彼は、英雄とは呼ばれずに   作:トド

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⑤ 『懺悔』

「ふっふっふっ! まさか私達が、こんなところから忍び込んでいるとは、あの鬼婆でも気づくまい!」

 華麗に床に着地したカルラは、そんな失礼この上ない事を言いながら、悪い笑みを浮かべている。

 

「カルラ。静かにしないと駄目だよ」

 私は、カルラに注意を促し、彼女と同じ様に厨房に着地する。

 

 私達が通り抜けてきたのは通気孔。

 普段はどちらも細い目の網で蓋をされているのだが、これはただ納まっているだけで、少しずらしてやると簡単に外れるのだ。

 

「ああっ、ごめん、ごめん。目的の物とご対面できるかと思うと、ついテンションが」

「もう。見つかったら大変なんだから。早く貰うものを貰って、逃げないと」

「ふっ。サクリちゃんも悪い子になってくれて、私は嬉しいわ」

 カルラはメガネのブリッジ部分を中指で少し上げて、また悪い顔をする。

 

 金色の髪を短く切りそろえた、眼鏡がトレードマークのカルラは、黙っていればすごく知的で可愛い女の子に見える。

 いや、可愛いのは本当だ。そして、知的ではある。ただ、主にその知恵は、悪戯などの悪い事のためにのみフル活用されるのだ。

 

「だって、ケーキだよ、ケーキ。しかも、あの名店、<天使のため息>の季節の限定品!」

「そうよね。せっかく商人さんが、『皆さんでお食べ下さい』って言ってたくさん買ってきてくれるのに、いつも司祭様や神官様達がお代わりまでして食べるせいで、私達にはほとんど回ってこないもんね。

 そのような悪辣非道な行いが許されていいのか! 言い訳がない!」

 私はカルラと目で通じ合い、頷いて作戦を遂行する。

 

 カルラは厨房の入口のドアの前に移動し、耳を当てて足音を確認する。そして、慎重にドアを開けて目視で廊下にも誰もいないことを確かめる。

 そして、カルラが廊下を見張りながらも、左手で私に向かって親指と人差指でマルを作ったのを確認すると、魔法で作った氷によって冷やされている、小型の簡易氷室のドアを開ける。

 

 そこには、肉類の他に、白い大きな箱が置かれていた。

 これだ、間違いない。<天使のため息>の印が押されている。

 私はそのずっしりと重量感のある箱を両手で持ち上げて、にんまりと微笑む。

 

 本当なら、全部持っていって、自分たち神官見習い達で思う存分食べてしまいたいところだが、流石にそれをしてしまったら後が怖い。

 素早く、この持参した容器に入る分だけ入れて、貴重な甘味をみんなで分け合うのだ。

 

 私は簡易氷室から取り出した箱を素早く調理台に置き、嬉々として箱を開ける。

 

「…………えっ?」

 箱の中には、純白のクリームがたっぷりの、カットされたケーキが入っているはずだった。

 だが、そこには、ケーキなどではない、おぞましいものが入っていた。

 

 それは、赤ともオレンジとも見える中途半端な色の忌むべきもの。

 その大きささえも、毎日のようにやらされている、自衛のための訓練で使うメイスを彷彿とさせる最悪の存在だ。

 

「サクリちゃん、早く詰めないと!」

 放心して固まっている私のもとに、カルラが駆け寄ってくる。だが、彼女も私と同様に、箱の中身を見て、言葉を失う。

 

「なっ、なんで、人参が入っているわけ?」

「わっ、私にも分からないよ!」

 戸惑う、カルラと私。

 

 だがそこで、ガタッと、入口近くの調理台の一つが音を立てた。

 そして、その調理台の下の収納スペースが内側から開かれ、ひとりの少女が突然這い出てきた。

 

「……みぃつぅけぇたぁわぁよぉ!」

 地獄の底から響いてくるような怨嗟のこもった声。

 私とカルラは、お互いに抱きついて悲鳴を上げる。

 

 顔にかかった紫色の長い髪をかき分けて迫ってくるのは、私達と同じ十四歳の女の子。

 若輩の神官見習いながらも、その類まれなる調理の腕と情熱から、この調理場の管理を任されているレーリアだった。

 

「現行犯よ。言い逃れは出来ないわ。おとなしく投降しなさい! 悪いようには……するけれど、手心を少しだけ加えてあげてもいいわ」

 普段は温厚で、それでいて頼りになる優しい友人の面影はそこにはない。今の彼女は、明らかに激怒している。

 

「くっ、出たわね、鬼婆!」

「だれが、鬼婆よ! 私はあんた達と同い年でしょうが!」

 カルラの言葉に、レーリアは声を荒げる。

 

「くっ、この迫力! 流石は、神官見習いのみんなに聞いた、『あいつ絶対サバを読んでいるだろうランキング』一位なだけはあるわね!」

「わけのわからないこと言っているんじゃあないわよ! 神官様達のお菓子を盗もうとするその悪行! カーフィア様の信徒として、恥ずかしいと思わないの!

