彼は、英雄とは呼ばれずに   作:トド

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㊳ 『憧れた貴女に誓うこと』

 長い話を終えて、ジェノは静かに息をついた。

 

「そういう理由があって、その手紙はまだ封を切ることが出来ないんです。……どうかしましたか?」

 ジェノは、バルネアとリアラとメルエーナの女三人の向けてくる視線に、眉をひそめる。

 三人は、まるで微笑ましいものを見るような笑顔を自分に向けているのだ。

 

「やっぱり、男の子って、綺麗な先生に憧れるものなのかしら?」

「うんうん。ジェノ君にも、そういう可愛らしい時があったのね」

「本当に、素敵な先生だったんですね」

 口々に好き勝手な感想を口にする三人に、ジェノは小さく嘆息する。

 

「ジェノ君。今のお話に出てきたリニア先生のその後の事は分かっているのかしら?」

「はい。先生の故郷では、長く続いた戦争もようやく終息に向かっているそうです。その理由が、紫髪の凄腕の剣士が第三勢力として介入し、人々の支持を受けているからだといいます。おそらくは、その人が……」

 異国の情報なので、その信憑性は当てに出来ない部分もあるが、ジェノは可能な限り、リニアの故郷の情報を集めているので、大筋では間違っていないだろうと思う。

 

「あっ。そう言えば、ジェノちゃんは基本的に、いつも白ベースのジャケットを身に着けているけれど、もしかして、それもリニア先生の影響なの?」

 バルネアに笑顔で尋ねられ、ジェノは言葉に詰まる。理由は単純で、図星だからだ。

 

「ジェノさんが男性なのに料理が上手なのも、リニア先生の影響ですよね? 剣術だけでなく、本当にいろいろな意味で先生なんですね」

 メルエーナも何が面白いのか、にこにこと微笑む。

 

「……ジェノ君。一つだけいいかしら? どうしても私から君に話しておきたいことがあるの」

 不意に低い声で、リアラがジェノに伺いを立ててくる。

 

「はい。どうぞ」

 ジェノが了承すると、彼女はひどく真剣な表情で話し始めた。

 

「ジェノ君。今までの話で、君の嗜好が分かったわ」

「……えっ? 嗜好……ですか?」

 会話を遮るのは無作法だが、ジェノはそう尋ね返さずにはいられなかった。

 

「いいの、隠さなくて。君は、年上のお姉さんが好きなようね。まぁ、たしかに、年上の女性はそれはそれで魅力的よ。母性も感じやすいしね。でもね、私はあえて同い年……いえ、年の近い女の子を薦めるわ!」

「……すみません、おっしゃっている意味がわかりません」

 ジェノは素直な気持ちを口にしたのだが、リアラの熱弁は止まらない。

 

「いい、ジェノ君! 一見すると、年の近い女の子には母性を感じにくいかもしれないわ。でもね、普段の気のおけない関係のなかで、ふと目の当たりにする大人っぽい仕草や母性こそ、何より男心に響くはずなのよ」

「……あの、ですから……」

 ジェノは言葉を挟もうとするが、熱の入ったリアラの演説は止まらない。

 

「それに、ジェノ君。君の家庭環境も今回の話でよく分かったわ。本当に苦労したのね。ペントさんという素敵な女性がいてくれたことは幸いだけれど、やはり貴方は母性に飢えているのよ。

 だから、いつでも私のことを『お義母さん』と呼んでくれていいわ。

 そして、安心して。うちの娘にも、そこはかとない色気を、母性を、自然に感じさせるような所作は仕込んであるから。ちょっと胸だけは物足りないかもしれないけれど、ちょうど今が食べごろだから、遠慮な……」

「お母さん! いい加減にして下さい!」

 顔を真っ赤にしたメルエーナの怒声が、リアラの演説を止める。

 

 それから親子の口論が始まったので、ジェノは嘆息し、静かに席を立った。

 

