デンドンデンドンデンドンデンドンデンドンデンドンデン…… 作:葛城
とりあえず、誰か続き書いてください
──フッと、目が覚めた瞬間。彼は、己が夢を見ているのだと思った。
何故なら、目を開けたその先。周囲に広がっている光景全てが、己が寝ていたはずの部屋とは何もかもが異なっていたからだ。
己が寝ていたベッドは無い。壁に貼り付けていたカレンダーも無いし、テレビも無い。放られて放置されていたゴミ袋も無いし、ジュースやら何やらが置かれたテーブルも無い。
つまり、己の自室にある物全てがこの場にはなかった。もっと具体的に言うのであれば、見覚えが全くない部屋にいる事を……彼はぼんやりした頭で理解した。
……まあ、それ以前に、ベッドに寝ていた己が裸にされていて、次いで、見覚えのない椅子に座っている事に気付いた時点で……なのだが、話を戻そう。
兎にも角にも、これが夢であるとひとまず判断した彼は、妙に座り心地の良い椅子……いや、ソファー……いや、まあ、椅子に身体を預けたまま、ぼんやりした頭を働かせる。
……とても、静かだ。
不思議な事に、自分の呼吸一つ聞こえない……というか、分からない。なるほど、これが白昼夢かと妙に冷静な頭で理解した彼は、何気なく視線を左右に向け……ふむ、と目を瞬かせた。
それはある種、幻想的というやつなのだろう。
部屋(と称して良いのかはさておき)の四方に張られたガラスの向こうに、白い点が後方へと流れていくのが見える。
まるで、夜道をポツンと照らしている電灯を遠目で見ているかのようだ。
その白い光が何なのかは彼には分からないが、どうせ夢なのだからと思った彼は、特に気にせず思考を巡らせる。
外から見れば、自分はさしずめ透明なガラスで作られた密室にいる……といった感じだろうか。いや、密室というより……乗り物だろうか。
おそらく、己は今、乗り物か何かに乗せられているのだろう。光が後方に流れている辺り、その可能性は高い。
だが、仮にそうなのだとしたら、いったい己は何処に向かっているのだろうかと、彼は思う。
夢の中なのだから、荒唐無稽な場所に向かっているのは何となく分かる。
だって、もう既に自分の恰好が荒唐無稽だし。何なら、フルちんだし。ぶらぶらしているのが、まだ眠いんだぜと言わんばかりにぶらぶらしているし。
とはいえ……ぶらぶらなのは、置いといて。このまま、いったい何処に向かうのだろうかと彼は首を傾げた。
夢であるとはいえ、未知しかないこの状況……しかし、恐怖は何も感じていなかった。同じように、興味も興奮も欠片も感じてはいなかった
もしかして、このまま目が覚めるまで……なのだろうか。
それはそれで……せっかく、ここまで明瞭な夢を見られているというのに。どうにも、味気ない気がしてならない。
どうせ目が覚めるまでの間なのだし、こう色々と……具体的には妄想詰め合わせみたいな感じになってほしいなあ……と、考えていると。
「…………?」
何時の間に、そこに現れたのか。
幻想的とはいえ、些か代わり映えのない景色に飽き始めていた彼の視界の端に、それは映った。ハッと、反射的にそちらを見やった彼は、思わず目を見開いた。
一言でいえば──そこに立っていたのは、裸の美女であった。
そう、美女だ。それも、裸だ。胸は彼の掌では包めない程に大きくて、腰は細い。骨盤に合わせて広がる尻のラインも含めて、全体的なフォルムは10人に訊けば10人ともが『スタイル抜群』と称するぐらいの美女だ。
背は、彼がこれまで見て来た限りでは、間違いなく高いに含まれる。美女の身長は、パッと見た限りでも160後半……いや、170以上はある。
加えて目立つのが、髪だ。まるで、炎のようにゆらめく長髪は白く輝いていて、ともすれば眩しさに目を細めてしまいそうなぐらいだ。
そんな美女が……距離にして数メートルの位置に立っている。
羞恥心は、薄いのだろう。自らの柔肌を隠す素振りもせず、淡く輝く身体をそのままに……彼に向かって手を合わせて何度も頭を下げていた。
……。
……。
…………その際、彼が思ったのは、だ。
美女の裸体を前にした興奮……ではない。いや、興奮していないのかと問われれば、良いもん見たぜといった感じではあるが……何よりも彼がまず思ったのは、突然の状況変化から来る困惑であった。
何せ、突然だ。
前触れもなく、いきなり美女だ。ステーキだって匂いやら雰囲気やら音やらで、最低限の予告なり前触れなりしてくれるのに、コレにはそれらすらない。
おまけに、何を思ったのか、その美女はひたすら己に向かって頭を下げ続けているときたもんだ。
これで、美女が艶やかな仕草を見せてくれたり、見事な身体をこれ見よがしにアピールしてくれていたら、彼もまだ状況が理解出来た。
そういう夢かと、納得出来た。
だが、これは無い。そう、率直に彼は思った。
申し訳なさそうに頭を下げる眼前の美女が言葉を発さずに無言のままでいるのも、悪い。一言……そう、たった一言でも声出してくれたらまだ、話が変わっていたのかもしれないが……ま、まあいい。
……と、とりあえず、悪夢の類では……ないのか?
