パパはIS搭乗者!   作:駄文書きの道化

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織斑姉弟の憂鬱と……。

 どうしてこうなっているんだ、と箒は思わず心の中で呟く。今、一夏と箒、そして柳韻は女子生徒達に囲まれている。ここは放課後の剣道場。そこで剣道着に着替えた柳韻と一夏が向かい合っている。

 周りにいるのは1年生だけではない。他にも2年生や3年生、とにかく人が多く、期待の眼差しで柳韻と一夏の立ち会いを見ようとしている。一体、何故こうなったかと言えば昼食の時間まで遡る。

 あれから箒は一夏と柳韻と食後の会話を楽しんでいたのだが、そこに上級生が一夏の決闘の噂を聞きつけてやってきたのだ。何でも、素人である一夏が専用機に比べればやはり搭乗時間で劣る事、それならば自分がISについて指導をしようか、と提案をしてきたのだ。

 

 

 ――えーと、先輩。教えて貰えるのは凄い助かりますし、嬉しいんですけど、今日はちょっと……。

 ――え? どうして今日はダメなの?

 ――すいません。久しぶりに柳韻さんに稽古をつけて貰おうと思って。俺の剣の師匠なんです。

 ――ふーん。織斑君の剣のお師匠様かぁ。まぁ、ISに搭乗する上で本人にそういった技能がある事は推奨されてるし……あれ? その、柳韻さん。貴方はもしかして、織斑先生のお師匠様でも在らせられるのでしょうか?

 ――……確かに、織斑先生が幼少の頃、剣の教えを施させていただいておりましたが?

 

 

 それから阿鼻叫喚の図だ。千冬の剣の師匠という事で柳韻への注目が集まったのだ。そうなれば誰もが人目、柳韻の剣の腕を見たいと思うのは自明の理。良ければ見学、あわよくばご指導を、という事で柳韻に殺到したのだ。

 これに柳韻は落ち着いて、自分はここでは一生徒に過ぎず、元・門下生である一夏や箒の指導ならばともかく、新規に指導を行うのは以ての外と丁重にお断りをした。まず倣うならばそれこそ千冬本人か、他の教師達に頼むのが筋だ、と。

 しかし、見学する分には構わない、と柳韻は告げた。そうして設けられた稽古の見学。実際、かなり混み合ったのだ。それだけに千冬の剣の師匠という名は大きい。そして着替え終わった柳韻と一夏、箒が剣道場に戻ってきた所で場の緊張感は一気に上がっていた。

 

 

「あれ? 柳韻さん、防具は……?」

「サイズが無かったんじゃない?」

「え、じゃあ、防具無し?」

「大丈夫なのかな?」

 

 

 そう。一夏や箒は防具を着けているのだが、柳韻は剣道着に着替えただけだ。尚、一夏は備品の新しいものを、柳韻は自前の剣道着である。

 そして一夏と箒に取っては別に不思議ではない光景だ。元々、自分たちも防具無しでの稽古もした事がある。篠ノ之流は古流剣術の流れを汲む流派だからだ。まぁ、このように通して稽古をする際には怪我をしないようにと着用しているが。

 そもそもの話、柳韻に剣を当てられる気がしない、と一夏は思っていた。立ち上る気は決して騒がしいものではない。ただ、静かに揺らめくそれは燃え広がるのを待つ炎のようだ。ごくり、と一夏は息を飲む。

 

 

「一夏君、まずは軽く流そう。打ち込んで来たまえ」

「はいっ!」

 

 

 一夏は威勢良く返事をし、竹刀を構えた。同じように柳韻が構え、互いに睨み合う。剣術の流れを汲む篠ノ之流に実際には開始の合図はない。

 常時戦場、それが篠ノ之流の教えだからこそ、剣を向け合った瞬間にはもう立ち会いは始まっているものだからだ。

 

 

「はぁ――ッ!!」

 

 

