月曜日の放課後、1年1組のクラス代表を決める代表決定戦。自らに与えられた専用機“白式”を駆りながら一夏は奮闘していた。事実、彼の戦いは称賛されてしかるべきであろう。素人であった事を考慮すれば尚更だ。
相対するセシリアの駆るIS、“ブルー・ティアーズ”はビットと呼ばれる遠隔誘導が可能な兵装である。ありとあらゆる角度から放たれるレーザーを受けながらも、なんとか致命的な被弾だけは避けて、一夏は雄々しくセシリアへと迫る。
「せぁッ!!」
「くっ……!!」
一夏の振り抜いた近接ブレードがセシリアを掠める。セシリアは苦々しく表情を歪めながらも一夏から距離を取る。機動ではまだまだ拙い一夏では、セシリアが離脱に集中すれば追いつく事は出来ない。
ただ、それでも一夏が追いすがれているのは柳韻や箒との稽古によって思い出された“勘”と、僅かばかりとはいえ先輩達に窺った知識と経験があったからだ。事前知識があった事によって感覚の擦り合わせがすぐさま行え、拙いながらも一夏は戦えている。
「……やりますわね。一夏さん」
「あんたこそ強いな、セシリア。……やっぱり代表候補生ってのは凄いんだな。逃げに回られたら速度で上回ってても追いつけないし」
一度、互いに牽制し合うように動きを止めて一夏とセシリアは言葉を交わした。二人の間に交わされる会話には刺々しい物はない。互いに称賛し合うような好ましい空気があった。
この戦いが始まる前、セシリアは一夏に握手を求めていたのだ。セシリア曰く、正々堂々とした決闘を。クラス代表として相応しいと、実力を以て証明してみせる、とセシリアは一夏へと宣戦布告を行っていたのだ。
『今日は、貴方に勝たせて頂きますわ。私が代表候補生であるが故に。人の上に立つ実力があると自負するからこそ、私はそれを貴方に証明してみせる。貴方が私には未だ届かないという事実を。それでもお互いに良い経験になると思います。今日は良い試合にしましょう』
『……へぇ、アンタ、そういう事も言えるんだな?』
『日本語は、難しいですわね。少しずつ勉強させて頂いております故、ご容赦頂けまして? この前は、どうにも耳障りな言葉になってしまった事は私自身、苦々しく思っていますの。今は反省しておりますわ』
『……あ、あぁ、そうなのか。まぁ、そうしてくれるなら俺は嬉しい。良いところがいっぱいあるぜ? 日本はさ。今日は俺も真正面からぶつかっていく。胸を借りるつもりで行くぜ。だからよろしくな』
セシリアの宣戦布告を受けた一夏は驚いたものの、セシリアの態度が一週間前とは異なっている為、思わず好意的に受け入れてしまったのだ。本当に一週間前、日本を扱き下ろした傲慢な少女と同じ人物だとは思えなかった。
まさか本当に恩師が言っていたように、ただ言葉遣いが拙かっただけ、ストレスが溜まっていただけで、こいつ実は良い奴なんじゃ? と一夏も思い始めていたのだ。
そして実際にISバトルが始まる前に5分程度、乗り立ての専用機である“白式”に四苦八苦している一夏を見て、軽く流してからの本格的な試合を提案したりなど、一夏の思いは確信へと近づいていく。
相対している間にも思いは確信を深めていく。セシリアの目は真っ直ぐで、凜とした姿は誇らしく胸を張っている。真剣に一夏を侮る事無く、真っ正面から全力でぶつかってくれるセシリアには舌を巻きながらも、どこか一夏は嬉しかった。
「……セシリア、謝罪しておく。俺、お前の事、嫌な奴だと思ってた」
「実際、嫌な奴かもしれませんわよ?」
「どうかな? 正直、アンタは強い。それでも俺と真っ正面からぶつかってくれてる。俺はそれが嬉しい。だからアンタは良い奴なんだって思う事にする」
一夏は笑みを浮かべながらセシリアに返すと、セシリアは虚を突かれたような顔を浮かべた。そして、セシリアは表情を歪めて呟く。
「……私も、貴方には感謝をしなければならないかもしれませんわね」