それだけ分かれば、後は目が覚めるまで楽しもう。
そう判断した彼は、こちらから声を掛けようとした……が、声が出せない。どうやら、サイレントな感じの夢なようだ……が、けっこうご都合的なサイレントのようだ。
その証拠と言わんばかりに、気にするなと軽く手を振ってやれば……心底安堵したかのように胸を撫で下ろしていた。よろしい、こちらの内心は、しっかり美女に通じるようだ。
……そうして、ふと、だ。
どうせそのうち覚めるのだろうし、今の内に裸体を拝んでおこう。せっかく、こんな夢を見られたのだし。
そう思った彼は、改めて美女を見やって……やっぱり美人だなあ、と先ほどと同じ評価を下して……いると。
──聞こえ……聞こえますか……今……あなたの心に直接呼びかけています。
「──っ!?」
これまた唐突に、彼の脳裏に何者かの声が響いた。
いや、何者というか、どう考えても眼前の美女なのだろうが……とにかく、頭の中に直接語りかけてくる自分以外の声に、彼は思わず目を瞬かせ……軽く頷いた。
途端──目に見えて美女の表情が和らいだ。
あまりに嬉しそうにするその姿に、彼はますます困惑を深め……それを見て、美女は幾分か慌てた様子で再び……彼へと強い眼差しを向け……それから、美女の話が始まった。
──申し訳ありません……私のミスで、とんでもないことを。
「……はい?」
──順を追って話します。
その言葉と共に続けられた美女の話は、言うなれば話というよりは、説明であった。
……。
……。
…………さて、だ。
そうして幾つか分かった結論を先に述べるのであれば、まず彼のこの状況は夢ではなかった。と、同時に、彼が住まう世界でもなかった。
ならばどういう世界なのかといえば、『宇宙検閲官の部屋』だとか何だとかいまいち馴染みの無い単語を並べられた(美女も、それ以外の言葉では上手く説明出来ないとのこと)ので、実の所、よく分からなかった。
しかし、分かった部分もあった。
まず、裸のまま座って話を聞いている彼なのだが、どうも自己として認識している己は物質的な肉体ではなく、エネルギーの塊みたいな状態になっているとのこと。
ぶっちゃけ、今の彼は魂と呼ばれる状態になっており、幽霊みたいな存在になっているらしい。
言い換えれば、彼の肉体は今もなお自室にあるが、仮死状態に陥っていて……まもなく、息を引き取るという話であった。
……どうして、彼がそんな状態になったのか。はっきり言えば、事故である。そう、事故だ。有り体に言えば、不運だ。
美女にその気はなく、本来であれば彼の魂と美女とが接触する可能性は皆無であった。意図的にそうしようとしてもほぼ不可能なぐらいに、可能性は低かった。
……本来、天地がひっくり返ってもこんな状況にはならないはずであった。そう、美女は断言した。
しかし、文字通り天文学的な確率が数百個も重なった結果、ほぼ絶対にありえないと思われていた事象が偶発的に発生し、今みたいな状況になってしまった……ということであった。
……ちなみに、これすらも夢と彼が考える事は無かった。そう思いこむには、あまりに意識や感覚がリアル過ぎたからだった。
「……つまり、幾つもの偶然が重なった結果、俺の魂と君とがピンボールの玉のようにぶつかった……と?」
──申し訳ないです、私とぶつかってしまったせいで貴方の魂が別の世界に弾き出されてしまって……。
「けれども、そうはならなかった。偶然にも君に引っ張られる形となって、この部屋に来てしまった。けれども、ここに来てしまった以上はもう元の場所……つまり、身体には戻せなくなった……と?」
──ごめんなさい。もう貴方がどの世界にいたのかが分からなくなったから、戻したくても……本当にごめんなさい。
「ああ、うん……」
──身体はこちらで用意出来ますけれど、でも、生まれた別の隙間に何とか貴方を押し込むのが精いっぱいで……ごめんなさい。
