彼は、英雄とは呼ばれずに   作:トド

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㊱ 『贖罪』

 なんとか階段を駆け下りてイルリアが見たのは、まさに地獄そのものだった。

 

 薄暗い地下の巨大な祭壇のような場所には、いたるところに蝋燭と子供の首が並び、そして、祭壇の奥の石の台の上には、胸に深々と刃物を突き刺された少女が寝かされている。

 そんな凄惨な場所で行われているのは、一匹の獣と化したジェノによる虐殺だ。

 

 神殿の人間達は二十人以上いるようだったが、瞬く間に誰もが見るも無残な姿に変えられていく。

 戦おうとした者も、逃げようとした者も、状況を未だに理解できずに戸惑うものも、目にも留まらぬ速さで駆け回る、ジェノの体を操る獣の攻撃によって、手足を切断され、じわじわとなぶり殺されていくのだ。

 

 目にも留まらぬ速さで走り回る獣相手には何の気休めにもならないが、イルリアは獣の攻撃が離れている間に、床に倒れながらもまだ意識がありそうな人物のもとに駆け寄り、スライディングして自分も彼女のように身をかがめる。

 

 あの獣は、立っているものを優先的に襲ってくるという数少ない知識を利用しての行動だった。

 

「おっ、お前は?」

「ああっ、やっぱり貴女ね。ナターシャ神官。聞きたいことは山ほどあるけれど、今はそれどころじゃあないのは分かるでしょう?」

 イルリアは言うが早いか、腰のポーチから銀の板を取り出して、それをナターシャに向ける。

 すると、穏やかな光がナターシャの体を包み、腕の出血を瞬く間に止めた。

 

 ナターシャの黒ずくめの格好から、自分達を襲撃し、イースを化け物に変えたのはこいつだ。だが、今は少しでも情報がほしい。

 希望的観測だが、まだあの獣の中に、ジェノの心が少しでも残っていると仮定して動くしかない。

 

「あの化け物には、普通の攻撃魔法は通用しない。ただ、間接的な魔法なら効果は望める。貴女、<閃光>の魔法は使える?」

「……いや、すまない。私は魔法が全く使えない」

 ナターシャの回答に、イルリアは歯噛みする。

 

「すると、私のこの板に込められている魔法だけ……。しかも一枚しかない。こっちを向いた瞬間に使わないと、はずしたら間違いなく殺される」

 ジェノを止めなければという一心で、この場所まで降りてきたが、これならば助けを呼んだ方がまだマシだった気がする。

 

 しかし、今更後悔しても遅い。

 それに、仮に神殿の残っている人間達が、いや、この村の人間全てが協力したところで、今のジェノをどうにかできるとは思えない。

 

 イルリアはどうしたものかと思案するが、そんな時間も、もう残されてはいないようだ。

 

 獣は、絶望の表情を浮かべる神官二人の頭をそれぞれの手で掴み、簡単にそれを握りつぶした。

 あまりにも惨たらしいその光景に、辺りが蝋燭の明かりだけで暗かったことを幸いに思う。

 いまは、恐怖している暇も、嘔吐している暇もない。

 もう、この場に立っているのは、獣と一人の人物、神殿長のジューナ一人なのだから。

 

「どうして、私を最後まで残したのですか! 殺すのでしたら、私をいの一番に殺すべきでしょう!」

 そう怒りの声を上げるジューナは、まだ五体満足な状態だった。

 偶然ではないだろう。獣が、あえてそうしたとしか思えない。

 

「……コロ……シタ……。サク……リ……」

 獣は、片言ながら人の言葉を口にし、祭壇の石の台の上を見つめる。

 

 死臭漂う静寂の中、その声はイルリアの耳にも確かに聞こえた。そして、大量の血を流しつくし、息絶えている少女の姿を彼女は目にする。

 

 遠目にも、白髪でやせ細ったその少女が、自分の友人のサクリだとイルリアは理解した。

 

「あんた達、サクリを殺したの? ジェノの目の前で……」

 イルリアは化け物に視線を戻し、そばにいるナターシャに殺意を込めた声を向ける。

 

 あいつが、ジェノがあの獣になってしまったのも当たり前だ。

 ジェノの心が、殺意にまみれて、獣と同化してしまった理由が今わかった。

 

 本当なら、今すぐこの場で、ジェノの代わりに残ったこいつらを殺してやりたい。

 だが、その気持ちを懸命に押し殺し、イルリアは<閃光>の魔法を封じた、銀色の板を怒りに震える手で構える。

 

「…………」

 ナターシャは何も答えない。

 

「万に一つでも生き残ることができたら、事情を話してもらわないといけないと思っていたけど、気が変わったわ。死になさい。あんた達に、生きている資格なんてないわ」

 それが、肯定の意味だとイルリアは理解し、この最低の人間達を唾棄して助けることを放棄する。

 

 ジューナが襲われる前に、背後から声を掛けてこちらを振り返らせてから<閃光>の魔法で目を晦ませる。そして、残っている攻撃魔法の全てを使い、この地下の天井を破壊して落盤させて押しつぶす。

 攻撃魔法が通じない以上、それが現状考えられる最善の策。

 ほぼ間違いなく、自分も落盤に巻き込まれて死ぬだろうが、攻撃魔法の量をうまく調整すれば、僅かだか生存の可能性もあった。

 

 けれど、イルリアは、右手に閃光の魔法を持ち、左手に攻撃魔法が封じられた札を全て構えた。

 

 ジェノがあんな獣になるきっかけを作った自分は、やはりこの命で罪を雪ぐしかないのだ。

 

「ごめん。ごめんね、ジェノ。サクリの仇は討たせてあげる。だから、私と一緒に……」

 イルリアは、獣がジューナに襲いかかるのを傍観する。

 

 獣は、咆哮をし、ジューナの腹部を右腕で貫いた。それを受けたジューナは吐血し、体をくの字に曲げて倒れ込む。

 

 チャンスは、今しかない。

 

「ジェノ、こっちを向きなさい!」

 イルリアが叫ぶ。

 

 すると、ジューナを串刺しにしながら、獣はこちらを向いた。

 

 その瞬間、イルリアは<閃光>の魔法の封じられた銀色の板を投げようとしたが、突如眼前に現れた男の手によって視界を遮られて千載一遇の好機を逃してしまう。

 

「いいねぇ。自分の命もろともジェノちゃんを止めようとするなんて。その身勝手な行動、俺は好きだぜ。見直したよ、イルリアちゃん」

 この切羽詰まった状況に全くそぐわない、のんきな声が聞こえる。

 

 その声の主が誰なのかを理解し、イルリアはその男の名を口にする。

 

「リット……」

「はいはい。そのとおり。天才魔法使いのリットさんだ。まぁ、後は俺に任せておきなよ」

 

 にやけた笑みを浮かべるリットは、そう言ってイルリアに背を向け、獣と対峙するのだった。

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