彼は、英雄とは呼ばれずに   作:トド

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㉝ 『追跡』

 迷う心を懸命に押し殺し、ジェノは剣を構える。

 今は、この猿のような化け物をどうにかしなければいけない。

 それがたとえ、つい先程まで会話をしていた少女が変貌したものだとしても。

 

 目の前の化け物は、イルリアに殺気を向けていた。そして、今は斬りかかったこちらに向かってそれを放っている。

 

 侵入者と対峙しながらも、ジェノはイルリアとイースの状況も確認していた。だから、この化け物がイースの中から現れたことも知っている。

 

 この撒き散らされた粉が、イースを変貌させたというのか? 

 だが、それならば、自分とイルリアが無事なのはどういう事だ? そもそも、一瞬で人を化け物に変える薬など存在するはずがない。

 

 いや、余計なことを考えるなとジェノは自身を嗜める。

 今は、この化け物を仕留めることが先決だ。これ以上犠牲を出すわけにはいかない。

 

「イルリア、俺の後ろに回れ!」

 ジェノはイルリアに指示を出し、化け物に向かって踏み込んで剣を横薙ぎに放つ。だが、化け物は後ろに飛んでそれを躱す。

 

 それから、化け物はそれからこちらを向いたまま後ずさりをするが、部屋の入口のドアに背をぶつけた。

 

 迷うな。こいつはイースじゃあない。

 床に飛び散った幼い少女の四肢を目の端で確認し、ジェノは両腕に力を込める。

 

 しかし、ジェノが覚悟を決めるためには、ほんの僅かだが時間が必要だった。それが更なる犠牲を生む。

 

「お客さん! 一体何の騒ぎですか!」

 ドアを叩くノックの音とともに聞こえてきた、女の、この宿の女将の声。

 

「ドアから離れろ!」

 ジェノは叫ぶのと同時に今一度踏み込み、上段から剣を真下に振り下ろす。

 

 ジェノの一撃は、化け物が硬い腕を交差して受け止めたために防がれてしまう。そして、化け物はジェノの方を向きながらも、木製のドアを破壊した。あの背中から生えた腕を使ったのだろう。

 

 くぐもった声が聞こえたかと思うと、化け物は背中から生えた長い手を右肩越しにこちらに向けてくる。真っ赤な鮮血に染まった腕を。

 長さから判断すると、それが全面に攻撃として繰り出される可能性は低いだろうが、油断はできない。相手は人間ではないのだから。

 

 ドアの向こうから、不意になにか重量があるものが床に倒れた音が聞こえた。それがこの店の女将だということは見るまでもなく分かってしまう。

 

 握る剣に力を込めながら、化け物猿をジェノは睨む。だが、そこで化け物猿は間違いなく口角を上げた。

 笑った。こいつは、人間を殺したことに悦になっている。

 

 それを理解した瞬間、ジェノは全身全霊の力を込めて、化け物の腕を剣で叩き潰す勢いで押す。

 化け物が、ジェノに負けまいと力を込めて押し返そうとするよりも一瞬早く、ジェノは自ら大きく後ろに跳んだ。

 ジェノは後方に綺麗に着地すると、両足を使って、立ち上がる勢いも加えてすぐさま前方に突進する。

 化け物は、両腕を前に空振りした勢いで、両腕が壁にめり込んでしまっている。その瞬間を狙って、ジェノは剣の切っ先を化け物の喉に突き刺した。

 

 ジェノは突き刺した剣を両腕で力任せに横薙ぎして引き抜く。

 化け物は首から大量の血を吹き出し、前のめりに倒れ込んだ。

 

 床が血に染まっていく。

 だが、それでもジェノは安心しない。

 

「イルリア、外を見張っていてくれ」

 ジェノは振り返らずにそう言い、イルリアの気配が窓の方に行くのを確認してから、化け物の背中から剣を突き刺し、首と胴を切断した。

 

「……これは、いったい何なんだ」

 ジェノは怒りを懸命に堪え、剣を鞘に戻す。

 

「何故、こんな化け物が……」

 

 ジェノはその言葉を押し留めて置くことが出来ず、声に出す。

 けれど、ジェノ達に、ゆっくり考えている時間はなかった。

 

「ジェノ! こっちに来て! あいつがいる!」

 イルリアの叫びに、ジェノは慌てて窓の方に駆け寄る。

 

 彼女の言葉通り、この宿から少し離れた家屋の屋根に、あの黒ずくめの人間が立っていた。

 黒ずくめのそいつは、右手の掌を上に向けた状態で前に突き出し、指を動かしてこちらに来るよう挑発してくる。

 

「イルリア。姿を消す魔法があると言っていたな? それを俺とお前に使ってくれ。このままでは、下に降りただけで捕まってしまう」

「……でも、あれは明らかに罠よ」

「分かっている。だが、あいつを放っておけば……」

 そこまで言うと、不意にジェノの頬に痛みが走った。

 イルリアが、ジェノを引っ叩いたのだ。

 

「魔法でもなんでも使ってやるわよ! でも、少し落ち着きなさい。このままだったら、あんたはまた……」

 イルリアの声に、ジェノは自分が冷静さを欠いていたことを思い知る。

 

「すまん。だが、もう大丈夫だ。魔法を使ってくれ。下に降りてあいつを追いかける」

 地の利が相手にある状態で、屋根を走って追いかけるのは愚策だろう。

 一階に降りてから追いかけるしかない。

 

「分かった。でも、一分も持たないことだけは覚えておいて」

 早くしないと、誰かがこの部屋にやってくる。

 そのことをイルリアも分かっていたようで、すぐに銀色の板をかざして魔法を使ってくれた。

 

