彼は、英雄とは呼ばれずに   作:トド

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予告編④ 『夏のとある日』④

 この店<マーメイドの涙>は若い女性向けの衣類を扱う専門店で、メルエーナはこの店で水着を購入したいとのリクエストだった。

 

 ナイムの街にはいくつもの服飾店があるが、男性であるジェノは、完全に女性専用の店であるこの店には無論足を運んだことはない。

 水着を選んで欲しいと頼まれ、それを了承したので、ジェノもメルエーナと連れ立って店に入ったのだが、これはこれで何かの役に立つ経験にはなるだろうとジェノは思う。

 

 店の間取りや商品の陳列の仕方などをとっても、雑多な服飾店とは異なるようだ。

 

「あっ、あの、水着をいくつか見せて頂きたいのですが」

 メルエーナもどうやらこの店には行きつけにはなっていないようで、少しだけ緊張した面持ちで、店員の女性に来店した用件を告げた。

 

「はい。それではこちらへどうぞ。お連れ様もご一緒に」

 メルエーナはまた顔を真っ赤にして、緊張した面持ちで店員に付いていく。同じ側の手と足が上がりそうな勢いだったので、ジェノは少し落ち着くように声をかける。

 

「ふふっ。仲がよろしいのですね」

 二十代前半くらいのその店員の女性が、そう言って微笑みかけてくる。

 

 嫌味のない接客だが、その実、今のやり取りで自分達の関係を推測していることは想像できた。少なくとも兄妹ではないと当たりをつけたに違いない。

 

「やはり試着して頂いた方が間違いありませんので、お好みの水着を何点か選んで頂いた方がよろしいかと。それと、好みを言って下されば、私のセンスになってしまいますが、何点か見繕いをさせて頂きます」

「あっ、その、ええと……」

 メルエーナは困って、ジェノの方に視線を向けてくる。

 

「最初は見繕ってもらった方が良いだろう。俺も詳しいことは分からんから、ここは専門家の意見を聞こう」

「はっ、はい!」

 メルエーナの了解を取り、ジェノは店員に口を開く。

 

「彼女は初めて水着を購入するので、あまり派手ではないものを選んでもらえないだろうか?」

「なるほど。そうですね。お連れ様はとても可愛らしいので、それを引き立てる水着の方がよろしいかと思います。それと派手なものを選ぶつもりはありませんが、あまり露出を押さえることを優先してしまいますと、その良さが霞んでしまいますね」

 店員はプロの目になり、メルエーナを頭の天辺からつま先までを確認していく。

 

「あっ、あの……」

 メルエーナは恥ずかしそうに困った表情を浮かべるが、店員に「少しだけ動かないで下さい」と言われ、「はっ、はい」と応えて固まる。

 

 店員はメルエーナの体に軽く触れて、不意に何かを耳打ちをしたので、ジェノは少しだけ彼女達から距離を開け、後ろを向く。体のサイズの話を聞かれたくないということくらいは、さすがのジェノでも分かっている。

 

 後ろを向くと、他の店員が忙しなく働いているのが見えたが、ジェノは気配を感じることができるので、先程まで彼女達の視線が自分達に向いていたことは分かっている。

 けれど、一般の客ならばそのことには気づかないはずだ。悪くない接客態度だと思う。

 

「そうでしたか。初めての水着を選んで貰うのですね。ふふっ、羨ましいです」

 店員の話術が巧みなのか、メルエーナは今日の来店理由を話したようだ。まぁ、別段秘密にするようなことでもないので、それは別に問題はない。

 

「露出を押さえるのであれば、ワンピースの水着ですが、それよりも、やはりビキニタイプがお客様にはお似合いだと思われます。体系的にも肌を晒す上で何も問題はありませんし、きっとお連れ様もその方がよろしいのではないでしょうか?」

 店員が微笑みを浮かべて意味ありげにこちらを見てくるが、ジェノはいまいちそのリアクションの意図が分からない。

 

「メルエーナ、それでいいか?」

「はっ、はい……。がっ、頑張ります……」

 メルエーナは顔を俯けて、小さな声で応える。

 

 何を頑張るのかは分からないが、水着を着る彼女自身が良いのであれば問題はない。

 

「それでは、少々お待ち下さいませ。あっ、それと……」

 店員はジェノに向かって微笑み、

 

「このお店は女性の衣類の専門店ですが、お客様達のように男性を連れ立って入ってこられる方も少なくありません。ですので、どうか試着室の近くでお待ち頂き、何かしらのトラブルがあっても対処できるようにして頂いた方がよろしいかと存じ上げます」

 

 そう言って、一礼をし、水着を探しに行くためにこの場を離れた。

 

「どういうことだ?」

 ジェノはいよいよ訳がわからなくなり、つい口に出してしまう。

 