「……いわゆる、転生とかそういうやつ……か」
──本当に、申し訳ありません。
その言葉と共に頭を下げられた時。彼が抱いた感覚というか感情は……正直、彼の語彙では到底言い表せられないぐらいに複雑なモノであった。
当然な話だが、怒りはあった。何せ、彼は真っ当な被害者だ。美女の話に偽りが無いのならば、寝ていた所に突っ込んできたことになるからだ。
しかし、そうなると、眼前の美女もまた被害者になるだろう。
事故を起こしたくてそうなったわけじゃないし、蝶の羽ばたきが巡り巡って事故を起こしたんだぞというのと同レベルな話をされたら、誰だって困惑するだろう。
当事者である彼ですら、そうなのだ。当の美女の方も、何時そのような事故が起こったかすら……おそらく、分からなかったはずだ。
……善人でもなければ菩薩でもないのは、彼自身も自覚している。
しかし、被害者という立場を押し出して一方的に要求を突き付けるほど、矜持を捨て去ったわけではない。
だから……彼は、己の現状を責めようとは思わなかった。
そりゃあ、言ってどうにかなるならどうにかしてほしい。それが、偽りならざる彼の本音だ。被害者だと訴えている間は、気持ちも楽にはなるだろう。
けれども、眼前の美女は誠実であった。
少なくとも、己を亡き者にして諸々を無かった事にせず、元通りとまではいかなくとも弁償しようとはしてくれている。それだけでも、彼は自らに降りかかった不条理を呑み込むには十分な理由であった。
……そうして、だ。
ひとまず、貴女(眼前の美女)に対する怒りは無い。これは誰もが望まなかった不運な事故であり、互いに落ち度は無い。むしろ、出来うる限り助けようとしてくれているだけ有り難い。
そう、正直な気持ちを美女に告げた後。
とりあえずは次の話に移ろうという事になり、彼は美女より現状と今後の事について、改めて教えられることとなった。
ちなみに、その要点をまとめると、だ。
まず、今の彼は魂とも言うべき状態であり、肉体は無い。なので、このまま放り出す事は出来ず、美女が用意する身体(要は、器だとか)を使ってほしいとのこと。
そして、元の世界には戻れない。これは肉体の有無とかそういう理由ではなく、単純に元の世界が分からないから。
曰く、『世界』というのはそれこそ星の数ほど存在しているらしく、例えるならそれは、パンパンに詰められた紙束から引き抜いた紙を、ヒントも無しに元の場所に戻すようなもの。
探すだけなら時間を掛ければ見付けられるが、紙束の分厚さがそもそも酷い。どう頑張っても、見つけ出すまでに彼の魂そのものが寿命(厳密には違うらしいが)を確実に迎えてしまう。
なので、元の世界から弾き出された衝撃で新たに生まれた隙間(この隙間は、元の世界のモノでは無いらしい)を見つけ、そこへ何とか彼を押し込む。
その世界がどのような世界かなんて、詳しく調べる暇は無い。とにかく、見つけ次第、その隙間に無理やり押し込んでしまうわけだ。
何故そうなるのかといえば、まず隙間が生まれること事態が物凄く稀であること。
それこそブラックホールの向こうに渡って物理法則の外側に行くぐらいしないと出来ないらしい。そして、隙間は常にそこにあるわけでなく、寄せては引く波のように位置がズレるのだとか。
だから、見つけ次第押し込むのだ。とにかく、選り好みしている猶予はない。ぼんやりしていると、せっかく見つけた隙間が消えてしまい、また新たな隙間を探さないとならないからだ。
……幸いにも、既に美女は『隙間』を見つけていた。それも、彼が暮らしていた世界にある程度近しい感じに歴史が進んでいる世界の『隙間』を、だ。
そんな世界に生まれた『隙間』を見つけ出せたのは、単に幸運以外の何者でもない。これを逃してしまえば……次がどこに出るか分かったものではない。
