齢は推定22~5歳で、性別は見ての通り男性。何らかの魔術を受けたせいなのか、延々と同じ場所で恐らく20年近く生活をしていたようです。自身の名前すら持っておりません」
「魔術に関する知識以前に、一般の常識すら殆どないわけね」
「ですが、管理していた魔術使い曰く、定期的に戦闘用ホムンクルスをけしかけてましたが、それらをことごとく蹴散らし……その、肉を喰らって息永らえていたそうです」
「彼本人の意志はどうなっているの、一応聞いておくわ」
「初遭遇の際こそ襲いかかられましたが、それ以降は此方に協力的です。質問をしてくることはないのに、此方の質問には、多少語彙に違和感がありますが、しっかり答えております。我々が目的を持って彼を確保していることを納得している様子でした」
「まぁ、境遇を考えれば、襲いかかるのは当然ね。彼と話をしたいのだけど、できる?」
「はい、此方のマイクをお使いください」
所長呼ばれていた、銀髪の女性は、自身と同じ年頃に見えるその男に声をかける。
ガラス張りの壁からは、よく見えるが、向こうから此方は見えていないのに。声をかけた途端此方の方を見た気がした。
『そこのあなた、聞こえているかしら?』
「聞くができている」
『私は、この人理継続保障機関フィニス・カルデアにおける総責任者よ。私達はある目的のために貴方を購入したわ、危険を伴う仕事の為、できる人材が限られているの。あなたにはその仕事に従事してもらうのだけど』
「わかった、なにをする?」
『何よりも、私の指示には絶対服従よ、後で強制と暗示をかけさせるわ。基本的にやってもらうことはそれだけ、必要があれば、私の指示で動く。あなたに求めるのはそれ以上でもそれ以下でもないわ』
「わかった」
人形のようなものわかりの良さに拍子抜けするが、従順なことはよいことだ。横のスタッフを見ても、一事が万事この調子ですと言わんばかりに頷いてくる。
「魔術的な処置がされていないことを確認したら、私の指示に従うように処置しておいて、まあ所詮予備の予備みたいなものだし、最低限邪魔にならないようにしておけばそれでよいわ」
「かしこまりました。マスターとしての登録もしておきますが、名称はどういたしますか?」
「不要よ。雑に扱っても歯向かわないのならば、最低限人として扱っておきなさい、ただし彼が何かしら名乗ってきた場合はそれに変更するようにね」
今のカルデアには、成果という絶対的なものが足りない。そのためには弱いカードでもなるべく多く保持しておき、強いカードには最大限でのバックアップを準備する必要がある。ファースト・オーダーまでもう時間はないのだから、処遇が決まればもうトップの仕事はない。
彼女は足早にそこを後にした。もう見るべきものはない、そう判断したからだ。
それは正しく、彼女が彼と交わした意味ある言葉はそれだけだった。
※※※※※※※
彼の語彙にはなかったが、現在の彼の覚えている感情を言語化するのならば、それは失望であった。
目まぐるしい程、取り巻く状況は変わった。洞窟の中とその周りで全てが完結していた生活から、あっという間にあれよあれよとこんな場所まで連れてこられた。なんでも危険が迫っているから、そのために戦う必要があるらしい。
彼にはそれしかわからなかったが、周囲が慌ただしく動いている。自分に対してはそのへんに落ちている大きな木に対する扱いでしかない。
こんなに多くの人がいるところは初めてだ。
────でも、話をするのは難しい。
こんなに綺麗な場所にいるのは初めてだ。
────だけれど、意味のある事ができるわけではなかった。
恐ろしいほど清潔な、何もない部屋から出されて、自分の寝蔵と案内された部屋で、苦戦しながらなんとか渡された服を着て。そのまま、多くの人がいる場所に誘導された。
変わらなかったのだ。
一人で過ごしているの頃と、生きる目的と意味が、カラダを鍛えることしか無かった頃と。
いや、今はもっとひどいかも知れない。
「ここで待機をしているように」
「ああ、わかったよ」
どんな受け答えに対しても、何故か出てくる言葉は非常に短く簡素な最低限のものだけだった。
不思議と、人に話しかけてみるという勇気も湧いてこなかった。
しばらくすると、やってきた以前聞いた声を持つ女が、目の前で何かを話している。
内容はあいも変わらずよくわからなかった。だが、何か大変なことが起きているのであろうことは、なんとなく理解できた。
きっとここにいる人間たちは、それをどうにかするという使命感で生きる事を燃やされているのだろう。
なんて羨ましい。大変なことを、自分がやっている、何かを残せている。
