みかづき荘に女オリ主ぶちこんで原作改変【完結】 作:難民180301
新西区某所、マンションの一室。ベッドとテレビ、空っぽの本棚の配置された無機質な部屋で、一人の少女がテレビに釘付けになっていた。
『ここはオレに任せて先に行け!』
「いいなぁ……」
夕方六時放送の少年向けアニメに入れ込む彼女の名前は藤本ハナ。特殊な家庭環境と本人の性格が災いし、自分のことを無価値なゴミクズと信じてやまないところ以外は、至って普通の女の子だ。
「自己犠牲したいな、誰かのために死にたいな」
「驚いた、君は死を願うのかい?」
「誰っ!?」
部屋に一人でいるつもりのハナに聞き慣れない声がかけられる。きょろきょろ見回すと、イタチに似た奇妙な白い獣が目に入った。
「やあ、僕の名前はキュゥべえ。僕と契約して魔法少女になってよ!」
「保健所を呼ばれたくなきゃ順序立ててイチから説明プリーズ」
ハナは冷静だった。きっと寝不足とストレスでしゃべる白い獣の幻を見ていると判断したからだ。それを知ってか知らずか、キュゥべえは先の言葉についてわかりやすく説明した。
世界には人に仇なす魔女がいて、それに対抗する魔法少女がいる。キュゥべえはハナに魔法少女の素質を感じ、契約を持ちかけたと。
「魔法少女になってくれるなら、なんでも願いを叶えてあげるよ」
「私の存在をなかったことにして」
ハナは常々生まれたくなかった、消えてしまいたいと強く思う。それを願いとして言ってみると、キュゥべえは首をかしげた。
「過去の改変かい? それは無理だ。君のことを誰も認知できないようにはできるけれど」
「それじゃただの透明人間だよ! なんでもって言ったのに、嘘つき!」
ブチギレたハナはキュゥべえの首根っこをつかみ窓から外へ放り投げる。そして再びテレビの前にぺたんと座り、死んだ目で録画を繰り返し見始めた。
数時間後。
『ここはオレに任せて先に行け!』
「同じシーンばかり見ているね。面白いのかい?」
「面白いよぉ、憧れるよぉ。こんな風に自分の命を誰かのために使えたら、きっと最高に生きてる感じがするよねぇ……ってまたお前か嘘つきビースト!」
「嘘つきじゃないよ」
どこから湧いて出たのか再びキュゥべえの声。さすがに幻覚じゃないなと察したハナはテレビを消し、ベッドに座るキュゥべえと向き合った。
「死に憧れるなんて、君は変わっているね」
「違うよ。自分が命を張って誰かを生かすのに憧れてるの。死ぬのはついでだよ」
ハナは自分の命がゴミクズ未満で、存在そのものが不快なカス野郎だと確信している。どう生きても他人に迷惑しかかけない底辺少女だと。しかし、そんなハナが唯一誰かの役に立てるのが『ここは任せて先に行け』──いわゆる自己犠牲なのである。
命は誰でも持っている。とても大切だ。それをベットしてもっと価値のある人の命を助けられたなら、どんなにいいだろう。誰かを助けられずとも、死をもってシナリオを大きく動かしたり、後世に影響を残せたならどれほど嬉しいだろう。そのときはきっと、生まれてきてよかったと初めて思えるはずだ。
キュゥべえはしばし沈黙した。
「誰かのための自己犠牲。それが君の願いなんだね?」
「違う。大切な仲間のための自己犠牲。見ず知らずの誰かのために死んだって見向きもされないでしょーが」
ため息をつき、再びキュゥべえの首根っこをつかむ。窓から放り出す構えだ。
「どうせ叶わないって分かってるよ。ええ、ええ、分かってますとも」
完全にへそを曲げていた。自分の願いが荒唐無稽にすぎると自覚しているからだ。
最底辺のゴミでありなんの特技も能力もない自分が、大切な仲間と呼べる関係を誰かと築けるはずはない。仲間のための自己犠牲なんて夢のまた夢だ。
「叶うよ」
「まーじか」
ハナはキュゥべえを座布団の上に置いた。キッチンへ行ってお茶を入れてきた。
「君の因果律は過去の改変には足りないけれど、未確定の未来に干渉する程度なら十二分だ」
「もっと簡単に言って」
「君が願うなら、君は大切な仲間に恵まれその子達のために命を落とすだろう」
