「ふっふっふっ! まさか私達が、こんなところから忍び込んでいるとは、あの鬼婆でも気づくまい!」
華麗に床に着地したカルラは、そんな失礼この上ない事を言いながら、悪い笑みを浮かべている。
「カルラ。静かにしないと駄目だよ」
私は、カルラに注意を促し、彼女と同じ様に厨房に着地する。
私達が通り抜けてきたのは通気孔。
普段はどちらも細い目の網で蓋をされているのだが、これはただ納まっているだけで、少しずらしてやると簡単に外れるのだ。
「ああっ、ごめん、ごめん。目的の物とご対面できるかと思うと、ついテンションが」
「もう。見つかったら大変なんだから。早く貰うものを貰って、逃げないと」
「ふっ。サクリちゃんも悪い子になってくれて、私は嬉しいわ」
カルラはメガネのブリッジ部分を中指で少し上げて、また悪い顔をする。
金色の髪を短く切りそろえた、眼鏡がトレードマークのカルラは、黙っていればすごく知的で可愛い女の子に見える。
いや、可愛いのは本当だ。そして、知的ではある。ただ、主にその知恵は、悪戯などの悪い事のためにのみフル活用されるのだ。
「だって、ケーキだよ、ケーキ。しかも、あの名店、<天使のため息>の季節の限定品!」
「そうよね。せっかく商人さんが、『皆さんでお食べ下さい』って言ってたくさん買ってきてくれるのに、いつも司祭様や神官様達がお代わりまでして食べるせいで、私達にはほとんど回ってこないもんね。
そのような悪辣非道な行いが許されていいのか! 言い訳がない!」
私はカルラと目で通じ合い、頷いて作戦を遂行する。
カルラは厨房の入口のドアの前に移動し、耳を当てて足音を確認する。そして、慎重にドアを開けて目視で廊下にも誰もいないことを確かめる。
そして、カルラが廊下を見張りながらも、左手で私に向かって親指と人差指でマルを作ったのを確認すると、魔法で作った氷によって冷やされている、小型の簡易氷室のドアを開ける。
そこには、肉類の他に、白い大きな箱が置かれていた。
これだ、間違いない。<天使のため息>の印が押されている。
私はそのずっしりと重量感のある箱を両手で持ち上げて、にんまりと微笑む。
本当なら、全部持っていって、自分たち神官見習い達で思う存分食べてしまいたいところだが、流石にそれをしてしまったら後が怖い。
素早く、この持参した容器に入る分だけ入れて、貴重な甘味をみんなで分け合うのだ。
私は簡易氷室から取り出した箱を素早く調理台に置き、嬉々として箱を開ける。
「…………えっ?」
箱の中には、純白のクリームがたっぷりの、カットされたケーキが入っているはずだった。
だが、そこには、ケーキなどではない、おぞましいものが入っていた。
それは、赤ともオレンジとも見える中途半端な色の忌むべきもの。
その大きささえも、毎日のようにやらされている、自衛のための訓練で使うメイスを彷彿とさせる最悪の存在だ。
「サクリちゃん、早く詰めないと!」
放心して固まっている私のもとに、カルラが駆け寄ってくる。だが、彼女も私と同様に、箱の中身を見て、言葉を失う。
「なっ、なんで、人参が入っているわけ?」
「わっ、私にも分からないよ!」
戸惑う、カルラと私。
だがそこで、ガタッと、入口近くの調理台の一つが音を立てた。
そして、その調理台の下の収納スペースが内側から開かれ、ひとりの少女が突然這い出てきた。
「……みぃつぅけぇたぁわぁよぉ!」
地獄の底から響いてくるような怨嗟のこもった声。
私とカルラは、お互いに抱きついて悲鳴を上げる。
顔にかかった紫色の長い髪をかき分けて迫ってくるのは、私達と同じ十四歳の女の子。
若輩の神官見習いながらも、その類まれなる調理の腕と情熱から、この調理場の管理を任されているレーリアだった。
「現行犯よ。言い逃れは出来ないわ。おとなしく投降しなさい! 悪いようには……するけれど、手心を少しだけ加えてあげてもいいわ」
普段は温厚で、それでいて頼りになる優しい友人の面影はそこにはない。今の彼女は、明らかに激怒している。
「くっ、出たわね、鬼婆!」
「だれが、鬼婆よ! 私はあんた達と同い年でしょうが!」
カルラの言葉に、レーリアは声を荒げる。
「くっ、この迫力! 流石は、神官見習いのみんなに聞いた、『あいつ絶対サバを読んでいるだろうランキング』一位なだけはあるわね!」
「わけのわからないこと言っているんじゃあないわよ! 神官様達のお菓子を盗もうとするその悪行! カーフィア様の信徒として、恥ずかしいと思わないの!
