チェルノボーグの撤退戦から一夜後。ヤトウはドクターの警護にあたる。負傷者で溢れる艦内、未だ帰らぬ仲間、募る不安。混乱が続く艦内で、ヤトウは自分が抱いてある勘違いに気付く。

苦難の道は今、始まったばかりなのだと。

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草行露宿(そうこうろしゅく)
――ひどく険しい道のり。


草行露宿

出立前、誰がこの有様を予想していただろうか。

医療フロアに収まりきらない負傷者が、甲板や宿舎、通路を埋め尽くしている。

あちこちからうめき声や泣き叫ぶ声が溢れ、医療オペレーターの慌ただしい足音と怒声にも似たやりとりが響いている。

負傷者の大半は、天災とレユニオンによって崩壊したチェルノボーグを命からがら脱した市民たちだ。

重篤な患者は医療フロアに優先的に収容されているはずだが、それでも通路に横たわったまま、ピクリとも動かない者も少なくない。

 

――私は、私たちは、大きな誤解をしていたのかもしれない。

 

目の前に広がる惨状と、あの壮絶な撤退戦から一夜明けても未だ帰らぬ仲間たちの顔を思い浮かべながら、ヤトウはふと思う。

ドクターを奪還することがゴールで、彼が戻れば全てが上手くいくのだと、いつの間にかそう考えていた。

 

――だが、違う。

 

ヤトウは、前を歩くひどく懐かしい背中を見つめる。

 

――私たちはまだ、スタートラインの上に彼を引っ張り上げただけだ。

 

そう、本当に長く、険しい道はこれから始まるのだ。

 

 

 

『草行露宿』

 

 

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

 

「……大丈夫か。体調が悪いなら、少しくらい休めるように私からドーベルマンに掛け合うが」

「いえ、平気です。お気遣いありがとうございます、ヤトウさん」

 

横を歩くフェンの顔をヤトウはチラリと見る。

ロドスアイランドのエリート新人チーム「行動予備隊A1」の隊長らしい気丈な返事だが、さすがにその表情は憔悴しきっている。

当たり前だ。

文字通りの「死線」をくぐり抜けて帰還した彼らは、一時の休憩も与えられないまま「ドクターの警護」という任務に駆り出されているのだから。

ドクターの前にはノイルホーンとビーグル、後にフェンとヤトウ。行動予備隊A1と行動隊の混成チームだ。他のメンバーも施設の警備や負傷者の治療にあたっている。

 

「あまりにも人が足りないな」

「……そう、ですね。でも大丈夫ですよ! 天災の影響で脱出路も限られていましたから、もう少ししたらきっとすぐにみんな戻ってきます」

「ああ、そうだな」

 

無理矢理、明るい声を出すフェンにヤトウは黙って頷いた。

負傷者のなかに、ドクター奪還作戦に加わった行動隊に面子はほとんどいない。

一夜明けても帰ってくるものはいなかった。

それにも関わらず、ロドスの上層部が捜索隊を派遣しないのはどういうことを示唆するのか。賢いリーダーに分からないわけはないだろう。

だが、ヤトウはフェンを咎めるつもりなどない。

奪還作戦の“後詰め”として派遣された行動予備隊のうち、帰還しているのは行動予備隊A1だけなのだ。

 

――こんな状況だ。「行方不明」に希望的観測を抱いて縋るのも、仕方がない。

 

それにヤトウ自身も、Ace、Scoutなどのロドス屈指の精鋭たちがこのまま黙っていなくなるなんて、考えられないでいた。

 

――ドクターは、今、何を考えているのだろうか。

 

ただ、黙って歩くドクターの背中からは何も感じ取れない。

行動隊Aはアーミヤが先導する救出部隊の援護を担い、撤退戦では幾度か共に戦った。

見事な指揮能力の健在ぶりも目の当たりにしている。

疑うまでもなく、ロドスアイランドのオペレーターが命をかけて望んだその人である。

 

だからこそ、脳裏に不安がよぎるのだ。

記憶がなくなったドクターは、名前も知らずに散っていた人たちのことをなんと思うのだろう。

悲しむだろうか、感謝するのだろうか、それとも何も感じていないのだろうか。

 

――いや、迷うな。今はそんな雑念を抱いている場合ではないだろう。

 

ヤトウが頭を振る。

そのときだった。

 

「帰還者だ! 行動予備隊A4が帰ってきたぞ!」

 

通路の奥で、喜色に溢れた同僚が叫ぶ声が聞こえた。

 

 

 

 

通路に居合わせたロドス関係者が一斉に色めき立つ。

何人が後ろからヤトウやフェンを追い越して、突き当たりを左に曲がっていく。

 

「メランサたちですよ! 無事だったんだ!」

 

ぱっと顔を輝かせ、フェンはヤトウを見る。

行動隊Aと行動予備隊A1、A4はチェルノボーグの撤退戦の終盤に共闘した。

“W”という圧倒的な力を持つ幹部が率いるレユニオンの部隊から、なんとか逃れたものの、その途中でA4のメンバーと分断されてしまっていたのだ。

 

