吉川栄治の文章を使うことは、吉川栄治氏の遺族に許可をとっています。
足利尊氏伝
吉川英治の「私本太平記」を翻案した簡略版です。あんなクソ長いものを読む人はあまりいないでしょうから、わたしが換骨奪胎して作りなおしました。
1、田楽芸人
まだ除夜の鐘には、少し間がある。
とまれ、今年も大晦日までは無事に暮れた。だが、明日からの来る年は。
洛中の耳も、大極殿のたたずまいも、やがての鐘を偉大なる予言者の声に触れるように、霜白々と待ち冴えている。
洛中四十八カ所の篝屋の火も、常より明々と辻を照らし、明るい夜靄をこめた巽の空には、羅生門の甍が夢のように浮いて見えた。篝屋とは、鎌倉時代に京都の町に置かれた武士の詰め所である。そこの楼上には、明日の元旦を待つでもなく、総じて酒の香りが漂っていた。都の夜霧は酒の香りがするというほど、まずは穏やかな年越しだった。
高氏は篝屋で年を越すのは初めてだった。すべてが物珍しくて仕方ないらしい。この十年で京の酒屋もずいぶん増えていた。かつては百軒は数えたものの、今では、近江の百済寺で造るのや、大和菩提寺の奈良酒など、天野山金剛寺の名酒だの、遠くは博多の練ぬき酒までが集められているためか、どうぞ好きな酒を選んでくださいというものだった。
高氏はいかにも坂東武者にありがちな無骨な様相をした男であったが、各種の酒の飲み比べをしているうちに夢の中にでも落ちていくような心持ちであった。
とにかく、醜男ではあるが、由緒ある家柄の子息ではあろう。佩いている太刀なども、こんな小酒所の客には見えぬ見事なものと、まわりの侍衆も目を見張っていたのであった。
高氏は十八歳であった。
「まさか除夜の鐘を都で聞こうとは思わなんだ。おやじ、もう一個酒をもってまいれ。はらわたが儂へ歌うのだ。今夜は飲むべき夜なれと」
それに答えたのは荒くれの武者足軽であった。
「おれは太守、執権北条高塒殿の使いで酒を持って参ったもの。ほとんどは御献上物なれど、我らの分もあるゆえに一緒に飲み交わそうぞ」
「おお、鎌倉者であるか。御献上物の分け前に預かりうかがえるとはありがたい」
「ははは、お主もいける口だのお。名はなんと申すのだ。どこの出だ。せっかくの巡り合わせ。共に飲み交わそうぞ」
「それがしは、下野国足利荘の次男、足利又太郎高氏と申すもの」
「下野国足利荘か。天皇領であるな。御卑下には及ばぬ。足利殿のお血筋といえば、北条殿にも劣らぬ正しい源家の流れ。家職といえば、現帝の御被官。なぜ遠い旅をば共人も召されずに」
「我が家は朝廷の御被官であると共に、鎌倉殿の御家人でもあるがゆえに、京へ見聞に参った次第」
「ほう。鎌倉殿の御家人でもあるのか。それは難しかろう」
高氏の母君はいつ頃からか地蔵尊を信仰していて、高氏の羅刹地獄の娑婆苦を救うのは地蔵尊であると思い、地蔵尊の仏説などをよく聞かせたものであった。
「この度はただの都見物なれば」
と高氏は五色の菓子を童のように食うた。
元亨元年の大晦日。みかどは後醍醐天皇だった。後醍醐天皇は三十一歳の遅い即位であったが、都の女を御学友と共にかどわかし、仕えの女官はあまたの如しといわれていた。
「思い出すのは花夜叉という田楽芸人よ。執権北条殿も田楽狂いであられる。賭け犬好み、日夜の遊興沙汰など、何ひとつ民の困苦を考えぬ武家の幕府よ。今の世は、守護、地頭に、その他の役人、みな怨嗟の声の聞こえぬことがない。あれらはみな武家であろう。みかどは宋学の新説を学び、資治通鑑を学び、儒仏の究理なども盛んにしておられると聞く。いつか、異国の学を鑑として、時弊を打ち破り、ひいては執権北条の幕府をもくつがえして、まつりごとを遠きいにしえにかえさんという思し召しでもあるのではないか」
鎌倉者はなかなか大胆なことをいった。高氏は返していわく。
「みかどといえど、北条殿といえど、武家や民の怨嗟の声を聞けば頼るべきものとは限らぬものであるなあ」
鎌倉者は高笑いした。
「ははははは、足利高氏殿も婆娑羅であったか」
おそらく婆娑羅とは、田楽芸人の軽口からいいだしたことであるが、花奢、狼藉、風流、放縦、大言、大酒、すべての伊達を指してもいうし、軌道の外れた行為や、とりすました者への反逆や、そうした世の振る舞いに斟酌しない露悪的な振る舞いをいった。
「いやいや、一雲を見て凶天を知るともいいますれば」
「確かに」
「近頃は茶寄り合いなどということばもあると聞く。花競べ、歌競べ、虫競べなどという遊戯にならって、十種二十種の銘茶をそろえ、香気や色気を飲み比べするのを闘茶といい、その闘茶に馬鹿げた賭け事をする人もあるという。闘茶とはどのようなものですかな」
