彼は、英雄とは呼ばれずに   作:トド

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㉓ 『最初の事件』

 ジェノは村を散策する。

 だが、やはり得られた情報は少なかった。

 

 リットに散々言われたので、森に入るつもりはないが、その近くまでは足を運んでみた。

 結果、森の前には大きめの柵が設けられていて、さらに数名の神殿関係者らしき人間が見回っている事を確認した。やはり、あの森には何かがあるのだろう。

 

 けれど、村の様子は平和そのものだった。

 

 村の人間は笑顔で畑仕事をしている。

 辺りを駆け回って遊ぶ子供たちの顔にも、笑顔が浮かんでいた。

 そして、人々の口からは、『聖女様』という言葉がよく上がる。

 

『こんなに大きな芋が取れるなんて珍しい。聖女様に献上して、召し上がってもらいたいなぁ』

『カーフィア様と聖女様のおかげで、すっかり腰も良くなった。お前達、聖女様への感謝の祈りを忘れてはいけないよ』

『私は、大きくなったら聖女様のお手伝いをするよ』

 

 笑顔で聖女の名を口にする村人たちは、誰もが幸せそうだった。

 だが、ジェノはそこにうすら怖さを感じる。

 

 女神カーフィアは神だ。それは、当然信仰する人々の崇拝の対象となるべきものだろう。だが、まだ会ったことはないが、聖女と呼ばれる女性は人間だ。その事を、この村の住人は忘れているのではないだろうか?

 

 一人の人間に傾倒する思想は、ある種の危険性も含んでいる。

 何が正しく、何が間違っているのか。それを自らで考えることを放棄した人間ほど暴走しやすいものはない。

 幸せそうなこの光景が、ひどく危ういバランスで成り立っていることに、ジェノは恐怖を覚える。

 

「なんだ?」

 思うままに足を進ませていると、村の中央の広場に人だかりができていた。何かと思い、ジェノはそこに足を進める。

 

「はい、どうぞ。きちんと子供たちにも飲ませて下さいね」

「お薬はきちんと欠かさずに飲まないと駄目ですよ。そして、バランスの良い食事と適度な運動です。怠けてはいけませんからね」

 どうやら神殿の関係者数人が、村の住民に薬を配布しているらしく、村の人々は感謝をしながらそれを受け取っている。

 

 村人たちは感謝しながら薬が入っていると思われる紙袋を受け取り、家路に就く。だが、なかなか人の列が途絶えることはない。

 

 村をいくつかの区画に分けて配布しているのだと思うが、それにしても少ない人数で村人たちにきちんと行き渡るように薬を配るのは大変だろう。

 そんな事を心配しながらも、ジェノは違和感を覚える。

 

 薬には、多かれ少なかれ、主の作用以外に副作用というものもある。だから、突発的な症状に対する胃薬などの簡易な内服薬品、そして、擦り傷等の治療のための軟膏等の外用薬品は別として、ナイムの街などでは、日常的に常時服用または使用する薬は、必ず薬師が患者の症状を見て随時調合する。

 

 無論、薬師のいない小さな村等はこの限りではないが、この村は治療施設が主たる目的の村だ。この村に薬師がいないとは考えにくい。

 

 一人一人の症状を診ないで配布する薬。しかも、子供にも飲ませている。栄養剤の類か? いや、それでも誰にでも飲ませるなんて、雑な対応にも程がある。

 

「何で、こんなところに突っ立っているのよ?」

 ジェノはしばらく思考していたが、聞き慣れた少女の声に、それを中断する。

 

 赤髪の気の強そうな少女。イルリアがジェノに話しかけてきたのだ。

 

「いや。村を散歩していただけだ。お前の方こそ、話は終わったのか?」

「ええ。明日の午後に、聖女様にお会いできることになったわ。当然、あんたも一緒に行くんだから、忘れるんじゃあないわよ」

「……分かった」

 

