「……認めよう。最終選別へ行く許可を与える」
そう言いながらも、育手の表情は気乗りしない様子だった。
「だが、いいのか? ──もし、夜に鬼と遭遇すれば、無事ではすまないだろう」
「はい。覚悟の上です。夜に鬼と対峙して、勝てるとは思っていません」
小夜は貸し与えられた刀を強く握りしめ、まっすぐに育手を見上げた。
「しかしながら、私は狩人です。狩られる前に狩ればいい」
心配性の師匠を安心させようと、小夜は不敵な笑みを浮かべた。
「狩りの腕なら、鬼に負ける気は致しません」
小夜の猟の腕を認め、渋々ながらに最終選別参加を認めてくれた育手の顔を思い出す。
辛うじて全集中の呼吸を身につけられたものの、小夜の剣技の腕は鬼狩りとして不安の残るものだった。
最終選別では邪道な受かり方をした自覚がある。夜間は息を潜めて鬼をやり過ごし、昼の間に鬼を殺してまわった。同期からは遠巻きに侮蔑の視線を向けられていた。
選別の後半には、何人かの参加者が理解を示してくれていた。後から聞いた話では、小夜の鬼殺数はその回で最多だったらしい。
それでも、剣に優れた隊士たちは、頑として小夜を認めようとはしなかった。
──はずなのに。
「これは鬼の足跡だろうか?」
目の前には白髪の隊士。群青の羽織を身に纏い、身の丈に対してやや大振りの刀を帯びている。
赤い異形の瞳が、小夜の顔を覗き込んでいた。一面に盛る紅葉と同じ鮮やかな赤色が、真っ直ぐに小夜を見つめている。
「猪だね。鬼にしては小さすぎる」
「土の抉れ方が、前に教えてもらった鬼の爪痕に近いと思ったんだが……」
難しいなと呟いて、明は眉根を寄せた。
明と合同任務をした数日後、明は小夜と同じ風柱の担当地区に配属された。
それまでは、同地区三十余名の隊士のうち、小夜はただ一人の女性隊士だったため、警備を任されている山間部付近の家に一人暮らしをしていた。
地区内には合同宿舎や鬼殺隊の所有する家屋が散らばっており、希望する隊士に貸し出されている。小夜が借りているのも、そのうちの一つだった。このような家屋のほとんどは殉職した隊士から寄付されたものであり、小夜の家もその例に漏れない。
明が風柱の地区の二人目の女性隊士となったため、小夜との同居が自動的に決まった形である。
同じ家で暮らすにあたり、敬語を使い続けるのも息が詰まるだろうと、砕けた口調で話すようになっていた。
とはいえ、小夜と明が家で顔を合わせる時間は存外に少ない。
小夜の主な任務は山間部の警備である。藤の家紋の家の人々を定期的に尋ねて情報収集したり、人里に近い主要な山々に入って鬼の痕跡がないか確認するのが日課だ。他の地区の山で鬼が出たときに応援に呼ばれることもあったが、これらの業務は全て日中に行われている。
対して、明の任務は夜に行われる。夕方から明け方まで、警邏や鬼殺の任務で方々へ出張っていた。甲という階級故か、それとも小夜と違って地形を選ばず任務を遂行できるためか、頻繁に鬼殺の任務に駆り出されているようだった。
このように昼と夜で勤務時間が真逆なうえ、場所によっては任務先で一泊することも珍しくないことから、家で時間を共にすることが乏しかった。
「────見つけた」
小夜の言葉を聞きつけた明が、張り出した木の根を踏み越えて近寄ってきた。
「ここ」
肩のあたりの高さの枝を指し示す。折れた枝先が皮一枚で繋がって垂れていた。
「小枝が折れているでしょう。この高さなら、人か鬼の可能性が高い。この辺りで足跡を探そう」
明は生真面目な顔で枝の断面を観察している。幼さの残る彼女の横顔を見るたびに、不思議な気分になる。
この人は、何故、私の技術をそんなにも評価してくれるのだろうか。
本来、これは彼女の任務ではない。明は昨晩、鬼殺で遠出してから帰ってきたばかりで、今晩も警邏の任務があるらしい。その忙しい中で、「小夜の跡追い技術の手ほどきを受けたい」と、任務でもないのに小夜の鬼殺に同行している。
