彼は、英雄とは呼ばれずに   作:トド

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㊷ 『温泉にて③』

 火照った体は、湯から出ただけで涼しい。入浴する前までは暑いと感じていたはずなのに。

 

 ジェノは少しその涼しさを味わうと、メルエーナに伝えて置かなければいけない事柄を口にする。

 

「メルエーナ。お前に話しておかなければいけないことがある」

「はい。何でしょう?」

 嬉しそうな声が返ってくるのを聞き、ジェノは少し気が重くなる。

 更には、どうしてこれを話す前に、メルエーナの申し出を受けてしまったのかと後悔した。

 

(いや、何を後悔しているんだ? これでメルエーナが俺との交際を諦めてくれるのならば、それはそれで……)

 少し湯に浸かりすぎたせいだろうか? どうも思考がおかしい気がすると、ジェノはそんな考えを抱いたのを湯のせいにし、言葉を続ける。

 

「俺の体には、例の<霧>と関係している化け物が封じられている」

「…………」

 先の<聖女の村>での一件を話した際には、敢えて口にしなかった事柄をジェノはメルエーナに話すことにした。

 

 荒唐無稽すぎる話に、メルエーナも戸惑っているのだろう。ジェノの声だけが、二人きりの小さな温泉に響き渡る。

 

 ジェノは分かりやすく、けれど要点を外さずに説明した。

 なぜその様な事になったのかも。過去にその<獣>の暴走で、多くの人間を手に掛けたことも。そして、今も危険であることを。

 

「……信じられない話だと思うが、これは真実だ。俺の感情などという不確かなものが発動装置になってしまっている以上、近くにいる人間を巻き込まない保証はない」

 ジェノはそこまで言うと口を噤む。そして、ただメルエーナの言葉を待った。

 

 メルエーナはどんな反応をするだろう。

 

 ふざけた言い訳を並べて、交際を有耶無耶にしようとしていると怒るだろうか?

 それとも、こんな仕打ちをされたことに泣いてしまうだろうか?

 いや、きっとただ呆れているのかもしれない。

 

 この温泉が静まり返って、メルエーナが口を開くまではそれほど長い時間だったわけではない。けれど、何故かジェノにはとても長い時間の様に思えた。

 

「実は、レイルン君が私に教えてくれていました。ジェノさんには、良くないものが憑いていると」

 メルエーナは静かに、ジェノの想像とは違う穏やかな声で言った。

 

「レイルンが?」

 レイルンは妖精だ。人間とは違う感覚を持っているのだろう。だから、この体に封印されているあの<獣>の存在にも気づいていたのだろう。

 

「はい。正直、私には漠然とし過ぎていて、何のことだか分かっていませんでしたが、今のジェノさんの話を聞いて納得しました」

「……そうか」

 ジェノは同意の言葉を返すだけだ。

 

「そして、いろいろなことが繋がりました。イルリアさんがジェノさんに負い目を感じている訳も、ジェノさんが普段から感情を表に出さないようにしている理由も……」

 メルエーナのその言葉に、何故か重い気持ちだったジェノは、それとは別の渋い顔をする。

 

「メルエーナ……。お前は一つ勘違いをしている」

「えっ?」

 メルエーナの驚く言葉に、頭が痛くなってくるジェノ。

 

「俺がぶっきらぼうで感情を表に出さないのは、ただの俺の性格だ。<獣>は関係ない」

「ええっ! そうなんですか? 私はてっきり、警戒をしているためだと……」

「正気を失いそうなほど激しい感情に流されそうになるときは気をつけるが、それ以外は素だ」

 ジェノは少し語気を強めてしまったことに気づき、気持ちを落ち着かせる。

 

 どうもメルエーナと話していると、他の人間の様に冷静に対応することができなくなる。こんな相手は、バルネアさんだけだと思っていたはずなのに。

 

「……そうなんですね。それがジェノさんの、()()素の性格なんですね」

「んっ? どういうことだ?」

 メルエーナの物言いが気になり、尋ねる。しかし、彼女は、

 

「いいえ。<獣>が原因でないことが分かって、少しホッとしただけです」

 

 そう何故か寂しそうに言う。

 

 メルエーナの言葉が嘘であることはすぐに分かったが、敢えて深く問いただすことではないと判断し、ジェノはいつものように、「そうか」とだけ口にするに留めた。

 

「ジェノさん、それよりも、これからのことを考えないといけません」

「これからのこと?」

「はい。私は魔法のことは良く分かりませんが、ジェノさんの症状が特殊なもので、リットさんでも根治できないというんですよね? でしたら、イルリアさんが行っているように、昔の凄い魔法の品物か、リットさん以上の魔法使いさんを探さないといけませんから。

 あっ、エリンシアさんは信用できますし、今回の報告がてら相談しにいきませんか?」

 メルエーナは普段と同じ口調と声色に戻り、困難なこと柄に当たり前のように取り組もうとする。

 

「待て、メルエーナ。これは俺の問題だ。お前にこれ以上迷惑をかけるわけには……」

「そんなの水臭いですし、何も手伝わせてくれないほうが私には辛いです。私の大切な人が困難な症状にあるのですから、それに手を貸したい、力になりたいと思うのは当たり前じゃあないですか」

 メルエーナの声は優しい。けれど、決して引かない強さも感じられ、ジェノは嘆息するしかなかった。

 

 どうもメルエーナは、好意を寄せた相手に尽くすタイプの人間なようだ。

 それは美点のようで、危うい点でもある。

 これがもしも、メルエーナが碌でもない男に好意を寄せていたら、彼女の人生がめちゃくちゃになっていたに違いないだろう。

 

 それを考えると心がざわつく。

 

(んっ? 何故だ? どうして俺は……こんなことを……)

 自分もその碌でもない男の一人であるのになと考え直し、ジェノは湧き上がってきたよくわからない何かを胸底に押しやることにする。

 

「メルエーナ。もう一度湯船に軽く入ったら、俺は出るつもりだが、お前はどうする?」

「はい。私もそうします」

 メルエーナは、そう言って自分に合わせてくる。

 

 それを理解し、ジェノはもう一度ため息をつくと、静かに湯に体を委ねる。

 

 そこで何故かは分からないが、先ほどとは違い、ジェノは肩の力が抜けて、温泉を心から楽しむことができたのだった。

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