鬼子の剣士は夜明けを望む   作:安代圭

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第14話 十二鬼月……〇

「────今回の鬼は、長らく鬼殺隊が行方を追ってきた『鳥鬼』と呼ばれる鬼だ」

 任務の合間に足しげく風柱邸の稽古場に通ったおかげで、同地区の隊士たちの多くと顔見知りになることができた。

 明に対する態度は隊士によって様々で、年下の明が甲であることを面白く思っていないような人もいれば、鬼の目を殊更に嫌い、疎んじる者もいた。

 今回の任務は、比較的態度が頑なでない人たちばかりだった。編成したのは野沢らしいので、円滑な任務遂行の為に意図してそういう人を集めたのだろう。

「この鬼は存在こそ知られていたが、逃げ足が速く攪乱を得意とするため、取り逃し続けてきた。前回の発見時に十二鬼月であることが確認された。おそらくはかなり手強い鬼となっているだろう。

 ここで逃してしまえば、更に被害が拡大する。決して油断せず、心してかかるように」

 野沢を先頭に、十人の隊士が隊列を組んで歩く。明は野沢と同じ最上位の甲として、隊列の殿を務めていた。

 歩きながら、小夜と会話した朝を思い出す。

 正義と罪は両立する。

 そう、結論付けることにした。

 鬼殺に罪を感じる己も、そのうえで世のために刀を握り続けることも、どちらも間違ってはいない。

 罪穢があったとしても、私は自分の仕事に誇りを持っていいのだ。私は神仏ではないのだから。理想からは程遠かったとしても、自分にできる最善を尽くせたなら、それでいい。

 人を生き返らせる事も、鬼を人に戻す事も、私にはできないのだから。

 だからこれは、必要悪、あるいは必要罪だ。人々が生きていくために必要な罪の一部を、私達は背負っている。そういうことなのだろう。

 身に纏わり付く死臭を受け入れてから、任務へ赴く足が少しだけ軽くなった。

 ──父は鬼を悪だと言った。母は鬼を斬ることを責務だと説いた。

 あれはきっと、養父母からの気遣いだったのだと思うことにした。

 任務の最中に迷いを挟んで死なぬように、鬼殺に苦しんで足を止めぬように、目を背けさせてくれたのだろう。

 実際、鬼が元人間であることの意味ともっと向き合っていたなら、最終選別で生き残れていたかも定かではない。あの時、躊躇なく鬼を斬り伏せられたのは、間違いなく煉獄家と遠藤の下で教え込まれた『鬼は斬るべきものである』という価値観のおかげだ。

 前を歩く少年の背を見上げる。小野塚孝弘は、明を厭わない隊士の筆頭だった。彼と野沢がいるだけでも、幾分か気が楽だ。

 対象が十二鬼月であるにも関わらず風柱が来ていないのは、この任務の完了を以て継子の野沢に風柱の地位を譲る予定だからだろう。年齢のため体にガタが来ているとか、深刻な古傷があるとか、正確な理由は定かではないものの、引退を考えているらしいという噂を何度か耳にしたことがあった。

 野沢は優秀な剣士だ。柱が送りだしたのだから、十二鬼月を斬るのに十分な実力があると認められているのだろう。

 最上位の階級・(きのえ)から、別格の存在である柱になるための条件は、鬼を五十体以上討伐すること、又は十二鬼月を斬ること。このどちらかを満たせば柱に昇格できる──と、聞いている。

 明は既に前者の条件を満たしているが、柱昇格に関する通達は来ていない。条件が変わったという話はないようなので、おそらく、鬼子を柱にできないという事情故のものだろう。

 私の役目は、野沢隊士が鬼の首を斬るのを支援することだ。期待されているのは、多分そちら。

 鬼を留め、或いは血路を開き、鬼の首を野沢に斬らせる。勿論、確実に斬れる機会があるならば私が斬るべきだが、立ち位置としては彼の支援が期待されているだろう。他の隊士を守り、鬼の隙を作る。それが私の仕事だ。

 

 