 気合いを籠めて咆哮と共に一夏が踏み込む。上段から切り込むように振るわれた竹刀に柳韻は僅かに身を反らす事で躱す。しかし反撃はしない。悠然と立つ柳韻はじっ、と一夏を見つめている。

 一夏は返す刃で柳韻へと迫る。だがこれも当たらない。三度目、振るわれた刃は柳韻の竹刀に受け止められる。そのまま押し合いになった所で、柳韻が見定めるように細めていた瞳を見開く。

 

 

「――喝ァッ!!」

「ッ!?」

 

 

 思わず耳を抑える生徒がいる程の声量で、剣道場の空気を振るわせながら柳韻は一夏の竹刀を押し返す。一夏は気圧されるままに蹈鞴を踏んで後ろに下がり、すぐに慌てたように竹刀を構え直す。

 たった三合。たったの三合である。なのに一夏の額には汗が浮いている。そして久しぶりに立ち会う恩師の姿に震えを隠しきれなかった。思わず心が躍る。だが、それだけに自覚するものがあり、一夏は歯を噛んだ。

 

 

「……鈍ったな」

「……ッ!」

 

 

 ぽつりと、一夏が心に思った思いを柳韻は口にする。仕方なかった。仕方なかったとはいえ、一夏は悔しい、と感じた。家計を助ける為にバイトをし、剣を振るうのを止めてしまった事に後悔はない。

 けれど、こんな鈍った剣を恩師の前に晒した事が悔しかった。思わず竹刀を握る手に力が籠もり、竹刀が軋む音が一夏の耳に届く。そんな一夏を見据えていた柳韻は、ふっ、と表情を崩す。

 

 

「……しかし」

「……?」

「心は錆びていないな?」

「……はいッ!!」

「3分。全力で打ち込んで来なさい。今の一夏君にはそれが限界だろう。体力や単純な腕力は上がっていても、勘を取り戻すには剣を振るうしかない。それも全力で、だ。後先、考えず……来なさい」

「はいッ!!」

 

 

 柳韻に対し、一夏は張り上げるような声で返答する。柳韻へと向ける真剣な眼差しに箒は思わず、安堵の息を零した。剣を止めてしまったという一夏が腑抜けたか、と思っていたが、心までは死んでいなかったようだから。

 一夏は全力で柳韻へと向かっていく。だが、柳韻はまったく蹌踉めきはしない。柳韻が纏う雰囲気に違わず、まるで大樹に打ち込んでいるように一夏は感じた。一刀、振り抜く事に一夏の体力は失われていく。だが、その疲労感すらも今は好ましい。

 

 

「――3分」

「ッ!?」

「すぅ……、――喝ァッ!!」

 

 

 ぽつり、と呟かれた言葉に一夏がようやく時間を認識し、柳韻の張り上げられた気合いの一声が剣道場に響き渡る。竹刀で打ったとは思えない程に荒々しい音に、思わず目を背ける生徒すらいた。

 防具越しとはいえ、上段から真っ直ぐ振り下ろされた一撃を頭に喰らった一夏は脳を揺らされ、疲労感も相まってその場に倒れ伏した。世界が揺れていて、真っ直ぐに世界を見る事が叶わない。

 そんな一夏をまるで気にした様子もなく、柳韻は自らの最初に立っていた場所に戻っていく。そして、一夏がゆっくりと床に手を突き、身体を起こす。柳韻と同じように最初に立っていた場所に戻る。身体を引き摺るように歩く一夏に柳韻は何一つ、言葉をかける事はない。

 そして、初期位置に戻った二人は互いに一礼。頭を下げた状態で一夏は大きな声で叫ぶ。

 

 

「ご指導、ありがとうございましたッ!!」

「よろしい。一夏君、休みなさい」

 

 

 はい、と返事をし、一夏は身体を引き摺るようにして歩こうとするも、まだ脳が揺れた感覚が残っていて足下がふらつく。急いで駆けつけた箒に支えられ、一夏は箒に身を預けた。