「よっし契約成立ゥさっさと願い叶えてくださいよっ」
ここは私に任せて先に行けをリアルでやりたい。大切な仲間のための自己犠牲。ハナとキュゥべえとの間で願い事の解釈に差はあったものの、こうして契約は成立した。
キュゥべえの耳毛がハナの貧相な胸に触れ、強く輝いたかと思うと、どどめ色のソウルジェムが形成される。これでハナは魔法少女として魔女と戦う運命を背負った。しかしそんなことはどうでもよかった。
「えっ、仲間は?」
願いは叶ったはずなのに、仲間はいなかった。てっきり仲間がすぐに作られるのかと思ったのに。
「まさかこんなことが」とつぶやきながらソウルジェムを見つめていたキュゥべえは、無機質な瞳でハナを見返す。
「いずれできるはずさ。望もうと望むまいと」
「あ、そっちのパターンか」
ゲームのキャラがリスポンする方式ではなく、あくまでも自然に関係が形成されるらしい。
理解したハナはさっそく出会いを求め、夜の街へ出かけようと立ち上がる。
「ひいっ!?」
すると乱暴に扉が開かれた。父親だった。
反射的に背を丸め頭を腕でかばう。その反応になんの感慨も示さず、父親は言った。
荷物をまとめろ、と。
ーーー
新西区、みかづき荘。芝生に覆われた広い庭と、西洋風のこじゃれた二階建て家屋が特徴の下宿で、居住者は四人。オーナーである老婆とその孫娘の七海やちよ、友人の梓みふゆ、そして藤本ハナである。
「まーじか」
「どうかした?」
「い、いえなんでも」
展開がはやーい、と願い事のテンポに呆れながらニンジンをいちょう切りにしていると、ついハナは声を漏らした。隣でじゃがいもの皮をむく七海やちよは、首をかしげてから「そう」と眠たげな瞳を正面に戻す。ひそかにハナが視線をあげると、リビングのソファで触覚っぽいアホ毛を揺らしテレビを見る梓みふゆ、安楽椅子の上で編み物中のおばあちゃんが目に入る。夕方のみかづき荘の日常風景だった。
ハナの両親は長期の海外出張へ発った。以前のマンションはハナ一人住まわせるにはもったいないということで、賃貸契約を打ち切ってより安い下宿にハナを置いていくことに。その下宿がみかづき荘である。
「藤本さん、ずいぶん手慣れてるわね」
「将来の夢は野菜を切るだけの機械なんです」
「そうなったら一台買おうかしら」
「安くしときますよ」
ハナにとって、自分の言葉に張り手や拳が飛んでこないコミュニケーションは新鮮だった。テクニカルすぎる包丁さばきで野菜を的確に刻んでいく。程なく出来上がったカレーライスは全員に好評だった。
別の日、梓みふゆは窓の桟をしきりにこすっていた。
その日はハナが掃除当番で、三角巾とはたきに雑巾つきのバケツを加えたフル装備でみかづき荘を奔走しており、みふゆの行動が目に留まる。
「むむ……」
「あのう、何してんです、みふゆさん?」
「ほこりが残っているじゃないやり直し、って言ってみたくて」
「姑ェ」
普段お嬢様然としているみふゆだが、いたずらっぽく舌を出すその笑顔は、普通の女の子そのものだった。
「しかし人間ルンバと呼ばれ恐れられる私に姑ムーブは通用しません」
「あっ。知ってます。階段が登れなかったり、帰ったら充電切れで動けなくなってるやつですよね?」
「なんで間抜けポイントだけそんな知ってんですか」
ルンバではないが、家事専門の自動機械扱いされていたのは本当だった。優秀な腹違いの兄弟たちに比べハナに取り柄と呼べるものはなく、誰でも機械的にできる家事全般スキルが異様に向上したのだ。できて当然なので特に誇らしい気持ちはないものの、みかづき荘に馴染む一助となっていた。
そんなハナがある日事件を引き起こす。
昨日洗濯かごに溜まった洗濯物を洗濯機にぶちこみ、スイッチを入れる。終わればまたかごに入れて庭先へ干しに行く。このとき、当たり前だが居住者のパンツを観測できる。
「梓さんは……ふむ、想定どおり。一方の七海さんは……こう来ましたか。ふうむ大したものですね」
「何が大したものだって?」
「そりゃ本人のキャラとパンツの柄のギャップが……げえっ!?」
