彼は、英雄とは呼ばれずに   作:トド

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⑬ 『プレゼント』 

 ジェノが家に戻ったのは、いつもよりも二時間は早かった。

 まだまだ空は明るい。でも、なんだかとても疲れてしまったのだ。

 

「明日には、マリアの機嫌が直っていればいいけれど……」

 ジェノはそんな事を願いながら、家に入ろうとしたのだが、そこで背中から声がかかった。

 

「ジェノ。お帰りなさい。マリアちゃんとは、ちゃんと仲直りできたの?」

 声をかけて来たのは、庭へ向かう道に立っていたリニアだった。

 

「それが、あれからすぐに、マリアは怒って家に帰ってしまって……」

 訳を説明すると、リニアは「ああっ、マリアちゃんが可哀想」と言い、ジト目でジェノを見てくる。

 

「ううっ。でも、先生。僕は何も悪いことは……」

「し・た・の・よ。しかも、マリアちゃんだけでなく、私にもね」

「えっ?」

 ジェノは驚きの声を上げる。

 

 マリアが怒った理由だけでもわからないのに、自分はいつの間に、先生にまで失礼なことをしてしまったのだろうか。

 しかし、いくら考えても何をしたのか分からない。

 

「という訳で、先生は怒っています。だから、これから君にお説教をするので、庭まで来るように」

「……分かりました」

 ジェノは言われるがままに、リニアの後を付いて庭に行く。

 

 庭の中央付近まで行くと、リニアはくるりと振り返ってこちらを見た。

 ただその顔は、怒っているというよりは、拗ねているように思える。

 

「さて、ジェノ。先生がどうして怒っているのかを考えてみなさい」

「……はい」

 ジェノは素直に、リニアが怒っている理由を考える。

 

 最初に、マリアのことで先生も怒っているのではと考えたが、それだと、悪いことをしたのはマリア一人になる。先生に悪いことをしたことにはならない。

 

 それなら、先生は何に怒っているのだろう?

 先生と公園で話しをしたのは短い時間だ。それならば、マリアと一緒にいた時の会話の何かが、先生を怒らせたのだろう。

 

「あっ……」

 ジェノは少し考えて、一つの結論に至った。

 

「あの時、マリアは先生のことを、『良くない先生』と言った。でも、それは僕が……」

 リニア先生が強くはないのではないかと、自分は心のなかで疑っていた。だから、マリアにその事をつい話してしまったのだ。

 

「うん。そこに自分で気がついたのは偉いわ」

 リニアはそう言って鷹揚に頷く。

 

「ジェノ。君はマリアちゃんに、私の剣術の指導のことで不満を話したでしょう? だから、マリアちゃんは私に、『この先生は良くない先生』だって言ってきた。違うかしら?」

「はい。そのとおりです……。ごめんなさい」

 ジェノは素直に謝罪して頭を下げる。

 

「あーあ。こう見えても、先生は君をしっかり強くしてあげようと思って色々と考えているのよ。それなのに、君は信じてくれていない。先生、傷ついちゃったなぁ」

 リニアはどこかわざとらしい口調で言い、ぷいっと横を向いてしまう。

 

「その、ごめんなさい、先生。僕、先生が本当に強いのか心配になってしまって……」

 ジェノはもう一度心から謝罪するが、リニアはこちらを向いてくれない。

 

 どうしたらいいのだろうと、ジェノが困っていると、リニアは横を向いたまま、「本当に反省している?」と尋ねてきた。

 

「はい。反省しています」

 ジェノはしゅんとして応える。

 

「もう、先生を疑ったりしない?」

「はい。疑いません」

 

「地味で苦しい稽古でも、頑張って続ける?」

「はい。頑張ります!」

 

 ジェノはもともと、毎日の練習を止めたいと思ったことはない。

 ただ、不安だっただけなのだ。本当にこの先生に剣術を教わっていれば強くなれるのかどうかが。

 

「うん。分かったわ。それなら許してあげる」

 リニアはジェノに満面の笑顔を向けてくれた。

 

 その事にジェノが「よかった」と安堵の息をつくと、リニアはクスッと笑う。

 

「よし、素直に自分の間違いを認められるいい子には、また先生の凄いところを少しだけ見せてあげよう!」

「……今度は、どんな料理なんですか?」

 ジェノがそう言うと、リニアは意味ありげに含み笑いをする。

 

 そして、リニアはジェノに少し待っているように言うと、庭の端に設置されている物置に向かって行き、布に包まれた少し長い物を持ってきた。

 

「はい。一ヶ月早いけれど、頑張った生徒への先生からのプレゼントよ」

 リニアは笑顔で言い、ジェノにそれを手渡した。

 

「先生。これは?」

「布を外してみて」

「はい」

 ジェノは促されるままに、布を外す。そして、それが何なのかが分かると、ジェノの目はキラキラと輝いた。

 

 それは、木剣だった。けれど、以前にジェノが振っていたボロボロの木剣ではない。真新しい木剣だった。

 

「せっ、先生! これって、僕が貰っても……」

「もちろん。その剣は君のものよ。しかも、先生が愛情を込めて作った特別性なんだから」

 リニアは得意げに胸を張る。

 

「あっ、ありがとうございます。すごく嬉しいです」

 ジェノは涙が出てきそうになるのを堪えて、笑顔でお礼を言う。

 

 その反応に、リニアも嬉しそうに微笑んで、

 

「よぉーし。それじゃあ、約束どおり先生のすごいところを見せてあげよう。もうその布はいらないでしょうから、先生に貸して頂戴」

 