 箒に支えられたまま、壁際まで連れられた一夏は面を外す。浮かんだ汗が伝い、見るからに疲労しきった姿に思わず引いている生徒もいた。まだ世界が揺れているのか、気持ち悪そうに一夏は視線を彷徨わせている。

 

 

「一夏、大丈夫か?」

「……おう。……ってか、鈍りすぎだろ、俺」

「……いや、良くやったよ、お前は」

「……おう」

 

 

 一夏は拳を箒に向ける。それを見た箒は思わずきょとん、と目を瞬かせた。そして笑みを浮かべて自分も作った拳を一夏の拳を合わせる。昔から変わらない、交代する時のやり取りだ。

 

 

「行ってくる」

「おう、やられてこい」

 

 

 この後、箒も柳韻と立ち会ったのだが、一夏と同じように容赦なく一蹴されていた。一夏は柳韻の一撃を喰らって倒れ伏す箒の姿に懐かしいものを感じて、疲れた身体を壁に預けながら小さく笑いを零すのであった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 時は瞬く間に流れていく。一夏と箒は先日のように柳韻の稽古を週2のペースで受ける事が決まり、それ以外は自由にしていた。一夏は先輩達からのISの指導を受ける事にし、箒もそれに付いてISについて学んでいるという。

 柳韻は自己の鍛錬以外は勉学の自習に費やしていた。やはり若い頃のように上手くはいかないし、何より柳韻にとって慣れぬ横文字の山。思わず目眩がしてしまいそうであった柳韻だが、それでも決められた分の学習はする、とノートに復習、予習を書き綴っていく。

 

 

「……ふむ」

 

 

 こきり、と凝った肩に手を添えて首を鳴らす。そこで柳韻は時計に目をやり、時間を確認すればノートを閉じて鉛筆を置いた。学習道具を片付け、部屋を後にした柳韻が向かったのは寮長室だ。

 寮長室の呼び鈴を鳴らせば、中から聞こえてきたのは陽菜の声だ。

 

 

『はーい?』

「私だ」

『あ、アナタ。ちょっと待ってね』

 

 

 陽菜の声が途切れ、すぐに寮長室の扉が開く。中から出てきた陽菜は割烹着姿だ。もう見慣れた姿に柳韻は思わず表情を緩ませた。

 

 

「いらっしゃい。アナタ。もう用意が出来てるわよ」

「千冬君も?」

「えぇ。千冬ちゃーん? キッチンにあるお皿、テーブルの上に並べておいてー!」

「わかりました」

 

 

 奥から聞こえてきた千冬の声に柳韻は頷く。そのまま陽菜に招かれるままに寮長室へと柳韻は足を踏み入れる。ここは元々、千冬がIS学園にいる際に生活の場として使っていた部屋だが、今は陽菜との共有で使用されている。

 

 

「もう、最初に入った時はびっくりしたわよ! ほら、あれ。映画みたいな。オームだっけ? あれが出てきそうな程、酷かったの」

「陽菜さん、止めてください! 私が悪かったですから、その話は……!!」

 

 

 ちなみに陽菜が入った際、千冬は出来うる限りで片付けた後での評価である。片付けた、と千冬が漏らすと陽菜は「千冬ちゃん、辞書で片付けるって意味、調べておいで?」と、優しい声で千冬に告げ、トドメを刺したらしい。

 それから陽菜によって生まれ変わった部屋で千冬は生活をしている。正直、柳韻に続いて陽菜にまで頭が上がらなくなっている千冬である。今も顔を赤くして所在なさ気に身を縮ませている。

 

 

「仕事はもう上がりかね?」

「はい……。明日はオフですし」

 

 

 そう、明日は休日だ。千冬も入学から忙しい1週間を乗り切ってようやく休みを取る事が出来る。そうすると陽菜が千冬に柳韻を誘って晩酌などどうか、と誘ったのだ。

 千冬が二人と別れたのは成人する前の事だ。故に酒の席を囲む事なんてなかった。千冬は陽菜から誘いを受けた時、正直戸惑い、気乗りはしなかった。だが昔から付き合いの陽菜から是非、と誘われれば否と言えなかった。