そんな諸々な理由があるので、美女の用意した肉体に魂を移し、その隙間へと……別の世界に行く方が良い。本当に、次回が見つかる保証は出来ない。
とはいえ、怖がる気持ちもよく分かる。貴方が警戒している通り、あくまで近しいだけであって、その世界が非常に危険な世界になっている可能性はある。
だから、対策はした。
美女曰く、『一人でも自由に生きていける身体』を既に用意したので、後は貴方の気持ち次第……という段階の話が、美女が彼に語った内容であった。
「ここまで良くしてくれて、ありがとう。短い間だったけど、感謝する事しか俺には出来ないけれど……ありがとう、本当に、ありがとう」
もちろん、そこまでされて、躊躇する理由が彼には無かった。
感謝の言葉を述べれば、美女は嬉しそうにはにかみ……次いで、しょんぼりと肩を落とした。
──こちらこそ……貴方の未来を奪ってしまって……。
「気にしないでいい。全てに納得したわけじゃないけど、不運な事故だ。むしろ、ここまでしてくれただけでも感謝しかない」
──そう言っていただけると……では、そろそろ。
そう促された彼は、美女に手を引かれるがまま、己が今しがたまで座っていた椅子の後方へ。
そこに扉が有った事に驚く前に、何時の間にか開かれているそこからは、目が眩んでしまうほどの光が溢れ出していた。
このまま……光の向こうへと飛び込むだけで良い。
そう告げられた彼は、光の前に立つ。あまりの眩しさに、堪らず腕で目元を隠す。光の先に何があるのかと頑張って目を凝らしてみるが……駄目だ、全く見えない。
……正直、ちょっと怖いと思った。
何も見えないというのもそうだが、何よりも足場が見えないのが怖い。というか、光の先に足場が存在しているのかどうか……いや、これって、足場が無いのでは?
だが……今更だ。この土壇場で怖気づいたところでもう、どうしようもない。こうなれば、南無三の思いで飛びこむ他あるまい。
そう結論を出した彼は、しばしの間、深呼吸をした後で、いよいよかと心を奮い立たせる。そうして覚悟を固めてから……ふと、背後の彼女を見やった。
「うっかりしていた、聞いていなかった。君の名前を教えてくれないか?」
──名前、ですか?
その言葉に、美女はぱちぱちと軽く瞬きをした後……フッと、寂しそうに笑った。
──今はもう、私に名前はありません。ですが、ずっと遠い昔に……大好きなあの人から、『ノノ』と呼ばれていました。
「そうか……ノノさん。ありがとう、行ってきます」
──はい、行ってらっしゃい。
そう、彼女からの声援を受けて……そういえばと、振り返った。
「ところで、今更聞くのも何ですが、俺と何処かで以前……そう、どこかでお会いしませんでしたか?」
──いいえ、貴方とはお会いした事はありません。今、顔を合わせたのが初めてです。
「そうですか……いえ、すみません。ふと、そう思っただけですから」
──私は全ての事象の過去の始点であり終点でもあります。もしかしたら、何らかの形で私の姿を無意識に認識出来てしまった人たちが、何らかの形で残しているかもしれません。
「……はは、不勉強なので貴女の仰っていることの半分も理解出来ませんが、なんとなく言いたい事は分かりました」
とりあえず、思いついたことは聞くだけ聞いた。もう、会う事は無いだろう。
そう、己に言い聞かせ、そして、いよいよだと大きく深呼吸をした彼は……えいや、と光の向こうへと飛び込んだ。
直後──眩しさは目を瞑った彼の皮膚を突き破り、意識すらも光の中へと飛ばし……そして。
……。
……。
…………そして、だ。
あの部屋(と、称して良いのかはさておき)で目が覚めた時も唐突なら、フッと、目が眩むどころか潰れてしまうと危機感を覚えるほどの膨大な光が収まったのもまた、唐突であった。