庭先でパンツソムリエをしているハナに忍び寄る影。気づいたときにはもう遅く、ハナのほっぺたは背後からもっちもちにつねられることになった。
「……明日から私が洗濯しようかしら?」
「ひゃめぇ! ひごとうあわないでぇ!」
「ふふっ、冗談よ」
「藤本さんは働き者ですねー」
ほんのり顔を赤くして眉根を寄せていた七海は、涙目の藤本を見てふっと笑みを浮かべる。梓は庭に面した窓に肘をつき、にこにこ笑っていた。奴隷根性と家事スキルの高さ、それと本人の愛玩動物っぽい雰囲気も相まって、藤本ハナは七海と梓に妹のように見られていた。
働き者で一生懸命、けれどどこかいたずらな妹分。それが日常でのポジションだ。
では日常の裏側ではどうか。
「ようやく追い詰めたわね。一気にいくわよ、みふゆ、ハナ!」
「はい、やっちゃん!」
「合点です!」
新西区某所に展開された魔女の結界内部。魔法少女としてこれを破壊する使命に従い、三人は揃って一体の魔女を追い詰めていた。すでに使い魔は全滅させ、後は結界の主である魔女を倒すだけ。最終決戦の局面である。
七海やちよは持ち前の槍を突いて振るって時に投げ、前衛に立って魔女にダメージを与えていく。みふゆは巨大なチャクラムをやちよの後ろから曲芸師のように投げながら、時に幻覚の固有魔法で魔女を撹乱する。
一方、ハナは地味だった。幾何学模様の旗がついた細身の槍という、優勝旗のような得物を振り回しながら、中距離をうろうろ。ときどき思い出したように槍の部分でチクチクつっつく。こいついるぅ? と言われても仕方ない地味さだ。
戦いは優勢に進み、ついに魔女は結界ごと逃げようとする。それを読んだみふゆが回り込んで追撃すると、魔女は最後の抵抗を始めた。
穢れと呪いのエネルギーを振り絞って使い魔を生成。無数の使い魔たちを魔女本体が取り込み、どんどん巨大化していく。
巨大ロボットのごとく大きくなった魔女。そのサイズは山のようで、やちよたちを踏み潰すことなどわけない。
しかしやちよとみふゆはすでに構えをとき、ほっとした表情でハナに視線を送っていた。
それを受けたハナは魔女に手をかざし、陽陽と宣告する。
「敗北フラグ来ましたっ! 回収!」
瞬間、魔女は爆散した。
ーーー
キュゥべえが願いを叶えるにあたり、願いの成就には二つのパターンがある。一つは即物成就。願ったもの、事象が即座に用意されるパターン。もう一つが能力付与。願ったもの、事象を得るのに直接役立つ能力を固有魔法として契約者に与えるパターン。
藤本ハナは両方のパターンを引き当てた少女だった。
本来暗い一室で孤独に餓死するはずだった運命を捻じ曲げ、仲間に恵まれる未来を歩まされ。その未来で『仲間を救って死ぬ死亡フラグを回収したい』という願いを叶えるのに、役立つ固有魔法を得た。
それが『各種フラグの管理能力』である。
対象が特定の行動を取った場合、避けられない運命がフラグとして可視化。そのフラグを即座に回収し運命を現実化させるという能力だ。たとえば先の魔女は『追い詰められて合体し巨大化する』という行動で敗北フラグが立ち、このフラグをハナが即回収したことで敗北が実現した。
つまり特定の条件を満たした場合、絶対の敗北を相手に叩きつける能力。それがハナの固有魔法だった。なお、フラグの成立基準はハナにもよく分かっていない。
魔女を倒した三人は制服姿に戻り、再びみかづき荘への帰路につく。学校からの帰りに勃発した遭遇戦だった。
「毎度思うのだけど、最初からフラグを成立させることってできないの?」
「そうですよね。最初に私たちの勝利フラグとか、敵の敗北フラグを立てればとても楽になります」
「できるっちゃできますけど、一瞬で魔力切れて死にます」
もっともな二人の疑問にさらっと答えるハナ。二人は目を丸くした。
伏線やストーリーもなく運命が決まるのは物語のご法度であり、世界の禁忌だ。それを押して無理にフラグを立てられるほどの魔力は、ハナにはなかった。だからこそある程度戦ってフラグの必然性をあげる必要があるのだ。
「……ならいいわ。忘れてちょうだい」
