姉妹の肖像
仲睦まじい姉妹の肖像
だが妹の姿は失われている
写真と呼ばれる細密な肖像は、絵とは似て非なるものだ
精巧な機械を用い、光によって景色や人の姿を写し取るそれは
失われた古い黄金の魔術に通じるものがある
写真の中の姉は変わらぬまなざしで
そこにいたはずの妹をいまも見守っている
朝、環いろはは目を覚ますと、部屋の中を見回した。
半分が欠けた部屋は、姉妹のものだったはずの部屋だ。
ふと、写真に目がいく。
妹と共に写っていたはずの写真だった。
写真の中で、虚空に慈しみの視線を向ける自分を見ると、消えてしまった妹を想う。
不自然なまでの欠落に気付いて以来、いろはの心は穴が開いたようだった。
いろははベッドから起き上がると伸びをして、頭と目を覚まさせつつ己を鼓舞する。
必ず妹の手がかりをつかみ、そして見つけ出すのだと。
そうして覚醒した五感は、最近部屋に起きた別の変化を捉えたのだった。
薪の焼けるにおいと、はじける音。
その源は、篝火だった。
部屋のちょうど中心に鎮座する篝火は、どこか姉妹に遠慮しているように思えた。
そして、篝火に頭を向けて寝転がる娘。
彼女もまた律儀に、部屋のどちら側にも寄らず静かに寝息を立てていた。
姉妹の領分を侵す気はないのだと、無言のうちに誓っているかのようだった。
そんな愚直さと、どこか滑稽さの入り混じった寝姿を見ていろはは苦笑する。
この奇妙な居候は──少なくとも彼女の主張するところによれば──どうやら自分が呼んだらしい。
あるいは自分の妹・ういが消失する前に呼んだのかもしれない、とも。
いろはは娘の顔を見た。
娘はいろはより、少し年上に見えた。
けれどいろはは同時に、その面差しにどこか幼さを感じた。
いろはは視線を移し、篝火をじっと見つめた。
篝火の薪はただの薪ではない。
燃えているのは、遺骨だった。
だが、不思議と遺骨への忌避感はなかった。
娘は、眠ったままだった。
別世界の眠りは、篝火がもたらす安息とは異なるそれだ。
安息を謳歌することは、人の大きな幸いのひとつだろう。
ならば不死とて、たまには真似事もよいものだ。
娘を起こさぬよう、いろははそっと部屋を後にした。
そして、その日も一人で朝餉をとり、出かける支度を済ませた。
「……行ってきます」
見送る者もなく、家を出ようとしたその時。
「気をつけてな、貴公……」
娘はいつの間にか起きて、玄関まで来ていた。
返事が来るとは思っていなかった。
だから、呆けてしまった。
それが喜びからくるものだと気付かないうちに、いろはは微笑んだ。
「うんっ……!」
娘に見送られ、いろはは学校へ向かった。
「ふふっ……」
思わず、いろはは笑った。
そして、娘が幼く見えた理由に思い至った。
娘は、どこか妹に似ているのだ。
しばし時を遡ろう。
ロスリック。
そこは火を継いだ、薪の王たちの故郷が流れ着く地。
彼らを連れ戻す旅も終わりは近く、残すはあと一人。
ロスリック城の深部、最後の薪の王が待つ大書庫に挑むべく、“灰”は準備を重ねていた。
待ち受ける英雄、怪物と渡り合うための準備は、いくら重ねてもやりすぎということはない。
己を高めるべく、ソウルを求めて亡者を斬り歩いていた灰は、奇妙な協力要請サインを見つけ足を止めた。
協力を申し出るのではなく、求めるためのサインは珍しい。
だが、それ自体は別段奇妙というほどのものではない。
奇妙なのは、そのサインに起きた変化だ。
灰はサインに触れ、それが示す要請者の名を口にした。
「た、ま、き……う、い……。この響き、東国の者だろうか……」
ロスリックの識字率は高い。
それは巡礼の地ロードラン、あるいはずっと以前から続く伝統である。
火の無い灰のみならず、不死にとって読み書きは必須と言っていい技能だ。
読み書きができなければ、メッセージから情報を得ることも、サインを書き助力を求めることもできない。
己を助けることのできない者はまた、他者に手を差し伸べることもかなわない。
それは火継ぎの旅路をより困難にするか否かというだけでなく、きっと多くの不死にとって看過すべきではない不名誉だろう。
正気や誇りすら捨て去った不死と言えど、捨てられぬものはある。
それを捨てなかったからこそ、灰は多くの尊いものを得てきたのだ。
助力を求められたなら、それに応えるのもやぶさかではない。
灰は「たまきうい」を助ける気があったればこそ、いったん篝火で休息し準備を整えることにした。
HP、FP、エストと灰の両瓶を満たし、武器は一等の物に持ち替えた。
そして、いざ召喚されるべしとサイン前に戻ってきた時である。
