彼は、英雄とは呼ばれずに   作:トド

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㉗ 『女には分かること』

 温かな紅茶を口にしたイルリアが大きく息をつくのを確認し、同じテーブルを囲むメルエーナは、優しく話しかける。

 

「落ち着きましたか?」

「ええ。ごめんね、メル……。みっともないところを見せてしまったわね」

 

 イルリアの謝罪に、メルエーナは首を横に振る。

 

「いいえ。そんな事はありません。私も、イルリアさんの言葉が間違っているとは思えませんでしたので……」

「……そう。ありがとうね、メル」

 イルリアの感謝の言葉に、メルエーナは微笑む。でも、その笑顔は何処か寂しげだった。

 

「メル。その、信じてもらえないかもしれないけれど、私は本当にあいつの事が大嫌いなの。あんな馬鹿のそばに居たら、私の胃に穴が空くわ。だから、変な心配はしないでね。

 私は、見ず知らずの他人のために、自分の命をすり減らすような馬鹿な男が大嫌いなだけで、それに我慢がならないだけだから……」

 イルリアの気遣いに、しかし、メルエーナは悲しく微笑むことしかできなかった。

 

「メル。少し話を聞いてくれない? 幼い頃の私の話。誰にも話したことがないことだけれど、貴女には知って置いて欲しいの。これを聞けば、私があの馬鹿を嫌う理由もわかってもらえると思うわ」

 イルリアはそう言って、メルエーナの瞳をしっかりと見つめてくる。

 

 ただ事ではない事を悟り、メルエーナは頷いて、イルリアの話を聞くことにした。

 そして、話を一通り聞いた彼女は理解する。イルリアがジェノに腹を立てる理由を。

 

「そんな、そんなのって……」

 淡々とイルリアは語ってくれたが、その内容はとても重い内容だった。

 

「もう、十年以上前の話なんだけれどね。まだ私の中でお父さんのことを整理できていないの。だから、あの馬鹿を見ていると、どうしてもね。……って、何も泣かなくてもいいじゃあないの」

 イルリアはそう言うが、メルエーナは涙が溢れるのを堪えられなかった。あまりにも、イルリアの境遇が悲しすぎて。

 

「心配しないで。私には、お爺ちゃんとお婆ちゃんがいてくれるから。二人共、今もすごく元気だしね。

 それに、私に良くしてくれるバルネアさんのような人もいるし、友達もいる。特に、こうして私のことで泣いてくれる貴女もいるわ。だから、私は大丈夫よ」

 力強い笑みを浮かべるイルリアの姿に、メルエーナも涙を拭う。

 これ以上泣いていては、気遣ってくれる彼女にさらなる心配を掛けてしまうから。

 

「はい、お待ちどうさま」

 そう言って、バルネアが厨房から出てきた。

 彼女は料理を手にイルリアの前にやって来て、できたての一皿をイルリアの前に配膳する。

 

 その皿の上には、真っ白なライスで出来た島があり、それを囲むように、茶色いソースの海が広がっている。そしてそのソースの一部に、白いクリームのようなものも掛けられていた。

 

 これは、メルエーナも知らない料理だ。だが、茶色のソース――ドミグラスソースの重厚で奥深い香りが、メルエーナの鼻孔もくすぐり、胃を刺激してくる。

 

「あっ、あの、バルネアさん。この料理は?」

「ふふっ。もう夕食時ですもの。お腹が空いたでしょう?」

 バルネアは笑顔でそう言うと、スプーンをイルリアの前に配置する。

 

「あっ、その、ありがとうございます」

 恐縮してお礼を言うイルリアに、バルネアは笑みを強めた。

 

「お礼を言うのは私の方よ。ジェノちゃんのために怒ってくれて、叱ってくれて、本当にありがとう。ジェノちゃんは本当に無茶をしすぎるから、私がお灸をすえなければと思っていたのだけれど、リアちゃんにそれをさせてしまったわね」

「あっ、いえ。私が我慢できなくなって、勝手にやってしまったことで……。その、騒がしくしてすみませんでした」

「謝ることなんてなにもないわ。さぁ、温かいうちに召し上がれ。この料理はビーフストロガノフという料理なの。お肉を食べると元気が出るから、作ってみたわ」

 