 イルリアは珍しく、笑顔をジェノに向ける。よほど、話が上手くまとまったことが嬉しいのだろう。だが、リットにできないことを、その聖女様ができるとは思えない。

 だが、一度聖女と呼ばれるジューナという名の人物には会っておきたいとジェノも思っていた。この話は、渡りに船ではある。

 あとは、ジューナが、サクリを安心して任せられる人物であるといいのだが。

 

「しかし、案内を付けてはくれなかったのか?」

「ああ。なんだか忙しそうだったから断ったわ。大まかな位置さえ教えてもらえば、迷うほどの村ではないし」

 イルリアはそう言うと、ジェノが見ていた薬の配布している姿に目をやって首をかしげる。

 

「なんなの、この人だかり?」

「俺にもよく分からんが、薬を……」

 ジェノの言葉は途中で途切れた。

 

 それは、彼の耳に悲鳴が聞こえたからだ。

 

 微かだが、たしかに聞こえた。男の叫び声だ。

 ジェノはすぐさまその声がした場所に向かって走り出す。

 

「ちょっと、私達はよそ者なのよ!」

 イルリアの声が聞こえたが、ジェノは構わず走り続ける。

 たしかこっちは、森の方角だ。なにかが、やはりあの森にはあるのだろう。

 

 だが、ジェノは森に辿り着く前に、村の大道の片隅に立つ、その化け物の姿を視認した。

 そう、化け物だった。

 

 やや長身な自分を軽く超える背丈の巨大な猿のような、毛むくじゃらな生き物。だが、その顔にはいくつもの赤い目があり、蜘蛛の顔を彷彿とさせる。

 そして、そんな化け物から少し離れたところで、腰を抜かしながら後ずさる中年の男性の姿があった。

 

 ジェノは腰に帯びた長剣を走りながら抜剣し、化け物と男性の間に入って、男性を守るべくその化け物と対峙する。

 

「あっ、ああっ……。テッドが……。テッドが……」

 横目で後ずさる男性を見ると、化け物の左後方を見ながら、そんな言葉を繰り返している。

 ジェノが男の視線に目をやると、そこには血の水たまりができていて、子供のものと思われる手足が、散乱していた。

 

 ジェノの持つ剣に一層の力が込められる。

 状況がまだつかめない。だが、この化け物が子供を襲ったのは間違いないだろう。

 

 化け物はしばらくキョロキョロと周りを見渡していたが、辺りにジェノ達しかいないことを確認すると、口の端を上げた。

 化け物でも、感情が分かるものもいる。こいつは確かに、今、こちらを嘲笑った。

 

 大きな奇声を上げながら、化け物は長い腕をジェノめがけて横薙ぎに振ってくる。ジェノはそこに剣の一撃を合わせ、腕を断ち切ろうとした。

 

「ぐっ……」

 硬い。想像以上に化け物の腕は強固で、僅かに化け物の腕を僅かに傷つけるのがやっとだった。

 もう片方の腕で攻撃される事を危惧し、全力で剣を振るわなかったことが幸いした。

 もしも、全力で振っていたら、最悪、剣が砕けていたかもしれない。仮に砕けなくても、腕がしびれて剣が持てなくなってしまっていただろう。

 

 こういう未知の相手と戦う場合は、基本的に距離をとったほうがいい。だが、生憎とジェノの背後には男性が動けずにいる。彼を見捨てるわけにはいかない。

 

「……それなら、手は一つ……」

 ジェノは覚悟を決め、前傾姿勢を取る。

 

 そこに、化け物が、今度は両腕を振り回して来た。

 ジェノはその瞬間、あえて化け物目掛けて突進する。

 

 攻撃対象の位置が急に前にずれたため、化け物は慌てて腕の軌道を変えようとするが、遠心力がついた腕の軌道は簡単には変わらない。その上無理な力を加えたことで、バランスが大幅に崩れる。

 

 ジェノは化け物の両の腕の攻撃を、姿勢を低くすることで交わし、相手の横を通り抜けて背後を取ると、そのまま化け物の背中に剣を突刺さんとした。

 

 背中は死角。そのはずだった。だが、ここで化け物の背中の一部が裂けて、そこから何かが噴出してくる。ジェノは攻撃をやめて、剣の腹を使って防御を試みる。

 

