うちの街のポケッター公式アカウントのアイコンが、誰も見たことがないポケモンになっているらしい。中の人が伝説のポケモンに会ったとか、そんな億分の一だか兆分の一もありえないことが起きたわけがないだろう。だがまあその「未確認ポケモン」とやらを拝んでやろうじゃないか。
幼馴染みからのリークを半分以上信じずにポケッターを開いた私は飲んでいたコーヒーを噴き出した。
「ぬこ様じゃん!?」
スパイクタウン公式アカウントのアイコンは――なんとキジトラの子猫だった。写真の説明ポケートには「中央通り商店街の看板娘に就任しました。新種のポケモンである可能性があり、現在は調査結果待ちです」と書かれている。我が家はスパイクタウンの外れにあるから、中央通り商店街は少し遠い。でも自転車を使えばすぐだ。
「今すぐ行くチャリで走って行く、待ってろぬこ様」
創作小説投稿サイトの「ポケモンがいない世界観」ジャンルで知り合った転生者で作るグループトークにスパイクタウン公式へのリンクを貼り付け、ぬこ様降臨とメッセージを打った。百三十七人が入っている大規模グループトークだから早速既読が八もついた。
数十秒後には既読は二十を超え、メッセージがぽこぽこと増え始める。
――ガチのぬこ様で三度見した
――猫じゃん
――うぉぉぉぉぉぉぉぉネコチャン!!!!ネコヤチン!!!!!!!!!
――スパイクタウンisどこ?
――チケット予約しましたねこ様に会いに行きます
――生で見たい生で見たい生で見たい生で見たい生で見たい生で見たい
――ポケモンワールドよ、これが猫だ
――隣の街です、ありがとう神様ありがとう。私がこれまで功徳を積んできたご褒美ですね? 写真なら任せろ一眼レフ持っていくから
そこに「こちらスパイク住みぬこ奴隷。今からぬこ様に会いに行ってくるけど捧げ物は何が良いと思う?」と書き込めば、ササミやらマグロやらちゅー○やらという返事でスパイクタウン公式ポケッターへのリンクが見る間に上へ流れていく。
その間にイラスト投稿サイトで「妄想動物」「妄想動物と一緒」タグで縁ができた転生者グループトークにも同様のリンクを貼り付ける。こちらの知り合いは、ポケモンワールドでは既に犬や猫が絶滅したため存在しないにも関わらず『ぬこのきもち』や『私とわんこの日々』、『爬虫類はいいぞ』という漫画やらを投稿し続けている猛者ばかりだ。
小説投稿サイトのグループトークとメンバーが一部被っているが、片方にしか加入していない人もいるのだ。
「無塩バター? ぬこ様ってバター舐めるの? えっつまり手のひらにバターを乗せたらぬこ様に手をペロペロして貰える……!?」
ぬこ様にも好みがあるためバターを好むかは分からないが、手をペロペロしてもらえる可能性があるなら試さずにいられようか。
我が家には普通のバターしかなかったためスーパーに寄って無塩バターを手に入れ、中央通り商店街をおのぼりさんみたくキョロキョロと見て回る。ぬこ様はどこだ、ぬこ様を出せ……。
「そこのお嬢ちゃん、何か探してるの」
不審者に見えたのか、紅茶屋のおばさんが声をかけてきた。商店街の人なら誰でもぬこ様のことを知っているとは限らないだろうけど、とりあえずスマホを見せながらぬこ様のアイコンを見せる。
「あの、この公式アカウントの子に会いに来たんですけど」
「ああ! そのポケモンなら今の時間はスーパーゼブラにいるはずだよ」
「ほんとですか! ありがとうございます!」
グループトークに「ぬこ様はスーパーゼブラ・スパイクタウン中央通り商店街本店にいらっしゃるという情報提供を受けた」とだけ送って商店街の入り口方向に向かう。
スーパーゼブラはスパイクタウン内に三店舗、ナックルタウンに一店舗ある地元密着型スーパーだ。「彩りなくても美味けりゃいい」が売り文句のお惣菜は、見た目はちょっとアレだけどガラルで買える料理にしては美味しい類いに入る。私も週に何度かお世話になってるくらいだ。
スーパーゼブラに着いたけどぬこ様の姿は見えない。店内だろうか。キョロキョロしながら店内に入り――見つけた! 野菜コーナーと魚コーナーの間に「スパイクタウン看板娘ちゃん休憩所(※よく寝る子ですので、睡眠中に撫でるなどしないでください)」って看板がある!
