鬼子の剣士は夜明けを望む   作:安代圭

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第12話 腥

 夕暮れの雑木林に、刀を握る人影があった。

 ────合の呼吸 離ノ型隻式 履錯然(りさくぜん)

 低く薙がれた剣筋。刀から火の粉の幻影が吹きあがる。鬼の脚をも容易に両断する、機動力を奪う一撃。

 少女は小さく息を吐き、刀を構えなおす。

 ────合の呼吸 離ノ型隻式 黄離(こうり)

 踏み込みと同時、斬り下ろしと斬り上げの二連撃。二条の赤い軌跡が鋭角をなし、火炎が薄くたなびいて消える。

 また、構える。

 ────合の呼吸 離ノ型隻式 日昃(にっしょく)

 眼前を刀が鋭く斬り裂く。空気と擦れたかのように、ぱっと火花が舞い散って消えた。不知火ほどの重さはなく、代わりに速さに優れた斬撃。

 離ノ型。──それは、合の呼吸に存在する、唯一の独自の型だ。明の二人目の師・遠藤が編んだ、六種一揃えの型の総称。

 ────合の呼吸 離ノ型隻式 焚如(ふんじょ)

 これら合の呼吸と離ノ型を継承した剣士は、明ただ一人だけだ。明以外の弟子たちは、多くて二つの呼吸しか教わっていない。全てを修めるほどの修業期間がなかったためだという。

 師匠自身、継承は諦めていたのだと語っていた。これを継ぐ者が現れるとは思っていなかったと。

 ────合の呼吸 離ノ型隻式 嗟若(さじゃく)

 遠藤師匠の適性は炎の呼吸にあった。故に、離ノ型の全ての技は、炎の呼吸を基にしている。

 離ノ型という型名自体、炎の呼吸の系譜であることを示す。八卦において火を象徴するのが「離」、六四卦で離を縦に二つ重ねたものも「離」と呼び、この通称を「離為火」という。六種の技のそれぞれが、この離為火から名をつけられていた。

 ────合の呼吸 離ノ型隻式 折首(せつしゅ)

 この最後の型が、最も原形の動きに近い。炎の呼吸の壱ノ型、不知火とほぼ変わらぬ軌道と重さの袈裟懸けの斬撃。違うのは最初の構えぐらいのものだ。

 六つの技を一巡して、明は刀を納めた。警邏前に体を温めるには、これで十分だ。

 明がこの離ノ型を全て修めたとき、遠藤師匠は今までにないほど満足げな笑みを浮かべていた。

 遠藤師匠は鬼子である自分の事を、驚くほどよく気にかけてくれている。煉獄家を出たときと同じように、入隊後は接触を断つことも覚悟していたのに、あろうことか先日受け取った手紙には「偶には顔を見せろ」とまで書かれていた。鬼子の育手などというのは汚名にしかならないだろうに、遠藤師匠は明の事を他の弟子たちと同等に扱ってくれている。まったく、頭が上がらない。

 懐に忍ばせていた手紙を取り出し、何度も読み返した筆跡を辿る。日が沈み、光源に乏しい中でも、真円に開ききった明の瞳孔には尊敬する師の文字がはっきりと映っていた。

────────

我が弟子へ

 肌寒さが身にしみる冬隣、甲の隊士となり立派に務めを果たしていると風の噂で聞いた。陰ながら栄進を祝福する。門下の弟子が活躍している事、師として誇らしく思っている。驕らず、功を焦らず、これからも堅実に励むように。

 相談の件について書く。その猟師の技術に長けた隊士の件について、非常に興味深く思う。隊の鬼殺の状況を変える可能性は十分にあるだろう。一度、そちらの地区の長である風柱に相談することを勧める。若いとはいえ甲であるので、無碍にされることはないはずだ。もし不足があれば、私からも一筆添えると約束する。

 こちらの近況についても記しておこう。先日、坂口が同僚と共に顔を見せに来てくれた。その同僚は小野塚要一と言うのだが、お前も任務を共にしたことがあるようなので知っているだろう。彼は水と岩の呼吸を修め、現在は独自の呼吸と型を開発中らしい。研究熱心な剣士を見ると気分が良いものだな。お前も型に嵌らず、拘らず、伸び伸びと自分の剣を探し、極めてほしい。