サインの輝きはそのままに、それを記した者の名「たまきうい」が忽然と消えてしまったのだ。
すわ
しばし考えるも結局どうこうできず、サインを破棄したものと思い先へ進んだ。
だが後日、新たなサインを見つけ灰はその考えを改めることになる。
「たまき、いろは……」
先日のサインの主、「たまきうい」。
その縁者と思しき名前を見て、灰は何か運命めいたものを感じた。
そして、今度はすぐさま要請に応じ、「たまきいろは」の世界へ旅立つのだった。
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晴天の下、庭園と思しき場所に灰は転移していた。
そして自らの体──霊体──が常のそれとは異なるものだと気付く。
「生身で召喚された……!?」
本来協力者は、白い輝きを伴う霊体として、別世界に召喚されるはずである。
だが灰の体は、限りなく生身に近いものだった。
「いや、これは古竜の頂で見た霊体か……?」
思い浮かぶのは、いつか見た特異な霊体。
古竜に至るを目指す戦士たち、彼らが目指す地で戦った霊体は、なぜか生身に近かった。
考察もほどほどに、灰はすぐに周囲を見回す。
そしておおよその敵の有無を確認すると、探索を始めることにした。
敷き詰められた石畳を踏みしめ歩く。
辺りには草木が植え込まれ、所々椅子が設置されている。
どうやらここは憩いの場のようだ。
少し歩を進めると、すぐに篝火が見えた。
不死の旅は、常に篝火と共にある。
なにはともあれ、まずは篝火を灯さない事には始まらない。
すっかり体に染みついた、様式美すら感じられる動きで灰は手を伸ばした。
通常、他人の世界の篝火は灯せない。
そのはずの篝火を灯し、灰はひとりごちた
「……やはり、いつもとは勝手が違うらしいな」
篝火は、最初の火から飛び散ったその火の粉である。
その中心には螺旋の剣が突き立てられており、不死の遺骨を薪に神秘の火は燃え続ける。
篝火は不死と共にあるが、その炎は永遠ではない。
それは命にも似ている。
不死でさえ、いつか終わりは訪れる。
だからこそ生命は、火の輝きと温かさに惹かれるのだろう。
灰は火を灯すと前方に目をやった。
柵の手前に、白い輝きが見える。
それはアイテムの存在を示すものだが、無警戒に拾おうとする灰ではない。
宝の前には卑劣な罠と伏兵が付き物だ。
灰は臆病なまでに周囲を見回し、柵の向こう側に亡者や奴隷がしがみついていないか、入念に確認してからアイテムを拾った。
臆病は不死の美徳であり、拾い物を失敬することは倣いなのだ。
灰が拾ったのは、別世界に侵入するための神秘のオーブ。
その亜種だった。
オーブは、かつて闇に滅んだ小国の業だが、こうした亜種は死者の異物である。
何者かの手にかかり魂を奪われた者は、その死体に特別なオーブを遺すことがある。
ソウルと肉体は密接な関係にあり、こと強大なソウルの持ち主は死亡すると骸を遺さないものだ。
だが、ここに死体はない。
オーブがある以上、死体もまたあるべきなのだ。
ならば死体はどこに消えたのか?
灰はただならぬものを感じた。
間違いなく、この世界に呼ばれた理由に関わりのあることだ。
灰は柵に手をかけ、遠くの街並みを見渡した。
晴天の下、人の営みがある、栄えた街並みだった。
火は陰り、亡者の跋扈する自分の世界とはまるで異なっていた。
灰にとって繁栄とは、過去にしかありえないものだ。
火の陰りは時の歪みに通じる。
ただ歩いて移動しただけでも、時間軸の異なる場所にたどり着くことはままある。
ならばここは過去の
灰は、ここを未来だとは思わなかった。
自分が火を継いでも、こんな輝かしい未来が訪れるとは思えなかったから。
現在位置を把握すべく、灰は振り向いた。
硝子張りの塔がそびえている。
どうやら無数の塔からなる建築物、そのひとつの屋上に自分はいるらしい。
灰の寄り道は、また途方もないものになりそうだった。
未知の場所にたどり着いた際、いつもそうしているように庭園を走り回る。
やっと探し当てた階段を降りる灰を出迎えたのは、今まで以上の未知だった。
精巧で壮大だが、どこか飾りっ気というか、風情のない建築に灰は驚いた。
だがそれ以上に一人も亡者が見当たらないことに、灰は静かに驚愕していた。
そして、そんな灰を人々は怪訝な目で見送っていた。
灰の旅は奇行に彩られており、それを訝しむ視線は慣れっこだった。
だが、今回のそれは今までとは毛色が違うようだ。
灰は人々の視線に、自らの服装を咎めるような意を感じ取っていた。
擦り切れ、汚れた服。