 そうして千冬の仕事終わり、次の日がオフというこの時に陽菜は柳韻を呼び出して晩酌の席を用意した、という訳である。

 

 

「千冬ちゃんはビール? 日本酒はいける?」

「どちらもいけますが……その、ビールで」

「アナタは日本酒よね?」

「……いや、ビールを頂こう」

「あら? 珍しいわね」

「折角、初の千冬君との酒の席だ。千冬君に合わせてみるのも悪くはない」

「あら、じゃあ私もビールにしましょう」

 

 

 コップを3つ用意し、冷やしておいた瓶ビールの蓋を開ける陽菜。その姿は楽しげで、千冬も何かを手伝おうとするも、いいから、と陽菜に念押しされて所在なさ気に座っている。

 3人にコップが行き渡り、陽菜が笑みを浮かべて音頭を取る。

 

 

「じゃ、ちょっと遅くなっちゃったけし、えーと、成人おめでとう、とか、教師の就任祝いとか……いっぱいあるけど、とにかく、おめでとう千冬ちゃん」

「え、そ、そんな……」

「はい、気にしないのー。はーい、かんぱーい!」

「乾杯」

「か、乾杯……」

 

 

 3人のコップが音を立てて響き、ビールが三人の喉を通っていく。それからは陽菜が中心になって千冬に近況を窺い立てている。生活はどうしていたのか、や、教師になった経緯など、あれやこれと話題がマシンガンのように飛んでいく。

 それに千冬は四苦八苦しながら答えている。会話に気を取られていると呑まないのか、と陽菜に茶化されて、とにかくペースを崩されながら千冬は酒を煽る事となる。段々と酒が進んでアルコールが回るにつれて千冬も口が緩くなっていく。

 

 

「本当にですね、IS学園の生徒達は事ある事に私を“ブリュンヒルデ”と呼ぶ! 私には、ちゃんと織斑 千冬って名前があるんですよ! 嫌じゃないですか、男が寄りつかなさそうな戦乙女の名前なんて! 私だって普通にですねぇ、恋とかしたいんですよ! 同性愛者じゃないんですよ、私は! 昔から束とも誤解されてましたし……」

「そうよねー、千冬ちゃんだって可愛い所あるのにねー? ね? アナタ」

「あぁ。こうしてると、まだまだ君も子供だな」

「うっ……そうですよ、私だってまだ20代の若造ですよ。それでも私は教師で、世界最強の名を背負ってるんです。なら、それに相応しくないと……」

 

 

 ぽつり、ぽつりと千冬は段々と普段の様子から考えられないような弱音を零していく。世界最強という重圧、そして出来た弟に比べて家事もまともに出来ない自分。日々の忙しさに、教師としての責務。

 その身一つで背負っていた重圧に溜めていた弱音を吐き出すように千冬は言葉を零していく。そんな中、千冬は思い出したように柳韻へと頭を下げた。

 

 

「……先生。遅れましたけど、オルコットの件、感謝します」

「……何のことかね?」

「先生がやった事は、本来であれば私がやるべき事でした。私は、あの時、オルコットを咎める事しか頭に無かった。オルコットへのフォローなど、考えていなかった」

 

 

 項垂れたまま千冬が口にしたのはセシリアの事だ。あの時の発言、確かに千冬は柳韻がいる事で頭に血が上っていた。だが、頭が冷えた後に考えたのだ。柳韻がやった事は本当は自分がやらなければならない事だったのではないか、と。

 

 

「オルコットはイギリスの代表候補生です。それがIS学園で、他国の誹謗中傷を口にしたとなれば問題でしょう。ですが、先生はオルコットの発言を否定しなかった。その上で、オルコットの発言を丸め込んでクラスを納得させた。……それを見て、思ったのです。私は、オルコットを咎める事しか頭に浮かべられなかった、と」