明の休養の時間が無くなると止めたが、「仮眠は取った」「明日の夜は非番だ」「小夜が藤の花の家を訪ねている間に休んでおく」との一点張り。「甲の体力を信じてほしい」とまで言われれば、上官でもある明に対して何も言えなくなってしまい、今に至る。
甲とはいえ、明らかに小夜よりも年下だ。振る舞いや、甲の階級に足る実力から、小柄な十四か十五ぐらいだろうと当たりをつけているが、それにしても若すぎる。
もしかすると、その若さゆえに小夜の技術が物珍しく、興味を持ったのかもしれなかった。
明との合同任務の直前は、「鬼の隊士」「半年足らずで甲になった怪物」と聞いていたので、随分と緊張していたのを思い出す。隻腕の剣士という話から、片手で刀を振り回せるような筋骨隆々の大男を想像して怖がっていたのだが、実際に合ってみたら自分より年下の子供だったので、拍子抜けてしまった。
それでも甲の隊士であるというのには変わりないので、機嫌を損ねないようにと、敬語を使っていたのが懐かしい。これほどに下級の隊士に気さくで、まして小夜の技術に敬意を払うような甲の隊士がいるとは、思ってもみなかった。
鬼が踏み割ったらしい枯葉を見つけ、もう一度、明を呼ぶ。丁寧に特徴を説明すれば、やはり真面目に頷きながら聞いていた。
足跡から方向がわかったので、ここからは早いだろう。
小夜は頼まれた通り、見つけた痕跡の全てを明に説明しながら進んだ。
──最終選別の時も、こういうやりとりをしたことがあった。
胸の奥に、僅かな疼痛が走った。
あれは確か、五日目あたりだったか。小夜の鬼殺に興味を持った少年──六太に、こうやって痕跡を教えたことがあった。
清子と
──しかし、小夜を認めた同期は、全員殉職した。
彼らは剣術に自信がなかったのだろう。だから、小夜の技術に興味を示したのだ。鬼を殺す、刀以外の方法に。
──私だけが生き残った。
彼らよりも弱かった私が生き延びているのは、ただ、昼間に安全地帯から鬼を狩っているという、それだけの理由に過ぎない。自分だけが安全圏からの任務を許されている。一度だけ会った風柱には適材適所と言われたが、時折、申し訳なくてたまらなくなる。
「────何かあったか?」
隣を歩く明が小夜の顔を見上げていた。山の中で目立つ白い髪が、木漏れ日を弾いて輝いている。
声をかけられてはじめて、険しい表情をしていたことに気づいた。
「いや、なんでもない」
そっけなく返してしまってから、曲がりなりにも年下相手に不愛想な態度をとったことを悔やんだ。
この邪道な鬼殺が認められることなどないと思っていたのに、何故、明はこれほどまでに小夜に敬意を払うのだろう。
同居相手に軽んじられるよりはよほど良いし、どのような相手であれ、評価されることは嬉しい。けれども、この奇妙な同居人の考えることが理解し難かった。
「以前のを型の形に整えてみた。見ていてほしい」
鬼の巣を見つけると、明はすぐさま抜刀して跳び上がった。
────風の呼吸 伐ノ型 鎌鼬
枝の間を縫うように刀が閃き、滑らかに枝葉を斬り落とす。最後の一振りを終えて明が離脱するのを見届け、小夜は鬼の巣を爆破した。
土煙が上がってからも、しばらく刀を構えていた明がこちらを向いた。鬼の死を確認したらしい。
「どうだった?」
言外に、できそうか、と問われている。真顔で首を振って答えた。
「私には無理。水の呼吸だって上手くできないのに」
「そうか。次はもう少し単純化してみる」
そういう問題なのだろうか、と小夜は内心で首を捻った。
──小夜は「跡追いの技術は誰でも身に着けられる」と言っていた。
しかし、これを習得するのには時間がかかりそうだ。
「紫苑、風柱様に討伐報告よろしく」