「? それはどういう意味だ?」
「ごめんなさい。私の事情ですので……」
「……そっか」
セシリアの憂いの表情に一夏は言葉を控えた。きっとセシリアも何かを抱えているのだろう、と。憂いに満ちた表情は、まるで迷子の子供が泣いているように見えたからだ。
それに触れる事は出来ない。セシリアは自分にそれを望んでいない。だから一夏はすぅ、と息を吸って近接ブレードを構え直す。真っ直ぐにセシリアを見据えて、一夏は告げる。
「セシリアが何か悩んでるのは知らないけど、今は試合中だしな」
「えぇ」
「俺も、ようやく全力が出せそうだ……!」
瞬間、セシリアが目を見開く中、一夏の纏っていた“白式”が大きく姿を変えていく。その光景を目にしたセシリアは表情を引き締めて、一夏を睨み付けた。
「……来ましたわね。“第一形態移行<ファースト・シフト>”」
「あぁ、これでこいつはようやく、俺の専用機になったって訳だ」
にっ、と笑みを浮かべて一夏は姿を変えた近接ブレード“雪片弐型”を構える。一夏が纏っていた白の装甲は大きく変貌し、まるで騎士のような姿を象っている。
ISに存在する、搭乗者に合わせて最適な形態を取る事が出来る“形態移行”。今まで初期設定でしか無かった機体は、これで名実と共に一夏の専用機へと変貌したのだ。
つまり更に手強くなる、とセシリアは気を引き締める。未だ拙いばかりの一夏だが、彼の持つ勘と判断力、思い切りの良さにはセシリアも驚いていたのだ。恐れずに雄々しく踏み込んでくる一夏には何度、肝を冷やされた事か。
それが、彼女の中である感情を燻らせている事となっているのだが、今は割愛しよう。
「俺も、お前には負けたくない。行くぜ、セシリア! ここからが俺の――!!」
「っ……!!」
“雪片弐型”の刀身が光り輝き、それはまるで光の剣! 雄々しく剣を構え、セシリアを睨む姿は正に騎士に相応しき姿! そして、一夏がセシリアへと向かおうと身を前に押し倒し――甲高くブザーの音が鳴り響いた。
『試合終了。勝者――セシリア・オルコット』
「……え?」
「え?」
「なにそれ、こわい」
ただ呆然と、何が起きたのかわからない、という顔で一夏とセシリアは顔を見合わせるのであった。
* * *
「“俺も、ようやく全力が出せそうだ”」
「……」
「“これでようやく、こいつは俺の専用機になったって訳だ”」
「…………」
「“俺も、お前には負けたくない。行くぜ”」
「………………」
「……はっ、お前はどこに行くつもりだ? ん? お笑い芸人か? 私を笑い死にさせたいのか? それとも憤死させたいのか? ん? どうなんだ? 織斑?」
「やめて下さい織斑先生! 織斑くんが死んだ魚のような目で、今にも首吊りそうになってますからもうやめて下さい!!」
千冬は口元を引き攣らせた、笑みとも怒りとも取れない表情で一夏を睨み付けていた。一夏は千冬によって晒された言葉のボディブローの数々に、今にも昇天してしまいそうな程に追い詰められていた。思わず真耶が涙目で悲鳴を上げる程だ。
無駄にキメ顔で、自分の言葉を繰り返される千冬からの拷問は、一夏の羞恥心を煽り、繊細な15才の少年のハートを無惨にもボロボロにしていく。正直、穴があったら入りたい。そして埋めて欲しい、と一夏は心底思った。
一夏が負けた理由は、一夏が扱っていた“雪片弐型”が自身のシールドエネルギーを消費して発動する、相手のシールドを無効にする兵器であるという事を知らなかった為だ。特性を知らないまま、雪片を発動させてエネルギーがその場で無くなったというオチ。
これは恥ずかしい。正直、見ていた千冬は思いっきり吹き出した後、弟の情けなさと不甲斐なさに笑えば良いのか、怒れば良いのかわからなくなってしまった程だ。思わず胃がきりきり痛んだ恨みを晴らしている訳ではない。そう、決して。
「……その……。一夏、どんまい」