「教師として、生徒の間違いを正そうとする事の何が悪いのかね?」

「ただ咎めただけでは“オルコットが誹謗中傷をした事実”は残ります。そして“オルコットが謝罪し、頭を下げた”と。仮に騒ぎ立てられれば、多少とはいえ、火種とはなりましょう。少なくともクラスのオルコットへの反感は消せなかったかもしれませんし、やっかみの原因にもなっていたやもしれません」

 

 

 左右に首を振って千冬は口にする。悩ましげに眉を寄せている姿は、何か思い悩んでいるようにさえ思える。

 

 

「ですが、先生は敢えてオルコットを庇う事で事実を暈かして有耶無耶にした。問題がなくなった訳ではありませんが、表立つ事は無くなりました。

 あれからオルコットの態度も軟化したようです。それとなく、クラスへの気遣いが増えたように見えます。1組の生徒達もオルコットへの反応は悪くないように見えました」

「それは良かった」

「そこなんです。……私はオルコットの発言を頭ごなしに否定する事しか出来なかった。確かにオルコットの発言は代表候補生としてあるまじき発言でした。ですが、先生はオルコットの発言の意図に理解を示した上で誤魔化した。そしてオルコットを変えてしまった」

「オルコット君が変わったのは、それが彼女の持つ資質だからだ。私は言っただろう? 彼女は“クラスに恥を掻かせる事を良しとしない高潔な人物”だ、と」

「オルコットが変わった切欠は間違いなく先生ですよ。いつまでも惚けないでください……」

 

 

 千冬は拗ねた子供のように唇を尖らせ、ジト目で柳韻を見た。だが、それでも柳韻が首を縦に振ることはない。

 

 

「私がやった事も、決して最良とは言えない。オルコット君とクラスメイトの“関係”だけを改善するならば千冬君のようにオルコット君の発言を咎め、謝罪させる事が正しい。

 だが私が庇う事によって代表候補生にあるまじき発言の件は有耶無耶になった。そしてオルコット君はクラスメイトに謝罪するという手段を取れなくなった。故に、高潔でなければならないという重圧を私はオルコット君に背負わせた。多少、クラスメイトとはぎくしゃくする事も良しとしてね」

「先生が庇ったのは、その緩衝材となる為でもあったんでしょう? だから先生は割って入った。自ら道化を演じる事によって」

「私はそんな器用な男ではないよ。ただひたすら……オルコット君の発言を好意的に受け取ろうと努めただけだ」

「……好意的に、ですか。難しいですね」

 

 

 千冬には、自分には出来ないと思った。どう思おうがセシリアのあの時の発言を好意的には受け取る事は出来なかった。生徒達にもそうだろう。だからこそ柳韻の在る意味、滑稽なまでの騙りが効いている。

 柳韻はただ真面目にセシリアの発言を好意的に解釈し、庇い立ててしまった。そしてセシリアを含め、全員に問題を有耶無耶にする事を選択させたのだ。これを道化と言わずして何と言うのか。

 だが問題は表立つ事はなく、結果だけを見ればセシリアはあれから態度を変え、クラスメイト達もセシリアの態度事態は好意的に受け取っているようだ。一夏も思う所があったのか、見返そうと色々と努力を重ねているようだし、結果は良い方向に巡っている。

 それが千冬には眩しく見えているのだろう。自ら為すべき事だったと。悔やむように表情を歪める千冬に、柳韻はふぅ、と吐息を零す。

 

 

「千冬君。今の君に助言するとすれば……ゆとりを持ちなさい」

「ゆとり、ですか?」

「そう、心のゆとりだ。何があっても動じず、感情を殺すのではなく鎮め、客観的な判断を下せるように。静かな心を持ちなさい。それでいて、熱を失わない心を」

「……難しいですね」

「君は君が思う程、人間的には劣っていないよ。分不相応と言うが、君は間違いなく強者たり得る才能を持っている。かといって才能に溺れず、挫折も経験している。人を貶して悦に浸るような人種でもない。