 …………

────────

「────鬼発見! 鬼発見!」

 鴉の声が、明の耳をつんざいた。

 手紙を懐に押し込み、明はすぐさま声が聞こえた方角へと駆け出す。

「──晴彦、案内を!」

 大きく羽ばたいた黒い影が、滑るように空を飛ぶ。その速度は、全力で駆ける明と変わらない。明は塀を飛び越え屋根の上を走り、一直線に鴉を追った。

 耳に叩きつける風音の中に悲鳴を拾い、明は声の方向へと屋根を蹴って飛び降りる。

 ──いた。

 鬼の姿を捉え、落下しながら抜刀する。鬼の後ろに人の姿が見えた。生きているのかいないのか。──どうか、間に合え。

 着地の衝撃をそのまま前進に変換して跳びこむ。

 ────炎の呼吸 壱ノ型隻式 不知火

 鬼は斬られるまで明の存在にすら気づかなかった。斬首の衝撃と血圧で鬼の頭が上に飛ぶ。食欲で血走っていた鬼の目が、急に爆ぜた視界に見開かれた。

 明は斬撃と共に跳び退り、胴体から吹きあがった血飛沫を避けた。ここ最近でこの動きにも慣れた。一撃離脱の身のこなし方は、随分前に見せてもらった真菰の足捌きを参考にしている。

 遅れてばたばたと地面に降り注いだ血の雨と鉄錆の匂いに、明は唇を引き結んだ。返り血を避ける己の動きは殺しの罪を厭い逃げるかのように思えて、言い知れぬ罪悪感が伴った。

 肉の感触がまだ手に残っている。成り立ての鬼だったのだろう、酷く柔い手応えだった。────被害が増える前に斬れたのだ。それを喜ぶべきなのに。

 血払い、納刀。刀と共に思考も収め、人影の安否確認に移る。

「……お怪我はありま────」

「────人殺し!」

 背の塀にへばりついていた着物の娘は、明が視線を向けた瞬間に絶叫した。

 娘を助け起こそうと伸ばしかけた手が止まる。

 腰が抜けているのか、上手く立ち上がれずにいながら、這うようにして鬼の頭の傍に寄っていく。そのまま、焼け崩れていく鬼の頭に腕を伸ばした。

 ──危ない、と止めようとした。噛まれれば大怪我をする恐れがある。

「──兄さん!」

 白い手が鬼の頭を抱きかかえた。

「兄さん! 兄さん、なんで────!」

 泣き叫ぶ悲痛な声が繰り返される。娘の腕の中で灰になっていく鬼の頭を見下ろして、明は立ち尽くしていた。

 

 

 物音を聞いた気がして、小夜は布団の中で薄目を開けた。

 暗い。障子越しに差す光が薄かった。まだ日の昇りきらぬ早朝なのだろう。

 布団から指先を出してみたが、外気の寒さに、すぐに手を引っ込める。

「悪い。起こしたか?」

 襖を閉める音と潜められた明の声を聞いて、小夜は自分が起きた理由を察した。寝返りを打って明を見上げる。

「今日は非番だから、大丈夫」

 昨日は寝るのが早かったのだと続けようとして、小夜は口を止めた。

 薄暗い中で見えにくいが、隣の布団に腰を下ろした明は酷い顔色をしていた。

「……怪我でもした?」

 小夜は布団を撥ね退けて身を起こした。寝巻の隙間に入り込んだ空気が寒くて、軽く身震いする。軟膏と包帯は切れていなかったはずだ。育手から一通り教わった応急処置の仕方を頭の中で反復する。

「いや。怪我は、していない」

 明の声は普段より数段低い。早朝故の周囲の家への気遣いだけでは説明しきれぬ暗さがあった。かける言葉に迷い、沈黙する。

 億劫そうな所作で隣の布団に潜りこむ明の背を、何も言えぬまま見ていた。

「起こして悪かった」

 壁の方を向いて横たわる明の後頭部を見つめる。枕に散る銀糸の髪と、布団の下の細い体躯。

 起きている時は忘れがちだが、寝ている明を見ると、この子は十二なのだと思い出す。

 どれほど早熟で、どれほど実力があったとしても、この人はまだ十二歳なのだ。死んだ弟よりも年若い。

「ねえ、明。……何か、あったの」

 実のところ小夜は、明との関係を測りかねていた。

 ただの同僚にしては距離が近すぎ、上司と部下と呼ぶには対等にすぎる。友人と言うにしては、明から壁や線引きが感じられていた。

「話、聞こうか」

 それでも、同居人として、無視しようとは思えなかった。弟より年下の子供が見てわかるほどに動揺して帰ってきたというのに、どうして放置などできるだろう。

 

 

 以前から、薄々と気付いてはいた。

 世のため人のためと言いながら、自分がやってきたことは刀による殺戮に他ならないのだと。

 繰り返される惨殺、手に残る肉を断つ感触と血の臭気が身に染みついて離れない。

 元人間の無数の鬼を、斬り刻み、蹂躙し、悪と呼んで蔑んだ。

 散々鬼を殺しておきながら、罪悪感は持ちたくないだなんて、殺生の罪から逃げようだなんて、なんという傲慢だっただろう。

 ──人殺し!