「闘茶なら田楽芸人に聞くとよいですな」
見ると、篝屋にいつの間にか田楽芸人が集まり、一座を設けようとしているところだった。
田楽芸人が舞いを舞う。
「あれが有名な花夜叉か」
「あれは鷺夜叉でございますな。袖で踊っているのは藤夜叉です」
「新座はみな夜叉名を名のるが風と見える」
「ほら、あれが花夜叉です」
とひと際美しい田楽芸人が舞を舞う。この田楽芸人たちは遊女なのだろうか。高氏はいぶかしがるがとんとわからぬ。
高氏の目は藤夜叉に釘付けになった。高氏も女体を知らないではなかった。むかし、御厨の牧へ遠乗りに行った麦秋のことであった。馬屋の干しワラの中で、つい牧長の娘と陽炎みたいに戯れ睦んだことがあった。いわゆる幼馴染である。
藤夜叉は、その幼馴染に似ている。別人であろう。そっくりではない。ただ似ている。あれから年をとったらあのような顔になっていても不思議ではない。
「藤夜叉、歳はいくつか」
「十六でございます」
歳も合わぬ。やはり別人だ。だが、似ている。もはや、高氏の頭の中では藤夜叉のことしか考えられなくなってしまった。田楽芸人など、歳を平気でごまかすのではないか。しかし、この高氏に。いや、あの娘が高氏のことを気にかけているとは限るまい。それに、別人だ。似ているだけなのだ。なぜ、下野国の娘が京都などにおろうか。
酔いがまわっている。
「藤夜叉、少し歩こう」
「あら、お武家さま」
藤夜叉の腕が、唇が、肌に感じられて離れない。別人だ。ああ、だが、高氏の心の奥の情熱をもはや抑えることができない。高氏は藤夜叉を押し倒し、藤夜叉の指が強く高氏の背中にくいこんだ。二人の情熱は夜を焦がして舞い散った。静かに、激しく、おびえながら。そして、夜が更けるにつれて、静けさに溶けることを許されていくことを願った。
「高氏さま、このままお別れになるのはつろうございます。何かお形見のものでもくだらせなさいませ」
高氏は焦ったが、とりだしたのは地蔵菩薩の御守りだった。
「これを持て。必ずや再会しようぞ」
「ありがたき幸せです」
そして、京の夜で二人は別れ別れになり、藤夜叉はみなの待つ寝屋へ、高氏は一人、京の町へ消えていった。
2、羅刹の妻
一遍上人の踊り念仏が流行り、時宗が一世を風靡していた。弥陀の本願によって踊り狂えば救われるというなんともけったいな信仰であった。
足利高氏は、下野国足利荘に帰っていた。いろいろあって正妻を迎える縁談がようやくまとまったところだった。田楽芸人などという卑しい身分の女とは婚姻することは足利の殿様としての高氏にはできなかった。
婚約者赤橋登子と会って高氏は聞いた。
「登子」
「はい」
「そなたも疲れてか」
「いいえ、あなたさまこそ」
「儂すら少々疲れ気味に思われる。ましてそなたはと察しられるが、しかし、一生の門出である。二人にとっては二度とないこと」
「ええ」
「このまま少し話していたいが、眠とうないか。大丈夫か」
「なんのお気づかいを」
女はまだ体が震える。男は烏帽子をとった。
「ほかでもないがの、登子」
「はい」
「いっそ、むくつけにいおう。そなたはいったいこの高氏のどこを見て妻となる気を抱いたのか」
女は声が出ない。
「兄の守時殿の勧めで是非なく嫁ぐ気になったか。それとも」
「上杉殿と兄上のすすめだったのは申すまでもございません。けれども私もすすんで望みました」
「どこがようて」
「わかりません」
「わからぬままに」
「ええ、わからぬままにも、身の生涯をお任せして、どうあろうとも悔いのない、頼もしい殿御と、いつかお慕いしました」
「ならばあらためて告げねばならぬ。高氏が今、申すことにいささかでも不安であり、不同意だったら、いつでもこの家を去るがいいぞ」
「えっ」
「何も知らずに嫁いだそなただ。知らぬがままに連れ添うのならば、それまでのことですもうが、しかし、さまでの秘事を抱きながら、妻となる者へ、おくびにもそれを告げず、後で悔いやら泣きを見せるのは、男として高氏は自身に恥じる。で、いっそ打ち割っていうわけだが」
女は黙る。
「幼少の時、この高氏はさる人相見から剣難の相があると予言されておる。ひょっとしたら儂は戦乱で倒れる宿命なのかもしれぬ。それでも、和御前は儂の妻として添うてゆけるか」
「なにを仰せかと思えば」
と登子はむしろほっとした笑みをもって、