 ……だが、人付き合いが不得手で、どちらかと言えば直情的だ。かつての君はそれこそ抜き身の刃だったからな。すぐに鋭い言葉が飛び出してくる。それこそ、すぐに悪を咎めてしまうようにね」

「うぐ……」

「出来ない事は悪い事ではない。悪いのは、それを放置する事だ。私のようにね」

 

 

 自嘲するように柳韻は呟く。酒を煽るように飲み干して視線を落とす。

 

 

「自分が出来ない事を認めなさい。その上で解決策を探すと良い。例えば……山田先生。彼女に自分の出来ない部分を補って貰うのも良い。君は人の手を借りる事を極端に嫌い、自らで全てを為そうとする傾向がある。だが、それは不可能だ」

「……はい。それはわかっています」

「……そう言う意味では、君の相方を務めるべきなのは、やはり束なのかもしれんな」

 

 

 千冬は柳韻の言葉に驚いたように目を見開かせた。まるで何故? と問うように、だ。

 

 

「あの子は逆に自分で全てを成し遂げてしまう。それ故に、人から心が離れてしまう。他人が出来ない事があるんだと、あの子に認めさせるべきだった」

「……束は、理解してない訳ではないと思いますが?」

「理解はしていないでしょうね。……アナタが言いたい事はわかるわ。あの子はきっと諦めちゃったのよ。だって理解してるなら解決策が見えるもの。あの子は頭が良いから。なのに諦めちゃったのは、あの子が自分の出来る事が、他の人には出来ないんだって本当の意味でわからないからかしら?」

 

 

 今まで黙っていた陽菜が、眉を寄せながら呟く。それは何かを悔やむような顔で、陽菜は困ったように笑った。

 

 

「出来ない事を伝えるのって難しいのよね。わからない、って言うだけだと、わからないのはどうして? って水掛け論になっちゃうから。あの子は理解が早いし、頭が良かった分、“悩めない”のかなって」

「……確かに束は、悩みがあるようには見えないですが……」

「結論に至るには過程があるのよ。良く言うでしょ? 結果が全てじゃない、って。あの子は常に最短距離を導き出してしまう。無駄をとことんまで削ぎ落とした子よ。末恐ろしいまでに」

 

 

 だから束は“悩めない”。人が結果に至るまでの苦難も、努力も、そのありとあらゆる全てを凌駕し尽くして結果を叩き出す。そこに感情はない。何故ならば苦しんでもいない、ただ当たり前の作業を繰り返すだけになる。

 

 

「何の達成も、何の苦難も、何もない過程で生み出される結果だけ。繰り返していればどうなるかしら? “心”を失うのよ。束を“心ない怪物”にしたのは……間違いなく私達」

「陽菜さん! それは……!!」

「私はあの子の足を引っ張るべきだったのよ。ちゃんと叱りつけて、抑え付けるべきだった。……私はあの子の才能を恐れながらも、咎められなかった。だって、何でも出来る才能があるんだもの。潰したくはなかった。手間のかからない子だと思ったし、将来に活かして欲しかった。それが、束に“心”を失わせるだなんて、馬鹿みたいでしょ?」

 

 

 我が子の才能を恐れ、愛しながらも。あの子の“心”に気付いてやれず、愛してやる事が出来なかったと。

 

 

「ほら、愛の反対は無関心、って言うでしょう? ……愛せもしなかったし、憎ませてあげる事も出来なかったんだな、って。あの子に“心”っていう執着を失わせたのは私達よね? アナタ」

「……そうだな」

「だから、千冬ちゃんが束の相方が良いのよ。千冬ちゃんは自分の心を偽れない程に真っ直ぐで、束はそもそも“心”が未熟で。ほら、貴方たち、最初馬が合わなかったじゃない」

「……確かに、あいつの事は最初は気に入りませんでしたけど、かといって放っておけませんでしたし」

「手がかからないのと、手を差し伸べないのはまったく違う事なのに私は勘違いしたの。あの子が必要としてなかったんじゃなくて、あの子の必要としていた手を取れなかった。……家族がばらばらになってから、ずぅっとあの子の事を考えてたわ。そしてようやく出した答えがコレ。本当、情けないわね、最低の親よ」