早歩きでそこに向かい先ずは看板をパシャンコ、看板下のクッションの上で丸くなっているぬこ様をパシャンコ。
近づいたらぬこ様はごろんと転がって体を伸ばし、ヘソ天しながら私を見やった。
「っはぁ~! ぬこ! ぬこ様! 地上に舞い降りしエンジェルか? ほえ~にくきうがピンクと黒のまだらですかぁ可愛いですねぇ。あっ無塩バターは如何ですか? へっへっへっ、こちら賄賂としてお持ちしましてね……黄金のお饅頭ならぬ黄金の無塩バターですよおててからペロペロしていただきたくて。あっ除菌手拭き忘れた」
店内の衛生コーナーで除菌手拭きを買い、またぬこ様の前に戻る。
「お腹もふらせて頂いてもよろしいでしょうか? ふわぁぁぁもふもふ……そうとも、これが、これこそがぬこ様だ。気紛れなエンジェルが、ふとした時に甘えてくれるこの瞬間のために私たちは生きています。んぎゃわいいね~生きてて良かったくも○式。ぬこ様におててペロペロしていただけた日にはもはや我が人生に一片の悔いなし。愛を見失っていたこの人生に最後の彩りをありがとう」
撫でてええんやで、と言わんばかりなお腹にこわごわ手のひらを乗せる。逃げたり身を捩ったりしない様子からして、触っても良いということだろう。
ふわっふわの柔らかく温かなぬこ様の感触が手を押し返す。この満たされた気持ちに名前をつけるなら、そう――
「
エデンはここにあった。天井を仰ぎ幸福感を噛みしめ、この世の何よりも誰よりも弱い姿、つまりぬこ様の姿で現れた我らの救世主の御身に触れさせていただいた奇跡を全ての転生者で共有すべきという義務感が胸に湧いた。
ポケモンも可愛いよ、知ってるよポケモンが可愛いって。私にも相棒ポケモンいるし。でもぬこ様はこう、別枠なんだよ。ぬこ様に爪を立てられても噛みつかれてもただ可愛いだけだけど、ポケモンに爪を立てられ噛みつかれたら大怪我だ。そういうところ全然可愛くない。
虎が可愛くないとは言わないけど、虎とぬこ様の可愛さは別次元にあるんですよ分かりますか。ぬこ様はプリティーキティーおまんがエンジェル、ファンサして舐めて! その薄くて小さい爪でもちゃんと狩りができるもんね知ってる知ってるあー可愛い。
ポケモンはネコ型ポケモンでも中身や攻撃力が虎。強いのに可愛いよ! 凛々しい! 素敵! 頼り甲斐があって可愛いよ!
つまりぬこ様しか持たない可愛さに我々は餓えているわけだ。ネコチャンありがとう良い薬です。見て良し触って良し吸って良し鳴き声可愛しの、五感のうち視覚触覚嗅覚聴覚を満たしてくれるハピネスパワーの塊。つまりぬこ様は最強なんだ集中線。うぉぉぉぉぬこ!! ぬこ可愛いよぬこ!!!!