 ジェノの手から不要になった白い布を受け取り、それを何故か顔に巻きつけて目隠しをする。

 

「先生?」

 ジェノはリニアが何をしようとしているのか分からない。

 

「さて、ジェノ。せっかく新しい剣が手に入ったんだから、思いっきり振ってみたいでしょう?」

「えっ、あっ、はい……」

「うんうん。それなら、嫌って言うほど振らせてあげるわ」

 リニアはニンマリと口の端を上げる。

 

「今から私に向かってその剣で攻撃してきて。もちろん、剣だけでなく手足を使おうと、その辺の石を使ってもいいから、私に剣を当ててみなさい」

「そんな、危ないですよ!」

「こらこら。先生の心配をするなんて十年早いぞぉ。大丈夫よ。絶対に君の剣が当たることはないから」

 リニアはそう言うと、「それじゃあ、始め!」と言って、いつもの修行をするときのように開始の合図をする。

 

 ジェノは不安な気持ちを持ちながらも、木剣を握った。

 そして、もしも当たっても痛くないようにと、弱めに木剣を横薙ぎに振ってリニアの左手の甲を狙う。

 だが、あと少しで当たるというところで、リニアは左手を僅かに後方に動かし、その一撃を躱す。

 

「あらあら、随分と遅い攻撃ね。もしかして久しぶりに剣を持ったから、もう腕が疲れてしまったのかしら?」

 リニアは目隠しをしているにも関わらず、まるでジェノの一撃が見えているかのように言う。

 

「せっかく明日からは剣を使った修行も始めようと思っていたのに。これじゃあやっぱりあと一ヶ月間は、今までどおりの修行にした方がいいかしらね」

 リニアのその一言に、ジェノは焦る。

 ようやく木剣を持てるようになったのだ。それは困る。

 

「ほらっ、ジェノ。遠慮せずにどんどん打ち込んできなさい。私の心配なんてしなくていいから」

「はい!」

 ジェノは木剣をしっかりと握り、リニアに向けて勢いよく上から下にそれを振り下ろす。だが、やはり後少しというところで綺麗に躱されてしまう。

 

「ほらほら、一回一回剣を振るたびに固まっては駄目よ。上から下に振ったのなら、次は下から上に振るなりして、連続で斬りかかって来なさい」

「はい、先生!」

 そう返事をするジェノの声は明るかった。

 

 それは、ようやくリニアが、自分の先生がすごい人だと理解できたから。

 いくら子供の攻撃とはいっても、普通の人が目隠しをした状態でそれを避け続けるなんてできるわけがない。それくらいはジェノにも分かる。

 

 ジェノは連続でブンブンと木剣を振り回して攻撃する。

 けれど、リニアはそれを全てギリギリのところで全て躱してしまう。

 まるで当たる気がしない。

 それは悔しいこと。でも今はそれ以上に嬉しい気持ちが強い。

 

 ジェノはリニアの横や背中に回って攻撃をしてみたが、やはり攻撃はすべて空を斬るばかりだ。

 

 それから体力が尽きるまでジェノは攻撃を続けたが、結局彼の攻撃は全てカスリもしなかった。

 

「はぁ、はぁ。凄い、凄いよ、先生!」

「ふっふっふっ。先生の凄さが分かったかしら?」

 リニアはそう言うと、静かに目隠しを取る。

 

「でもね、ジェノ。先生の凄さはそれだけではないのよ」

「えっ?」

「もう、やっぱり気がついてないのね。ジェノ、君が以前に剣を振っていた時の事を思い出してみなさい」

「はい……」

 ジェノは二ヶ月ほど前の、自分の姿を懸命に思い出す。

 

「あっ!」

 以前の自分は、木剣を一振りするたびに体制が崩れて連続で剣を振ることが出来なかったはずだ。それなのに、今は連続で剣を……。

 

「よしよし。気がついたようね。以前の君は剣を一回振るたびにバランスを崩していた。その原因の一つは、君が使っていた剣の長さが、まるで君の体に合っていなかったことなの。

 でも、今、君が使っているその剣は君の体にピッタリと合っている。だから、バランスが崩れないの」

 その説明に、ジェノは歓喜で体を震わせる。

 

「そして、もう一つは、君の足腰と握力が弱かったことよ。でも、この二ヶ月間の修業でしっかりそれがついてきたから、剣をしっかり握れるし、体勢が崩れにくくなっている訳なのだよ」

 リニアは得意げに言う。

 

「せっ、先生。僕は同じ体勢で立っているだけだったのに、握力もついているんですか?」

「ええ、そうよ。必ず私は手を前に出させていたでしょう? そして、掌を少しだけ広げさせていた。実はあれにも意味があって、握力が自然と鍛えられるのよ」

 

 リニアの説明をそこまで聞き、ジェノは「ごめんなさい、先生!」と頭を下げた。

 

「先生はしっかり僕を強くしてくれていたのに、僕はまるでその事に気づいていませんでした。本当に、ごめんなさい」

 ジェノは心から自分の不敬を詫びる。

 

「もう。そんなに謝らなくてもいいわよ。君は不安に思いながらも、私の言うとおりの修行を頑張った。しかも、自主的に練習もしていた。その結果がこの成長なの。

 でも、まだまだ修行はこれからよ。そして、ますます修行は難しくて大変なものになっていくわ。

 これからもきちんと先生の言うことを聞いて、頑張れるかしら?」

 

 リニアに笑顔で問われ、ジェノは「はい。頑張ります!」と元気に答えるのだった。


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