鎹鴉に声をかける小夜を見ながら、改めて、今日目の当たりにした小夜の技術を思い返す。微妙な痕跡を過たずに掬い取る小夜の観察眼は、神がかっているようにさえ見えた。
小夜の鴉は、少し離れた枝に止まって待機していた。一声鳴いて飛び立った後ろ姿を、共に見送る。
「……あの子、人見知りとかはないはずなんだけど。明のこと、少し怖がっているみたい」
小夜は不思議そうに首を傾げた。
「私の気配が鬼に近いからだろう」
明はこともなげに答えた。もう、諦めがついている。むしろ、自分と平然と共同生活を送っている小夜の方が異常に思われた。
「そこまで怖がるほど? 私が鈍感なだけかな」
明の異形の目に対しても嫌悪を示さない小夜といるのは気が楽だ。真菰とはあれから少し気まずくなっていて、しばらく手紙も書けていない。
「……前はこれほどではなかったはずなんだが」
「────最近からなの?」
「育手の元にいた頃は、動物に避けられた覚えがない。そうだな…………選別の後から、かな」
あの頃から、藤の花の香りが苦手になった。
さすがにそこまでは言う気になれず、明は沈黙する。
「目の方は、生まれつきなんだよね」
「ああ。肺の方も、普通の人間より頑丈らしい。だが、育手から気配について言及されたことはなかったから、こちらは入隊後からのはずだ」
藤の香りに対する嫌悪感と、鬼に近い気配。それ以上の変化は今のところはないものの、いつかは日に焼かれるのではないかと、嫌な予想を振り払えずにいた。
「………………返り血、じゃないかな」
返答を聞いてから長らく考え込んでいた小夜が、不意に口を開いた。
「入隊前後での変化なら、鬼の血を浴びたか浴びてないかが鍵なのかなって。確かなことは言えないけど……」
訝し気な明の顔を見て、小夜が付け足した。最後の方は自信なさげに声が小さくなっていた。
「────なるほど」
思わず、軽く唸った。
──今まで、体質の変化に怯えるばかりで、原因など考えてもいなかった。
否、最大の原因なら分かりきっている。鬼の血を引いているせいだ。しかし、何故それが今になって急速に変化しているのかという点については、思考から抜け落ちていた。
言われてみれば確かに、可能性としてはある。むしろ、何故今まで思いつかなかったのかと、目から鱗が落ちる思いだった。
少しの過ちが命取りになるため、血除けの頭巾や手袋などの、任務の邪魔になる可能性があるものは身に着けたくない。しかし、極力、返り血を避けるように動くことならできる。
藁にすがるようなものかもしれない。しかし、試してみる価値はあると思えた。
「ただの思い付きだから、あてにならないけど……」
「──いや、助かる。ありがとう」
ぐつぐつと鍋が煮える。今日の夕飯は明の好物の牛鍋だ。醤油の匂いが明の鼻腔をくすぐった。寒くなってきたこの時期に食べる鍋はたまらない。温かな湯気を嗅ぐだけで、口内に唾が湧いた。
連日の鬼殺のとどめに、日中の小夜の任務の同行と夜間警備を連続でこなした明は、今日の非番を半日寝て過ごしていた。あまり多くはない小夜の鬼殺の機会を逃すまいと、甲の階級を盾に無理に同行したが、やはり負担は大きかった。今朝は清拭もままならず、隊服のまま布団に倒れ込むように寝てしまった。
そして、起きたのが夕方である。明が寝ている間に小夜が夕飯の下拵えを終えていたらしく、起きたときには準備が全て完了していた。小夜も任務で疲れているだろうに、明を気遣って寝かせていてくれたのだ。感謝しかない。次は自分が夕飯の用意をしようと心に誓った。
隻腕を言い訳にはしたくないが、明は料理が苦手だ。片腕だけで食材を扱うのが難しく、いつも不格好なものになってしまう。小夜はそれに対して文句ひとつ言わずに美味しいと言って食べてくれるのだから、気遣いが身に染みた。遠藤師匠の下で練習しておいて良かったと、今更ながらに思う。