「あら、どうしたの、ジェノちゃん?」

「少し話しすぎました。今日はそろそろ休ませてもらいます」

 バルネアにそう告げて、口論をしている母と娘を一瞥し、ジェノは苦笑する。

 

 けれどその瞳には、呆れの感情は浮かんでいない。そこに秘められたものは、憧憬だった。

 

「分かったわ。お休みなさい、ジェノちゃん。今日はお話をしてくれてありがとう。とても面白いお話だったわ」

 バルネアはそう言うと、静かに立ち上がり、ジェノの頭を優しく撫でた。

 

「バルネアさん?」

 ジェノは不思議そうにバルネアを見たが、彼女は黙って満面の笑みを浮かべるだけだ。

 

 ジェノはリアラとメルエーナにも就寝することを告げて、部屋に戻る。

 仲良く言い争いをしている二人は、ジェノに「おやすみなさい」と言って、また口論を始める。

 

「……」

 ジェノはわずかに口の端を上げて、部屋に戻ることにした。

 

「なっ! どっ、どこを見ているんですか! やめて下さい! ジェノさんに見られたら……」

「何を言っているのよ! 女の下着なんて、男の人に見られてなんぼでしょうが! もう、またこんな色気のない下着をつけて!」

「だから、娘の下着をまじまじと見ないで下さい!」

「もう、埒が明かないわ。明日は下着を買いに行くわよ! 決戦の日はジェノ君の誕生日! そこで一足早く大人にしてもらいなさい」

「そんな恥ずかしい真似、できるわけないです!」

「ええい! 十歳にもならない女の子が、ジェノ君の唇を奪っているのよ! 貴女ももうすぐ十八になるんだから、もう少し危機感を持ちなさい! 誰かに盗られてからじゃあ遅いのよ!」

 

 ジェノはそんなやり取りを背に、苦笑しながら振り返ることなく自分の部屋に戻るのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 何もしなくてもいいですから、とジェノは言ったのだが、イベント好きなバルネアが聞くはずもなく、ジェノの誕生会が開かれ、大盛況のうちに終了した。

 

 ジェノは後片付けを手伝おうとしたのだが、バルネアとメルエーナに拒まれてしまい、こうして自室に戻ってきたのだ。

 

「……誕生日、か……」

 バルネアさんとメルエーナの作ってくれた、自分の誕生日を祝う夕食が美味しすぎて、少々食べすぎてしまった。 

 

 いや、料理が美味しかったのは、それだけでなく、みんなが心から祝ってくれていたからだろう。

 ジェノの誕生会には、バルネアとメルエーナの他に、イルリア、リット、リリィ、シーウェン達が参加してくれた。

 

 特にシーウェンには、その前に昼食に誘われて、馴染みの屋台の親父さんのところで、鶏肉をぶつ切りにして粉を付けて揚げた、唐揚げなる絶品の料理をごちそうになってしまった。

 そして、「ジェノ。今度は飲みに誘うからな」と言い、何が嬉しいのか、シーウェンは笑っていた。

 

「……誕生日プレゼントまで、もらう事になるとは」

 ジェノは机いっぱいに置かれているプレゼントの山を見て、苦笑する。

 だが、その笑みはすぐに消えてなくなる。

 

「少し前までは、考えられないことだ……。俺は、果報者だな」

 ジェノの目は虚空を見つめ、過去を思い出す。

 

「……正直、先生と別れてから、ろくな事がなかったな……」

 リニアと別れてからしばらくして、長年の無理が祟ったのか、ペントが病に倒れ、療養のために故郷に帰ってしまった。

 ペントは最後まで、「ジェノ坊っちゃんのお世話は私がします」と言ってくれたが、ジェノはペントに死んでほしくないと説得したのだ。

 

 敬愛する先生はいなくなってしまった。

 母親代わりの大切なペントもいなくなってしまった。

 そして、何よりもの自慢だった兄さんは、いつの間にか……。

 