視界と思考の全てを埋め尽くしていた光が消え去り、静寂が脳裏に訪れて、幾ばくか。ハッと、彼が自身を認識して目を開けた時にはもう……眼前の光景は一変していた。
一言でいえば、緑色だ。何気なく辺りを見回した彼は……自分が、おそらくは山中のどこかにいるということを察した。
根拠は、有る。平地にはあり得ない傾斜の角度であったり、周辺に繁茂する木々の分厚さであったり、住んでいた場所では嗅いだことのない濃厚すぎる緑の臭いが、そうだ。
加えて、何と言い表せばいいのか……とにかく、辺りの雰囲気がそう訴えて来ていた。
ああ……自分は今、山の中にいるのか。
それを、これでもかと思い知らされる最中、きょろきょろと視線をさ迷わせていた彼は、木々の向こうへと目を止める。そのまま、眼下へと視線をやり……思わず、目を瞬かせた。
視線の彼方、山の麓に広がっている光景を言い表すのであれば、そこに有るのは緑に溢れた田園風景であった。
それも、記憶にあるそれよりも、かなり昔だ。パッと見た感じでも、100年……さらに100年……いや、それよりも更に遡ったら、眼前の光景になるだろうか。
植えられた作物が並ぶ田畑や、数える程度に見られる段々畑。ちらほら見られる、往来している人たちの姿……どう見てもそこは、田舎に住まう人々の姿であった。
(人はいる……けれども)
人間がいることに喜んだ彼だが、すぐにその笑みは曇った。
何故なら、先ほども思った通り、田畑の合間を行き来する人々の姿もそうだが……何よりも、彼が暮らしていた世界なら有り触れていた物が、そこには何一つ無かったからだ。
例えば、電線や車などの姿が無い。全く、何処を見ても、その二つが無い。今時、どれだけの田舎とはいえ車が一台も見当たらないというのはあり得ないことだ。
加えて、人々の恰好もそうだ。みすぼらしい……というのは失礼だろうが、それを抜きにしても、あまりに軽装過ぎる。
いや、それは軽装というよりは……古い。そう、古いのだ。まるで、時代劇に出てくる農民のような出で立ちをしており、見受けられる人たちの半数以上が裸足であった。
それだけじゃない。点在する家屋も、古臭い。というか、全体的に変だ。どれもが木造で年期を感じさせ……教科書に載っているような、『江戸時代の田舎』を想像させる光景であった。
……。
……。
…………明確な証拠は無いが、何となく。
(……もしかして、俺が暮らしていた時代よりも……2,300年ぐらいは前になるのだろうか)
似たような歴史を辿って来ている『世界』とはいえ、同じ時代に出られたわけではない。
人々の恰好や家屋の質、重機を一切使わず全て手作業で畑仕事を行っている人たちを見て、そう、彼は思った。
……。
……。
…………そこまで考えた辺りで、ふと。
(そういえば、今の俺は……これは、餞別代わりの衣服なのか?)
何気なく……今更な事ではあるが、最初に確認しておかなければならないことを思い出した彼は、ぐるりと自分の身体を見下ろした。
率直に述べるのであれば、自らの恰好を見やった彼の感想は、『何かのコスプレかな?』であった。
何せ、首から下、足先まで衣服で覆われている。それも、彼の知る衣服ではない。
全身を包み込むように一体化しているソレは両手の指先までしっかり包み込んでいて、まるで細身の宇宙服のようだ。
なのに、服を着ていないのかと思ってしまうぐらいに違和感が無く、着心地が良かった。
……そうだ、宇宙服を思わせる全体のフォルムも、そうだ。
身体のラインに沿って作られたソレは白色を基準としているのに、身体を捻っても何処にも突っかかりはない。胸の膨らみも腰回りも張り出した尻の膨らみも違和感なくきっちり包み込んで……ん?
……。
……。
…………胸だと?
ギョッと目を見開いた彼は、足元を遮る二つの膨らみを思わず掴む。偽物……いや、違う。揉めば、両手に収まらないサイズ。しっかりと、胸を揉まれている感触が伝わって……んん?