 あの娘の声が耳にこびりついて離れない。

 ──助けて! こいつが兄さんを殺した……!

 襲われかけていたのは、斬り殺した鬼の妹だった。

 泣き喚く妹は明の言葉に聞く耳を持たず、彼女の慟哭を聞きつけた近隣の人々が何事かと窓から顔を覗かせた。このまま留まれば憲兵に捕まるのは時間の問題だった。結果、明は晴彦が隠を連れてくる前に、逃げるようにしてその場を後にした。

 ──兄さん! 兄さん、なんで……!

 頭をこだまする声を振り払おうと、意識して常中を深めようとしても、意味がなかった。

 成り立ての、未だ殺人を犯してもいない鬼だった。

 彼を斬った自分の行動は隊士として当然のものであったが、彼を殺した自分に些かの罪もないなどということがあろうか。

 夜風に吹かれながらの警邏の最中も、外気のせいだけではない悪寒が、明の手足をひたひたと侵した。身に被ってきた何十もの鬼の血が、泥のように身体に纏わりついているようだった。

 被ってきた鬼の血は、全て等しく元人間の血であり、斬ってきた鬼の首も、間違いなく元は人間のものだった首だ。

 これをどうして、殺人でないと言えるのか。

 無辜の民であったはずの者、生きようと足掻き抵抗した鬼を、明は事務的に切り刻み続けてきた。

 ──否、それでも、鬼は悪だ。

 ──人を喰らう存在を野放しにする理由にはならない。

 ──けれども。

 多くの隊士と違い、恨みもなく、ただ仕事として鬼を殺し続けている自分は、食べるために殺す鬼よりも、もしかしたらずっと卑しく、罪深いのではないか。

 粘ついた澱が胸の奥に淀む。

 震えそうになる指先を握りしめ、明は夜通し歩き続けた。身に染み付いた巡回の経路を、脚が機械的に辿る。

 歩いて、歩いて、歩き続けて、鴉の声で初めて明るくなりかけた空に気付いた。

 肌を刺す冷たい風で感覚は半ば麻痺していたのに、どれほど歩いても、どれほど風に吹かれても澱は消えなかった。重い足取りで帰路につき、家の戸を潜る。隊服を脱ぎ、寝巻きに着替える間も、家の中は静かだった。

 寝室の襖を開ける音で小夜を起こしてしまったと気付いた時も、沈んだ声しか出なかった。

 小夜は、気の良い同居人だ。ここ数週間の共同生活では随分と世話になっている歳上の隊士。鋭い所もありながら、踏み込んだことは聞いてこず、その距離感が心地よかった。

 ──そう思っていたからこそ、小夜からこのように言葉をかけられたのが意外だった。

 思えば、この前の夕食から、小夜の態度が曖昧になったように感じていた。距離が遠くなったというよりは、戸惑っているような印象を受ける。十二歳という自分の年齢は、それほどに衝撃的だったのだろうか。