 ジェノの兄のデルクが商会の当主になってから一新された屋敷の使用人たち。

 彼らは今までの使用人とは異なり、しっかりと仕事をこなし、ジェノにも敬意を払ってくれた。

 けれど、ジェノが欲しかったのは、そんな上辺だけの付き合いではなかったのだ。

 家族として一緒に過ごしてくれる人を失った悲しみは、デルクがたまに遊んでくれるだけでは満たされることはなかった。

 

 さらに、成長するにつれて見えてくる人間の負の部分に辟易し、ますます自分が失ってしまった何物にも代えがたい幸せだったことを理解する。

 

 新しい豪奢な生活も、ジェノにはひどく薄っぺらなものに思えた。その満たされない心は、ジェノの心を蝕んでいった。

 

「良かったことと言えば、リットに出会ったことくらいか。……まぁ、あれを本当に良かったことと言っていいのかは分からんが……」

 そう皮肉めいて呟いたジェノは、ふと一人の少女を思い出す。

 

 それは、先程まで自分を祝ってくれていたメルエーナと瓜二つの少女。まだペントがいてくれたときの、最後の幸せな記憶……。

 

 ジェノは首を横に振り、静かに机に行き、恩師であるリニアから渡された最後の手紙を手に取る。

 

 この手紙のおかげで、一年一年を頑張れた。

 先生の教えがあったから、嫌なことがあっても堪えて、武術に邁進できた。

 

「これで、最後だ……」

 ジェノは丁寧に手紙の封を切る。

 当初は、日付が変わった瞬間に中身を見ようかと思っていたのだが、もったいない気がして、ここまで遅くなってしまった。

 

 ジェノは静かに、噛みしめるように、手紙の内容をゆっくりと読んでいく。

 

 

 

 

『ジェノ。十八歳の誕生日おめでとう!

 

 いよいよ君も大人の仲間入りだね。とはいっても、これを書いている先生も、まだ十七歳だから、不思議な気持ちなんだけれどね。

 

 さて、この手紙を読めたということは、君は私の教えをしっかり守ってくれたということね。その事を、先生は嬉しく思います。

 

 そして、がんばり屋さんな君のことだから、武術も勉強も遊びも、一生懸命頑張ってきたことだと思います。

 ですから、私は君に、私の剣の流派を明かします。

 

 我が流派の名は『森羅』。天地の間に存在するあらゆるものを意味する言葉。

 そして、新たな技術とともに、その<中伝>を君に授けます。

 

 これから、流派を尋ねられたら、『森羅』と名乗りなさい。

 

 そして、以前の手紙に書いた、エルマイラム王国で武術を教えている、私の弟弟子(私よりだいぶ年上だけどね)のライエルさんから一本取れるように努力を重ねること。

 

 ライエルさんには、そのあかつきには、『森羅』の<奥伝>を君に授けてくれるように頼んであるからね。

 

 どう? 張り合いがあるでしょう?

 大変だろうけれど、頑張ってね。

 

 そして、もしも奥伝となったら、いつか私のことを尋ねてきなさい。

 その際には、厳しく採点をして、その力量が十分であれば、<皆伝>そして<極伝>を授けます。

 

 但し、私も腕を磨いているので、生半可なことでは手に入らないことは覚悟しておくように。

 

 そして、この手紙を最後まで読んでくれた君に、この言葉を贈ります』

 

 

『私を信じて、ここまで努力を続けてきてありがとう。君という生徒に出会えたことを誇りに思います』

 

                

 親愛なる私の最初の生徒に、感謝を込めて

 

 

 

 

 

 後半の武術的な技術の記載を読む前に、ジェノは目頭が熱くなってしまった。

 

 この人に、リニア先生に出会えたからこそ、今の自分がある。

 辛いこと、苦しいことばかりだったけれど、先生の教えがあったから、今の自分はこんなに幸せなのだ。

 

「先生。俺は、もっと頑張ります。正直、あの時の貴女の実力にも遠く及ばない不出来な生徒ですが、どうか待っていて下さい」

 

 ジェノは静かに感謝の言葉を口にし、幼きあの日に憧れた、あの強い先生のようになるのだと、心に誓うのであった。

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