(これは手袋……じゃないのか?)
肘から先が赤色にカラーリングされている指先を見やる。ツルリと滑らかなそこには爪や指紋はない。なのに、胸を掴む掌に伝わる感触に、遮るナニカは感じない。
何とも、不思議な感触だ。いや、感触というより、感覚だ。
分厚い手袋をしているかのような外見なのに、伝わってくる感触は素手のソレだ。「やはり、彼女からの……っ!?」思わず呟いた彼だったが、反射的に己の喉元に手を当てた。
声が、高い。それも、ただ高いわけではない。それはまるで、女の……そう、十代半ばを思わせる軽やかな声色の……おっ?
「おっ──だっ──」
それは、ブレーカーのスイッチを切り替えるかのように、前触れもなくいきなりキタ。
──ぎゅるり、と。物凄い。とにかく、物凄い。
そうとしか表現し様がない感覚と共に、彼の脳裏を埋め尽くしたのは……膨大なんて言葉では到底足り得ない、膨大過ぎる情報の濁流であった。
──彼には知る由もないことであったがそれは、この世界に押し込まれた彼に対する、この『世界』からのご厚意……言うなれば、お節介にも似た一方的な優しさであった。
その優しさの中身とは、ずばり……彼に与えられた身体の扱い方であった。
そう、この時の彼はまだ理解出来ていなかったが、あの美女より与えられた身体は、彼の知る人間の身体とは『根本から異なっていた』。
故に、本来ならば、あまりに異なる感覚のズレを、長き時を掛けて修正し、馴染ませる必要があった。上手くいったにしても、十数年程の時を要したことだろう。
だが、そうならなかった。有無を言わせない一方的なお節介を焼いた『世界』によって……その期間は、大幅に圧縮されたのだ。
その結果が、情報を流し込まれて呆けた様子で立ち尽くす姿であった。
もはや、それは情報の暴力と言っても過言ではなかった。彼の思考の一切合財を呑み込んだ。あらゆる思考を押し流し、混ぜ返し、露わになったソコへ続々と情報が流し込まれてゆく。
……幸いなことに、苦痛は無い。というか、苦痛を感じる余裕が無かったというのが正しいのかもしれない。
何せ、苦痛を覚える前に、次から次へと流し込まれる情報によって、それら全てが何処かへどどどどっと押し流されて消え去ってしまっていたからだ。
傍目から見れば……さぞ、奇妙に見えたことだろう。
何をするでもなく、何処を見るでもなく、山中にてポツンと佇んでいる。場合によっては、気が触れているのかと思われたのかもしれない。
しかし、傍からはそう見えていても、当人からすれば、それはパンパンに溜め込まれたダムの水を桶で抜いていくかのような、根気のいる作業であった。
……そうして、そのままボケッと突っ立ったまま、時間だけが流れていった。
事実として流れた時間は、大体6か月ぐらいであった。けれども、彼の感覚としては、それは一瞬の事であった。
だから、フッと気が遠くなって、我に返った直後。辺り一帯が雪景色に変わり、昼から夜に変わっていた事にも物凄く驚いた。
だが……だが、それよりも、だ。
6ヵ月という時間を経て、流し込まれた情報を整理し終えていた彼……いや、違う。『彼女と呼ぶに値する身体を得た元男の彼女』は……ついでにと言わんばかりに一緒に流し込まれて理解させられた事実を前に、愕然としていた。
……いったい、どうして?
