サクリは、自分が<禁呪>の触媒となることを知っていた。
それは、彼女がこの旅を最後に、自らの生命を終わらせることを決意していたということだ。
ベッドの上で力が衰弱して死んでいくよりも、僅かな時間でも、大切な親友と、カルラとレーリアとの旅をしたい。
それは、健常者から見ればささやかな願いかもしれない。けれど、サクリにとっては自分の命と引き換えにしても叶えたい願望だった。
だから、彼女は自分を供物とすることを受け入れた。
そして、自分に掛けられた呪いじみた魔法の力を使い、病める体に鞭を打ち、懸命に旅をする事ができるために努力をしたのだ。
もしも、何事もなくその旅が終われば、彼女は自らの結末を受け入れられたのだろうか?
いや、きっとそれは、幸せな終わり方だったのだろう。
最後の願いを叶え、大切な親友達に別れを告げて、その短い生涯にも納得ができたかもしれない。
だが、現実は非情だった。
自分の未来を全て捨てて、手に入れた幸せな時間は、わずか数日で終りを迎えた。
賊に乗っていた馬車が襲われ、その際、サクリを守るために、カルラとレーリアは戦って若い命を散らしたのだ。
……こんなひどい話があるだろうか。
大切な、本当に大切な親友が、余命幾ばくもない、すでに死神と約定を交わしていた自分よりも先に死んでしまったのだ。
サクリはその時点で、何もかも失ってしまった。
この世に生きる意味を。病に苦しみながらも、前に進む理由を。
だから彼女は死後の世界で、天国で親友と再会することを願うようになった。
そのために、自らを罰しながら、苦しんで死んでいこうとしたのだ。
それだけが、カルラとレーリアに再会できる道と信じて。
サクリは、この世界を憎んでいた。
いや、違う。それしか、憎めるものがなかったのだ。
あまりにも残酷な現実の前に、彼女が恨みの発露にできるものが、……それしかなかったのだ。
――だが、俺は、そんな彼女に……。
あの時の俺の言葉は、サクリにとってどれほど陳腐なものだったのだろう。
『何を言っている。お前は病を治すために旅を続けているんだろう? そのために、これから聖女に会いに行くんだ。初めからそんな弱気でどうする』
何も知らない俺は、そんなことを口にした。
死出の旅を続けているサクリの気持ちをまるで理解せずに。
俺は、サクリが自分に気を使っていることに気づき、それをどこか不快に思っていた。
もっと、自分達を頼ってほしいと傲慢にも思っていた。
あまりにも馬鹿げた話だ。
サクリは、ずっと俺達のために真実を明らかにしなかったのだ。
俺達の無責任な励ましの言葉を受け入れ、彼女は無理をして笑顔を作っていたのだ。
――ふと、顔を上げると、沈みゆく夕日が見えた。それが、あの日の船の上での夕日に重なる。
サクリはあの時、死にたくないと言った。
もっと、もっとカルラとレーリアと生きたかったと。
あの時こぼれ落ちたあの時の気持ちこそが、サクリの本当の心だったのだ。
それ以外は、全て俺達に気を使った言葉だった。
自分がこれから死んでいくというのに、サクリはずっと俺達のことを気遣ってくれていたのだ。
俺はサクリを助けているつもりだった。
だが、真実は真逆だった。
何も知らない俺は、彼女に助けられていたのだ。
俺は愚かだ。そして、あまりにも無様で、何よりも無力な自分に怒りさえこみ上げてくる。
「んっ?」
不意に、こちらに近づいてくる気配を感じ、俺は立ち上がり、そちらを向く。
剣を構えようとしたが、それはあの地下の祭壇に置かれたままだったことに気づく。
もっとも、その気配は殺気を纏ってはいない。ただ、不思議なのは、神殿の建物ではなく、その反対方向からこちらに向かってくることだ。
俺はいつでも対応できる体制を取り、二つの気配が目に見える位置まで来るのを待った。
「はぁ~。良かった。無事に帰ってこられたぁ」
そんな子供の声が聞こえたかと思うと、幼い少女が茂みから顔を出した。
「まったく、お前が奥まで行ってみようって言うから、道に迷ったんだぞ」
続いて、五、六歳くらいの男の子も茂みから出てくる。
「あっ! あの時の格好いいお兄さんだ!」
幼い少女はそう言い、こちらに駆け寄ってくる。
その姿に、俺はこの二人の子供のことを思い出す。
この村に入る時に、皆に花を配っていた子供達だ。
「良かった。すっかり遅くなってしまったから、渡せないかもしれないと思ったんだ。でも、明日になったら弱ってしまうから」
幼い少女はよく分からないことを口にして、手にしていた籠から何かを取り出す。
「はい。これ、あのご病気のお姉ちゃんに渡して下さい。うちのお兄ちゃんと一緒に私が作ったんだよ」
幼い少女が差し出してきたのは、花冠だった。
「その、ごめんなさい。うちの妹が、どうしてもあの病気のお姉さんにこれを作って渡したいって言ってきかなかったんです。
森に入れないから、花を探すだけでも時間がかかってしまって、その……」
物怖じしない妹とは異なり、兄の方は申し訳無さそうに詫びる。
「……そうか。サクリのために、花を探して作ってくれたのか……」
俺はそう言うだけで精一杯だった。
いろいろな感情がこみ上げてきて、それを抑えるのに必死だった。
「うん。一生懸命作ったんだよ。早くご病気が治りますようにって、カーフィア様にお祈りしながら」
「はい。ですから、どうかあのお姉さんに渡してあげて下さい」
子供二人の笑顔に、俺は懸命に笑顔を作る。
「分かった。間違いなく渡しておく」
その言葉に満足したのか、幼い兄弟は、「それじゃあ」と言い残して、家路に就いていった。
まだ、日が昇っているとはいっても、万全を期すのであれば、二人を途中まででも送っていくべきだったのかもしれない。
だが、俺はただその場に立ち尽くすことしかできなかった。
あの時の、最後の別れの際に、サクリはなんと言っていたかを思い出し、俺はせっかく子供達が作ってくれた花冠を握りつぶしてしまう。
……彼女は、こう言っていた。
『私は大丈夫です。あの子供たちが私に勇気をくれましたから』と。
サクリは、あの子供達を救うために、自らが生贄になることを覚悟したのだ。
自らの死を受け入れたのだ。
そして、真実を語らずに死んでいった。
「……俺は、何もできなかった……。いや、それどころか……」
自分を今更攻めたところで、何の解決にもならない。それは分かっていたが、俺はしばらくの間、そこから動くことができなかった。