彼は、英雄とは呼ばれずに   作:トド

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㉙ 『特別な笑顔』

 ジェノは、夜道をランプ片手に歩く。

 その表情は相変わらずの仏頂面なのだが、彼は懸命に思考を巡らせ続けていた。

 

「リットが報告をしてこなかったということは、まだ手がかりは掴めていないということか。……今回も、駄目なのか……」

 悔しいが、リットに見つけられないものを自分が見つけられるとは思えない。

 結局、今回の事件の黒幕も、あの化け物が何処からこのナイムの街に入ったのかも、全て不明なままだ。

 

「どこの誰だ。あの化け物を作り出した奴は……」

 ジェノの表情に怒りの感情が浮かぶ。

 その瞬間、路地裏にいた猫が二匹、大慌てで逃げていった。

 

 逃げていく猫達を見て、ジェノは感情を抑える。この程度なら問題はないはずだが、用心に越したことはない。

 

「こんなところをイルリアに見られたら、また余計な気を使わせてしまうな」

 自分を殴りつけて罵倒し、泣き崩れた少女の事を思い出し、ジェノは嘆息する。

 

「あれは、俺のミスだと何度も言っているんだがな……」

 

 イルリアが自分に負い目を感じていることはよく知っている。だが、ジェノはその事で彼女を責めるつもりはまったくない。

 自分のミスでなるべくしてなったことだ。それに、リットのおかげで日常生活を送る分には何も支障はない。

 

 イルリアのことを思い出していると、不意に先程彼女に言われた言葉が思い出された。

 

『この大馬鹿! こんな目にあっても、まだ他人のために自分を犠牲にしようとするの、あんたは!』

 

 という彼女の言葉が。

 

「別に、俺は自分を犠牲にしているつもりはない。今回の一件も、完全に俺が自分の我儘を通しただけだ」

 

 そう、コウを助けたいと思ったのは自分の我儘だ。依頼を持ってきたのはオーリンだが、それを受けることを決めたのは自分自身だ。ならば、その責任は全て己にある。それを誰かのせいにするつもりはない。

 

「だから、レイが怒るのも当たり前だ。俺があいつと同じ立場だったら、同じことをしていたはずだ」

 レイ自身が言っていたように、彼はジェノのことを嫌っている。けれど、ジェノ自身はレイに悪感情を持ってはいない。

 

「だが、それでも、俺は……」

 レイの立場に立って物事を考えていたはずなのに、ついそう言葉を続けてしまう自分に、ジェノは苦笑する。

 

 本当に、自分は利己的だとジェノは思う。

 オーリンやリットが、時折、自分の事を『正義の味方』と言ってからかうが、そんなものは的外れも良いところだ。

 

「正義の味方なんて、いやしない。そんなことくらい、誰もが知っていることだろうが」

 ジェノは考えながらも、足を進める。

 

 やがて自分の下宿先である店が、<パニヨン>が見えてきた。

 すると、自然とジェノの脳裏には、バルネアとメルエーナの顔が浮かぶ。

 

「……最悪の結果は起きなかった。今はそれで良しとするしかないか」

 ジェノはそう自分を納得させて、少し足を早めて裏口に向かう。

 

「まずは、二人にしっかりと謝らなければな」

 ジェノはそんな事を考えながらドアをノックしようとしたのだが、それよりも早く、ドアがひとりでに開かれた。

 

「おかえりなさい、ジェノさん」

「おかえりなさい、ジェノちゃん」

 メルエーナとバルネアが、ジェノを満面の笑顔で出迎えてくれた。思わぬ出来事に、彼は驚いたが、表情には出さずに、「ただいま戻りました」と帰宅の挨拶を口にする。

 

「お腹が空いたでしょう? 早く手を洗っていらっしゃい」

 バルネアの言葉に頷き、ジェノはドアを締めて洗面所に向かう。そして手をきちんと洗い、居間のテーブルに向かおうとしたところで、メルエーナに呼び止められた。

 

「ジェノさん、今日はお店の方で食べましょう。バルネアさんが、たくさん料理を用意してくれたんですよ」

「……そうか。分かった」

 

 怪訝な思いをしながらも、ジェノはメルエーナに案内されるまま、店の一番奥の客席に足を運ぶ。そして、彼は目を見開いた。

 

 店のテーブルを二つ重ねた上には、たくさんの料理が並べられていた。いろいろな種類の料理だが、ジェノはすぐにそれらの料理の共通点を理解する。

 どれもこれも、自分の好物ばかりなのだ。

 

「バルネアさん、これは、いったい?」

 

 早速料理を切り分けているバルネアにジェノが尋ねると、彼女は悪戯っぽく微笑み、

 

「ふふふっ。決まっているじゃない。ジェノちゃんが無事にお仕事を完了したお祝いよ。時間があまりなかったから、簡単な料理ばかりだけれど、味には自信があるわよ」

 