それは、彼が……いや、もう彼ではない。『彼女』が思っていた以上に、与えられたこの身体がヤバかったからだ。加えて、この身体は……いや、身体だけじゃない。
己に、この身体を与えてくれた『美女』の正体に……いや、この身体の本来の持ち主である彼女の姿に成ってしまったかつての彼が、気付いてしまったから。
──道理で、見覚えがあったわけだ。かつての彼は、確かにこの身体の『持ち主である美女』を見ていたのだ。
学生時代、映画館に足を運んでいたSFアニメに登場するキャラクターの一人として。そのキャラが最終的にどうなったのかまでも、かつての彼は目にしていた。
だからこそ、分かる……今なら分かる、分かってしまう。
あの場所が、どういう場所なのか。『宇宙検閲官の部屋』というものが何なのか。そして、あの部屋で優しくしてくれた美女の正体が……あの美女が、何者なのか。
彼は……否、彼女は、分かった。分かってしまった。
だからこそ、彼女はヤバいと思った。分かってしまったからこそ、そのヤバさを嫌でも理解させられた。とはいえ、いったいどれぐらいヤバいのか。
……隠すのも何なので、事実をそのまま、ありのままに述べよう。
──その気になれば、己が立っているこの星を瞬時に破壊する事が出来る。何度でも、それこそバターを切り裂くようにスパッと星そのものを切り裂くことも出来る……そんなヤバさなのだ。
……。
……。
…………もう一度、述べよう。
その気になれば、己が立っているこの星を瞬時に破壊する事が出来る。それだけの『力』を秘めた身体……それを制御しているのが、今の己であった。
……ちなみに、ヤバいのは何も攻撃的な部分だけではない。
いや、純粋な攻撃力もヤバすぎるが、本当にヤバいのは胸と両手の甲に搭載された半円物の……っと。
──にくだぁ! にくにくにく肉ニクニクにくぅ、にくうう!!!
その声は、静まり返った夜の雪景色の中に、思いの外響いた。ハッと我に返った彼女は、声がした背後へと振り返る。すると、彼女の視線の先に……そいつはいた。
そいつは……一言でいえば、人の形をした怪物であった。
頭に身体に手足が二本ずつ。人の形を取っているが、少し違う。頭部に生やした角に、鋭く伸びた牙に爪。だらだらと口から垂れ流した唾液をそのままに、人間とは思えない速度でこちらに向かって来ていた。
その速さは、四足歩行の獣以上に速い。雪で足場が悪く、氷点下の中だというのに、欠片も堪えた様子は無い。まっすぐ、血走った目でこちらへと──だが、遅かった。
人間相手ならば、その速さは驚異的だろう。事前にその位置を認識出来ていなかったら、成す術も無く先手を打たれ、負傷していたことだろう。
だが、彼女を相手取るには遅すぎた。
何故なら、仮に彼女がその動きを認識出来ていなくとも……正確には、彼女の身体に搭載されていた武装の内の一つが自動的に作動していたからだ。
『フィジカルリアクター』
それは、彼女の両手の甲と胸に搭載された半円物の名称。
赤・緑・青の3色に輝くその別名は、『物理法則書き換え機関』。具体的に言うならば、望みの物質を自由自在に作り出すばかりか、エネルギーそのものを書き換えて操る事が出来る無敵の装備である。
「いただ──きぃい!?」
当然、移動する物体を止めることも可能である。例え、相手が異形の怪物であろうとも。しかし、怪物からすれば、さぞ異様な状況に思ったことだろう。
何せ、遮る物が何もない場所で、急に身体が静止したのだ。透明な壁にぶつかったわけでもなければ、何かしらの力で強引に止められたわけでもない。
なのに、いきなり自分の身体が止まったのだ。ピタリと、一時停止ボタンを押されたかのように。
止められた痛みは無いし、止められた事による慣性も無い。「な、え、あ、なんだ!? なんだこれ!?」言葉では到底言い表せられない奇妙な感覚に、止められた怪物は只々目を白黒させるしか出来なかった。
──それが、怪物の生死の明暗を分けた。
仮に怪物が身を反転して逃げの一手を取ろうとしていたなら、彼女は怪物を開放して、それ以上は何もしなかった。同様に、襲ってきた理由を話して、それが正当なモノであったなら、彼女は何もしなかった。
しかし、怪物はそのどれもを選ばなかった。身動き一つ取れないが、それでもなお襲い掛かろうとする意志を捨てていないことを察した彼女は……そのまま、反撃に転じた。
ぱしゅん、と。