「とりあえず、この宿を脱出する」

「ええ。分かったわ」

 ジェノは姿の見えないイルリアに告げて、化け物の死体を跨ぎ、ドアの前で胸を突かれて死んでいる女将を一瞥して走っていく。

 

 途中、宿の宿泊客らしき人間とすれ違ったが、なんとかうまく躱すことができた。

 そして、阿鼻叫喚の光景を前にした者の声を背に受けながら、ジェノ達は黒ずくめの人物を追いかけるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 すぐに姿を消す魔法は効果を失ってしまい、大道を走るジェノの姿は、屋根の上にいてこちらを見下ろしている黒ずくめに見つかってしまった。

 黒ずくめは、ジェノ達に気づくと、一定の間隔を保ちながら、屋根伝いに逃げていく。

 

 だが、それは想定内だ。

 下手に姿を隠して、あの黒ずくめが姿を隠してしまうことの方が問題なのだから。

 

 ジェノ達は何も分かっていない。

 誘われていると、罠だと分かっていても、今はあの黒ずくめしか手がかりが残されていないのだ。

 

 疑問はいくつも浮かんでくる。だが、その答えがまるで分からない。

 

 何故、人の目がある昼間に襲撃してくる必要がある?

 

 イースの話では、相手は二人組だったはずだ。今は一人。これはどうしてだ?

 

 イースを化け物に変貌させたのは、あの粉なのか? それとも別の要因なのか?

 

 あの、子供の名前を連呼していた男は、先ほどのイースと同じ現場を目撃していたのではないか? そして、子供が化け物に変わったという事実を自分に伝えようと……。

 だが、そう考えると、子供の首を集めているのではという推測は間違っていたのか?

 

 考えればきりがない。

 だが、ジェノは思考を止めずに走り続ける。

 思考を放棄しては、相手の思うつぼなのだから。

 幸い、イルリアの速度に合わせて走っているので、ジェノには体力的に余裕がある。

 

「ジェノ、この方向は!」

「間違いない。神殿に向かっている。だが、何故こんなあからさまな事をする」

 ジェノは未だに相手の思惑がわからないことに歯噛みする。

 

 これでは、神殿があの化け物と関係していると自分達に吐露しているのと同じだ。

 

 何が目的だ?

 何故、たまたまこの村にやってきた自分達に、この村で隠匿しようとしていたであろう事実を見せるのだろうか?

 

 黒ずくめは、途中から地面におりて逃げ続けると、やがて予想どおり、神殿の建物にたどり着く。

 ただ、そこは入り口からは遠く離れた外壁部分。そこで立ち止まると、黒ずくめは再びジェノ達を手招きする。

 

「くっ……。ふっ、ふざけるんじゃあないわよ!」

 イルリアが怒りを顕にするが、息がもう完全に上がってしまっている。

 宿からここまで、ずっと走り続けたのだから無理もない。

 

「イルリア。お前はここに残ってくれ。魔法で自分の身を守ることを優先するんだ」

「ばっ、馬鹿を、いっ、言わないでよ。こっ、これくらい……」

「俺が、一人で追いかける。お前は、俺が神殿の人間に取り押さえられたときに、事情を証言してくれ。二人共掴まっては、それができない」

 ジェノは理由を取ってつけて、イルリアにここに残るように言い、一人で黒ずくめを追いかける。

 

 イルリアは追いかけようとしたようだが、もう体力が限界のようで、地面に倒れ込む。

 

 待ち伏せを考え、イルリアと歩調を合わせていたが、自分だけなら構わない。

 ジェノは全速力で、黒ずくめを追いかける。

 黒ずくめは、外周の石壁にあった、大人一人がぎりぎり通り抜けられそうな縦穴を抜けて神殿内の敷地に入っていく。

 他に方法がないため、ジェノも同じ方法で敷地内に侵入した。

 

「今の穴は、経年劣化してできたものではない。どういう事だ?」

 ジェノは自分が通った石壁の穴が綺麗だったことに違和感を覚えた。

 

 しかし、もう遮る物体はない。そして、単純な足の速さならばジェノの全力の方が早い。

 今は、あいつを捉えることが重要だ。

 

 ジェノはそう切り替えて、神殿の外周の庭らしき部分を全力で走る。

 だが、そこで、異変が起こった。

 

「なっ!」

 突然、ジェノが纏っていたジャケットの一部が光りだしたのだ。

 

 そこに何を入れていたのかをジェノは瞬時に思い出す。

 

「リット……」

 ジェノは追いかける足を少しずつ休め、やがて停止する。

 そして、ジャケットのポケットから、光り輝く木の板を取り出した。

 

「何だ? リットが、俺に何かを伝えようとしているのか?」

 あと少しのところで黒ずくめを逃したのは惜しいが、もう関わらないようなことを言っていたリットがこちらに合図を送るのであれば、ただ事ではない。こちらのほうが重要だ。

 

 光り輝く木の板は、不意に自分の意志を持ったかのように、ジェノの手から離れ、宙に浮かび上がる。そして、凄まじい勢いで、神殿の建物の一箇所に激突した。

 

「これは、いったい‥…」

 

 轟音を立てて、木の板がぶつかったところが崩れていく。

 そして、そこには、地下に向かうための階段が隠されていた。

 

「リット、ここを降りていけということか?」

 ジェノは虚空に向かって尋ねたが、返事は返ってこない。

 

「くそっ! だが、手がかりはもうここしかない……」

 ジェノは返事をしないリットを苛立たしく思いながらも、現れた階段を注意深く降りていく。

 

 そして、ジェノは目の当たりにするのだ。

 地獄のような、その光景を。

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