 そう答える。

 

 バルネアさんが作った料理が不味いわけがない。だが、今はそれが問題なのではない。

 

「いえ、そうではなくて。俺は、貴女に迷惑をかけてばかりで……。特に今回は……」

「ジェノさん、折角の料理が冷めてしまいますよ。ほらっ、とりあえず座って下さい」

 

 ジェノが言葉を発しようとするのを遮り、メルエーナがジェノの背中を押して強引に席に座らせてくる。

 

「メルエーナ。俺は、お前にも……」

「はい、お飲み物です。今日はすごく良いお茶にしてみました。きっと、バルネアさんの料理に合うと思いますよ」

 

 ジェノに何かを言う暇を与えずに、メルエーナはお茶を彼に手渡して、自分も席に座る。

 すると間髪をいれずに、バルネアもジェノの前に切り分けた厚切りの肉を給餌して、自分の指定席に座った。

 

「ですから、こんな事をしてもらう理由が……」

 ジェノはなんとか言葉を言おうとするが、メルエーナはジェノの口の前に自分の人差し指を立ててくる。

 思わずジェノは言葉を飲み込んでしまう。

 

 そして、そんな僅かな隙きを突いて、女二人で畳み掛ける。

 

「いいじゃないの。私とメルちゃんが、ジェノちゃんの無事を祝いたいのよ。だから、ね?」

「バルネアさんの言うとおりです。ですから、ジェノさんも観念して、お祝いされて下さい」

 

 強引過ぎると思ったジェノだったが、これは自分のために善意でしてくれた行動なのだ。まして、料理はもう出来上がっている。これを意固地になって食べないほうが失礼この上ない。

 

 ジェノは完全に逃げ道を塞がれていることを理解し、降参した。

 

「分かりました。いや、違うな。ありがとうございます、バルネアさん」

 ジェノはまずバルネアに頭を下げ、

 

「感謝する、メルエーナ」

 メルエーナにも感謝の言葉を述べる。

 

 二人は簡素なジェノの礼の言葉に、しかし満面の笑顔を浮かべる。

 

 

 それから食事前の祈りを捧げ、ジェノは二人と、少し遅い夕食を楽しむ。

 

 予想通り、いや、予想以上にバルネアの料理は絶品だった。

 そして、その料理を楽しみながら、何気ない会話を二人と交わしていると、更に料理が美味しくなるのは何故だろう。

 

「ジェノさん、お茶のお代わりです」

「ジェノちゃん、次はこれを食べてみてね。一見すると普段と変わらないでしょう? でもね……」

 

 笑顔の二人が、何故か嬉しそうに笑みを強める。

 その理由に心当たりはなかったが、ジェノは自分だけではなく彼女たちも喜んでいる事が嬉しかった。

 

 結局、ジェノは気づかなかった。バルネアとメルエーナの笑顔に釣られて、自分も笑みを浮かべていることに。

 

 

 

 

 

 

「ですから、皿洗いくらいは、俺が……」

 上げ膳据え膳ではあまりにも申し訳なく、ジェノはそう申し出たのだが、バルネアとメルエーナはそれを許してくれない。

 

「駄目よ。ようやくお仕事が終わったんだから、今日はしっかり休みなさい」

 バルネアにそう言われては、ジェノも意固地になるわけにはいかない。

 

 心苦しかったが、その言葉に甘えるしかなかった。

 

「分かりました。ですが、バルネアさんも無理はしないで下さい」

「大丈夫よ。いいから、今日はそのまま眠ってしまいなさい」

 

 笑顔のバルネアに頭を下げ、ジェノは自室に向かおうと踵を返したのだが、そこでメルエーナと目があった。

 

 おやすみなさい、と就寝の挨拶が続くのだとジェノは思っていたのだが、メルエーナは微笑み、

 

「お疲れさまでした、ジェノさん」

 

 そう言って、満面の笑顔を浮かべた。

 

 それは、何気ない一言。

 それは、見慣れたはずの笑顔。

 

 だが、ジェノは少しの間、呆然とその笑顔をただ見つめていた。

 

「……あっ、ああ……」

 自我を取り戻したジェノは、なんとかそう返し、足早にメルエーナの横を通り過ぎて自室に戻る。

 

 何故かはまるで分からない。だが、ジェノは、メルエーナの今の笑顔を見てしまったことに、罪悪感と言うか、気恥ずかしさを覚えてしまったのだ。

 

 まるで、一糸まとわぬ彼女の裸身を覗いてしまったかのような気持ちだった。

 

「お休みなさい、ジェノさん」

 だが、続けて背中から掛けられたその言葉は、いつもの聞き慣れた言葉だった。けれど、ジェノは振り返るのを躊躇い、

 

「ああ。お休み……」

 と背中を向けたまま答えるのがやっとだった。

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