ともすれば聞き逃してしまいそうなぐらいの微かな異音と共に、彼女の脚部から真横に伸びる、白い発射台。そこには、水晶を思わせる半円状のレンズが取り付けられていて。
『バスターミサイル』
ポツリと告げられた、その言葉。直後、レンズから放たれた光のレーザーが怪物の足首から上を消し飛ばし……その余波によって、瞬く間に残された足も焼失して、塵となった。
怪物が彼女の前に姿を見せてから、この間、わずか7秒弱のことであった。
……。
……。
…………無表情のまま、彼女は警戒を解除する。かしゅん、と脚部より飛び出していた武装も収まる。
残されたのは、バスターミサイルの余波によって雪が抉れて剥き出しになった地面と、彼方に着弾して爆音と土埃を上げた……大惨事だけであった。
……。
……。
…………それらを順々に見やった彼女は、一つ、ため息を零すと。
「……ヤバい、これはヤバい、思っていた以上にヤバい」
無表情のまま……あ、いや、違う。己が仕出かした惨状に表情が完全に固まった彼女は、誰に告げるでもなく、そう呟くしかなかった。
……言い訳になるだろうが、彼女とて、ここまでするつもりはなかった。
彼女なりに、手加減はしたのだ。何せ、核ミサイルを食らってもビクともしない宇宙怪獣をも貫く、『バスターミサイル』だ。
初めてなので加減が分からなかったが、かつてはアニメの中でソレが宇宙怪獣に使用されているのを見ていたから、どれほどの破壊力があるのかは想像出来ていた。
だから、精一杯出力を抑えた。感覚的な話で、まだ心と体が慣れていなかったから、軽い火傷程度の威力しか出ないかもなあ……と考えたぐらいに出力を抑えた……つもりだった。
その結果が……アレだ。
チラリと、斜面が削れてクレーターになっている、『バスターミサイル』が着弾した辺りを見やり……思わず、気が遠くなりかけた。
……そうして、ふと。
今更な事ではあるが、彼女は自身がどのような姿になっているのかに意識が向かう。まあ、調べる必要もないだが……もしかしたら、違うかもしれない。
そんな、限りなく低い可能性を考えつつも、無言のまま『フィジカルリアクター』を作動させる。少しの間を置いてから精製されたのは、正方形の鏡であった。
月明かりがあるとはいえ、辺りは真っ暗だ。だが、かつての彼ならともかく、今の彼にとっては何の障害にも成り得ない。実際、こうしている今も普通に夜目が利いている。
故に、彼女は何の気負いもなく……いや、半ば確信を得つつも不安を感じながら、恐る恐るといった様子でそーっとそーっと……そうして鏡に映し出された己を見やった彼女は……ああ、と頭を抱えそうになった。
何故なら……細部まで覚えていないとはいえ、鏡に映し出された己の姿は間違いなく……かつての彼が暮らしていた世界での、アニメに登場したキャラのソレであって。
――正式名称
――地球帝国宇宙軍太陽系直掩部隊直属
――第六世代型恒星間航行決戦兵器
サイズは人間並みでありながら、超高性能の宇宙船やマシーン兵器・並びに乗組員の機能を全て兼任させた、地球帝国黄金期の最後の遺産である、自律人形人工知性体。
──その名を、バスターマシン7号。またの名を、『ノノ』。
頭頂よりぴょんと飛び出すアホ毛(アドミラル・ホーン)が、彼女の意思に合わせてにょんにょんと左右に揺れる。
瞳に浮かんでいる、帝国軍の紋章の勇ましさ。それは、バスターマシンの証。
対して、情けなく眉根が下がっている、己の顔。それは、まぎれもなく自身である証。
それは、怪物に襲われた恐怖……からくるものではない。ましてや、今が何処で、ここが何処で、夜の山に1人佇んでいるという死への恐怖からでもない。
「……まさか、だよな」
押し込められた情報によって事実を事実として認識し、今の己がどういう存在になっているのかをようやく受け入れた彼女は、静まり返った氷点下の中で。
「あいつらがやってくる可能性が……?」
バスターマシン……否、本来のバスターマシンたちを作り上げた帝国軍たちの……人類の絶対的な宿敵であり天敵でもある。
──通称、宇宙怪獣。
人類を絶滅寸前にまで追い込んだ、宇宙のワクチンとも呼ばれた存在への予感に……バスターマシン7号となった彼女は、情けなく立ち尽くす他出来なかった。
ビーム一発で星ぶっ壊すやつを相手に、無惨様は勝てるのか……
いや、無惨様なら……無惨様なら、きっと……!