――吉報だ。

 

ヤトウが少し、胸を撫で下ろしたときだった。

沸き立つ声が悲鳴に変わった。

 

「道をあけてください! 一刻を争います!」

 

ヤトウは瞬時に状況を理解し、自分の思考の浅さを悔いる。

そう、メランサ、カーディ、アンセル、アドナキエル、スチュワードは帰ってきた。

けれど先走った誰かは彼らが“どんな状態だったのか”は言わなかったのだ。

光が戻ったはずのフェンの瞳が真っ黒に曇った。

 

医療オペレーターが取り囲む4台の担架が、通路の突き当たりから現れ、フェンとヤトウの横を通り過ぎていく。

毛布は血にまみれ、白い腕がだらんと担架からこぼれ落ちる。

あの白い肌はきっとアドナキエルだろう。

彼は“W”の攻撃が直撃していた。よく考えれば、ここまで持っただけでも奇跡に近い。

担架が運ばれていった最後に、一人の少女が通路の奥に現れた。

 

「メランサ!」

 

フェンが叫んで、うつむいているメランサに駆け寄った。

頬は煤け、剣は折れ、戦闘服はボロボロだが、行動予備隊A4の隊長は一人で立てる状態のようだ。

 

「……フェン、よかった。無事、だったんだ。みんな無事?」

「私たちのメンバーは大丈夫だよ」

「でも、私は、私たちは……」

 

メランサの瞳からボロボロと涙がこぼれる。

 

「私が頼りないから、みんなが――。死んじゃったらどうしよう!」

「泣くな、メランサ。ロドスの医療オペレーターとメンバーを信じろ」

 

側にいたドーベルマン教官が、メランサの肩を叩く。

 

「それから、フェン! お前はドクターの護衛中だろう。配置に戻れ、命令違反だぞ」

「す、すいません!」

 

フェンは慌てて後ろを振り返ると、仮面で表情が見えないノイルホーンはともかく、ビーグルは今にも泣き出しそうな顔で立っていた。

どうやらとっくに追いつかれてしまっていたらしい。

 

「まぁ許してやってくれよ、教官。こいつはずっと他の予備隊のやつらのこと、心配していたんだぜ」

「心配なら全員している。負傷者を保護する際に持ち物検査はしているが、レユニオンが紛れ込んでいる可能性がある。犠牲を払って奪還したドクターに何かがあったら、それこそ、彼らに申し訳が立たないと思わないか」

 

ドーベルマン教官はいつもと変わらない様子で、ノイルホーンの擁護を一蹴する。

 

「……ドクター? ドクターがいるんですか?」

 

メランサが小さく呟いた。

 

「あぁ、そうだ。君たちのおかげで我々はドクターを取り戻せた」

 

ドーベルマンがそう言うと、ノイルホーンとビーグルが左右に開く。

メランサの視線の真ん中に、フードを深く被ったドクターが現れた。

 

「ドクター」

「……」

「あなたが、ドクターなんですか?」

「……どうやら、そうらしい」

 

震える声で問いかけるメランサに、ドクターが短く返した。

静かでそれでも不思議なほどよく通る声だ。

 

「そうですか……」

 

よろめきながら、メランサが一歩近づこうと一歩踏み出すが、そのまま膝から崩れ落ちる。

 

「よかった! 生きていたんですね! 私たちが、みんながやったことは無駄じゃなかった!」

 

泣きじゃくりながら、メランサは叫ぶ。

普段は物静かなメランサが取り乱す姿に、フェンの胸がズキリと痛む。

ビーグルはもらい泣きしており、ドーベルマンとノイルホーンが膝を折ってメランサを支える。

ヤトウは背を向け後方を警戒しているようだった。

 

「ほら、行くぞ。君も治療を受けないと――」

 

言いかけて、ドーベルマンは口をつぐむ。

メランサは泣いたまま、意識を失っている。

 

「緊張の線が切れちまったんだろうな」

「……おい、医療班! 担架を持ってきてくれ!」

「全部出払ってます!」

「全く、しょうがないな」

 

忙殺される医療オペレーターの乱暴な返事に、ドーベルマンは呟くと、メランサを背におぶった。

 

「私が医療フロアに連れて行くから、君たちはそのままドクターの任務を続けてくれ」

「り、了解です!」

 

慌ててフェンがドクターの後方に戻るのを確認し、ドーベルマンは今度はドクターに厳しい視線を送る。

 

「本来、ドクターは完全防備した部屋で保護される立場だ。“どうしても行きたい場所がある”とわがままを言うから、信頼できる彼らを付けている。早いところ用を済ませて解放してやってくれ」

 

どうせドクターが返事をしないことを悟っていたのだろう。

ドーベルマンはきっぱりと言い切ると、足早に去っていった。

 

――どうしても行きたい場所?