 

 

 笑い声を漏らす陽菜は、本当に困ったように笑っていた。柳韻も瞑目し、やはりどこか悔やむように表情を歪めている。

 そんな二人を見て千冬は辛そうに眉を寄せる。固く瞳を閉じながら、肩を震わせて千冬は問いかける。

 

 

「……私達を怨んではいないのですか? 貴方たちを引き離した私達の事を?」

「怨む? 何故怨まなきゃいけないのかしら。むしろ……束には怨んで欲しいかもね。私は」

「私も、だな。もしも私達がバラバラになった事を気にしているなら、それは私達が悪かったのだよ。君にも、束にも責任はない」

「……本当に、怨んでいないんですか?」

「怨む理由がないわよね。だって、こうして再会出来たもの」

「あぁ。……そして、離れたからこそ、あの子の孤独を理解する時間を得られた。そう思えば、箒には悪いが、決して怨む程の事とは思えない」

 

 

 生きて、またこうして出会えたのだから。何かを奪われた訳でもない。ならば憎む理由など何一つない、と。自由も、時間も確かに失ったかも知れない。惜しむ気持ちがなかった訳ではない。

 

 

「私はもう良い年だ。落ち着ける場所で静かに暮らすだけでも悪くはない。千冬君や一夏君、そして何より箒が剣を継いでくれたしな」

「私は静かなだけでなくて、誰かがいてくれたら良いわねぇ。箒ちゃんが一夏くんを思う姿を見たり、友達に囲まれてる姿を見守ったり、ね。

 私も、夫も、自分の為に充分生きたわ。そして互いに愛し合って、あの子達が生まれた」

「あの子はまだ生きているなら……あの子に拒まれない限り、今度こそ親であろうと思う。拒まれたらそれまでだが、な」

 

 

 千冬は柳韻と陽菜の言葉にただ、ただ肩を震わせて俯いているだけだ。千冬にとって後悔として残っていたのだ。世界を大きく変え、篠ノ之一家をばらばらにしてしまった事を。束を咎めてやる事が出来なかった事を。

 千冬は、束の孤独も理解出来るからだ。だからこそ否定する事は千冬には出来ない。その為に多くの物を変貌させてしまった。千冬も、己が護りたいモノの為に。――例え、尊敬する恩師すらも切り捨てたとしても。

 

 

「……ごめん、なさい……!」

「……何を謝るのかなぁ、千冬ちゃんは」

「……千冬君、飲みなさい。今日は酒の席だ。心の中にあるものを酒で吐き出せば少しは軽くなろう」

 

 

 柳韻がビールの瓶を手に取り、千冬のコップにビールを注いでいく。千冬は震えたまま、ビールを注がれたコップを手に取った。

 

 

「いただきます……!」

 

 

 目を固く閉じ、深い感謝を告げるようにして、千冬は一気にビールを煽った。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ――がしゃん、と。

 クロエの耳を打ったのはマグカップが叩き割られた音だった。思わず身を竦ませてクロエはマグカップを叩き割った音の張本人である束を見つめた。クロエから束の顔は見えなかった。

 まるで空気が震えているようで、クロエは思わず戸惑った。束がまるで見たこともない様子だったからだ。不安げに束を見ていると、束が静かに声をあげた。

 

 

「……クーちゃん、悪いけど、暫く1人にして」

「……束様? どうかなさったのですか?」

「いいから、出て行って……」

「……ッ! す、すいません」

 

 

 どこか身を震わせるような声で告げられ、クロエは慌てたように部屋を後にしていった。クロエの気配が消えた事で、部屋には束だけが残される事となる。

 扉を閉めたクロエが耳にしたのは、何かの破砕音。思わず身体を扉に預け、ただただクロエは困惑したように中から聞こえる破砕音に耳を塞ぐ事しか出来なかった。 

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