椀によそわれた肉を頬張る。醤油の味の染みた肉の食感を存分に味わった。
鎹鴉の晴彦と紫苑も、部屋の隅で美味しそうに肉を啄んでいる。彼らには味をつけていない肉片が振る舞われていた。寒い時期なので、この頃は鴉も屋内で暖を取っていることが多い。明が入居して数日は頑なに家に入ろうとしなかった紫苑も、急に冷え込んだこの頃は、恐々としながらも家に入っているようだった。
家で、湯で身を清めて、暖かいご飯を食べ、柔らかい布団でゆっくりと寝れる。なんと贅沢な暮らしだろう。半年近く、放浪生活に近いものを送ってきたゆえに、今の生活が素晴らしく感じられた。
「……明って、肉が好きだよね」
「そうかな」
唐突な小夜の言葉に、明は曖昧に答えた。
「この前、狸鍋を作った時も美味しそうに食べてたし。慣れない人には獣臭がきついものだけど」
「小夜の調理の仕方が上手かったからだろう。あれは美味しかった。機会があれば、また食べたい」
小夜の優れた観察眼と洞察力は、狩りに限定されたものではない。その視線が、たまに、痛く感じる時がある。
実際のところ、肉は明の好物だった。しかし、それが自分の鬼の目と結び付けられてしまいそうで、煉獄家を出た後は公言を避けるようにしていた。真菰と食事をした時も、肉料理を頼んだことはない。
「……小夜って幾つだっけ」
鍋の具を椀に注ぐ小夜の手際を見ながら、なんとなしに口にした。思えば、小夜の歳を知らない。そも、自分よりも年上の子供と接した経験が少ないため、見た目からの年齢推測に自信がなかった。
「十六。明は?」
「十二」
「──まだ十二だったの!?」
小夜が驚きの声を上げる。明は歳のわりに背が高い方らしく、実年齢よりも上に見られることが多かった。とは言え、ここまで驚かれるのは初めてだが。
小夜の驚きようが面白く、笑みを溢すこと束の間。
「私が明の歳の頃は、刀なんて握ったこともなかったよ」
明は目を瞬かせた。
明も杏寿郎も、筆より先に竹刀を握るような育てられ方をしていた。真菰も、物心つく前に育手に拾われ、幼少の頃から剣の指導を受けていたという。
真菰以外の隊士と深く話し込んだことがなかったため、一般人出身の隊士の来歴を聞くのは初めてだった。
小夜は猟師の家の出だと言っていたので、刀に縁のない生活をしていたのは当然なのだが、改めてそれを突きつけられると妙な気分になる。
「……小夜は、いつから剣術を始めたんだ?」
「十五になってすぐ、だったかな」
──十五。
いつだったか、遠藤師匠に言われたことを思い出す。師は『選別に行くまでの修業期間は、平均して一年ほど』だと言っていた。技術があっても身体ができあがっていないために二年も滞在した明は、例外中の例外だ。
──小夜は、剣術を習ってから二年も経っていないのか。
今更ながらにそのことに気づいて動揺した。
次いで、羞恥。
自分は、年上なのに稚拙な型しか扱えていない隊士に憤っていた。
その了見がそもそもの間違いだったのだ。両腕があると言っても、彼らの剣術経験は明よりも浅い。自分の方がはるかに先輩だったのに、彼らを蔑んでいた。煉獄家にも遠藤師匠にも顔向けできない愚かさだ。
私が任務中に彼らを守り、気遣うのは、当然のことだったのだ。私は先達なのだから。
箸を持つ手に力が篭る。
今までの自分が、恥ずかしくて、情けなくて、たまらなかった。──自分の何処が誇りある剣士と言えるだろう。誇り高い人間たれという養母の言葉を、私はむざむざと踏みにじっていたのだ。
「……明?」
「ああ、すまない。驚いてしまって。前にも言った通り、私は赤子の頃に育手に拾われたものだから」
苦笑いをして見せる。
「小夜のような経歴の人の方が多いのだったね。その事を、すっかり忘れていた」
実はこの時点で鬼の討伐数が五十人を越えています。
三日に一度の鬼殺を五ヶ月続けているので。