彼は、英雄とは呼ばれずに   作:トド

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㊲ 『魔女』

 突然、現れた。

 そう。文字通り、何もない空間から現れた茶色い髪の軽薄そうな少年は、ナターシャも一度顔を合わせたことのある存在だった。

 

「いやぁ、別に狙ったわけではないんだけれど、最高のタイミングだねぇ」

 目の前に死を生み出す化け物がいるにも関わらず、人を小馬鹿にしたような余裕のある笑みを口元に浮かべ続けているその少年は、信じられない事に、<転移>の魔法を使ったようだ。

 

 世界中の、女神カーフィアの信徒の魔法使いを集めても、片手の指ほども使用できる者がいない大魔法を、事も無げに使用している。まだ成人もしていないであろう子供が。

 

 リットを見ていたナターシャだったが、不意に、重量のあるものが硬い床面に落下する音が聞こえた。

 

 そちらに視線をやると、それが、化け物の手によって腹部を貫かれたジューナ神殿長だと理解する。

 ジェノは、まるでゴミでも扱うかのように、腕を払い、ジューナの体を床に叩きつけたのだ。

 

「くっ、この、化け物……」

 敬愛する人に対するあまりにもひどい仕打ちに、ナターシャは怒りの声を上げる。だが、彼女にできるのはそれが精一杯だった。

 

 体が震えて動かない。

 眼前の化け物には敵わないと、すでに心が認めてしまっている。

 たとえ右腕を失っていなかったとしても、もう自分は戦えない。その事を理解してしまった。

 

 ジェノが、自分達に狙いを定めた。そして、彼の姿がかき消える。

 ナターシャは、数秒後に自分達が殺されている未来を刹那に予見し、目を閉じた。

 

 けれど、目を閉じてからしばらく経っても、自分の意識がかき消えないことを不思議に思い、ナターシャは恐る恐る目を開ける。

 

「えっ、これは…」

 ジェノは、十数個の光の輪に体を拘束されて地面に倒れていた。

 手負いの獣のように暴れて、先ほどのように拘束を引きちぎろうとしているようだが、リットが作り出したであろうそれは、びくともしない。

 

「おいおい、獣ちゃん。お前じゃあ俺には勝てないよ。この間もボコボコにしてやったのを忘れたのかよ?」

 リットは桁外れな威力の束縛の魔法を使っているはずなのに、つまらなそうにそう言って、頭を掻く。

 

 ナターシャは、魔法は発動させるよりも維持をするほうが大変だと、魔法が使える同僚が言っていたのを思い出す。

 これほど強力な魔法を維持するとなると、精神力があっという間にすり減るはずだ。だが、この男はそれを呼吸する程度の気軽さで行っているようにしか見えない。

 

「あの<獣憑き>を事も無げに……」

 ジューナ様と数人の神官達が放った魔法を引きちぎったジェノが、まるで相手にならない。

 なんなのだろう。このリットという男の魔法は。常識外れもいいところだ。

 

「おいおい、ジェノちゃん。涎で、折角のいい男が台無しだぜ」

 リットはそう軽口を叩き、ジェノの近くまで歩を進める。そして、掌を、床に倒れるジェノの方に向ける。

 

「なるほど。あまりにもジェノちゃん自身も怒っていたから、化け物の感情に潰されずに済んでいるみたいだな。それに、まだ完全に獣が体を乗っ取りきれてなかったのも幸いしたという訳か」

「リット! ジェノは、戻れるの?」

「ああ、問題ないはずだ。俺が治療すれば、すぐに戻るだろう」

 呆気にとられるナターシャをよそに、リットとイルリアが会話を交わす。

 

 だがそこで、不意に別の人間の声が、ナターシャの耳に入ってきた。

 

「なるほど。貴方が、ジェノ様にあの施術を施したのですね……」

 腹部に穴を開けられ、床に叩きつけられて絶命したと思っていたジューナが、立ち上がり、こちらに向かって歩いて来たのだ。

 

 

 

 

 

 

 自らの身体に、癒やしの魔法らしきものを掛け続けながら、ジューナがイルリア達の元にたどたどしい足取りで近づいてくる。

 

「ジューナ様!」

 状況を忘れて、立ち上がろうとしたナターシャは、再びバランスを失い、顔から床に倒れる。

 

「しぶといわね。いいわ。ジェノの代わりに、私が……」

 イルリアは<閃光>の魔法が閉じ込められている銀色の薄い板をポーチに戻し、<雷>の魔法が封じ込められたそれを取り出して構える。

 

「いいえ。それには及びません。私の命は、もう長くはありませんので……」

 ジューナはそう言い、穏やかに微笑む。

 

 こんな、こんな地獄を作り出すきっかけを作った、無辜の子供たちを殺し、サクリまでもを殺した、狂人のくせに。

 

 イルリアは、その笑顔に殺意を覚える。

 

「……止めときなよ、イルリアちゃん。聖女様の言うとおりだ。もう、彼女は長くない」

「何が聖女様よ! こんな女、聖女でもなんでもないわ! これだけ、これだけ沢山の人がこいつのせいで死んだのよ! ジェノだって、こいつが余計なことをしなければ……」

 イルリアは怒りに任せて魔法を発動させようと板を持った方の腕を振り上げたが、そこで再びジューナの笑顔を見てしまい、腕を震わせるだけで攻撃に移れない。

 

「そうです。貴女の仰るとおり。私は、聖女などではありません。血塗られた魔女だったのです。そして、貴女方は、その人殺しの恐ろしい計画を阻止した英雄です」

 ジューナはそう言うと、なんとか体勢を立て直して顔を上げる事ができたナターシャに、「いいですね、ナターシャ」と言って、彼女にも笑みを向けた。

 

「……はっ、はい。ジューナ様」

 ナターシャが応えると、ジューナは笑みを強めた。

 

「恐ろしい魔女は、英雄の手によって討たれるのが本来ですが、私程度の命で、皆様の手を煩わせる事はありません」

 ジューナはそう言うと、癒やしの魔法を使うのを止めて、自らの首元に右手を当てる。

 

「イルリアさん。貴女達は間違っていません。どうか、その真っ直ぐな気持ちを忘れないで下さいね……」

 ジューナはそう言い、イルリア達に背を向ける。そして次の瞬間、風切り音がイルリアの耳に聞こえた。

 

 そして少し遅れて、ゴトッと重い音が聞こえた。

 

 それは、ジューナの頭が首から切り離され、床に落ちた音。

 彼女は自らの首を、自らの風の魔法で切り落としたのだ。

 

 ジューナの胴体も、前に倒れ、夥しい血が床をまた染めていく。

 

「あっ、あああっ……。いやぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 イルリアは、思いもしなかったジューナの行動に悲鳴を上げる。

 

 

 

 なんなのだろう、いったい。

 何故、こんなにも人の命が失われなければいけないのだろう。

 

 沢山の命が失われていった。

 自分達の目の前で。

 

 訳がわからない。

 どうして、どうして、こんな事に自分達は巻き込まれるのだろう。

 

 いくら考えても、結論は出ない。

 それは、イルリアが何も知らないから。

 

 

 ……未知を人は恐怖する。

 だから、知りたいと思う。

 そして、安心したいと願う。

 

 けれど、世の中には、知らないほうがいい事柄というものも存在する。

 

 無理な話だった。

 最後に、聖女が、ジューナが残した魔女と英雄の話を受け入れて納得するなど。

 

 けれど、後にイルリア達は思い知ることになる。

 その無茶で陳腐な英雄譚が、ジューナの残した気遣いだったのだと。

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