ぽんぽん、と肩を叩いてくれる箒の優しさが目に染みる一夏だった。お願いだから放って置いてください、と一夏は壁の隅に体育座りになって影を背負うのであった。
* * *
「……こんな所にお呼び立てして申し訳ありません、柳韻さん」
「構いませんよ。オルコットさん」
夕日が沈み、夜も間もなく来るだろう時刻。一夏との決闘を終えたセシリアは人気のない屋上に柳韻を呼び出していた。手すりに手をかけて、遠くの空を見つめるように見ながらセシリアは申し訳なさそうに呟く。
隣で同じように手すりに手を付いてセシリアを見る柳韻は気にした様子も無さそうだった。互いに夕日に照らされながら無言の時間が流れていく。柳韻は、話があるとセシリアに呼ばれた以上、自ら話題を切り出す事はない。
「……ご相談したい事がありますの」
「相談ですか」
「……私の父親について。ご助言を頂ければ、と思いまして」
ぽつり、ぽつりと呟かれるのはセシリアの過去だった。セシリアの両親が事故にあって既に他界している事。優秀な母親と、うだつの上がらない父親の事。そして父親に対して憎しみにも近い、けれど憎みきれない感情を持っている事をセシリアは語る。
柳韻はセシリアの言葉を遮る事はない。ただセシリアが語り終わるまで、ジッとしていた。その瞳がセシリアの姿をただ映し出している。セシリアの様子は迷子の様だ。それも仕方ないだろう。今、彼女は道標を失いかけているのだから。
「父は、情けない男でした。そんな姿を見て、“絶対こんな男とは結婚しない”とずっと思っていましたわ。母がとても優秀だった分、私は父が浅ましく、情けない存在にしか見えなかった。だから、男など取るに足らない存在だと」
「そうだったのですか」
「はい。……それが、私が男を軽視していた理由ですわ。男は情けなくて、女に媚びへつらう生き物。それに加えて世の風潮に流されたといえば、流されたのでしょうね」
「それで、どんなご助言をオルコットさんは必要とされているので?」
「……先日、柳韻さんに何故庇ったのか問いかけた日。私は柳韻さん、貴方に父の面影を見ました」
ここでセシリアがようやく柳韻と視線を合わせた。僅かに涙が浮いた瞳は、今にも雫を零してしまいそうになる程に潤んでいる。縋るように柳韻を見ながら、セシリアは唇を震わせる。
「柳韻さんに私の暴言を庇って頂いた時、私は理解が出来なかった。卑しい男と自称し、頭を下げる貴方の姿が嫌でも父と重なった。……なのに、堂々としている姿を見て、余計にわからなくなったのです。
だからこそ、知りたいと私は思った。……そして今日、一夏さんと対峙してもっとわからなくなってしまった。男とは情けない、女性に媚びへつらう事で生きていくのだと思っていた。でも違った。違ったなら――私の父親は、何だったんですの?」
それこそが、セシリアの迷いとなって襲いかかる。柳韻の姿が、一夏の姿が父の印象とは真逆で、男という存在が尚更にわからなくなって。
「正直に申せば……心動かされました。貴方に、そして一夏さんに。今日、一夏さんがどうして自爆したのかは私もわからないのですが……」
「あぁ……あれは盛大な自爆でしたなぁ」
柳韻は思わず苦笑。一夏の自爆には柳韻は何とも言えない気持ちにさせられる、と。セシリアもそれには小さく笑みを零す。くすくす、と上品に笑った後、気を取り直すようにセシリアは言葉を続けた。
「あんなに直向きで、私を倒そうと必死に向かって来て。……私の事を、良い奴だ、とも言ってくれました。あんなに酷いことを言った私に、そう言ってくださったんです」
「あの子は人の良い所を素直に褒める所が出来る子です。少々、思った事を口にし過ぎる悪癖がありますが……」
「よく見ていらっしゃるんですね、一夏さんの事。……貴方は、そうして私の事も見て下さった。だからこそ、貴方にお伺いしたいのです。私の父は、ただ情けない男だったのでしょうか?」