「絶対にやってはいけませんよ、ハナさん」
釘をさす二人にハナは頷いた。
こうしてハナは日常と非日常を繰り返しながら、みかづき荘の一員として日々を過ごしていく。魔女の減少により東西の魔法少女が領土問題でピリピリし始めた折は、やちよとみふゆが新西区の代表として会談におもむき、その間新西区の留守を預かった。
「おかえりなさい! お風呂にしますか? ご飯にしますか? それとも──わぷっ!?」
「ああ、なんだか帰ってきたって感じがするわ……」
「そうですね……このゆっるゆるな感じ……」
領土問題をきっかけに神浜の東西関係は緊張し、ギスギスした情勢で東との協定締結を試みるやちよとみふゆは、けっこうくたびれていた。そんな二人をノリノリの新妻ごっこで迎えるハナは、癒やしだった。
みかづき荘で毎日待ってる緩い雰囲気と温かい食事の効果もあってか、領土問題は見込みより早く解決。東西の情勢はある程度落ち着いた。
再び戻ってきた平穏な日常だったが、やちよはほどなく戦慄する。
とある夕暮れ時、ソファにみふゆが身を沈め、やちよがみふゆの膝を枕にしている。キッチンからはリズミカルな包丁の音と、ぐつぐつ煮える煮物のにおい。それからハナの音痴な鼻歌だ。
当番制じゃなかったのかい?
ふいにそう言ったのはおばあちゃんだった。困り顔でやちよとみふゆ、調理中のハナを見ている。
やちよとみふゆはハッとして顔を見合わせ、立ち上がった。
「このままじゃ私たちダメになるわ」
「今こそ年上のお姉さんの力を見せるときですよ、やっちゃん!」
「あなたもやるのよ、みふゆ」
「えー」
会談の忙しさでなあなあになっていた家事当番制がどうにか復活。ハナに全部任せて甘えちゃう魂胆のみふゆも、やちよに引っ張られてお姉さんポジションに舞い戻った。「私の存在価値がっ!」と涙目になったハナがおばあちゃんに泣きついたのは余談である。
そうした緩やかな日々が過ぎていく中、また事件が起こる。といっても東西の情勢やら魔女やらは関係ない。ごくごく小さなものだ。
「ハナちゃん、一緒にお風呂に入りませんか?」
「絶対イヤです」
ハナはマスコット兼かわいい妹としてすっかり馴染んでいた。頼まれれば基本断らない。なので姉妹っぽいことをしてみたいみふゆがそう提案したとき、断固拒否されたのは事件であった。
反抗期なのかしら。しょんぼり肩を落とすみふゆだが、拒否の理由はすぐに知れることとなる。
いつもと変わらない夜のこと。みふゆは共用の洗面所へ洗濯済みのバスタオルを運んでいた。洗面所に隣接する浴室ではハナが入浴中で、タイミングによっては鉢合わせになる。まあ私たちの仲ですし大丈夫でしょう、と扉を開けると全裸のハナがいた。案の定である。
「あ……」
「ぴゃー!?」
裏声の悲鳴をあげるハナとは反対に、みふゆは絶句して扉を閉めた。
ハナの体には、消えない傷跡が無数に残っていた。それは魔女との戦いでできるようなかすり傷や大きな傷とは違い、作為的でねちっこい悪意の感じられるような傷跡だった。
みふゆは呆然としてリビングに戻る。やちよが怪訝な顔で「どうしたの?」と尋ねるが──
「みふゆさんに純潔を奪われました」
「!?」
「みふゆ……いつかはやると思っていたわ」
「違いますからね!? 納得したみたいな顔しないでやっちゃん!?」
どたどたとやってきたハナが神妙に爆弾発言をかまし、うやむやになった。
ただ、みふゆは意図せずハナとは距離を置くようになった。
「みふゆさん邪魔ですよー、どいてくださいよー」
「あ、すみません……すぐに」
「えっ」
掃除機の邪魔になればゴネることなくどくようになったし、
「みふゆさーん、服裏返して洗濯カゴに入れるのやめてくださいよー」
「あっすみません、もうしません……」
「「!?」」
ちょっとした文句まで素直に受け入れるようになった。ハナとやちよはそのたびに目を丸くする。
突如よそよそしくなったみふゆの様子にハナは終始困惑していたが、無理もないとすぐに納得した。というのも、ハナがみかづき荘にいること自体が歪だと自覚しているからだ。