そうすれば、その人は生きている意味と価値があるのだ。
沢山の人を殺しても、一人を救ったのであれば、その人は助けた人にとって価値があるのだ。
なんの意味を持って自分は喰らってきたのか、それを考えると頭が割れそうなほど痛くなる。
それを忘れられるのは、あの化け物と戦っている時だけ、いや、身体が痛い時や、思いっきり腹いせをしている時も別の意味で忘れていられる。自分には身体を鍛えて、幼い頃に憧れたあの動きを真似する。
それ以外の意味はなかった筈なのだ。それが段々とおかしくなってった。あの人に出会ってから、自分はおかしくなっていってしまっているのだ。
生きている意味とは、価値とは。そんなどうでもよいことを、「食事のときは特に」考えるようになったのは、とっても苦しくて気持ちが悪かった。
気がつくと、横にいた年若い男が床に倒れ込んで眠っていたらしい。疲れていたのであろうか? そんなどうでもよいことを考えながら、目の前の女の話を聞き流し続ける。
すると、話が終わったのか周囲からざわめきが聞こえ始める。自由に解散して良さそうだ。彼は足早にその場を後にした。衝動的に離れたものの、行ける場所などないので、さっき着替えた自分の寝蔵まで戻ってみた。
なにか使えるものはないのかと、あたりを見回すと、よくわからない石と、金色の木の実と思わしきものがあった。よくわからないがとりあえず持っておくことにする。どっと疲れが出たので寝台に横になろうとしたのだが、その瞬間だった。
地面が揺れるのと同時に、土砂崩れのような、低い音が轟いた。その瞬間体中の毛穴が縮こまるような、急に気持ち悪いほどの悪寒を覚えて身体の自由が急にきかなくなった。凍りつくような寒気で縛られて満足動けないなか、なんとか、ドアまで這いずるように近づき廊下に転がるようにでる。視界の先にかなり小さくなったが、先程眠りこけていた少年の背中が見える。どこかへ走り去っていくその姿が目に写った瞬間、身体に活力が戻ってくる。
自分でも理由はわからなかった。それでも、その少年の背中を追いかけるために彼は走り始めた。恐ろしいほど感じた身体の寒気はもう後かたもなく、驚くほど軽い身体で駆け抜けた。
廊下は、ところどころ崩れた壁や天井の破片が落ちており、光は弱く薄暗く、どこかで火が燃えているのか煙の匂いもした。走れば走るほど、その具合はひどくなっている。危険に向かって走っていることだけはわかるのに、生物がするべきことの真逆をしているのに、どんどん身体は軽く、口元もニヤけてくる。
ああ、楽しい!! 自分は今なにか危ないことをしようとしている!!
恵みと戦うときとは比べ物にならないような幸福感が彼の身体を包んでいた。
最初は小石ほどの大きさにしか見えていなかった、少年の背中が、飛びかかれば掴めそうな距離にあった頃、少年は目的地についたようだ。大きな扉で区切られた天井の高い開けた場所だった。
『中央隔壁封鎖します。館内洗浄開始まであと180秒です』
人の声だが、人間のものではないような声がその様に話しているのを聞きながら、彼は周囲を見渡す。瓦礫のような、割れかけた鳥の卵のようなものが並んでいた。遠くを見ると、あの少年が床に向かって何やら話しかけているようだが
『コフィン内マスターのバイタル基準値に達していません』
そちらに行こうという気持ちが湧いてこなかったので、周囲を探索することにした。
いつか話で聞いた、罪深きものが死んだら行く世界は、荒廃して燃えているという。
そんな言葉が思い出したということは、それだけひどい状態だと、彼自身が思えたのだろう。
部屋の隅の方までくると、ふと目に留まる卵の殻のようなものがあった。
それは、割れた部分から、細い少女の手が伸びていた。白くて、細い手だった。握りこぶしを作ったこともないような、手刀のために皮膚を固くしたこともないような、傷もついていない手だった。
壊れた所から、手の根本を覗き込むと、そこには案の定少女がいた。名前も知らない彼女は、彼には事切れているように見えた。
『番号47 藤丸立香 番号48 未登録 2名をマスターとして再設定。アンサモンプログラムスタート。霊子変換を開始します』
先程の少年のようにその手をにぎることが、何か正しいことのように感じたのだが、彼はそれをしなかった。只々呆然とその手をみて、開ききった目を見つめて、
「ああ、勿体ないね……」
そう小さくつぶやいた。
それを最後に、彼の意識は黒く塗りつぶされ、何も感じ取れなくなった。
大くんの言葉は、参照相手が女性のため、妙に女ぽくしてます