 山道を越えて目的の村に辿り着いた時には、辺りは既に薄暗くなっていた。冬の日暮れは早い。

 物々しい一行の気配を嗅ぎ取っていたのか、先に仕掛けてきたのは、件の鬼の方だった。

 ────風の呼吸 肆ノ型 昇上砂塵嵐

 先頭を歩く野沢が、抜刀と共に型を使った。硬質な音が響かせて、刀が何かを弾くのが見えた。

「──総員、戦闘態勢!」

 鋭く発せられた野沢の声。瞬時に抜刀した隊員達が陣を組む。

 風柱邸での稽古を取り仕切っていることもあり、彼とこの地区の隊員の連携は極めて円滑だ。幾度かの合同任務を経験しているからこそ、この優秀さがわかる。

 鬼が放ったのはおそらく『羽』だ。近場の隊士に降り注いだ二度目のそれを、今度は明が前に出て弾く。──さほどの重さはないが、数が多い。

 今回の鬼は、刃物のような鉤爪と翼を持つと聞かされていた。そして、羽を矢のように射出するのだと。

「二時の方向!」

 弾いた手応えは棒手裏剣に似ていた。柔な羽などとは似ても似つかない。しかし、足元に散らばる金属質のそれは、確かに鳥の羽の形をしていた。

 飛んできた方向へ駆け出す。遠く見える民家の上に、鬼のものらしい影があった。人の体ほどもある巨大な翼が開き、鬼の体が宙を舞う。

 ──第三波。

 羽ばたきと共に乱れ飛んだ羽を切り伏せ、後方の隊士を守る。

(かのと)以下四名、住民の避難と保護に当たれ!」

 野沢の指示を受けて、四名の隊士が離脱するのを目の端で見送った。元よりこの人数は、一般人の保護も見込んで集められたもの。戦闘を行うのは階級上位の六名で十分、むしろそれ以上では混み入りすぎて味方同士で斬り合いかねない。

 急降下する鬼の体を睨み、迎撃に備えて刀を構える。鬼は人面鳥より天狗に近い体躯をしていた。

 翼と鉤爪で直接殺しに来たか。

 ────炎の呼吸 参ノ型隻式……

 迫る翼ごと斬り伏せようと、上段に構えた、瞬間。

 鬼の翼が風を切る。巨大な翼の羽ばたきによって巻き起こる暴風。刀の間合いに入ることなく上昇する鬼の体、代わりに降り注ぐ無数の羽と──細かな鳥影。

 咄嗟の判断で型を変える。

 ────風の呼吸 参ノ型隻式 晴嵐風樹

 先と同じく矢のように飛ぶ羽の中に、弧を描いて突進する鳥が加わっていた。異なる軌道の両方を風の呼吸で纏めて叩き斬る。

 斬った手応えからも、月光を弾く硬質な羽毛からも、この鳥が鬼と同じ金属質の羽で身を覆っているのだと知れた。

 羽より重い手応えと、自律して動く様を見て、明は顔を顰めた。

 この鳥の情報はなかった。──以前に鬼殺隊が斬り損ねた時から、更に強くなっている。

 対応しきれなかったらしい隊士が、傷を庇うように構えを崩しているのが見えた。

 少し、不味いか。

 初めての十二鬼月との戦闘。全員生還を目指したいが、どこまでやれるか。今までの合同任務で犠牲者を出したことはなかったが、今回は相手が違いすぎる。

 軽く旋回してから雑木林の上に留まった鬼を見上げる。未だ鬼に触れることすら叶わない剣士たちを嘲る笑い声。三日月のように歪んだ目には『下陸』の字が刻まれていた。

 鋼の擦れ合うような異音を立てて、鬼の影から鳥の群れが噴き出る。

 ──厄介。

 羽と鳥が鬼への行く手を阻む。その上、翼を持つ鬼だ。不利を察すればいつ撤退に転じてもおかしくはない。あの飛行速度は人の脚では追い付けない。

 鳩大の鳥の群れが襲い来る。その数、百は下らない。

 ────炎の呼吸 伍ノ型隻式 炎虎

 燃え盛る虎の牙で鋼鉄の鳥を噛み裂きながら前進する。並走する野沢が同じく突破力に優れた風の呼吸の壱ノ型を使うのが見えた。

 鳥も羽も暗い色をしている。闇に紛れる暗色の飛来物は、ただでさえ視認が難しい。

 だからそれに気づけたのは、後方に微かに聞こえた羽音のおかげだった。鋼の擦れる異様な羽音の、その一部が遠ざかっていく。

「──ッ、朝倉、斬り漏らしを頼む! 民家に入らせるな!」

 野沢が指示する間にも、鋼の鳥の数は増え続ける。

 他の隊士の負担を減らすべく、明は大降りに刀を振るった。

 ────炎の呼吸 肆ノ型隻式 盛炎のうねり

 ────風の呼吸 参ノ型隻式 晴嵐風樹

 ────水の呼吸 肆ノ型隻式 打ち潮

 視界を埋め尽くすほどの羽と怪鳥が間断なく降り注ぐ。明の額に冷や汗が垂れた。

 鬼のいる樹の根元までは来れた。しかしその分、攻撃の密度は上がっている。鳥が生み出される数と隊士が斬っている数が拮抗状態に陥った。──これ以上、近付けない。斬り漏らしが増えれば一般人に被害が出かねない。