「腕だと……」

 ジェノの剣に押し当てられた、化け物の背中から生えでたものは、腕だった。

 

 渾身の力を込めてその一撃を防ごうとしたが、圧倒的な膂力でジェノの体は吹き飛ばされ、宙を舞う。

 それでも、幸い手傷を負うことはなく、意識を失わずに済んだ。ジェノは何とか剣を握ったまま体制を整え、地面に着地する。

 だが、化け物と距離が離れてしまった。

 

「やっ、やめろ! やめてくれ!」

 背後のジェノの方を振り返らず、化け物は、眼前の男に向かって突進する。

 

 ジェノも化け物を止めるべく、全力で走り、背後から再び攻撃を仕掛けたが、また背中から生えた腕に邪魔をされてしまう。

 

「逃げろ!」

 ジェノにできたのは、そんな陳腐な言葉を男に言うことだけだった。

 

 そして、男は化け物の腕の攻撃で原形もなく潰される――はずだった。だが、ここで思わぬことが起きた。

 

 眩い光が突然起こったかと思うと、化け物が黒焦げになったのだ。

 

「ジェノ! 今のうちに、止めを! きっとまだ倒せていない!」

 背後から聞こえたのは、間違いなくイルリアの声だった。

 彼女が魔法を使えるという話は聞いたことがない。だが、今はそんなことよりも、この化け物を仕留めることが先決だ。

 

 ジェノの攻撃に、化け物の背中の腕が再び迎撃しようとしてきたが、その動きは遅かった。

 腕を躱し、放たれたジェノの突きが化け物の背中から胸を貫通した。

 

 ジェノはすぐさま化け物から剣を抜き、次の攻撃に備える。だが、化け物は力なく前に倒れ、自らが流した血の海に沈んでいった。

 

 幸い、倒れた化け物の体は腰を抜かした男の体を押しつぶすことはなかった。

 だが、相変わらず男は放心仕切った目で、体を震わせている。

 

「ジェノ!」

 化け物の首に念の為一撃を入れ、完全に事切れたことを確認したジェノは、背後から聞こえるイルリアの方を向く。

 

「何かは知らないが助かった。礼を言う」

「ふざけるんじゃないわよ! 何でまた一人で突っ走って危ない目にあっているのよ!」

 イルリアは文句を言うが、ジェノは「すまん、文句は後で聞く」といい、腰を抜かし続ける男のもとに歩み寄る。

 

 

「大丈夫ですか? いったいこの化け物は何処からやって来たのですか?」

 ジェノは片膝をつき、顔を少し近づけて、ゆっくりとした声で男に尋ねる。

 

「テッドが……。テッドが……」

 しかし、男はそう言葉を繰り返すだけだった。

 

「すみません。もう少し早くに……」

 ジェノは沈痛な面持ちで謝罪の言葉を口にしようとしたが、不意に男がジェノの胸ぐらをつかんだ。

 

「違う! 違うんだ! テッドが、テットが!」

 ただ事ではない男の錯乱ぶりに、ジェノがとりあえず彼を落ち着かせようと思ったその時だった。

 突然、男が意識を失って倒れたのは。

 

「申し訳ありません。我々の到着が遅くなってしまったために、ご迷惑をおかけいたしました」

 そうジェノに声をかけてきたのは、神官のナターシャだった。

 

 彼女の傍らには、五人の神官らしき者がいる。そして、その一人が魔法の杖の先端を、気を失った男の方に向けている。彼女が魔法で男の意識を失わせたのだろう。

 

「……何のまねだ?」

 ジェノは静かにナターシャ達に尋ねる。

 

「はて? 何のまねとは、どういう意味でしょうか? こちらの男性が錯乱されていたようでしたので、部下に命じてひとまず眠らせただけですが」

 ナターシャは微笑んで答えた。

 

 人が、子供が死んでいると言うのに、微笑みをむけてくるその姿に、ジェノは冷ややかな目で彼女を睨みつける。

 

 この出来事が、ジェノ達がこの村で遭遇した、最初の事件だった。

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