ハナは自分がどうしようもない最底辺のクズ女だと確信している。他人と話すどころか近くにいることさえ許されない真正のカスであり、生まれたことが間違いな存在。今までうまくやってこられた──そう思い込めていたのは、願い事が運命を捻じ曲げていたからだ。
願い事があったから、話すことができた。二人は仲良くしてくれた。願い事で繕われた関係の歪さが表に出てきただけ。みふゆに距離をとられたのはそれだけの理由だ。
「あれっ?」
自室にこもって懸命に考え、その答えにたどり着いたとき。納得したはずなのに、なぜかハナの両目は濡れていた。願い事で二人の人格や運命を歪めた罪悪感なのか、それとも何か別の理由か。よくわからないままに、ハナはとめどなく涙を流した。止めることはできなかった。
「……っ」
訳のわからない涙で困惑していたからだろう。扉の隙間から二人分の瞳が覗いていることには、泣きつかれて眠るまで気づくことはなかった。
ーーー
数ヶ月後。
みかづき荘の入居者は一人増えていた。
「かなえさーん、ちょっといいですか?」
「ん……」
雪野かなえ。若干目つきの悪い彼女は、みかづき荘のおばあちゃんの人間性に惚れ込み、入居。魔法少女のチームみかづきにも加入し、四人で魔女を狩ることもある。
「新しい勝利のBGMを考えたんです。いきますよ……アーアアー♪」
「やめて耳が腐る……!」
「ひっど!?」
そんな彼女にとって、藤本ハナはつかめない少女だった。自分の目つきにもまったく物怖じせずちょこちょこ寄ってきては音痴な歌を聞かせる。
「魔力を乗せればいいってもんじゃない……」
「でも強いですよこれ。敗北フラグよりも条件がゆるくて、流せば勝利の未来が確定するんです」
「戦ってる時、それ聞かされる身にもなって……笑い死にする」
「そこまでですかー」
ハナの固有魔法、フラグの管理の応用。勝利のBGMと呼ばれるそれは条件成立とともに運命レベルで勝利を呼び込むらしいが、かなえにとっては悪夢だった。どんな効果があろうと音痴過ぎて聞いちゃいられない。
頬をふくらませるハナの後ろから、みふゆが首に手を回す。やちよも少し離れたソファに座り、口をはさむ。
「ほんとですよ! この前戦いの最中に笑っちゃって危なかったんですから!」
「でも強力なのは確かなのよね。知り合いのモデルに元アイドル志望の子がいるから、その子にコツでも聞いておくわ」
「練習でどうにかなるレベルなの、これ……?」
「コレ扱いは傷つくからやめて」
コレ、と指さされたハナは涙目で肩を落とす。以前ひょんなことから出来た溝は、時間が癒やしてくれていた。
七海やちよ、梓みふゆ、雪野かなえ、おばあちゃん。ハナはこの四人を本当に大切な仲間だと信じており、無価値な自分の命を四人のために使うことに一切の抵抗はなかった。もしも誰かに危機がせまったなら、ためらいなくその死亡フラグを自分に委譲させ、願いを成就させる。笑顔で彼女たちと言葉を交わすたび、魔女と戦い絆を深めるたび、ハナの決意は固くなっていった。
だからこそ、ハナは取り乱した。
「まーじか」
「……どうした?」
ある日のこと。いつものように学校から帰ると、リビングには全員が勢揃いしている。
そのうちの一人、かなえに異常があったのだ。
「私の顔に何かついているのか?」
「顔ってか、脳天にぶっ刺さってる」
「脳天?」
かなえの頭には非常に強固な死亡フラグがたっていた。それも尋常なものではない。どれだけハナが干渉しようとしても弾かれ、まるで揺らがない。自身への委譲どころか敗北、負傷フラグへ格下げすることさえできない。集中して見てみれば、やちよとみふゆにもそれぞれ敗北フラグが立っていた。
それは寿命を迎えつつある老人のフラグに似ていた。正常な死。まるで死ぬことが世界に決定されているような、極めて強い死の運命。
ただ、覆せないことはない。なぜならフラグには回収する何者かが必要不可欠なのだ。天寿をまっとうする老人であれば時間であり、事件なら加害者が該当する。
