彼は、英雄とは呼ばれずに   作:トド

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㉞ 『主婦の悩み』

 なんとかバルネアさんをお茶に誘うことができた。

 夫たちが遺跡に向かっていった後、彼女が戻ってくるのを家の外に出て待っていた甲斐があったというものだ。

 

 ただ、非常に図々しいお願いだという自覚はあったので、ここからどう話を切り出そうと思っていたのだが、そんなことは杞憂だった。

 

「素敵な台所ですね」

 お茶を一口のんだ彼女――バルネアは、居間から見えるレミリアの家の立派な台所の話題を振ってくれたのだ。

 

「あっ、ありがとうございます。ですが、その、立派すぎて上手く使いこなせていないといいますか……」

「あら? 詳しくお聞きしてもよろしいですか?」

「はっ、はい。その、実は……」

 そこで、レミリアは自分の置かれている現状をバルネアに包み隠さずに話した。

 

 結婚前から、自分は料理がそれほど得意ではないことと、そんな拙い料理でも、夫であるキレースはたいそう喜んでくれるため、頑張ってお弁当などを作っていた。

 だが、夫は妻が料理上手だと誤解したようで、この新居を建てる際に、普通の家庭にしてはあまりにも素晴らしすぎる台所を用意してくれたのだ。

 

 レミリアは何度も普通の台所でよいと言ったのだが、夫が「料理上手な君の腕を存分に振るってほしいんだ」と目を輝かせていうので、結局こうなってしまった。

 

 それでも、家族だけで食事をしているのであれば特段問題はなかった。

 だが、娘が生まれて、しだいに大きくなるにつれて、同年代の奥さんとのご近所付き合いも増えてくる。

 

 このままだと、『あの家の奥さんは、台所はものすごく立派なのに、大した料理が作れない』と揶揄されるのではないかと恐々としているのだと相談した。

 

 するとバルネアはこちらの意図を理解してくれたようで、にっこり微笑み、

「私で良ければ、簡単で見栄えのする料理をお教えしますよ」

 と言ってくれたのだった。

 

 プロの料理人、更にはあの有名なバルネアシェフの教えを受けられる機会など、願っても叶わないことだ。レミリアは頭を下げて「お願いします」と懇願する。

 

 そして、娘がいつものようにご近所の奥さんであるバニアーリさんと彼女の息子と遊びに出かけた後、料理の特訓を続ける。

 

「と、ここまでは先ほどお話した料理と作り方は同じです。ですので、ここまでの過程を覚えておけば数種類の料理に応用が効くということですね」

 バルネアの説明はとてもわかりやすかった。

 それに、包丁の使い方のアドバイスまでしてくれたので、レミリアは心底ありがたかった。

 

「というわけで、ゆっくりやるとこんな感じですね。慣れるとスピードを上げることはできますが、最初のうちは正確さ重視で行きましょう。それと、これは基本中の基本ですが、味付けは最初は加減をして、薄ければ後から調味料を足していきましょう。当たり前に思われるかもしれませんが、新しい料理に取り組む際には、こういった基本を忘れがちですから」

 こちらのレベルに合わせた懇切丁寧な指導が、レミリアには涙が出そうなくらいに嬉しい。

 

「この料理本に載っている料理は、今までの調理方法でおおよそ作ることができるはずです。それと、これが私の家の住所です。もしも何か分からないことがありましたら、こちらに手紙を頂ければお答えいたしますので」

 その上、住所を書いたメモを渡してくれて、そんなことまで言ってくれた。

 

 あの有名なバルネアシェフの指導を受けられただけでも行幸なのに、誼を結ぶことまでできて、レミリアはこの幸運を神様に感謝する。

 

 それから、二人で楽しく談笑していると娘のフレリアが帰ってきた。

 楽しい時間というのは本当にあっという間だと、レミリアは実感する。

 

 そう。本当に楽しい時間というのは瞬く間に過ぎてしまうものだ。

 時はいつも静かに駆け足で進んでいくのだとレミリアは知っている。

 

「お母さん、凄く良い匂いがする!」

 食欲旺盛な娘が、家に入ってくるなりスンスンと鼻を鳴らして満面の笑顔を浮かべる。

 

 レミリアは、「お父さんが帰ってくるまで待ってね」と言って、玄関に向かい、いつもお世話になっているバニアーリさん達にお礼を言い、バルネアの指導のもとに自分が作った料理をおすそ分けすることにした。

 

「あらまぁ、美味しそう」

 とバニアーリは喜んでくれて、彼女の息子と家に帰って行った。

 

 レミリアは、よし! と一人ガッツポーズをこっそりとして、嬉しそうに居間に戻る。

 

 だが、そこで……。

 

「でね、でね! うちのお母さんはすっごく料理が上手なんだよ! おばさんは料理人かもしれないけれど、うちのお母さんには敵わないんだから!」

 自信満々にバルネアにそんな的はずれなことをいう娘の姿を発見し、血の気が一瞬で引いていく。

 

「ふっ、フレリア! バルネアさんになんて失礼な事を言うの! わっ、私の料理なんて……」

 慌てて娘の口を抑えようとしたレミリアだったが、バルネアに片手で待つようにジェスチャーをされてしまった。

 

「ふふっ、そうなの。料理が上手なお母さんで、フレリアちゃんは幸せね」

「うん! 料理が上手で優しいお母さんと、頭が良くて優しいお父さん! 二人がいるから、私はとっても幸せなんだよ!」

「うん、うん。そして、きっと、こんなに可愛いフレリアちゃんがいてくれるから、お父さんとお母さんも幸せなのよ。だから、お父さんとお母さんの言うことをきちんと聞いて、いい子にしないとね」

「はい!」

 元気よく返事をする娘の姿に、バルネアは目を細めて微笑む。

 

「ただいま。今帰ったよ」

 そして、まるでそのタイミングを見計らったかのように、夫が帰ってきた。

 

 いつもと同じ声にレミリアは安堵し、フレリアはバルネアに背中を向けて、お父さんを迎えに走る。

 

「キレースさんが帰ってきたということは、ジェノちゃん達も宿に戻ると思いますので、私はこれで失礼しますね」

「あっ、その、すみません。たいしたもてなしもできないどころか、教えて頂くばかりで……。それに、娘があんな失礼な事を……」

 レミリアの謝罪に、「いいえ」とバルネアは首を横に振る。

 

「私も料理がしたくてウズウズしていたので、本当にありがたかったです。それと、フレリアちゃんの言っていたことは何も間違っていませんよ。

 大好きなお母さんが作ってくれる美味しい料理ほど、子供が幸せになれるものはありませんから。どうか、このことも忘れないでくださいね」

 その言葉に、レミリアは感銘を受けて、しっかりと心に刻み、腕を磨くことを決意するのだった。

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