それがセシリアの疑問だった。セシリアにとって不可解だった存在である父親という存在。今まで疎んで、嫌って、避けていた。その父を感じさせる人の言葉が、その人の教え子であるという男の子が、容易くセシリアの心を揺り動かしていく。
立派で、思わず憧憬を抱いてしまうような。そんな姿を見て、だからこそセシリアにはわからなくなる。では情けなかった父親とは何なのか。どうして母親は彼を夫として選んだのか。この疑問が胸に巣くう限り、胸の痛みは消えてくれない。
「私は母が好きでした。けれど父が嫌いで、でも母はそれでも離婚をしませんでした。死ぬ間際には一緒にもいました。ほとんど別居状態でいたのに、最後の時だけは私を置いて一緒に逝ってしまったんです。だからわからないんです、私には何もわからない……!」
どうして、なんて何度も問いたかった。だが問いかける機会は失われ理解が出来ないままに逝ってしまった両親。
セシリアは胸に抱いた疑問を解消する術を失ってしまった。だから今まで直視してこないようにしてきた問題がセシリアに重くのしかかってくる。
「……オルコットさんは、貴方は本当に両親の事を想っていますね」
セシリアに柳韻は言葉を投げかける。静かな柳韻の言葉に、セシリアはゆっくりと顔を上げた。
「私は、想ってるんでしょうか?」
「えぇ。でなければそこまで執着は出来ません。……私から見るに、貴方は父親も含めて家族を愛し、そして誇りたかったのだと見えます。情けない父親を憎みながらも、父親の事を知ろうと、理解したいと言う貴方は、本当は父親も愛したかったのではないでしょうか?」
「……そう、なのでしょうか」
「父親も立派な人であって欲しかったと願うのは、それだけ想っている証拠ですよ。そしてそれが憎しみになってしまった。けれど、本当は憎みたくはない。愛したかった。だからこそ理解しようとするのですよ。憎むのは、とても心が疲れる」
こくり、とセシリアは柳韻の言葉に同意を示すように頷く。だからこそセシリアは男に関わり合いになりたくなかった。父親を連想させてしまうから。どうしても思い出してしまうから。
「しかし、私はこう言う事しか出来ない。死者は何も語らない、と」
突き付けるような柳韻の言葉にセシリアは息を飲む。それは尤もな現実だ。セシリアが幾ら両親の真意を知りたいからといって、もう彼等はこの世にはいないのだ。
「……では、やはり私の疑問は解消出来ないのですね」
「そうですね。ですから自らを納得させるしかない。かつてオルコットさんが男など取るに足らない存在だとしていたように」
「……それが、わからなくなって困っているのです」
「ならば、また別の答えで自分を騙すしかない」
柳韻が告げた言葉に、セシリアはふるふると力なく首を左右に振った。もう、自分を騙す嘘は吐けない。柳韻の言うとおり、自分は父を愛したかったのだろう、と思う。
けれど叶わなかった。結局、記憶の中に残る父は情けないままで、認める事はセシリアには出来そうにもない。だからこそ、セシリアは柳韻に向き合った。
「……柳韻さん。1つ、お願いが」
「何でしょうか?」
「私に嘘を語って、騙してくれませんか? 私の父は……何を思っていたのか。貴方の思うままに、私の父の思いを想像して。……私に、私を騙せるだけの嘘を授けていただけないでしょうか?」
何を信じれば良いのかもうわからない。だから、信じられるだけの嘘が欲しいとセシリアは言う。そして、父親の想いを誰よりも近く感じ取り、語ってくれるとすればセシリアには柳韻しか思いつかなかったのだ。
だからこそ、藁にも縋るような思いでセシリアは柳韻を見つめた。セシリアの言葉を受けた柳韻は静かに目を伏せ、ふぅ、と息を吐いた。
「……私でよろしいのですか?」
「出来れば、お願いします」
「良いでしょう。私も父親です。娘と通じ合えない悲しみはよく知っている。ならば、私は死者の想いを騙りましょう。貴方の父親の代弁として」
