―――月が綺麗な夜だった。
空に浮かんだ白く美しい月の輝きを未だも覚えている。
吐き出す息が白く染まるほどに冷たく澄んだ空気、雲一つ無い染め上げたような黒一色の空にぽっかりと月輪が映し出されていた。
「やくそく」
差し出した指先に、隣に座った少女が少しだけ戸惑った。
月の光を受けて輝く長い長い腰まで届く銀糸がはらりと舞った。
夜の闇の中で尚、妖艶なほどに光る紅い瞳は、けれど戸惑いに揺れていて。
「やくそく、するから」
まだ幼かった
先ほどまでとは違う、肩の力が抜けたような柔らかな笑み。
「うん……約束」
差し出した指先に、もう一人分の指が絡まる。
触れた指先の暖かさに、
指切った。
それは約束。誓い、そして契り。
「ぜったいに、ぜったい」
まだ幼かった
それでも。
全てを賭けて良いと、あっさりと思えるほどに。
どうしようも無いほどに。
「むかえにいくから」
必ず、必ず、必ず。
「きみをむかえにいくから」
だから、その時は。
「――――――――」
告げる言葉、すでに何度も言ったはずの言葉。
それでも少女は少しだけ瞳を揺らして。
ふっと、
「うん」
そして唇に触れた柔らかい感触。
「……うん、待ってるよ」
困ったような笑みを浮かべながら、少女はそれでも頷いた。
その行為の意味すら理解できないほどに幼い
それでも確かに、少女は頷いたのだ。
…………。
………………。
……………………。
幼き頃。
冬の日に交わした約束。
そして。
あの日から十年が経って。
* * *
傾けたジョッキ。
喉奥へと流れ落ちていく
机の上に残った串焼きの最後の一本に齧りつき、またジョッキを傾ける。
胃の中に流れ込んでくる強い炭酸に、げっぷが出る。
「げっふ……くう」
溢れ出る多幸感を噛み締めながらまたジョッキを傾けて……中身が無くなったことに気づく。
舌打ちしながら追加で注文をしようとして。
「……うげっ」
それほど多くない手持ちを数え直せば今食べている分の勘定でぴったりと言ったところか。
さすがに宿代も払えず野宿というのは勘弁して欲しい。
後ろ髪を引かれる思いをしながらも諦めて酔い覚ましに水をちびちび飲んでいると。
「すみません、相席お願いします」
テーブルの上の空になった皿をさっさと片付けながら給仕の少女がそう告げてテーブルの向かいに一人の少年を案内してくる。
テーブルに着き、適当に食べる物を注文している少年を見やる。
まだ年若い少年だった。十三か四か、そこらだろうか?
まあこの
どことなく垢抜けない印象を抱かせる良く言えば素朴、悪く言えば地味な少年だった。
どこか田舎から出稼ぎにやってきた子共、と言ったところか。
そんな風に少年のことを見ていると、少年がこちらの視線に気づく。
「あの……俺が何か?」
「ん? ああ、いや、お前さん、冒険者か?」
「へ? ああ、はい。そうです」
冒険者というのは良く言えば便利屋、悪く言えば雑用係だ。
言っては何だが食い詰め者が犯罪に手を染める前になる職業、みたいなイメージを世間からは持たれているのは否めない。
ただ田舎というのは経済が回っていない。
物々交換なんて当たり前だし、偶にやってくる行商に物を売って必要な物を買う、その程度であり当然ながら手に職を持っていない人間は食いあぶれる。
その日その日を精一杯生きている村人たちにとって、他人の面倒を見る余裕なんてあるわけも無い。そんなわけで田舎の村の次男、三男坊というのは村を出て街にやってくる。
とは言え街は街で田舎とは別のルールで社会が築かれている。当然ながらルールすら知らない余所者がいきなりその輪に入れるわけも無い。
そうしてあちらこちらであぶれた人間たちでも受け入れられるのが冒険者という枠組みなのだ。
「お前さん、新人だろ」
「あ、はい、そうですけど……えっと、どうして?」
便利屋として使われている間はまだ良いのだ。
街中の