我々はぬこ様をはじめ、前世にいた身近な生き物に餓えている。ぬこ、わんこ、ハムスター、ウサギその他……似ているナニカは存在しているのに、元になった動物がいない。
ぬこを撫でさせろ! ぬこの奴隷にならせろ! ぬこを吸い、わんこに顔を舐められ、ハムケツをもふり、うさたんをだっこする。前世なら手の届いたそれらの快楽に、今生では全く手が届かない。
しかし見ろ、このぬこ様を! 目と目が合った瞬間バトルが始まるポケモンと違い、目と目があったら瞬きして愛を囁くぬこ様を!――つまりぬこしか勝たん。ありがとうございました。~ハッピーエンド~
こんなか弱くて可愛くてちっちゃい子を野生の殺意高杉君なポケモンワールドで放し飼いなんてできるわけがない。優しい飼い主にベロベロに甘やかされて暮らしてほしい。できるなら私が飼いたい。ぬこ様かわいいよぬこ様。
――ザリザリのんぎゃわいいベロでペロペロしていただけることを夢見て、無塩バターを手にのせて差し出してみる。緊張のあまり手の震えがやばい。スマホのバイブ機能と違い安定しない痙攣で腕は上下左右縦縦横横丸書いてチョン、古い洗濯機のごとく揺れまくっている。
「あなた、大丈夫ですか?」
後ろから掛けられた声にキュウリ猫のごとく跳ねながらわたわたと言い訳する。
「アッ! アノ、ダイジョウブデス腕の封印が解けかかっているだけなので!!」
鎮まれ我が右腕よ、暴走するには早すぎる。左手で右の二の腕をぎゅっと掴んでも震えは収まらず、かつて祖父により我が右腕に封印されし邪悪の竜・カオスドラゴン(デュエルではない)が暴れるがまま震えている。
「腕の封印……?」
「エッちょっまじかネズ=サン!? ネズ=サンなんでこんなところに」
「地元ですけど」
「アッ」
愚問じゃんね。
後ろにいたのは我がスパイクタウンが世界に誇るロックンローラー・哀愁のネズ。剣盾での最推しはカブさんだったのにでもネズさんってすごいよな、頭のてっぺんから爪先まで地元愛たっぷりだもん。スパイクタウンに生まれた私は流れるように推し変した。
「手のそれは――」
「アッ無塩バターです! そんな変な物をあげてるわけじゃなくてただこのカワイコちゃんに溶けたバターをおててからペロペロしていただきたいという癒しを求めた結果でしてハイ」
「欲望に正直でいやがりますね」
呆れたと言わんばかりのネズ=サンに下手な笑顔を返すしかない。
ぬこ様におててペロペロされる幸福がどれほどのものなのか、このイカしたロックンローラーは知らないのだ。舐めてくださって有難うございますと五体投地して感謝を捧げるレベルの幸福度なのだ。
「ストライプに……このポケモンに変なことしやがろうとしているのかと思いましたが、違ったようでやがりますね」
「ストライプ?」
「縞模様でしょう。だから名前をストライプと」
可愛くない名前だな……命名した人はネーミングセンスがないに違いない。まあ正式な名前がストライプだというなら、ぬこ様をトラちゃんと呼んでも何らおかしくないはず。キジトラだもんね、ねートラちゃん!
トラちゃんがミアと可愛いお声で鳴いた。流石ぬこ様だぜ鳴き声はまるで天使の笑い声のようだ。
「なんて可愛い声なの。鼓膜が喜びに震えてるよ! ほーらトラちゃんバターですよぉ」
くるりとぬこ様に振り返ってバターの溶けかけた手を差し出せば、ウナーと一鳴きして……私の手を……私の手をだな、ぬこ様が舐め始めたのだ。
ザリザリとした感触が手のひらを往復する。ここが天国だったのか。いつの間にか死んでいたんだな、私は。悔いが残っていないのかと言われれば悔いが残りまくりな人生だが、死ねばぬこ様におててを舐めて貰えるというなら悔いなど今すぐ消滅だ。
「うちのストライプに変な顔を見せないでくれやがりませんか」
「へ? うちの?」
「うちの子ですよ。昼間はこうしてスーパーに出勤ですがね」
ポケモンワールド生まれポケモンワールド育ちのポケモンマスター(ジムリ)が我々の癒しエンジェルの飼い主だと……? 推しだとしてもそれはちょっと認められませんよ、ぬこ様は我々転生者の精神安定剤に必要不可欠なので。可愛がるからうちにくれ。
「娘さんをうちにください。幸せにします」
「は? お断りですよ。マリィと何歳差ですかあんた」
「誤解させてしまいましたね。ほしいのはネズさんの妹さんではなくてトラちゃんです。トラちゃんをうちの子にください」
「嫌です」
「何故でしょう。ぬこ様をポケモンの一種だと勘違いしているネズさんが飼うより、私が飼った方がこの子に合った快適な生活を提供できますけど」
「勘違い……?」
――いま、ポケモンワールドに犬猫はいない。「いま」は。「むかし」はいた。
「この子の種類は猫です。ポケモン……モンスターではなく、アニマル」
攻撃力バリ高で縄張り意識が強く出会ったらバトルが始まるポケモンとの生存競争に、多くの動物たちが破れ、絶滅していった。ライチュウに気絶させられ、ゴースに倒されるインドゾウのように。
ネズさんは目を見開き……詳しく話を聞かせて貰えますか、と私の腕を掴んだ。
ちなみに鼓膜が勝手に震えたら幻聴が聞こえる。