「…………小夜は何故、鬼殺隊に入ったんだ?」

 長い沈黙の末に零れ落ちた言葉は、核心からずれた問いだった。

「親兄弟を鬼に殺されて、身寄りがなくなったから。多分、他の隊士達とさほど変わらないと思うよ」

 この人は鬼を恨んでいるのだろうか。今までの彼女の鬼殺からは、これといった感情を汲み取れなかったことを思い出す。

 それでも、後ろから聞こえた声は普段と些かも変わらぬ調子だったので、それが少しだけ明を安心させた。

 逡巡の末、また、口を開く。

「……鬼殺隊の仕事を、どう思う?」

「────どう、とは」

 戸惑うような気配があった。

「…………漠然としていて、少し、答えにくいな。……先に、明の話を聞いてもいいかな」

 迷うような沈黙の後に発された声は真摯で穏やかだった。

「…………長くなるかもしれない」

 今も頭の中に渦巻くこれは、到底整理されているとは言い難い。混乱を鎮めようと小夜の話を聞こうとしたのに、話すように促されるとは思っていなかった。

「いいよ、聞くから」

 明は襖の一点を見つめ、どこからどう話そうかと迷いながら口を開いた。

「……私は隊士に拾われ、育てられたから、鬼殺隊に入隊した。物心ついた時からずっと育手の家にいたが、入隊するまで、鬼を見たことがなかった」

 煉獄と遠藤、二人の育手に師事し、彼らから鬼殺隊の話を繰り返し聞かされて育った。

「話に聞く鬼狩りは、危険だが誇り高い仕事だと思っていた。人を守る、崇高な職だと」

 入隊前は、炎柱の父の背に、ただ純粋に憧れていた。命をかけて人を守る、高潔な剣士の一人に自分もなりたかった。

「…………けれど、実際にやっていることは殺しにすぎないように思える。私が刀を以て生んだのは、屍の山と血の海だけだった」

 絞り出すような、か細い声だった。

「今日の警邏で、鬼に変じたばかりの人間を、彼の妹の前で殺した。…………人殺し、と言われた」

 声が震えた。

「人を殺す鬼が悪なら、鬼を殺す私は何なのだろう」

 後ろの気配は、息すらも潜めているかのように希薄だった。

「首を断つ感触が掌から離れない。結局のところ、私がしているのは殺戮でしかないのだろうか」

 胸を渦巻く黒い靄を言葉という型に嵌めようとする。

「鬼から『お前も鬼なのに』と言われる。『鬼なのに、何故鬼狩りをしているんだ』と。……私も、あれらと同じ穴の狢なのだろうか」

 その言葉は抑えられた悲鳴に似ていた。

「鬼殺は崇高な職などではなく、血に塗れた罪深い業なのだろうか。私は、元は人間だった多くの鬼を殺し続けた私は、鬼と同じ程に悪なのだろうか」

 感情が昂るのを自覚した。凍える指先を固く握る。

 背後の沈黙が痛かった。

「…………私は、猟師の家の出でね。私の技術は、全て、父から教わったものだった」

 懐かしむような声だった。

「私が鬼殺隊への入隊を決めたのは、父が『人を害する獣を狩るのが猟師の仕事だ』と言っていたからなんだ」

 小夜の言葉には一片の嫌悪も怒りもなく、ひたすらに真摯で穏やかだった。

「元人間である鬼を殺すことの意味は、各々が答えを探すべきことなのだろうと思う。その上で、猟師としての、個人的な考えを言うのなら、『人を喰う熊は狩らねばならない』。端的に言うなら、それと同じだと考えている」

 障子越しの光が明るくなっていく。

「鬼は、人の味を覚えた熊と同じようなものだと思う。猟師は人を喰った熊を殺す。人の肉の味を覚えた熊は、人を殺すようになるから。この熊は悪ではないけど、人を脅かす敵だ。だから殺さねばならない。

 鬼を狩るのは、鬼が悪だからではなく、鬼が人を殺すからだよ」

 外から、鳥の鳴き声が聞こえた。鳴き交わしているのは雀だろうか。

「明の言う通り、私達の仕事は殺しだ。罪深いものなのかもしれない。

 人を食わねば生きられない鬼が悪であるのか、その鬼を殺す私たちも悪なのかはわからないけれど、それでも、鬼殺が必要な事で、多くの人のためになっているのは確かでしょう」

 夜は完全に明けていた。寝室は柔らかな光で満ちている。

「だから、私は、この仕事に誇りを持っているよ」

 気づけば、指先の震えは消えていた。

 小夜に問いを投げかけたのは、きっと、彼女の言葉に期待をしていたからだ。明とは異なる経験と背景から湧き出る小夜の言葉は、何度も、明に新たな見識を与えてくれていた。だから今日もそこに、自分の知らない答えがあると期待した。

 彼女の語ったことは、煉獄家の誇りとは似て非なるものだったが、今の明には飲み込みやすいものだった。

「……そう、か。話してくれて、ありがとう」

 心からの感謝をこめる。胸の奥の重さが少しだけ薄れた気がしていた。

「これは私個人の話だから、これが正解と言えるものでもないけれど。…………ただ、」

 小夜は歯切れ悪く、口を止めた。

「…………貴方のその高い理想主義と高潔さを求める精神は美徳ではあるけれど、それを表に出す事は、同じ立場にいる隊士達への侮辱と紙一重になることもある。……気をつけた方がいいかもしれない」

 気遣うような口調で付け足した。

「侮辱というより……傷つける、かも。鬼を恨む隊員は多いし、その盲目さが任務の遂行を助けている部分も、きっと大きい。相手が元人間だと認識しながら殺すことに耐えられる人は、多くはないだろうから」

 背を向けたままなので、小夜の表情はわからない。

 だが、小夜も、迷い、悩み、葛藤していたのだろうと、その言葉から感じることはできた。入隊時期がさほど変わらない相手に安易に答えと救いを求めた自分が恥ずかしい。どうしてこうも、自分の浅慮は変わらないのか。

「自分の主義や思想を押し付けることも悪徳だろうから、今の私の考えも、明に強要するつもりはないよ。納得ができなかったら聞き流していい。押し付けられた役割ではなく、貴方の思うままに考え、生きるべきだから。…………もし辛いようなら、隊を抜けることだって、していいのだし」

 『隊を抜ける』。その言葉に、明は目を見開いた。小夜自身、明がどれほどの戦力であるかを知っているだろうに。

「いや、……辞める気は、ない」

 そもそも、その道は私には閉ざされている。

「ありがとう。──随分、楽になった。もう少し、自分でも考えてみるよ」

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