回収の役割を担う何者かを倒せば──フラグはなかったことになる。
「かなえさん。最近ギターの調子はどう?」
「? 上々かな。昨日も、部活でいい音出してるってほめられて。歌詞を考えるのも、楽しい」
「そっか。そうだよね」
「ハナちゃん、さっきからおかしいですよ。一体どうしたんです?」
ハナの声は震えていた。
怪訝に思うみふゆが口を挟むといっせいに視線が集まるが、「なんでも」と言い残し自室へ引っ込んだ。
かなえは死ぬべきでない人だ。
目つきが悪いことからガラの悪い連中に絡まれやすく、そのせいで周囲から歪な型を押し付けられ、自身をそれに当てはめていた。だけどみかづき荘でおばあちゃんを始めやさしい人たちと触れ合い、徐々に素直な自分を取り戻してきた。最近では自分を表現するために音楽を始め、少しずつ上達している。これから輝く未来に歩いていくべき人だ。
何よりも。
「死は私の役目でしょうが」
そうつぶやくハナの目に光はなかった。
願い事によって歪められた運命がもたらした、形だけの『大切な仲間』。決めつけるハナは結局、何も見えていないのだ。
ーーー
ハナはかなえのストーキングを始めた。いつかなえの死亡フラグが回収されようと対処できるようにだ。朝は一緒のベッドに潜り込み、昼は隣の席でランチを摂取し、夜はお風呂も一緒するかに思われたがこれはハナがイヤだったので妥協した。
マスコットじみたハナに付きまとわれるのはまんざらでもないかなえだったが、それは当初だけだった。次第にプライベートの侵害を感じ、ハナがトイレに同行するといい出したとききっぱり告げる。
「や・め・て」
「はい」
ハナはしゅんとして引き下がった。
「ハナ、一体どうしちゃったの?」
「ハナちゃんが少し変なのはいつものことですよ。ハナちゃーん、私の方はいつでもオッケーですよー」
「みふゆ、あなた……」
ハナは割とエキセントリックな言動をすることが多い。今回の度が過ぎたストーキングもその一環だろうと、やちよとみふゆは心配半分、呆れ半分で見守っていた。
ストーカーを解雇されたハナは焦る。いっそみんなに死亡フラグのことを明かしてみるか? みんなで団結してフラグの回避を目指す?
「ノー! 絶対にノー!」
自室にこもったハナは頭を抱える。それこそ最悪手だろう。
みかづき荘の面々は魔女との戦いでハナがフラグの力を借りるのを見ており、フラグの運命力がいかに絶対であるかをよく知っている。プロのフラグ管理士であるハナをして干渉できない強固な死亡フラグが仲間の一人に立っていると知れば、むやみに怖がらせてしまう。
と、ここでハナは楽観に走る。
世界の運命レベルで強固なフラグがかなえに立っている。それほど強力なフラグの回収者が現れるには、前兆があるだろう。そもそもフラグとは前兆の言い換えでもある。突拍子もなくかなえが危機に陥ることはないはず。
そうこじつけたハナは安心した。安心した、と自分に思い込ませた。そうでもしないと気が病みそうだった。
得体の知れない回収者を戦々恐々として待ち構える日々。早く現われろ、そして願いを叶えさせろとソワソワするハナ。
そしてその願いは通じ、回収者が現れた。
ーーー
サイケデリックな魔女空間。中央に居座る魔女は穢れと呪いの力を撒き散らし、その周囲にウンカのごとく使い魔の大群が展開している。
やちよ、みふゆ、かなえ、ハナの四人組はそれぞれの得物を振り回しながら、絶え間なく襲い来る使い魔たちをどうにか撃退していた。
「くっ、みんな! ソウルジェムの穢れは大丈夫!?」
「大丈夫ではないですね……!」
「こっちもだ……グリーフシードのストックもない……」
「……」
「ハナ! 返事をしなさい!」
「は、はい! どうにか!」
状況は圧倒的な不利だった。昨晩取り逃がした魔女との再戦なのだが、一晩で恐ろしく強くなっており、本体に近づくことさえ難しい。魔力の消耗も激しく、魔女の討伐など到底不可能だった。
しかし戦場はすでに魔女の結界最深部であり、強力な使い魔たちに包囲されている。魔女の本体から時折迫撃砲のような穢れキャノンが発射されており、撤退すら難しい。