 野沢の巻き起こす暴風が鳥を根こそぎ散らしているが、やはり彼も攻めあぐねていた。

 明は野沢との稽古で一度も負けたことはなかったが、これは明が対人戦闘に特化しているためだ。鬼殺の任務の上では、明と野沢の実力差はさほどではないだろう。

 むしろ鬼相手では優劣ではなく相性の差が大きい。野沢の扱う風の呼吸は、広範囲と血鬼術と非常に相性が良い。──例えば、この鬼の羽のような。

 もしここで野沢が抜けたなら、明はともかく、他の隊士が保たない。今ここで最も多くの鳥を斬り伏せているのは野沢だ。今の自分に、彼が抜けた穴を埋めることはできない。

「柱は来ていないようだね! お前らだけで私を斬ろうだなんて、十二鬼月も舐められたものだ!」

 頭上から鬼の声が降る。

 鬼は樹の上に留まったまま、隊士達を見下ろしていた。先ほどから動く素振りも見せない。余裕故の行動だ。怪鳥の対処だけで手一杯の隊士に、自分が斬れると思っていない。全滅させてから悠々と人肉を貪る気なのだろう。

「──東出! 行け!」

 野沢の声が明の耳を打った。

「鳥は僕に任せろ! ──君が、鬼の首を獲れ!」

 その瞬間、明は弾かれたように飛び出した。

 ────炎の呼吸 伍ノ型隻式 炎虎

 私は何を思い違いをしていたのだ。

 ────風の呼吸 伐ノ型 鎌鼬

 以前に編んだ風の呼吸の型。枝の代わりに怪鳥を切り捨てながら、樹の幹の間を縫うように蹴って駆けあがる。

 今の自分がすべきこと。適材適所。何が支援だ。できることが限られているくせに思い上がるな。

 あの鳥は私の手に負えなかった。野沢隊士は対応可能なほどに風の呼吸に通じていた。自分がすべきは、鳥の対処に追われることではなく、野沢隊士に任せて鬼を斬りに行くことだった。

 判断が遅い。未熟。(ほぞ)を噛みながらも手足は止めない。

 急襲に驚く鬼と目が合った。刀の届かぬ上空へ飛び立とうと、広げかけられた金属質の翼に、

 ────炎の呼吸 弐ノ型隻式 昇り炎天

 下から渾身の斬撃を当てる。

 血飛沫と共に羽毛が散る。斬り落とした右の翼を避けて跳びあがり、鬼の頭上に踊り出る。

 均衡を崩して落下する鬼の体。藻掻くようにばたついた片翼が明の隊服を裂く。『下陸』と刻まれた目に浮かぶのは恐怖一色。

 残る翼が爆ぜ、眼前で羽の刃が弾け飛ぶ。両翼が再生しかけているのが見えた。ここで逃せば捕まえられない。最低限の急所だけを避け羽の弾幕に身を曝し、明は刀を振りかぶった。

 ────炎の呼吸 参ノ型隻式 気炎万象

 火炎が、鬼の首を両断した。

 

 

 隊服は非常に頑丈な布でできており、下級の鬼の攻撃であれば防ぐこともできる。しかし、十二鬼月ともなれば話は別だ。刃物のような硬度と鋭さをもっていたそれは、多くの隊士たちに裂傷を負わせていた。