 バルネアに促されて、イルリアは食事前の祈りを捧げて早速料理を口に運ぶ。

 

「……はっ、ははははっ。もう、もう、笑ってしまうくらい美味しいです」

 イルリアはそう言って、本当に嬉しそうに笑みを浮かべる。

 

「そう。良かったわ」

 バルネアの言葉は、メルエーナの気持ちでもあった。

 イルリアが嬉しそうに微笑むことで、自分も救われたような気持ちになる。

 

「あらっ? メルちゃん、目が赤いわよ。大丈夫?」

 料理以外のことだと、普段はどこか、ぼーっとして見えるバルネアだが、意外なところで目聡い。もっとも、お客様を相手にする商売をしているのだから、それも当然なのだろう。

 

 本当に、普段は全然そんなようには見えないのだが。

 

「あっ、いえ、これは……」

 イルリアの過去を話すわけにもいかず、なんと説明しようかと回答に困るメルエーナ。

 だが、そこでイルリアが口を開く。

 

「いえ。メルが私に、どうすればあのジェノの朴念仁に振り向いてもらえるのかを一緒に考えてほしいと、泣きながら言ってきまして」

「なっ!」

 メルエーナは驚き、反論するのが遅れてしまった。そのため、バルネアは「あら、そういうことだったのね」と嬉しそうに笑う。

 

 メルエーナは恨みがましい視線をイルリアに向けたが、彼女はどこ吹く風で美味しそうに料理に舌鼓を打っている。

 

 自分がジェノに好意を抱いていることが公然の秘密なのは分かっているが、やはりこう直接的に言葉にされると、恥ずかしくて仕方がない。

 だがその一方で、まったく自分の想いを理解してくれないジェノに対して、もう少し恥ずかしい気持ちを堪えて行動に出なければいけないのではとも思う。

 

「あっ、あの、バルネアさん」

 覚悟を決めたメルエーナは、折角の機会だと思い直すことにして、バルネアに相談を持ちかけることにする。

 

「どうしたの? メルちゃん」

「その、一つ教えて下さい。バルネアさんは、今回の事件の事を聞いて、ジェノさんがコウ君を危険な目に合わせてでも、自分の手で仇を討たせようとした理由が分かりましたか?」

 

 メルエーナのその問いかけに、バルネアだけでなく、イルリアも食事の手を止めて沈黙する。

 

 質問が抽象的すぎて回答に困っているのだと思い、メルエーナは補足をする。

 

「リウスさんは、『女にはわからない』と仰っていました。そして、その言葉どおり、私には理解できませんでした。

 そもそも、ジェノさんがコウ君に一緒に戦うように求めたときにも、私はどうしてそのような危険なことをさせようとするのか分からなかったんです。

 コウ君が心に傷を負っていたのは知っていましたが、それを癒やすには、時間を掛けてゆっくり治して行く方が良いと考えていました」

 

 メルエーナの言葉に、バルネアではなく、イルリアが口を開いた。

 

「あのお爺さんが言っていることは、私にも分からなかったわ。そして、私もメルと同じ気持ち。時間を掛けて心の傷と向かい合って解決していったほうが良かったと思う。

 あいつが、あんな無茶を幼い子供にさせた理由が分からないわ」

 イルリアはそこまで言うと、食事を再開する。

 

 やはり、イルリアにもリウスの言葉の意味は分からなかったようだ。

 

 普段、誰よりも人のことを第一に考えるジェノが、わざわざコウを危険な目に合わせた理由が分からない。いつもの行動と矛盾しているように思えてしまう。

 

「メルちゃん。私の答えを言う前に、逆に一つ質問をさせて。

 その理由が理解できれば、もっとジェノちゃんの事も理解できるかもしれないと思うのかしら?」

 バルネアの問に、メルエーナは「はい」と頷く。

 

 それを聞いて、バルネアは苦笑し、思ったことを言葉にしてくれる。

 

「そう。それなら答えるわね。私にもリウスさんとジェノちゃんの気持ちは分からないわ。でもね、それは仕方がないと思っているわ」

 バルネアの答えに、メルエーナもイルリアも怪訝な顔をする。

 

