――もし、もしも目が覚めて自分の体が変わっていたらどうなると思う?
オレの場合は……。
「……あんた、誰」
親にそう言われるまで気づくことがなかった。
自分でも間抜けが過ぎると思うが、そう言われるまで本当にわからなかった。改めて考えてみれば体の感覚はおかしかったはずなのに、ロクに考えもしなかったせいでわからなかったんだ。
けれどオレはその時まで気づかないままで。息子の顔を忘れたのかって声をかけようとして初めて違和感に気付いた。
自分の喉から出ていった声はオレの物ではなかった。オレはもっと低い声を普段聞いていた。
それなのにオレの鼓膜を震わせるのは高い声で。最初はオレが言っているとは思えなくて何度も声を出そうとした。
なんどかそれを繰り返してようやく今の声を自分が出していると気づくころにはもう全部が遅すぎた。
気が付いたら家の中に知らない人間がいて、しかも誰かを聞いたら答えずに変な声を出すヤツ。
傍から見たらそんな風になっていたオレは何とまぁ信じられないことに家を追い出されてしまった。慌てて弁解しようとしたが聞く耳なんて持たれないで玄関の外にまで放り出されてしまったんだ。
ガチャリと鍵をかける音まで聞こえてきて本当に、冗談抜きで追い出されたことを自覚した。
「どうしろって言うんだよ……」
今持っているのはこの変わり切った体と寝間着代わりのジャージだけ。
オマケに姿が変わっていることを信じてもらえなくて家から追い出されてしまった。独りで生きていくなんてできるはずもない。
「……行ってみるか」
思いついたのは親友の家。アイツは一人暮らしをしていたし、それに話さえ聞いてくれればオレとアイツだけの秘密を知っていると示せばオレだと信じてくれるかもしれない。
……いや、きっと難しいのだろう。けれど今のオレに残された選択肢はそれだけだった。
「………………」
正直な話、女になったという事実はオレの精神を大きく削っていた。
自分を産んでくれた親は自分だと気づかない。オレ自身も、男であった感覚を持っているはずなのにそれに体が伴わない。
感覚が自分の知るものと違うってのは途方もない違和感を産むし、訳が分からなくなる。
普段無意識にしているはずの歩きを意識して行わないと転びそうになる。
普段とはまるで違うモノが見えて、知っているはずの場所なのに知らない場所な気がする。
普段の声とはまるで違う。
要するに、この体を自分の体とは一切思えなかった。
自分を自分だと証明するのは己の精神だけで。けれどその精神の知るものとは何もかもが違う。
本当ならあり得ないことの連続にオレはきっと酷くまいっていた。
だからこそ不安に震える手であいつのマンションのインターホンを押す。ガチャリと、ドアを開けて出てきたのはオレの知っている通りの親友だ。
けれどその親友はオレを見てめんどくさそうな顔をする。そんな顔、オレと話す時にはしていなかったのに。
「あー、悪いっすけど勧誘なら間に合って――」
「なぁ……オレだよ。わかってくれ……」
「いや、わかってくれって言われても。んな面倒な勧誘するくらいなら――」
「去年!」
親友の話をぶった切って自分が話を始める。そうしなければ親友は扉を閉めてしまいそうで……。その扉がオレと親友を完全に隔ててしまいそうで。
ただでさえ不安で仕方がなかったオレは余裕を持っていなかった。
「去年、冷蔵庫にあったビールを分け合ったよな。それでお互いに酔っぱらって部屋が大変なことになった」
「んなっ!? なぜそれを……!」
「オレが、お前の親友だからだよ」
オレと親友だけが知っている秘密。二人して絶対に他言しないことを誓った黒歴史中の黒歴史。
お互いに深い傷を負ったがために絶対にどちらも口外することのない、苦い思い出。それでも今はオレであることの証明に使われている。
苦しんだはずの思い出がオレを助けようとしてくれる。現に親友はうんうんと悩んでいる。
「……おととしの修学旅行で起きた事件の名前は?」
「いや、おととしは何も起きなかっただろ」