「……苦しくはないですか」

 全身に刺さった羽による刺傷は呼吸で止血できる程度だったが、翼で裂かれた傷は予想以上に深かった。包帯を巻いて処置をしてくれた小野塚孝弘が、心配そうに声をかける。

「丁度いいです。多少きついぐらいでないと止血になりませんから」

 孝弘も腕に軽い裂傷を負っていた。前線で討ち漏らした鳥から一般人を庇って負傷したらしい。明日も警邏に出られるぐらいに軽い傷だと、孝弘は笑って説明した。

 主な負傷者は鬼の近くに留まった隊士六名だったが、後遺症が残るような重症の者はいなかった。

 ──十二鬼月討伐成功。全員、生還。

 改めて、自分たちの戦果を噛みしめる。下級隊士たちのおかげで一般人に被害はなかった。負傷した隊士もすぐに復帰できる程度。理想的な結果だ。

 直接鬼の首を斬ったのは明だが、斬れる状況を作り出したのは野沢だ。きっと、柱への昇格にあたり十分な戦績と認められるだろう。

 負傷者がいるため、一行はゆっくりと帰路を歩く。まだ子の刻すらも越えていない闇の中を進む隊士達の気配は戦闘後の高揚と達成感で満ちていた。興奮気味に野沢と明の勇姿を語る上級隊士たちの言葉を、下級隊士たちが食い入るように聞いていた。

「────野沢さんは凄いよ。あの鳥の大軍の殆どを斬り伏せたんだ」

「やっと風柱になれるんですね」

「多分、ね。風柱様はそのつもりで送り出してくれていたけど、柱になれるかはまだわからない」

「何はともあれ、祝いだ! 十二鬼月討伐に参加できるなんて、そうそうあることじゃありませんし。奮発していいもん食いましょうよ」

「やっぱ刺身行きましょう刺身。勿論、先輩方の奢りで」

「ここに怪我人がいるのを忘れてませんか!? 俺だけ藤の花の家紋で療養とか嫌ですからね! と言うか外山、お前も怪我人だろうが」

「はいはい、わかったから。みんなよく頑張ってくれてありがとう。今日はゆっくり休むこと。これ上官命令ね。治ったら美味しいもん奢ってあげるから」

 隊士に慕われている野沢の姿を見ていると、こちらまで暖かな気持ちになる。明は会話に加わらず、少し距離を置いて歩きながら、小夜にどう語って聞かせようかと考えていた。今日の任務の話をしたら、きっと喜んでくれるだろう。小夜は口下手な明の話を、いつも楽しそうに聞いてくれる。

「……東出さんも、来てくださいね」

 不意に隊士に名を呼ばれ、はっとした。食事会のことを話していたらしい。

「──私も、行っていいんですか」

「いいも何も、今回の功労者ですからね! そして上官として派手に金を落としてってください!」

「おい菊池。本音がだだ洩れだ」

 小突き合っては怪我に響いて顔をしかめる隊士を見て、明は口元を緩ませた。

「では、私もお邪魔します」

 答えた瞬間、前方の地面が爆ぜた。

 反射的に抜刀する。

 唐突に降って湧いた鬼の気配が、明に臨戦態勢を取らせた。

 砂煙の中に立つ人影。それがゆらりとこちらを向く。

 ──鬼。

 それは十代後半の青年の姿をしていた。異形ではないが、全身に刺青のような模様が浮かんでいる。

 感じたことのない威圧感に、臓腑が掴まれたような心地になる。

 ひと目見ただけで、格が違うと分かった。

 分かってしまった。

 ──あれには、勝てない。

「──撤退を」

 声が、かすれた。

 深く息を吸い、鬼から目を逸らさぬまま、今度こそ声を張り上げる。

「散開して撤退! 各自最速で下山を! 私が引き受ける!」

 目の前の存在の討伐は不可能。先ほど倒した鬼とは比べ物にならない鬼気。

 呼吸の調子を変える。水に寄せた合の呼吸。これが最も迎撃に優れる。しかし、未だ襲いかかっては来ない。

 品定めでもするかのように、こちらを見据えている。金の瞳に浮かぶのは、──上弦の参。

「野沢さん──どうか、隊士たちを」

 頼みます、と言葉を残して鬼へ向かって駆け出す。

 ──この中では、私が一番強い。

 あれは怪物だ。勝てない。野沢隊士と二人がかりでも不可能だ。

 少しでも引き付けて、生存者を増やす。それが私の責務。

 後方に野沢の声と、離れていく気配を感じた。どうか一人でも多く、逃げてくれ。祈りを込めて刀を握る。

 信じられぬ速度の拳が眼前に迫った。

 ────水の呼吸 参ノ型隻式 流流舞い

 紙一重の回避。羽織の裾が爆ぜた。破り裂かれた群青の布切れが舞う。

 鬼の目が面白そうに歪む。

 ──ここで捨て駒になったとしても、同僚を守り抜かなければ。

 生き残るべきは鬼子の自分ではなく野沢たち隊士。

 ────合の呼吸 離ノ型隻式 嗟若(さじゃく)