こくり、と柳韻は小さく頷いた。瞳を閉じ、胸一杯に息を吸い込んでセシリアと向き合う。
「貴方の父親は、確かに情けない父親だったと思う。愛想を尽かされても仕方ないと思いさえする。しかし、それでも良いと思っていたのでしょう。それでも1つの願いが叶うなら幾らでも、泥でも誹りでも甘んじて受けよう。そう思っていたのではないでしょうか?」
「……っ、何故……!?」
「――貴方に幸せになって欲しかったから」
セシリアの瞳から、遂に堪えきれなくなったように涙が零れ落ちた。
「どうして、そう言えるんですの?」
「貴方は母親に愛されていましたか?」
「……愛されていたと思いますわ」
「ならば、です。母親は貴方を愛していた。貴方を愛するならば貴方の幸せを願うでしょう。そんな貴方が疎む父親がいて、何故許せましょうか? 貴方の怒りを、悲しみを、憤りを覚えさせるならば指摘して、改善させて然るべきです」
「……確かに母も、父の態度には煮え切らないようでしたわ」
「それでも尚、父親は変わらなかった。けれど、母親が切り捨てなかったのは……偏に彼等は愛し合っていたからではないでしょうか。同じ思いを共有する夫婦として――ただ、貴方に幸せになって欲しかったから」
ひぅ、と震えた声がセシリアの喉から零れる。肩がわなわなと震えていて、拳を握った手に力が籠もる。
「なんで……!? だったら、なんであんな情けない姿を……!」
「理由は想像すれば幾らでも想像出来ましょう。父にはそれだけの力がなかった。もしくはそうせざるを得なかった。だが、例えそれでも愛した人を手放せなかった。共にいたかった。そして――貴方に幸せになって欲しかったからこそ、家族で在り続けたのではないでしょうか?」
これは、嘘だ。
セシリアは理解している。結局、これは嘘にしかならない。仮に本当であっても、それを本当にしてくれる両親はもうこの世にはいない。けれど、それでも、いや、だからこそ……!
「うぁ、あぁ、ああああっ……!!」
信じたい。救われたい。もう、許してあげたい。セシリアの胸に浮かぶのは、ただそんな想いのみ。
憎しみは抱え続けるのは辛い。想うが故に憎む、そう、セシリアにとっての憎しみは愛しさの裏返りだったのだ。愛したいのだ。本当は胸を張って、立派な母親のようにあって欲しかった。だって自分の父親だったのだから。
嫌ったまま逝かれて、何もわからなくなって。聞けば良かったと後悔した。母親も、どうしてあんな父親を嫌っているように見えたのに、最後の時だけは一緒だったのか。離婚をしなかったのは何故なのか。自分が見る父親はいつも卑屈であったのか。
納得がいかなくて、でも一生納得出来る機会は失われて。残されたセシリアには憤りと憎しみと、そして疑問しか残らなかった。そんなの望んでいない、とセシリアがどれだけ思ったとしても。
「子を想わない親などいない。私はそう思います。例え、何度間違って、何度誹りを受けようとも……親は子を愛しているのだと、私はそう在りたい。そうであって欲しいと願っています。そしてオルコットさん。貴方にも信じて欲しい」
「何を、信じろと……!?」
「貴方はご両親の血を継いでいます。だからこそ信じてあげてください。母親が貴方を愛したように。父親もまた同じ思いだったのだと。父として、男としてどんなに無力でも、貴方を愛そうと、その人なりに何かを為そうとしていた、と。
貴方が立派である事こそが、恐らくその証明になるでしょう。なにせ――貴方は気高く美しい。こんなにも立派な子なのですから、貴方の両親もまた胸を張れる人であったのだと」
セシリアの涙が栓が抜けてしまったかのように溢れ出していく。何度も手で涙を拭うも、拭いきれずに柳韻に手を伸ばす。柳韻の服の裾を掴み、顔を俯かせながらセシリアは懇願する。
「……ごめん、なさい……少しだけ、お胸を借りても、よろしいですか……?」