 

ヤトウは小さく首をかしげる。

ドクターの目的地は知っていたが、なぜあそこにこだわるのか理由は分からなかった。

 

 

 

 

その場所は、ロドスで最も高い場所。管制室の屋上だった。

それなりの広さはあるが、利便性が悪いので負傷者は収容されていない。

船内の混乱や喧噪が遠くなり、まるで潮騒のように聞こえる。

デッキの先端に立ち、ドクターはただ、黙って遠くを眺めている。

 

――なにを考えているのだろう。

 

ドクターの後ろに横一列で並んでいる警護メンバーの中心にいるヤトウは、もう何度めかになる疑問を思い浮かべる。

 

「……なぜ、あの少女は泣いたのだろうか」

 

まるで独り言のように、ドクターが呟いた。

ビーグルとフェンが困惑したように顔を見合わせ、ノイルホーンとヤトウは互いに目配せする。

 

「努力が報われたからだろう」

「……」

「彼女だけじゃない。メンバーもそして、未だ帰らない仲間も」

 

彼らの覚悟をドクターに背負わせたいだけじゃない。

だが、知って欲しかった。気付いてほしかった。

どれだけの人がドクターのために命をかけたかを。

それは、記憶をなくしたドクターだけでなく、健在だった頃のあの苛烈なほどに勝利を求めていたドクターにも言いたかったことなのだろう。

 

「そこまでして、私に何を期待しているのだろうか」

「それは、私たちにとってあなたが――」

「……希望とでも? 記憶をなくしたただの男がか」

 

自嘲するわけでも、挑発しているわけでもない。

ドクターはただ、淡々と続ける。

ヤトウの背筋に嫌なものが走る。

昔のドクターの本心は全く見えなかった。見ようとしても目をこらしても、ただ、底知れぬ闇があるだけ。

その感覚を久しぶりに味わった気がした。

 

「私は、私が分からない。それに昨日一日で散った“仲間”の名前も、顔も何も知らない」

 

――お願いだ。彼らを拒絶しないでくれ。

 

ヤトウは懇願するように、独白を続けるドクターを見る。

 

――私たちを見捨てないで。

 

ドクターに命をかける。少なくとも、ただのオペレーターであるヤトウにはそれしか手段はなかった。

ヤトウは胸を押さえ、ノイルホーンも沈黙する。

 

「……だから、教えてほしい」

「えっ?」

「君たちのことを。――そして、戻ることのない彼らのことを。この船にいる“仲間”のことを知れば知るほど、それが私が戦う意味になるだろう」

 

ドクターはゆっくりと振り返る。

逆光になり、表情は見えない。だが、小さく微笑んでいる気がした。

 

「手間を取らせるかもしれないが、いいだろうか?」

「も、もちろんです! 私、ビーグルって言います! 採用試験はギリギリだったんですけど――」

「ビーグル! そんなことまで言わなくていいだろ!」

 

新人の二人が一斉に口を開き、場が一気に賑やかになる。

 

「あっ、そうだ! ドクター、もしよかったら中でお話しませんか。多分、そっちの方がゆっくりできると思いますし!」

気が利くフェンがそう言ってドクターを促す。

ドクターは「そうだな」と言い、状況を理解できないヤトウの横切っていく。

 

「考えすぎなんだよ、ヤトウは。肩の荷はできるだけ下ろしていこうぜ。この先は長いんだ」

ノイルホーンがヤトウの肩をぽんっと叩き、三人に向かって走り出す。

 

「おいおい! ロドスは年功序列が基本だろ! 新人二人の自己紹介は俺の後にしろ!」

「ちょっとノイルホーンさん、重いですよ! ヤトウさんも早く行きましょう!」

 

肩に置かれたノイルホーンの手を振り払いながら、フェンが大きく手を振った。

その中心には、ドクターがいる。

ヤトウは大きく息を吸って、踵を返す。

 

――苦難の道は、始まったばかり。けれど、ドクターは前を向いてくれる。

 

それだけで、ヤトウは全てが報われた気がした。

今日生き残った者も、明日死んでしまうかもしれない。それが自分かもしれない。

鉱石病が進行し、戦場に立てなくなる日はきっと、そんなに遠くはないだろう。

 

――それでも私がドクターを守る。

 

ヤトウは、腰にかけた刀の鞘を握りしめる。

ふいに後ろから、未だに帰らない彼らから名前を呼ばれた気がして、足が止まりそうになる。

それでも、前を向き走り続ける。

 

――どんなに険しい道でも、ドクターと、仲間一緒なら越えてゆける。だから、いつかそっちに行くまではどうか見守っていてくれ。




ロドスの正式な私兵「行動隊&行動予備隊」は低レアが多い。総力戦とはいえ、彼らだけでウルサスに喧嘩を売りながら(?)、レユニオンともぶつかったチェルノボーグ戦は、本当に死地だったのだと思います。


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