「私にも夫がいたからわかるの。男の人と女の人では、どうしても分かり合えない部分もあるんだって。でも、それは仕方のないことなのよ。だって、お互い別の人間なんだし、考え方だって違うんだもの。その上、そこに男女の違いまで加わるのよ。それで完全に分かり合いなさいという方が無理な話だわ」

 

 メルエーナは何も言えず、ただバルネアの次の言葉を待つ。

 

「だから、お互い相手の主張は尊重して、我慢できるところは我慢をしたわ。でも、どうしても納得できないことについては、私はずっと夫と話し合った。

 そして、なんとかお互いが納得できる着地地点を模索したの。それを、何度も何度も繰り返したわ」

 

 そう言って、バルネアはメルエーナの隣の席に座る。

 

「メルちゃん。相手のことをよく知りたいと思っても、どうしても理解できない部分もある。そのことは忘れないで。それに、触れられたくないこともあるっていうことも、覚えておかないと駄目よ」

「……はい」

 

 バルネアの言わんとしていることが全て分かったわけではない。けれど、男女の間には顕著に、『分かり合えない部分もある』 そして、『触れては行けない部分もある』 ということだけはなんとなくだが理解できた。

 

 少しでもジェノに振り向いてほしいと思い、きっかけを作りたいと思っていたメルエーナは、自分の浅慮を恥じて顔をうつむける。

 けれど、そこで、彼女はバルネアに頬を指でツンツンと突っつかれた。

 

「バルネアさん?」

「で・も・ね。逆に、『男の人自身が分からなくても、女の人には分かる』という部分というものもあるのよ。それは、長いこと繰り返されてきた男女の駆け引きから、女の人が学んだ知恵。もちろん、これを過信するのも危険だけれど、効果はあると思うわ」

 そう言って、バルネアは悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

「色々とあったけれど、今回の一件は今日で本当におしまいだと思うの。だからね、まずはジェノちゃんを二人で労って上げましょう。そして、私が男の子をドキッとさせる方法を教えてあげるから、その後に、それをジェノちゃんに試してみて」

「そっ、そんな方法があるんですか?」

「ええ。いい? ジェノちゃんが眠る前に、とびっきりの笑顔で……ただその時には……」

 

 思わぬバルネアからの助言に、メルエーナは驚きながらもしっかりとそれを聞いて心に刻んでいく。

 

「あの鈍感馬鹿に通じるんですかね、それ?」

 イルリアはそう呆れていたが、メルエーナは実行に移そうと心に決めた。

 

 何故なら、バルネアのアドバイスを受けて、自分が伝えようとする気持ちは、告白ではなく、労いの言葉だったからだ。

 正直な話、告白などという大それた事をする勇気は今のメルエーナにはない。でも、この一言ならば伝えられるし、伝えたいと思う。

 一生懸命にボロボロになるまで頑張って、コウ君を救ったジェノさんのことを、少しでも肯定してあげたいから。

 

 気合を入れるメルエーナに、イルリアは苦笑して、「何で、そんなにあんな男がいいんだか」と苦笑する。

 

「よし、馬に蹴られたくないから、私はこれを食べ終わったら帰るわね。まぁ、メル。なけなしの色気を使って頑張りなさいよ」

 イルリアの辛辣な励ましに、メルエーナはまた恨みがましい視線を彼女に向ける。

 

「……なけなしの色気って、酷いです」

 そう文句を口にするメルエーナだが、自分に色気がないことは自覚しているので、あまり強くは否定できない。

 イルリアの様なスタイルの良さが自分にもあればと、彼女を羨ましく思ってしまう。

 

「それでも、バルネアさんの言うとおりに裸で迫れば、あの朴念仁も反応くらいはするかもね。一応、眉くらいは動かすんじゃあない?」

「誤解を招く言い方をしないで下さい! 服を脱ぐつもりなんて有りません! というか、眉を動かすだけって……」

 落ち込む自分の姿など目に入らないように、イルリアは食事を続ける。

 

「ほらっ、あいつが返ってくる前に、いろいろ準備をするんでしょう? 私のことは良いから、頑張りなさい」

 

 今度は優しい笑顔で言うイルリアの言葉を受けて、メルエーナはバルネアの手伝いをすることにした。

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