だが、街の外での依頼、となると話ががらっと変わって来る。
「冒険者って職業に夢でも見た口か? そんな重鎧買うやつなんて、騎士団の連中か新人冒険者くらいだよ」
この世界には
魔物は世界中に存在しており、どこにでもいて、その全てが人類に敵対している。
故に魔物と戦うための戦士、というのはどこに行っても必要とされる。
だが戦う技術というのは一朝一夕で身に付く物では無い。故に『戦える人間』というのが必要とされるのだ。
騎士団というのはその地を治める領主が領内に蔓延る魔物を打ち果たし領内の安全を確保すべく編成した独自の軍隊であり、言っては何だがその領において『重要』とされる場所を守るための存在だ。だからこそ小さな村々に軽々しく派遣されるようなものでは無いし、派遣が決まったとしてもその腰は重い。
だが街々に『魔物避け』が敷かれている以上、『発生』した魔物を真っ先に見つけるのは現実には各地に存在する小さな村々なのだ。
そんな時に必要とされるのが便利屋、つまり冒険者である。
便利屋とされるが、現実には冒険者の役割の半分以上はこの魔物討伐にあると言っても過言ではない。
故にこそ必要されるのだ……英雄が。
魔物というのは時折、人類の理解を遥かに超えたような物がいるのだ。
日々厳しい戦闘訓練を行う騎士団ですら一蹴してしまうほどの強大な魔物が現れた時、群を蹴散らす強大な個を打ち果たすのは同じ強大な個でしかあり得ない。
そう言った強大な個を、人類の内から現れた人類の枠を大幅に超えたような存在を。
『英雄』と呼ぶのだ。
故にこそ、人々は英雄を畏れる、だが同時に憧れもする。
実際その名声は計り知れないものがある。
だからこそそんな英雄に憧れ、夢を見て冒険者になる者も多い。
同時に現実を知って『折れる』者もまた多いのだ。
* * *
魔物というのはどれもこれも大抵が人間より丈夫な体を持ち、力が強く、素早い。
ただ魔物がふるう力はあくまで自らが持ち得るものでしかない。
だが人間は自らの限界を知り、強力な武具を装備することで魔物を凌駕する。
特に技術の未熟な駆け出しの
そう言われて勧められるままにこの鎧を買ったことを目の前の男へと話せば。
「馬鹿じゃね」
きっぱりと、そして即答で男はばっさり切り捨てた。
「そんな重い鎧着て素早く動けるほどお前さんの力は強いのか? 長時間動けるほどの体力があるのか? そもそも鎧ってのは全身にずっしり重みがあるもんだ、当然『動き方』一つとっても軽鎧とは変わって来る、つまりある程度の訓練を必要とするんだよ……お前さん、受けたことあるか?」
「それは……」
正直力が強いわけでも無いし、体力も人並み以上にはある自負はあるがこの鎧を着てフルマラソンできるかと言われればまた話は別だ。さらに言うなら鎧を付けて動く訓練なんてものは当然したことが無い。
「要するにお前さん、カモにされたんだよ。そっちの片手剣と小楯も勧められたのかい?」
問われて頷く。
片手剣というのは扱いが簡単なのだ、と。
そして小楯も軽く扱いやすく、初心者にはお勧めである、と。
「大馬鹿だな」
またしてもあっさりと切り捨てられた。
「片手剣が扱いやすい? そりゃそうだろう、初心者がそんな短い刃渡りで切れるのなんて、動かない木の枝くらいだろうけどな。小楯は軽くて扱いやすい? 軽い盾なんざ矢避けくらいにしかならんけどな。当たり前だがその小楯で魔物の攻撃をまともに受け止めたら腕が折れるぞ?」
そもそもだ、と男が嘆息しながら話を続ける。
「鎧が糞みたいに重いのに軽い剣と盾持って何の意味があるんだ?」
問われてみれば『その通りだ』と思うのだが、あの店で勧められた時には『なるほど確かに』と思っていた。
「素直過ぎるな、最初の鎧の時点で良いカモだってほくそ笑んでただろうよ」
「そんなにダメですか、この装備」
「実際依頼受けてみたか?」
「……はい」
