彼は、英雄とは呼ばれずに   作:トド

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⑳ 『笑顔』

 村の前にたどり着くと、やはり村を囲む大きな白い壁が、否が応でも目に入ってしまう。

 その壁のせいで村の中は一切見ることができない。

 村に入るには、ただ一つの入口である、眼前の大きな門を潜らなければいけないらしい。

 

 どのような村であっても、村の境界には害獣などの侵入を防止するための柵等を設置しているが、この警戒は並大抵のものではない。

 いや、そもそも、『聖女の村』という名前を付けている割には、この立地条件などには疑問しかないのだが。

 

 防犯上の理由があるのは分かるが、こうして馬車を降りて、村に入るためのチェックを受けなければいけないことも、少々大げさな気もする。

 まあ、かの高名な聖女ジューナが暮らしている村なのだから、やむを得ないのだろう。

 

 乗合馬車の他の乗客が降りた後に、ジェノはサクリよりも先に馬車を降りて、彼女が馬車を降りる手助けをする。

 サクリの後ろにはイルリアがついていてくれる。さらに、リットもいるのだ。大事はないだろう。

 もっとも、ジェノはそのことで気を緩めるつもりはないが。

 

 風が少し強い。

 この風だけで体制を崩すほどではないと思うが、用心に越したことはない。

 

「さぁ、サクリ……」

 ジェノは先に馬車を降りて、サクリの手を引くために優しくそれを握りしめる。

 けれど、そこで違和感に気づく。

 

 震えていた。サクリの手が小刻みに。

 緊張? いや、それだけでここまで震えるものだろうか?

 

 サクリの表情を確認しようとしたが、フードを深く被っている彼女の表情は分からない。

 ジェノは怪訝に思いながらも、サクリが馬車から降りるのを助ける。

 

「どうした? なにか不安なことがあるのか?」

 ジェノは彼女の介助をする際に、サクリに耳打ちして尋ねる。

 

「いいえ。大丈夫です」

 やはり体を震わせながら、サクリはそう答えて、顔を俯ける。

 

「ジェノ。どうかしたの?」

 イルリアもサクリの様子を怪訝に思ったようで、サクリが自分の足で大地を踏みしめたのを確認し、尋ねてくる。

 だが、ジェノは何も言葉を返せない。彼も何がサクリを震えさせているのか分からないのだ。

 

「はいはい、目と目で通じ合っている、お二人さん。とりあえず、俺達の番が来るまで座って待っていようぜ。サクリちゃんを立たせておくのは厳しいだろう?」

 最後に降りてきたリットが、そんな軽口を叩きながら、ジェノとイルリアの頭にポンと手を置く。

 

「触らないでよ。あんたに触られると、それだけで妊娠させられそうで嫌なのよ」

 イルリアはリットの手を、心底嫌そうに手で払う。

 

「ひどいなぁ。俺が珍しく親切をしてやったのにさ」

 リットはジェノからも手を離し、肩をすくめて首を横に振る。

 

「サクリ。とりあえず、門の前の長椅子まで行くぞ。歩けるか?」

「……はい。大丈夫です」

 先ほどと殆ど変わらない返事しかしないサクリを、イルリアと協力して、門の入口の順番待ちの者のために設営されたらしき椅子まで運ぶ。

 

 そこにたどり着くと、ジェノは荷物から小さな敷物を取り出し、それを椅子の上に敷いてからサクリを座らせる。

 だが、その手助けをしているときにも、やはり、サクリが震えていることが分かった。

 だが、その理由がわからない。

 

「サクリ。いったい何を……」

 ジェノは意を決してサクリに尋ねようとしたが、そこで村への訪問者を巡回して確認していた、二十代半ばくらいの若い神官服を纏った女が口を挟んできた。

 

「サクリ? 今、そう仰いませんでしたか?」

 肩までの短い金髪のその神官は、慌てた様子で、ジェノに駆け寄ってくる。

 

「……そう言った。だが、それが何だというんだ?」

 ジェノは無作法な相手に、少し苛ついた声で答えてしまった自分に心のうちで驚く。こんな強い口調で言うつもりはなかったのだが、何故かこうなってしまった。

 

「あっ、その……。たっ、大変失礼いたしました。私は、この村の神殿の神官で、ナターシャと申します。どうか、お名前を聞かせて頂けませんでしょうか?」

 丁寧に礼をして、再度尋ねられては、ジェノも答えないわけにはいかない。

 

「ジェノと申します。そして……」

「初めまして、ナターシャ様。サクリ=リンデリスと申します」

 サクリはジェノの静止も聞かず、懸命に立ち上がり、一礼をする。

 

 ナターシャと名乗った神官の目が、大きく見開かれた。

 サクリに続いて、イルリアとリットも自己紹介をしたのだが、おそらくナターシャの耳には入っていないことは想像に難くない。

 

「やはり、貴女が……。ですが、確か他の神官二人とこちらにいらっしゃる予定だったのではないのですか?」

 ナターシャのその問いに、サクリは口ごもる。

 

「ナターシャ神官。彼女は病を患っています。それなのに、このようなところで話をさせようとするのが、貴女達のやり方なのですか?」

 ジェノが文句をいうよりも早く、イルリアがナターシャに食って掛かる。

 