 火炎と共に刀を振りぬく。胴を狙って薙いだ剣閃が、体表を掠るだけに留めさせられる。

 風柱の担当地区でも辺境のこの場所、援軍は絶望的だ。

 拳の乱舞が襲い来る。後ろに跳びながら刀の柄で受け、

「ンッ、────────!」

 威力を殺しきれずに吹き飛ばされた。続く二撃目が体に当たる。肋が砕ける感覚があった。

「──女か」

 驚いたような鬼の声を聞いた気がした。

 全身に衝撃が叩きつけられる。傷に響いて呻き声を上げた。木の幹に激突したのだと理解する前に、明は跳ね起きて刀を構えていた。

 視線の先で、鬼は既に背を向けていた。隊士達が撤退したはずの方向。

 ──他の隊士を追う気だ。

 焦りが明を突き動かした。

 ────炎の呼吸 壱ノ型隻式 不知火

 内臓が損傷している。どこまで動けるかわからない。それでも、一秒でも時間を稼げるなら。

 剣撃は易々と防がれる。ここに引き留められるならばそれでいい。激痛を噛み殺して呼吸を続ける。

「まだ動くのか」

 ────炎の呼吸 伍ノ型隻式 炎虎

 鬼の腕が虎の牙をいなす。鬼の腕から血飛沫が飛んだが、これはきっと織り込み済みだ。この鬼の体術は、鬼の回復力を前提にしてひどく攻撃的に組まれている。首さえ斬られなければ継戦できる、鬼だからこそできる戦法。

 斬れるか、ではない。手足がある限り戦い続けろ。己にできる最善を為せ。

 ────合の呼吸 離ノ型隻式

 先ほどと同じ構えを見せた明に対し、鬼は呆れたような顔をした。

「それはもう見────」

 た、と言い切る前に明の刀が跳ね上がる。

 ────折首(せつしゅ)

 鬼の腕によって打ち払われる直前、紫紺の刀は軌道を曲げた。先ほどの型(嗟若)であったなら防がれたはずの防御を掻い潜り、斬撃が鬼の首を噛む。

 鬼は驚愕の表情で明を見た。

 ──離ノ型とは、全く同一の構え・予備動作から放たれる、六つの技の総称だ。それぞれ狙う場所・切り込み方が大きく異なる。

 技一つ一つが型として十分な完成度を持ちながら、二度目に使う離ノ型を確実に当てるための布石にもなる、合柱・遠藤が編み出した切り札の一つ。他の呼吸の型と織り交ぜながら用い、攪乱と油断を誘発する、予備動作から防ぐことを至難とする技。

 これは多くの型を使用可能な剣士が使ってこそ真価を発揮する。明の持つ最大の奥の手、──なのに。

 ──ああ、硬い!

 渾身の力を込めた斬撃をもってしても、鬼の首を斬るには及ばなかった。首筋の皮を浅く斬っただけに終わる。──師から伝えられた型を、むざむざと無駄にした。

 ──私が未熟なばかりに!