やちよたちの選べる選択肢は少ない。このままジリ貧の抗戦で全滅するか、ありもしない全員生存の上での撤退案を考えるか、それとも──
「みんな。私が突破口を開く」
火力に秀でたかなえが、イチかバチかの特攻をかけるか。
「バカなこと言わないで!」
「そうです! そんなことをしたらかなえさんは……!」
やちよとみふゆの激しい反駁にも構わず、すでにかなえは覚悟を決めていた。鋭い目つきをさらに鋭く細め、鉄パイプを模した得物から黒い魔力の奔流があふれだす。後先考えない突貫をしかければ、魔女本体と刺し違えることは可能だろう。
これこそが逃れられない死の運命。かなえに定められた死亡フラグが、今にも回収されようとしている。
しかしそのフラグを良しとしない少女が一人。
「ハナ?」
「ハナちゃん?」
「ハナ、お前、一体何を……」
「何ってそりゃ、願いを叶えるんですよ」
ハナのソウルジェムが太陽のように光り輝く。命を燃やし尽くすかのような魔力の激流は、圧力となって使い魔たちの動きを封じた。一年前キュゥべえに祈った願い事の力が、魔力の輝きをなおさら強くしている。
すべての魔力と願い事の力に包まれるハナは、魔女と使い魔たち、それからかなえの死亡フラグを見据える。フラグの回収者はこの戦いだ。だからこの戦いを勝利に導けば、運命レベルのフラグはぼきりと折れる。
つまり、死に時である。
穏やかな表情で両手を魔女にかざすハナ。
そのとき、やちよとみふゆの脳裏にかつての記憶が蘇った。
『毎度思うのだけど、最初からフラグを成立させることってできないの?』
『そうですよね。最初に私たちの勝利フラグとか、敵の敗北フラグを立てればとても楽になります』
「あなたまさか……! やめて、ハナ! 戻ってきなさい!」
「ハナさん、嘘ですよね……? 何かの間違いです……そんな、そんなこと……!」
「ハナ、やめろ……! 全員で帰らなきゃ、意味ないんだぞ!」
「その全員に私は含まれちゃいません。最初から望まれてない子だっているんですよ」
ハナの口はしぜんに動いた。死に際は黙って潔く逝くはずだったのに、なぜか動いていた。
それを聞いたやちよたちの表情が、悲しみと絶望で陰る。ちくりと胸が痛んだけれど、その痛みが何なのかは分からなかった。
膨大な魔力と願い事を魔女に指向する。とたん、確定した未来が強固なフラグとして魔女の脳天に現前した。
なんのストーリーも伏線も必然性もない、突然の死の約束。世界のタブーを犯した代償に、力の奔流のすべてが消失する。
同時に塵へと消えたかなえの死亡フラグを一瞥すると、ハナは安心しきった笑みを浮かべ。
「
運命を破壊した。
ーーー
「まーじか」
二日後の朝、ハナは普通に目を覚ました。
場所は見慣れたみかづき荘の自室。シーツには触れるし五感もある、足だってついているし、どくどく動く心臓の鼓動までしっかり感じられる。生きていることは確実だ。
「やってくれたね、藤本ハナ」
「うわっ、出た」
まさしく名前にふさわしい散華を遂げたかと思いきや生きている。なぜなのかと考え始めたとき、白い獣が現れた。うさんくさい契約を持ちかけてきたキュゥべえである。
キュゥべえは変わらず能面のような白い顔をハナに向け、淡々と言う。
「ソウルジェムを分割するだけでも異例なのに、穢れきっても魔女にならないなんてね。君と契約したのは損失だった」
「ちょちょちょ、待って、新情報多すぎ。順を追って話してくれる?」
「いいよ。まず、ソウルジェムは魔法少女の命そのものだ。普通は契約に伴い一つだけ生成されるけど、君はこれを二つ所持していた。だから一つ壊れた今も生きているんだ」
「なるほど、なるほど……えーっ!?」
ハナにはソウルジェムが二つあった。失くした時用の予備としてタンスの中にしまってある。てっきり魔法少女免許のスペアとして二つ生成されるのが普通だと思っていたのに、まさかの一つが普通。しかも実はソウルジェムが魔法少女の命と来た。声も出ようってものだ。でもどうして二つも、と聞けば「願い事の影響かもね」と返ってくる。