「どうだったんだ?」
問われた言葉に返す言葉が無い。
何せ『全く以てその通り』だからだ。
周辺で最弱と呼ばれる魔物と戦うことすら苦戦する。
重い鎧は動きが鈍るし、剣が短く攻撃が届かない。盾は軽く魔物がぶつかって来るのを受け止めようにも衝撃で態勢が崩れる。
それを告げれば目の前の男は『ほら見たことか』と小馬鹿にしたように鼻で笑う。
「はっきり言うがその鎧と剣売ってさっさと冒険者なんて引退しちまえ。それで田舎で家に頭下げてでも畑でも耕しながら暮らしたほうがよっぽど幸せになれるぜ」
告げられた言葉に、かあ、と目の前が真っ赤になる。
「それはダメだ!!!」
思わず飛び出した大声だったが、周囲の賑やかな声にかき消されていく。
だが目の前の男は自身の突然の態度の変化に目を丸くしていた。
「ふむ? 単純に憧れってわけじゃ無さそうだな」
だがすぐにこちらを興味深そうに見つめ、顎に手を当てながらぶつぶつと呟きだす。
無遠慮なその視線に少しだけ身を竦ませて。
「お待ちどおさまでーす。お料理お持ちしましたよー」
こちらの緊張をかき消すかのように給仕の女性が目の前に料理の載った皿を並べていく。
目の前に並べられた美味しそうな料理にごくり、と喉が鳴った、直後。
「お前さんよ」
すっと伸びてきた腕が、その手に持たれたフォークが、皿に載った肉料理を一欠片突き刺して持っていかれる。
「あ、ちょ、俺の」
「なあ、お前さん」
ぱくり、と口の中に放り込まれた肉に愕然としていると、人の料理を盗っておきながら一切悪びれる様子も無く男がニヤリ、と笑みを浮かべる。
「何で冒険者になった?」
「は?」
「理由だよ、理由……その様子だと、英雄に憧れて、なんて馬鹿な動機じゃ無さそうだろ?」
「……。金だよ、金。金が必要なんだ。何てことの無い俗な理由だよ」
少し不快な気分になりながらも、けれど隠すようなことでも無いかと
だが自分のそんな答えに、男がいかにも楽しそうに口元を歪ませる。
「いやいや、良いね、良いぞ。憧れなんて馬鹿な感情じゃなく、お前さんはちゃんとしっかりと根がある。しっかりとした
怖くなった。
目の前の男が。
その言動が不審だから……ではない。
己の心を見透かすような男の目が、怖い。
「俺はな冒険者組合で教官をしている」
「教官?」
「そうだ……金を払って冒険者としての技術を教える。まあそういう制度があるんだよ。最も大半のやつらは知らねえがな」
そうだ、そんな制度知らない。聞いたことも無い。
「登録時には説明してねえからな。だが一度でも組合に技術なんかを教えて欲しいと相談すれば教えてもらえる……ま、利用者なんてお察しの通りだが」
目から鱗である。もし事前に知っていれば……いや、それでも使わなかっただろう、何せ。
「知っていても使わねえやつも多い、そりゃそうだ、今更学んでる暇があるなら一つでも多く依頼を熟して評価を上げて金を稼ぎたい、そんなやつらばっかだからな」
男の言葉に頷く。
きっと自分も事前に知っても同じことをしただろう。
「それでも多少は教えてる奴らも
男はそこで言葉を溜め。
「百万ゴールドだ」
呟いた。
余りにも唐突な言葉に、意味が分からず首を傾げ。
「百万ゴールド稼げる冒険者になりたくないか?」
続けられた言葉に硬直する。
視線を上げ、男を見やり。
「っ?!」
ぞくり、と背筋が寒くなるような感覚を覚える。
だがそんなこちらの事情など知ったことじゃないとばかりに男はこちらにフォークを向け。
「お前、俺に育てられてみないか? もしお前が俺の言うことを全て従順に聞き、俺の指示に全て服従し、俺の命令を全て熟したなら」
―――その時は。
「お前を半年で百万ゴールド稼げる冒険者にしてやるよ」
返答や如何に?
1ブロンズ=10円
10ブロンズ=1シルバー=100円
100シルバー=1ゴールド=10000円
100万ゴールド=100億