彼は、英雄とは呼ばれずに   作:トド

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第五章 『邂逅は、波乱とともに』
① 『それは、ある日の午後』


 どうしてなのでしょう?

 

 私はただの取り立てて長所のない平凡な人間です。ですから、当然好き嫌いはあります。

 それは食べ物などだけでなく、対人関係に置いても同様です。

 

 それでも、もう十八歳になったのですから、なるべく苦手な人とも、互いが不快にならないように接しようとはしていました。

 

 ……でも、駄目なんです。

 ひと目見たときから、あの人だけは、苦手意識が先立ってしまって……。

 

 理由は分かりません。

 あの人は、身分の違いを鼻にかけることもなく、物腰も柔らかで、誰に対しても温和に接する女性でした。

 

 それはもちろん、私に対してもです。

 

 だから、私は自分自身が嫌になります。

 

 

 ……もしかすると、私は嫉妬しているのでしょうか?

 

 容姿やスタイル、知識量、社交性。その他を比較しても、私があの人に勝っているものなんて何もありません。

 そんなすごい女性が私と同い年で、そして、彼女も、私が想いを寄せる男性に好意を抱いていそうだと分かったから……。

 

 でも、なんとかうまくやっていこうと思います。

 私も波風を立てたいわけではありませんから。

 

 それに、もうすぐ楽しみにしていた旅行に出かけるのです。

 それを励みにして頑張ろうと思います。

 

 

 しかし、このときの私は、この旅行が思いもしない出来事に繋がるなんて、考えてもいなかったのです。

 

 

 

 第五章 『邂逅は、波乱とともに』

 

 

 

 その日、メルエーナは上機嫌で、バルネアとジェノと一緒に皿洗いをしていた。

 まだまだ夏の暑い日が続く中だというのに、心からの笑みを浮かべて。

 

 それは、来週に迫った、小旅行の事を考えているからだ。

 

 泳ぎを教わるためにという名目で、メルエーナはジェノと海に行く約束をしていた。それは、当然近場の海でという話だったのだが、事情が変わった。

 

 先の化け物騒動により、このナイムの街の防犯機能を高めるべきだという声が住人達から上がり、それまで街灯が未設置だった箇所にも、議会主導で取り付けが行われることとなったのだ。

 

 もちろん、この広いナイムの街全てではないが、この<パニヨン>がある区画にも街灯が設置されることとなった。更には、老朽化してきていた石畳も更新するとのことである。

 

 非常にありがたい話だが、ここで一つ問題が。

 それは、工事の間、この区画は人の往来がかなり制限されてしまうということだった。

 

 この<パニヨン>は多くのお客様が開店前から長蛇の列を作る店なので、工事中は食事を食べに来てくださったお客様にかなりのご不便を掛けてしまう。

 そこで、店主のバルネアが、工事期間の一週間は、店を休業にすることを決めたのだ。

 

 そして……。

 

「ジェノちゃん、メルちゃん。どうせお店が休みなら、みんなで旅行に行きましょう! 少し距離はあるけれど、綺麗な湖があって、温泉とおいしい食事を楽しめる宿屋があるのよ」

 バルネアがそんな提案をしてくれたのだ。

 

 ジェノは仕事が入っていなかったので問題はなく、メルエーナももちろん賛成こそすれ、反対する理由がなかった。

 

「ふふふっ。メルちゃん。周りの目をあまり気にせずに、湖でジェノちゃんに手取り足取り泳ぎを教えてもらってね」

 とバルネアにこっそり言われ、メルエーナはいっそう旅行が楽しみになった。

 

 その上、旅行の費用は全てバルネアが出してくれるらしい。

 

 もちろん、毎月賃金を頂いている身として、お金は出そうとメルエーナもジェノもしたのだが、休業の届け出をすると、工事で営業ができない分の損失を見越して議会からお金が出るらしいので、気にしないでと言われてしまった。

 

「ああっ、家族旅行なんて久しぶりだわ。ジェノちゃん、メルちゃん。めいいっぱい楽しみましょうね!」

 誰よりもバルネアが一番楽しそうにしていたので、メルエーナとジェノは話し合い、今回はその厚意に甘えさせてもらうことにした。

 

 

「うんうん。二人共、ご苦労さま」

 皿洗いが終わり、バルネアの労いの言葉を受けて、今日の仕事は終わりになる。

 

 ジェノはいつものように稽古に向かうための準備を。そして、メルエーナは、遅れて店を訪れる人達のために待機をしながら、バルネアから調理技術を学ぶ事になっていた。

 

 だが、そこで、来店を告げるベルの音が店に鳴り響いた。

 

「あの、すみません。もう営業は終了しているとのことでしたが、どうしてもジェノという方にお会いしたくて、訪ねさせて頂きました」

 二十代半ばくらいで、温和そうな笑みを浮かべた眼鏡が印象的の茶色い髪の男性が、柔らかな物腰で来店理由を告げてくる。

 

 さらに、彼の後ろには、フードを深く被って顔を隠している人影が見えた。

 

「私がジェノです」

 ジェノはエプロンを取り、ウエイターの格好のまま、その男性の前に歩み寄る。

 

「ああ、貴方が。初めまして。私は、セレクト。セレクト=カインセリアと申します」

 セレクトと名乗った男性は、ラストネームまで名乗った。かなり格式張ったところ以外では、こういった名乗りは普通はしない。

 それでも名乗ったのは、年若いジェノにも敬意を払ってくれているからだろう。

 

「これはご丁寧に。ありがとうございます。セレクトさん。冒険者見習いの私に対する依頼と言うことでしょうか?」

 ジェノは単刀直入にセレクトに尋ねる。

 

「それが、少し違いまして……。まずは、私の主人の話をお聞き頂けますか?」

 セレクトは横に静かに移動し、代わりにフードの人物が前に出て、ジェノの前に立つ。

 そして、その人物は静かにフードを外した。

 

 その瞬間、メルエーナは、いや、バルネアも、あのジェノさえも息を呑んだ。

 

「……私は、マリア=レーナスと申します」

 そう名乗った女性は美しかった。

 

 金色の髪も、宝石のような碧眼も、その他の顔の造形一つ一つさえも完璧で、これほど美しい女性が存在するのかと思えるほどに。

 

「それとも、マリア=キンブリアと名乗った方が分かって頂けますか? ジェノ=ルディスさん」

 マリアは何故か親しげな笑みを浮かべ、ジェノの名前を呼ぶ。しかも、メルエーナも知らなかった、ジェノのラストネームを当たり前のように口にして。

 

 メルエーナはここで思い出す事があったはずだった。

 どこかで、聞いたことがあったのだ。『ルディス』という名を。

 

 だが、そんなことよりも、メルエーナは、自分と同年代のこんな美人が、ジェノに親しげに話しかけたことで頭がいっぱいで、それを思い出すことが出来なかった。

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