「武門誰とて、一生何事もなく過ごせるものもおりましょう。武門に剣難の相があるのは当たり前です。嫁ぐ前から身に言い聞かせております」
「そうか。覚悟してか」
高氏はいったが、改まった面持ちはなお解く様子もない。
「まこと、この高氏の前途は安穏でない気がするのだ。末恐ろしいと思うたら、今のうちに思い返せ」
「思い返せとは」
「今なれば、ない縁としよう。ほかの口実を設けて、和御前は処女の肌のまま実家方へ帰るがよい」
「おたわむれを」
「たわむれではない」
「むごい仰せです」
「むごくはない。慈悲でいうのだ」
「では、いつの日か、まこと、そのようなお心ぐみが、あおりなのでございますか」
「あるとしたら」
「ないとしても、あるとしても、妻の実には、おなじことに思われます。あなたさまの御一生が、そのまま登子の一生となるばかりのこと……」
「修羅の巷に迷うても」
「ええ、地獄でも」
「良人が悪鬼羅刹と見えても」
「はい。羅刹の妻となります」
「登子っ」
彼は寄って、いきなりその花の顔を、抱きしめた。
「そなたを妻としよう」
結婚式が行われた。大遊宴において、舞う田楽芸人は藤夜叉であった。
足利高氏はうめいた。何の当てつけか。酒宴の最中、登子の隣にあって藤夜叉の舞いを見ていたが、どうしてもあの一夜のことを思い出してしまう。藤夜叉も覚悟して来ているに決まっている。妻、登子にはいえぬ。足利の殿様が妾の一人や二人持とうとおかしくないというものもいるかもしれないが、高氏にはその気は起きない。
藤夜叉の舞いが終わると、高氏はうまく登子を席に残したまま藤夜叉と話す機会を設けた。
「久しぶりだな」
「はい。あなたさまの御婚儀と聞いてやってまいりました。あの時の御守り、今でも肌身離さず持っております」
「しかし」
「藤夜叉はあなたさまの子を産んでございます」
「おお、一夜の契りでか」
「はい」
「ならぬ」
「良い婚儀でございますね」
「この高氏、登子を妻とすると決めたのだ」
「そうですか。では、あなた様の子は」
「三河の一色に足利の荘がある。そこへ行って隠れ住んでおれ」
「わかりました」
「許せ」
「さぞや、足利の殿様はあのご婦人を幸せにするのでございましょう」
「ああ、必ずや」
高氏は藤夜叉に背を向けて登子のもとへ去った。藤夜叉は耐え忍ぶのみ。
3、室町建国記
足利は新田のことを「新田とんぼ」とバカにして、新田は足利のことを「足利案山子」とバカにしていた。
藤夜叉の子は不知哉丸(いさやまる)といい、登子と高氏との間には千寿丸という子ができた。
新田義貞が旗上げしたのはそんな時だった。執権北条氏、鎌倉幕府への反乱である。足利高氏は新田側につき、からめ手の大将となり戦った。
新田義貞は鎌倉幕府を攻め滅ぼし、足利高氏は京都の六波羅探題を攻め滅ぼした。
高氏の妻登子はただ待ちつづけた。
「暗君ではないか。儂はなんという暗君なのだ。登子も、藤夜叉も、二人とも幸せにできなかった」
鎌倉幕府討伐において最も勇猛に戦い、最も多くの死者を出したのは赤松円心の一族だったが、後醍醐天皇からの恩賞は郷一個だった。
高氏は、尊の字をもらい、以後、足利尊氏と名のった。
もともと当時は五百個くらいしか郡はなかったので、倒幕に参加した何万騎のうち、恩賞をもらえるのは多くて五百人ということになる。
幕府が倒れ、建武の親政が始まると、「二条河原の落書」のような乱れた世になった。
さらに、内裏の禁術、陀茶尼の修法である立川流が流行った。色道三昧である。
宰相になっていた足利尊氏は後醍醐天皇とうまくいかなくなり、朝敵として王軍新田義貞に攻められた。足利軍は破れ、東に西にと奔走した。
尊氏は、大覚寺系である後醍醐天皇に対して、持明院系である光明天皇を擁立して戦うと、新田義貞を破り、勝利を収めた。
後醍醐天皇は敗戦を悟るといった。
「そちは申したな。例え尊氏が破れましても、第二の尊氏、第三の尊氏が現れますぞと。そちもまた肝に銘じておくがよい。よしや儂がここでついえても、儂の意志を継ぐ第二の後醍醐、第三の後醍醐が必ず現れよう。」
尊氏は後醍醐天皇に武家政権を再び認めさせ、室町幕府が成立した。
後醍醐天皇の後を継いだ南朝の正統性を訴えるために「神皇正統記」が書かれた。そこには、「日本は神国であるから日嗣の御子は変わることがない。」と書いてある。北朝の子孫である明治天皇も、南朝こそが正統な天皇家であると認めている。
天知る、地知る、我知る、汝知る。
赤橋登子は、夫が日ノ本一の権力者となったのを知って、日本でいちばん幸せな女だった。