ロスリックでは珍しくもなんともないが、清潔に過ぎるこの地には似つかわしくないようだ。
武器すら携えた灰の姿は、客観的に見るまでもなく不審で物騒極まりない。
警邏と思しき二人組がこちらを見て話し合っている様子を見て、灰はようやく己の失態を自覚した。
とりあえず幻視の指輪を身に着け、遠い距離から自らの姿を隠す。
警邏からすれば目を離した一瞬で、突如不審者が消えうせたように見えたことだろう。
ひとまず灰は人気のない場所まで移動した。
「こんなことは初めての経験だ……。まずは着替えなければ……」
移動する間に見えた東国らしき文字や、行き来する人々の口ぶりから察するに、ここはどうやら修道院のない病院らしいとわかった。
信仰の関わらない医療は、灰に今日何度目かの衝撃を与えた。
灰の知る癒しとは奇跡であり、奇跡とは神への信仰からもたらされるからだ。
どうやら人の技のみで成り立っているらしい癒しは、灰の知的好奇心を大いに刺激した。
灰ははやる気持ちをひとまず抑え、この地にふさわしい装いを見極めるべく人々を遠巻きに観察する。
医療者と思しき者は、みな白衣に身を包んでいる。
先ほどの警邏らしき者は、紺色の上下に揃いの帽子。
それ以外は、おそらく市民。彼らは各人思い思いの、色とりどりの服を身に着けていた。
人々は装いを楽しみ、あるいは職務に応じた格好をする。
豊かさと、平和の証だった。
灰は己と、己の世界を少しみじめに思った。
そして平穏の価値を知らず、それを謳歌する者たちを微笑ましく見守った。
せめてこの地の人々には、自分たちのような思いをしてほしくないものだ。
灰は思索に戻り、ふさわしい服を吟味する。
襤褸や汚れがなく、鎧や戦闘服でなく、かつ、この地の服に様式が似た服。
灰は記憶をめぐらせた。
だが、ろくな服がない。
まず服の大半が鎧であり、厳密には服ですらない。
わずかな服の中から襤褸と汚れたものを除外すると、もはや数えるほどしか残らない。
さらに先ほどの市民の服と似ていないものを除く。
すると、ろくな服がない。
繰り返し考えるが、同じ結論にたどり着く。
それは火継ぎにも似た、悲しき繰り返しだった。
もう、多少目立つことは割り切って、少しでも仕立ての良い服に着替えよう。
堂々としていれば存外様になるものだ。
灰はそう考え、条件に合致する服に着替えた。
古めかしい平服。
古い黄金の魔術の国の平服だったそれは、その名の通り古めかしいものの要求に応えていた。
下は適当なズボンを穿けば、それなりに様になるだろう。
そう考えた灰だったが、自らの胸元を見て、それが浅はかだったと思い知る。
胸元が、大胆なまでに開いていたからだ。
開放的な服装の者はまばらに見受けられるが、それにしてもこの服ほどではなかった。
古めかしい平服はしかし、その名に反して新しすぎるきらいがあった。
灰は平服を脱いだ。
では、ロンドールの黒のドレスはどうだろうか。
仮面や籠手を身につけなければ、少々仰々しいものの着飾っただけと言い張れるだろう。
一度はそう思ったが、ここは病院である。
喪服に似た亡者のドレスは、傷病者を癒し、快方を祈る場所に適しているとは言い難い。
灰はドレスを脱いだ。
もはや全裸の方がましなのではないか。
絶望的な考えが灰の脳裏を支配しかけたその時。
強敵を前にして心折れ掛け、だが黄金のサインを見つけたように、天啓めいた考えが閃いた。
「修道服だ!」
修道服ならば市井で目立ちはしても、おかしいということはないだろう。
どうかこの地にもロスリックと似た信仰体系があってくれ。
灰は一縷の望みをかけて修道服に着替えた。
ちなみに、その修道服は一般的なそれではあるが、元ロンドールの者が忌みものに乞われて身に纏ったという、なかなかにろくでもない由来を持つ。
灰は修道女に扮すると、幻肢の指輪を外した。
表面上は堂々と、しかし内心は恐る恐る歩いてみる。
果たして灰の選択は正解であり、目下の課題は一応の解決を見た。
灰は静かにため息をつくと、次なる行動に移った。
「たまきうい……。貴公は、何者なのだ? なぜ私を呼んだ? そして、たまきいろは……」
灰を呼び、しかしその助けに応じられなかった者。
そして、おそらくその縁者であろう者を探すべく、彼女は探索を始めるのだった。
淡い瞳のオーブ
里見メディカルセンターに残っていた神秘のオーブ
おそらくは環ういに関わるもの
彼女が消えた原因のある世界に侵入し
その秘密を解き明かせば、あるいは彼女に見えるだろう
瞳が見つめるものは多く、しかしそのいずれにも
穏やかなまなざしを向ける
きっと多くに愛され、そして愛していたのだろう