「あっ、その、ジェノさん」

「なんだ、メルエーナ?」

「その、店員さんが仰るとおり、試着室のすぐ側で待っていてくっ、下さい。そっ、その、水着姿が、他の人に見えないようにして頂けると助かります……」

 メルエーナは顔を真っ赤にしながら、懇願してくる。

 

「肌を晒すのが恥ずかしいのであれば、水着を代えてもらったほうが……」

「だっ、大丈夫です! わっ、私、ジェノさんにだけ……なら……」

「いや、待て、メルエーナ。水着は他の人間にも見られるんだぞ?」

「そっ、それは、分かっています! それは当日までには克服しますから。でっ、でも、その、これという一着を見つけるまでは、その、他の人には……」

 メルエーナは真っ赤になりながらも、そう言ってジェノの上着の端を心細そうにぎゅっと掴む。

 

「……分かった。更衣室の前に立てば、衝立の代わりにはなるだろう」

「はっ、はい……。よっ、よろしく、お願いします……」

 メルエーナは海岸沿いでアイスを食べた時と同じくらい顔を真っ赤にして、か細い声で応えるのだった。

 

 

 

 

 

「どっ、どうですか、ジェノさん? にっ、似合いますか?」

 メルエーナは静かに試着室のカーテンを少しだけ開けて、店員に最初に渡された、赤いビキニを身に着けて、ジェノに感想を問う。

 

「……ああ。似合っていると思うぞ。肩紐もしっかりしているし、泳ぎの練習をしても問題はないだろう」

 ジェノは、メルエーナが普段は露出しない腹部や足を顕にしていることに多少不思議な感じがしながらも、そう答える。

 

「どうでしょうか、お客様? 一応確認のためにお持ちしましたが、私の見立てでは、お連れ様には赤以外の色の方がお似合いかと思いますが」

 店員は、メルエーナではなくジェノに問いかけてくる。まぁ、先程自分が選ぶということをメルエーナが話したのだからそれは納得なのだが、何故か彼女がすごく楽しそうに見えるのは気のせいだろうか?

 

「そうだな。白の方が似合う気がするな」

 ジェノは素直な気持ちを口にしただけなのだが、店員はやはり嬉しそうに、「では、こちらを」と、メルエーナにハンガーに掛けられた白い水着を手渡す。

 

「白のほうが似合うとのことですよ、お客様。ふふっ。それでは、もう何着か白で見繕いますね」

「……はっ、はい……」

 メルエーナは顔を両手で抑え、「着替えますので」と言って試着室のカーテンを閉める。

 

 そして、ややあって、再びカーテンが僅かに開かれた。

 

「どっ、どうでしょうか?」

「ああ。赤より似合っていると思うぞ。だが、機能性は変わらない。同じ水着ならば、自分の好きな色を選んだほうが後悔はないだろう」

「いっ、いえ、白にします! 絶対に白です!」

 メルエーナは顔を赤らめながらも、そう断言する。

 

「そうか」

 何故頑なに白にするのかは分からないが、ジェノはそれ以上は何も言わない。

 

「他にもいくつか同じタイプの白の水着をお持ちしました」

 店員が二着、新しい水着を持って戻ってきたので、メルエーナはとりあえず最初に試着した赤い水着を彼女に手渡そうとする。

 

「あっ!」

 だが、緊張と羞恥心で体が震えていたメルエーナは、そこでバランスを崩して、前に倒れてしまう。

 カーテンに捕まる暇もなく、顔から倒れてしまったメルエーナは、しかし地面に激突せずに済んだ。

 

「なるほど。こういうときのためにも、たしかにそばに付いていたほうが安全だな」

 それは、ジェノがメルエーナの体を抱き支えたからだった。

 

「大丈夫か、メルエーナ?」

 ジェノが尋ねると、彼女は「はっ、はい……」と小さく頷く。

 

「そうか」

 ジェノはそれだけ言うと、優しくメルエーナの体制を元に戻す。

 

「ふふふっ。お客様。いかがでしょう? 今、ご試着頂いている水着に致しませんか? 他の水着を選ぶのは、しばらくは難しそうですので」

「はっ、はい……。こっ、これを頂きます……」

 メルエーナは心ここにあらずと言った様子で、今度こそ店員に赤い水着を渡し、カーテンを静かに閉める。

 

 その様子に、ジェノは少し心配になったが、メルエーナ自身がそれでいいというのであれば、特段反対する理由はない。

 

「ふふっ。とても素敵なものを見せて頂きましたので、料金は勉強をさせて頂きますね」

「素敵なもの?」

 ジェノは怪訝な顔をしたが、店員は笑顔で他の水着を片付け始める。

 

(……どういうことだ?)

 ジェノは一人わけが分からず、立ち尽くすことしか出来なかった。

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