「……私で良ければ」
「……ありがとう、ございます……!!」
柳韻の胸に額を押しつけ、崩れ落ちそうな身体を強く柳韻の服の裾を掴んでセシリアは嗚咽を零す。
褒めて欲しかった。立派な母のようになりたかった。情けない父のようになりたくなかった。だからこそ、努力して、頑張ってきた。ずっと、ずっと。
いつか認めて貰って、頭を撫でて欲しかった。頑張ったね、って言って欲しかった。立派だと、胸を張って欲しかった。貴方たちの子は、貴方たちを血を受け継いだ子はこんなにも素敵な子なのだと。
母親のようになって、認められて。父親に認めて貰って、父親に変わって欲しかったのだと。――ただ、愛して欲しかっただけなんだと。
「うぁぁあああッ!! あぁ、ああああ、あぁああああああああああああああっ!!!!」
崩れ落ちる。全てが崩れ落ちて砕けていく。幾度なく泣いた。けれど今までとは違う涙。疑問に泣く涙ではない。本当に得たかったものは、もう二度と手に入らないと遂に突き付けられてしまった。
これは嘘。父のような、それでいて自分の心を揺らした人が語った嘘。でも、それによって心揺らされたセシリアは、自らの想いを自覚した。自覚してしまったからにはもう戻れない。もう、知らないままの子供ではいられない。
「あぁ、あぅぁ、おとう、さま! おかあ、さまぁっ! どうして、いや、なんで、わたし、こんな、がんばって、ます、のに、ほめて、ほめてっ、ぅ、ぁうぁ、ぅぁぁああっ!!」
あぁ、なんて情けない。どこか心の中で冷めている自分が呟いている。こんなに涙で目を真っ赤に腫らして、涙できっと化粧もぐちゃぐちゃになってしまう事だろう。なんて弱く、無様で、醜い姿なんだろう。
――ただ、愛に飢えて藻掻く自分なんて自覚したくなかった。
もう二度と手に入らないモノに飢え続けなければならないなんて絶望じゃないか。
心が落ちていく。まるで立っていた場所が薄氷だったように。冷たい水の中へ沈んでいくように。セシリアの心は誰の温もりも感じられない絶望の中へ。ただ、どんなに手を伸ばして藻掻いても沈んでいく。
その中で垣間見るのは、彼女の心の中に残った希望。家に仕えていたメイドで、姉のような人がいた。親の残した屋敷、親の残した遺産、そして……思い出。手に取ろうと必死に藻掻いて、掻き抱いて、もう二度と離さないように。
だから強くあろうと願った。相応しき人物になろうと気を張って、尖らせて、殻に覆って。気高くあれ、気高くあれと自分に何度も言い聞かせながら生きてきた。
――それが、最後の温もりさえ失ってしまうと恐れた哀れな少女の末路。
なんて滑稽。なんて無様。なんて醜悪。なんて、なんて、なんて――!!
気高くあれと願った自分は、その実、誰よりも子供で愛に飢えていただなんて笑えない。そして二度と手に入らないものの残骸を後生大事に抱えようとしている。そんな姿が気高いだなんて、冗句にもなりやしない。
「――ぁ」
それなのに。
どうしてこんな、自分の父親でもないのに。
慈しむような、労るような。無骨なその手で頭を撫でてくれるのか。
「ふぇ、ひぐ……っ、うぇ、あぁ、っ、ぁぁあああっ!!」
騙されて良いのだろうか。今は、この手を“父”のように思わせて欲しい、と。
「わた、くしは、りっぱ、ですか? ひとに、ほめられる、ひとで、いられてますか? わたしは、わたしはぁ!」
「……立派だとも。これだけの悲しみを抱えながらも、貴方はここまで歩いてきた。それが貴方の価値です。そしてご両親が遺した価値です。――だから、貴方は愛されて良い」
きっぱりと、力強く言い切られた言葉にセシリアは言葉を無くした。ただ、涙と喉が枯れ果てるまで。胸一杯に秘めていた悲しみと、偽りでも“父”から授けられた言葉がセシリアの膝を折る。
ただ縋るように、どんなに偽りだとわかっていても。セシリアに柳韻の温もりを突き放す事は出来なかった。