「いっ、いいえ。すみません、取り乱しました。すぐに手続きを終わらせて、村の中にご案内致します」

 ナターシャはイルリアたちに謝罪し、小走りに門の入口に向かっていく。

 サクリはそれを確認し、再び長椅子に腰を降ろした。

 

「どういうことだ?」

 ジェノはナターシャ神官の態度に訝しげな視線を向ける。

 

 サクリが地方のカーフィア神殿の神殿長の娘であることは、彼女自身から話してもらったので知っているが、それだけで、サクリがこの村にやって来たことを、これほど非常事態のような対応をするとは思えない。

 それに、サクリの震えも気になる。

 

 

 ジェノは今度こそサクリに尋ねようとしたが、またそこで邪魔が入ってしまう。

 

「ようこそ、聖女の村へ!」

「ようこそ、おいでくださいました。お花をどうぞ」

 ジェノ達の耳に入ってきたのは、幼い子供の声だった。

 

 五、六歳くらいの男の子と、更に幼い女の子が、歓迎の言葉を口にして、この村を尋ねてきた皆に、可愛らしい小さな花を配っている。

 

 その愛くるしい無邪気な笑顔に、村に入るための順番待ちでやきもきしていた者達の顔にも、ついつい笑顔が浮かぶ。

 

「……可愛い……」

 サクリはそう呟き、門に近い者達から順番に花を配る子供たちが自分の元に来るのを心待ちにしているようだった。そのため、ジェノはまた言葉を掛けるタイミングを逸してしまった。

 

「はい、お花をどうぞ!」

 いよいよ自分の番になり、サクリは「ありがとう」と言って花を受け取ろうとした。だが、そこで、少し強めの風が吹いた。

 方向が悪かった。その風は、サクリのフードを剥がし、彼女の顔を幼い女の子と男の子に晒してしまったのだ。

 

「あっ、ああ!」

 サクリは慌ててフードを戻したが、もう遅かった。

 女の子は、言葉を失って絶句する。それは、隣にいる男の子も同じ。

 

「サクリ……」

 ジェノは半狂乱になりそうなサクリを、立ったまま優しく抱きしめる。

 彼女は震えていた。先程までよりも強く。だが、ジェノは何と声をかければいいのか分からない。

 

 しかし、サクリの顔を見た女の子は、にっこりと微笑んだ。

 

「……お姉ちゃん。ご病気なんだね。でも、大丈夫だよ。この村には、聖女様がいるから。きっと、すぐに良くなるよ」

 その言葉に、サクリは驚きながらも、女の子の方を見る。

 

「そうそう。聖女様って凄いんだ。俺と妹の病気もあっという間に治して下さったんだ。だから、大丈夫」

 男の子もそう言って笑った。

 

 兄妹らしき幼子二人の笑顔に、サクリは呆然としていた。だが、彼女の体の震えが止まったことに、ジェノは気づく。

 

「はい。お花をどうぞ」

 先程までと変わらぬ笑顔で、花を差し出す女の子。

 その花を受取り、サクリは「ありがとう」と応えた。

 

 サクリの言葉に、女の子達は嬉しそうに笑みを強め、「またね」と言い残して、村の門の方に駆け出していった。

 

「……大丈夫か、サクリ?」

 ジェノが尋ねると、サクリは、「ええ」と短く答える。

 そして、ジェノの腕を離れると、彼女は再び立ち上がった。

 

「サクリ、無理をするな……」

「いいえ。その、私、きちんと皆さんにお礼を言っておきたいのです」

 サクリは静かにフードを後ろにやり、素顔をジェノ達の方に向けて、頭を下げた。

 

「ジェノさん。イルリアさん。リットさん。少し早いですが、私をここまで連れてきてくれてありがとうございます。

 ……落ち込んでいた私は、この世界は、悲しみに満ちているから、私が不幸なのも仕方ないと思っていました」

 

 サクリの言葉に、ジェノ達は何も言葉を返せない。

 彼女の言葉は、とても神聖で侵し難い雰囲気を纏っていたのだ。

 

「でも、カルラやレーリア以外にも、皆さんのような優しい気持ちを持っている人がいることがこの世界にはいることが、分かって、私はこの世界を、嫌いにならずにすみました。

 本当に、本当にありがとうございました。

 皆さんに出会えて、私は本当に幸運でした。そして、私が感謝していたと、どうか、あの自警団のガイウスさんと、バルネアさんにもお伝え下さい」

 

 サクリはそう言うと、微笑んだ。

 その笑顔は、病に冒されきった少女の力ない笑顔ではなかった。

 

「…………」

 その笑顔にジェノは見惚れた。

 本当に、綺麗だと、美しいと彼は思ったのだ。

 

「私は大丈夫です。あの子供たちが私に勇気をくれましたから」

 サクリは、胸の前で静かに女神カーフィアの印を組む。

 

「どうか、皆さんに女神カーフィアのご加護がありますように」

 サクリはそう言ってもう一度微笑む。

 

 その笑顔は本当に綺麗で、美しくて……。そして、何故か悲しかった……。

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