 おかげで私は、神官様や司祭様達から、お前が盗み食いしたんだろうという冷たい目で見られているのよ!」

 カーフィア様の名前を出しながらも、私怨たっぷりにレーリアは言う。

 

「まっ、待って、レーリア。確かに私達の行いは褒められたことではないけれど、これは何も私利私欲のためにやっている訳ではないのよ!」

 私は懸命にレーリアの説得を試みる。

 

「へぇ~。面白いことを言うわね、サクリ。いいわ。言い訳くらいはきいてあげようじゃあないの」

 腕組みをして、レーリアはそう言ってくれたが、目がまったく笑っていない。

 私はつばを飲み込んで、何とか口を開く。

 

「レーリア。カーフィア様は仰っているわ。『恵みは、みんなで分かち合うべきものだと』けれど、神官様達はその教えを守ろうとはしていないわ!

 だって、私達神官見習いには、ケーキの欠片すら回ってこないのよ! いつも一人に一個は当たってもいい数を頂いているのに!」

「そうよ! サクリちゃんの言うとおりだわ! それに、私達は成長期なのよ。しっかりとした栄養を取らなければいけないのよ!

 それなのに、神官様達は自分たちの欲望を満たすためだけに、一つ、また一つとケーキを貪り、私達の貴重な甘味を奪っている! つまりは、私達若者の健やかな成長を阻害しているのよ! こんな、こんな非道をカーフィア様がお許しになるはずがないわ!」

 私とカルラは、二人でレーリアを懸命に説得する。

 

「ねぇ。貴女達。そんな言い訳が、本気で通じると思っているの? 神官様達に多少の非はあるとしても、盗みをしようとすることの方が、カーフィア様がお許しにならないとは思わないの?」

 レーリアは体を震わせながら、引きつった笑顔を私達に向けてくる。

 

「……ねぇ、サクリちゃん。私達、もしかして火に油を注いじゃったのかな?」

「あっ、はははっ……。そうみたい……」

 私達はお互いを見つめて頷くと、その場にひれ伏した。

 

「すみませんでした、レーリアお母さん!」

「許して下さい。神官見習いのみんなが、甘味に飢えているのは本当なんです。だから、今回の事も、今までも、例えるならば、新鮮な死肉を貪りたくなるグールのような耐え難い衝動に負けてしまっただけなんです!」

 

「誰がお母さんよ! そして、カルラ! そんな修辞を神殿関係者が言うんじゃあないわよ!」

 

 私達は心から謝罪をしたが、結局許してはもらえなかった。

 司祭様たちにまで私達の悪事は報告されて、大目玉を食らったことはもちろんの事、私は一週間、大嫌いな人参のフルコースを食べさせられることとなったのだった。

 

 

 

 

 

 

 目を覚ますと、見慣れない天井が視界に入ってきた。

 そして、先程までのように体を動かそうとしても、体がまったく動いてくれない。

 

「ああっ、そうか……。夢を見ていたんだ……」

 サクリはそう呟き、力なく笑う。

 

 それは、一番楽しかった頃の思い出。

 まだ、この体が病魔に蝕まれる前のころのかけがえのない記憶。

 

「あの頃は、当たり前のように走り回っていたのに……」

 もう、今の私には、あの頃の面影はない。

 自分でも鏡を見たくないほどの、醜い姿に変わってしまったのだから。

 

「でも、それでも……。カルラとレーリアが一緒だったら、私はそれだけでも幸せだったのに……」

 

 病状が悪化するにつれて、私に対する周囲の反応は変わっていった。

 母は厳格な人なので、特別扱いをされたことなどないのだが、周囲の人間はそうではなかったことを私は思い知った。

 

 それまで仲がいいと勝手に私が思っていた友人たちも、一人、また一人と減っていった。そして、優しくしてくれていた神官様達の一部は、あからさまに私を嫌悪し始めた。

 

 分かっていなかった。

 私がそうだと思っていなかっただけで、みんな私を神殿長の娘としてしか見ていなかったことを。

 

 私と最後まで一緒にいてくれたのは、カルラとレーリアの二人だけだった。

 私の本当の友人は、あの二人だけだったのだ。

 

 ……私は、もう自分が長くないことを知っている。

 だから、懇願した。

 大切な、本当に大切な親友二人と、旅をしてみたいと。

 

 そして、条件付きながらそれを、母は……、いいえ、神殿長様は認めてくださった。

 

 でも、でも、その結果が……。

 

「ごめんなさい。カルラ、レーリア……。私が旅をしたいなんて言い出さなければ、貴女達は死ななかったのに……」

 サクリの瞳から涙がこぼれ落ちる。

 

「死ぬのは、こんな私だけで良かったのに……。ごめんなさい。ごめんなさい……」

 サクリはそれからずっと懺悔の言葉を繰り返した。

 

 けれど、彼女の懺悔の言葉を聞き入れ、それを許してくれる者はいないのだった。


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