ハナは大切な仲間を守って死ぬことを願った。様々な作品における美味しい死に方の王道がそれだったからだ。しかしその死に方は、死後のシナリオとセットだった。
仲間のために死んだ後、周囲のキャラがどれほど悲しみ嘆くのか。シナリオにどれほど大きな影響を与えるか。そういった死後の観測を含意した上でハナは願い事をしたのだ。
これを叶えるための残機制──つまり、ソウルジェムの分割である。
「確かに願ったけどさぁ」
正直言葉にしてない部分まで十全に叶えてくれるとは思っていなかった。それに、ハナは自分の死を誰かが悲しんでくれるとは期待していない。せいぜいお焼香をあげて申し訳程度に喪に服して忘れられると予想していたので、生き残っても素直に喜べない。
「不服かい? 大損をさせられた僕らにとっては、ちょっと心外だね」
「大損? さっきも言ってたけどそれってどういうこと?」
「簡単なことさ。ソウルジェムに穢れが溜まると君たちは魔女になる。変異に伴い発生するエネルギーを僕らが回収して、宇宙の延命にあてるんだ。ここまではいいね?」
「いやいやいやいや良くないから」
「君のソウルジェムは中途半端に分割されているから、魔女化するほどの穢れが貯まる容量がないんだ。相転移エネルギーが発生する前に穢れが容量を越え、ソウルジェムは壊れてしまう。だから大損ってことさ」
またもや新情報だった。魔法少女が魔女になる。じゃあ今まで倒してきた魔女は──魔法少女の正義とは──
多感で聡明な十代の女の子であれば苦悩もしよう。それほどの深刻な事実が明かされたのだ。しかしハナは幸か不幸か、世間一般ではアホの子と呼ばれる思考回路の持ち主であった。
魔法少女と魔女の真実を理解したものの、その正義と悪についての懊悩はまるまるカット。思考放棄したハナはキュゥべえの頭をむんずとつかみ、
「そういうことは早く言えやぁー!」
「だって聞かなかったじゃないかー」
窓から放り投げた。
ないかーないかーとドップラー効果と共に彼方へキュゥべえが飛んでいく。
肩で息をして飛んでいった方向を睨みつけるハナだったが、やがて気が抜けたようにぺたりとベッドへ座り込む。
その際またも新情報。魂の半分が消滅した影響だろうか、体が七歳程度のサイズまで縮んでいた。指先まで覆っているぶかぶかのパジャマは、遺体を安置する時仲間たちが着せてくれたのだろう。
目まぐるしくもたらされる新情報ラッシュ。やっと死ねることに抱いた安心感と、肩透かしを食らったがっかり感。それにつけて思うのは、
「これからどうしよう」
これに尽きる。
もう願いは叶った。覆せない運命は破壊した。幼女になってしまった以上今まで通り中学に通うのは難しいだろうし、今更やちよたちと顔を合わせるのは正直、怖い。
『なんで生きてるの? まあどうでもいいわ。さっさと家事に戻ってちょうだい』
『あら、しぶといですね。台所にアレが出てきたんですが、お仲間だったりします?』
『どっか行けオンチ……』
「ひどい……」
ぐすん、と鼻をすすった。ひどいのはお前の想像力だとつっこむ人員はいない。
数分悩んだ結果、ハナは失踪を決めた。
そもそもかなえに運命レベルの死亡フラグが立ったことは、ハナの願い事が原因の可能性がある。死に場所を求めたハナのわがままが、この先生きるべき人たちを危機に陥れた。
分割されたもう一つのソウルジェムが命であれば、また願い事が周囲を巻き込んだマッチポンプを引き起こすかもしれない。そうなる前に、一度目の死を区切りとして別れるべきだろう。
荷物をまとめようと立ち上がるハナ。
その時、自室の扉が開いた。
「──」
「あっ……」
遺体の顔を拭くための、桶と布巾。絶句するやちよの手から落ちたそれは、コロコロ音を立て転がる。
時が止まったかのような沈黙が部屋に満ち──ほどなくみかづき荘を丸ごと巻き込み、てんやわんやの大騒ぎになったのは言うまでもない。
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