おかげで私は、神官様や司祭様達から、お前が盗み食いしたんだろうという冷たい目で見られているのよ!」
カーフィア様の名前を出しながらも、私怨たっぷりにレーリアは言う。
「まっ、待って、レーリア。確かに私達の行いは褒められたことではないけれど、これは何も私利私欲のためにやっている訳ではないのよ!」
私は懸命にレーリアの説得を試みる。
「へぇ~。面白いことを言うわね、サクリ。いいわ。言い訳くらいはきいてあげようじゃあないの」
腕組みをして、レーリアはそう言ってくれたが、目がまったく笑っていない。
私はつばを飲み込んで、何とか口を開く。
「レーリア。カーフィア様は仰っているわ。『恵みは、みんなで分かち合うべきものだと』けれど、神官様達はその教えを守ろうとはしていないわ!
だって、私達神官見習いには、ケーキの欠片すら回ってこないのよ! いつも一人に一個は当たってもいい数を頂いているのに!」
「そうよ! サクリちゃんの言うとおりだわ! それに、私達は成長期なのよ。しっかりとした栄養を取らなければいけないのよ!
それなのに、神官様達は自分たちの欲望を満たすためだけに、一つ、また一つとケーキを貪り、私達の貴重な甘味を奪っている! つまりは、私達若者の健やかな成長を阻害しているのよ! こんな、こんな非道をカーフィア様がお許しになるはずがないわ!」
私とカルラは、二人でレーリアを懸命に説得する。
「ねぇ。貴女達。そんな言い訳が、本気で通じると思っているの? 神官様達に多少の非はあるとしても、盗みをしようとすることの方が、カーフィア様がお許しにならないとは思わないの?」
レーリアは体を震わせながら、引きつった笑顔を私達に向けてくる。
「……ねぇ、サクリちゃん。私達、もしかして火に油を注いじゃったのかな?」
「あっ、はははっ……。そうみたい……」
私達はお互いを見つめて頷くと、その場にひれ伏した。
「すみませんでした、レーリアお母さん!」
「許して下さい。神官見習いのみんなが、甘味に飢えているのは本当なんです。だから、今回の事も、今までも、例えるならば、新鮮な死肉を貪りたくなるグールのような耐え難い衝動に負けてしまっただけなんです!」
「誰がお母さんよ! そして、カルラ! そんな修辞を神殿関係者が言うんじゃあないわよ!」
私達は心から謝罪をしたが、結局許してはもらえなかった。
司祭様たちにまで私達の悪事は報告されて、大目玉を食らったことはもちろんの事、私は一週間、大嫌いな人参のフルコースを食べさせられることとなったのだった。
◇
目を覚ますと、見慣れない天井が視界に入ってきた。
そして、先程までのように体を動かそうとしても、体がまったく動いてくれない。
「ああっ、そうか……。夢を見ていたんだ……」
サクリはそう呟き、力なく笑う。
それは、一番楽しかった頃の思い出。
まだ、この体が病魔に蝕まれる前のころのかけがえのない記憶。
「あの頃は、当たり前のように走り回っていたのに……」
もう、今の私には、あの頃の面影はない。
自分でも鏡を見たくないほどの、醜い姿に変わってしまったのだから。
「でも、それでも……。カルラとレーリアが一緒だったら、私はそれだけでも幸せだったのに……」
病状が悪化するにつれて、私に対する周囲の反応は変わっていった。
母は厳格な人なので、特別扱いをされたことなどないのだが、周囲の人間はそうではなかったことを私は思い知った。
それまで仲がいいと勝手に私が思っていた友人たちも、一人、また一人と減っていった。そして、優しくしてくれていた神官様達の一部は、あからさまに私を嫌悪し始めた。
分かっていなかった。
私がそうだと思っていなかっただけで、みんな私を神殿長の娘としてしか見ていなかったことを。
私と最後まで一緒にいてくれたのは、カルラとレーリアの二人だけだった。
私の本当の友人は、あの二人だけだったのだ。
……私は、もう自分が長くないことを知っている。
だから、懇願した。
大切な、本当に大切な親友二人と、旅をしてみたいと。
そして、条件付きながらそれを、母は……、いいえ、神殿長様は認めてくださった。
でも、でも、その結果が……。
「ごめんなさい。カルラ、レーリア……。私が旅をしたいなんて言い出さなければ、貴女達は死ななかったのに……」
サクリの瞳から涙がこぼれ落ちる。
「死ぬのは、こんな私だけで良かったのに……。ごめんなさい。ごめんなさい……」
サクリはそれからずっと懺悔の言葉を繰り返した。
けれど、彼女の懺悔の言葉を聞き入れ、それを許してくれる者はいないのだった。