「本物……?」
親友が訝し気にオレを見る。その目はオレが本当にオレなのかを疑う目だ。
ああ、その気持ちはよくわかる。オレだって、いまでもこれが本当にオレの体なのだという実感があまりないのだから。
「ああ、本物だ」
「……まあいい、とりあえず上がりな」
部屋は汚いけどな、と軽く付け加えられたがそんなことはよく知っているので無視する。
こいつの部屋なんて見飽きるほどには見たんだ。別に今更何とも思わない。
「さて、とりあえず座ってな。そんでいくつか答えてくれ」
そう言ってあいつはテーブルに両肘をついて、組んだ手で口元を隠す。
オレはその親友と対面するように座って、ごくりと息を呑んだ。
――――――――――
―――――
―――
ほどなくして親友の質問レパートリーが尽きてオレは開放された。
親友もここまでの正答率にようやくオレを認めたようだった。
「どうやら本当にボクの親友みたいっすな。その体どしたんすか?」
「知るか。朝起きたらこうなってたんだ」
「最近流行りのTSってやつっすかね」
「んなことオレが知るわけがねぇだろうが」
親友はオレだと判断するとすぐに対応が普段のものに変わった。直前までの口調はなんだと思うくらいには砕けている。
本当に知っているままの対応をされて、オレは多分結構救われてた。
「しかしTSなら胸はデカくなるもんだと思ってたんすけどね」
「あー、さすがにそうなってたらオレも朝わかってたかもな」
「え……。朝気付かなかったんすか? ……いくらなんでもバカすぎっすよ」
「言いやがったなこの野郎!」
親友がふざけて、オレがツッコんで。最後には一緒になってアホみたいに笑う。
それだけのことができたから、初めてオレは普段の物を見ることができた。
――――多分、だからだと思う。
オレが後戻りできなくなってしまったのは。
オレをオレだって認めてくれるのは親友だけだったんだ。
親元に行けば門前払いを食らった。他のやつらに電話をかけてみたらすぐに切られた。学校も市役所も病院も、全部この体のオレと、昔のオレを切り離そうとした。
けれど親友だけはオレをちゃんと見てくれていたんだ。
だからこそ、非情な事実を突きつけられるたびにオレは親友から離れるのが怖くなっていった。
親友から離れれば、オレを認めてくれる人間は誰もいなくなる。
そうなったら、きっとオレは耐えられないから。だからオレは親友から離れるという事をしようとしなくなっていった。
最初は別にそうでもなかったはずだ。けれど確かに突きつけられる現実はオレを蝕んでいた。
今では親友と一緒に居ないと外に出ることができないし、親友が居ないとたとえ親友の家の中であっても落ち着くことができなくなっている。
そんなオレなのに、親友はまるで変わらない対応をしてくれる。
外で不安になって手をつないでしまうときも、少しからかうだけでちゃんとオレを離さないでいてくれる。
朝起きて親友が居なかったせいで精神的に不安定になった日には学校を休んでまで傍にいてくれた。
そんな親友とずっと過ごしていて……。この体にも慣れてしまって。
オレは……精神も体に引っ張られたりしてるんだ。そう言い訳をしないと気持ち悪くて仕方がない想いを胸に抱えてしまった。
捨てることもできず、かといって表に出すこともできないで。
少しずつ大きくなっていく想いをうっかり零してしまわないように抱えて過ごしている。
「少し体調悪そうっすね。ちゃんと寝ないからそうなるんすよ」
「……バカ言え。おめーが寝かせてくんねぇんだろうが」
「その言い方だと誤解産みそうっすね」
「そんなことはどうでもいいだろう我が親友よ。そして今日はオレもう寝るわ」
のんきに"おやすみなさいっす"なんて言う親友を視界から追いやって敷いた布団に身を委ねる。言えない想いを抱えさせる親友が今日もまた憎らしい。
けれど、こうして何でもない日を過ごすことができるのは全然悪い気分ではないこともまた、確かな事実だった。
TS要素をバーンとだすものは初めてなんだ。拙くてすまない……。