 絶望すらも心の火に()べて、明は次へと型を繋げる。

 ────花の呼吸 伍ノ型隻式 徒の芍薬

 ────術式展開

 鬼の足元が光る。雪の結晶を模した陣が、青白い光を帯びて広がった。

 ────鬼芯八重芯

 初撃、今までの比ではない速度の拳。全力で回避する。

 二撃、三撃。辛うじていなすも、かすっただけで羽織と隊服が破れた。衝撃波だけで肌が裂ける。

 崩れた体勢に降りかかった六撃目が、明の右腕を砕いた。

 続く二発が明の両足をへし折る。

「あ、ぁ────」

 頬に当たる冷たい土の感触。

 ──動けない。

 骨を折られた。手足を動かせない。

 ──止めを、刺される。

 息の根を止める一打を予感し、明は反射的に身を固くした。

 ──死ぬ。

「そこで待ってろ」

 しかし、上から降ってきたのは拳ではなく、その一言だけだった。それを最後に気配が遠ざかる。

 数秒後に、遠く、断末魔の悲鳴が聞こえた。

 隊士の声。

 ──菊池隊士。

 明の瞳が揺れる。

 数拍後、また轟音。雄たけびにも似た叫び声。

 ──朝倉隊士。

 地面につけられた片耳に、鬼の走る振動が聞こえる。隊士達の絶命の声が、ひどく遠い。

 ──野沢隊士。

 鬼の打撃の音と共に、指示を飛ばしていた彼の声が途切れた。

 ──飯田隊士。

 癖のある彼の声が、濁り、潰れる。

 ──外山隊士。

 ──北村隊士。

 ──古川隊士。

 ──高木隊士。

 鬼の一打で隊士が死んでいく。隊士の足音が、声が、消えていく。

 ──小野塚隊士。

 九つ目の打撃音を最後に、山は異様な静寂に包まれた。

 その中に戻ってくる鬼の気配を感じ取り、明は唇を噛む。

「────おい、生きているな」

 四肢は折られて使い物にならない。首と視線だけを動かし、声の主を見上げる。

 手足や頭の無い隊士の遺体を担いだ鬼の姿が目に入った。その瞬間、損傷した臓腑が氷のように冷えた。

 ──無駄だった。

 ──全滅。

 遺体を投げ置き、傍らに腰を下ろした鬼を視線で追う。気負いのない仕草だ。

「お前が一番ましだった。弱者ばかりだ。反吐が出る」

 鬼は遺体に侮蔑の視線を向けた。

「鬼を狩ろうという者が女子供を置いて逃げるとは、情けなくて仕方がない」

 ──生きているのは自分だけだ。

 ──否、生き延びたのではなく生かされている。

 ──生け捕られた。

 考えられる答えは一つだけだ。

 ──拷問。

 自分は鬼殺隊の機密に詳しくはないが、鬼が求める情報が何かはわからない。剣士として痛みへの耐性はあるものの、拷問の訓練は受けたことがない。

 そうでなくとも、生きて返される可能性は皆無だ。ならば、醜態をさらす前に、早く。

 そろり、と歯の間に舌を滑り込ませる。

 隊士として、戦場で命を落とす覚悟はできている。──腹は、もう括っている。

 舌を噛み切ろうとした瞬間、顎の骨を掴まれた。

「おい、お前」

 驚きの中に、微かな焦りを聞いた気がしたのは気のせいか。

「俺は女は食わない。無駄なことはやめろ」

 そう言って顎の拘束を外される。明は目を瞬かせて、舌を引いた。

 ──見当違いだったか。

 馬鹿な真似をしかけたようだと、明はどこか他人事のように思った。

 明から離れた鬼は、遺体の一つに手をかけた。

 ──こいつ、まさか。

 隊服を易々と引きちぎり、獣の毛皮をむくように剥ぎとる。

 露になった腕の肉に、顔を埋めて噛み千切った。

 ──ああ、やはり。

 明は内心で顔を歪めた。

 隊員の体が引き千切られ、食われていく。原型を留めぬ肉塊へと変わっていく。

 辞めさせたいが、手足を折られた状態で出来ることなどない。先の短い交戦の間に、たとえ万全の状態であったとしても、これに敵わないことを突きつけられている。

 今の私にこれは斬れない。

 私が懇願したとしても、聞き入れることはないだろう。

 いや、自分の声かけで止めるのだとしても、このまま食べさせるべきなのだ。その分この鬼の腹が満ちて、一般人の被害が数人でも減るのならば。

「──何も言わないのか。珍しい」

 鬼が意外そうに明に声を向けた。

「言ったところで意味はないだろう」

 苦々しい思いで答える。息を吸うだけで砕けた肋骨に響いた。

「そうだな」

 鬼はまた食事に戻る。明はそれを反吐が出るような気持ちで見続けた。

 静かな山に、鬼の咀嚼音だけが嫌に大きく聞こえる。鳥も獣もこの鬼に怯えているのか、気配一つ感じ取れなかった。

「なあ、お前、女だろう」

 唐突に鬼が口を開いた。

「わかるのか」

 体つきにも顔つきにもまだ性差が表れていない明は、少年に見られる事が多い。

「鬼だからな。肉質を見ればわかる。──お前、鬼が混じっているな。その割に回復が随分遅い。左の手も無いな。成り損ないか? 初めて見る」

「……貴方の上司に会ったことはない」

 鬼舞辻から直接血を与えられた訳ではない。その意は目の前の鬼に正しく伝わったようだった。

 詳しく答える義理はないし、無闇に情報を与えるべきではない。故に簡潔に答えた。

 それにしても、上弦の参のような幹部でも見たことがない存在だとは。やはり鬼子の前例はないようだ。今更それを確認できたところで、もう思うところもないが。

「鬼喰いでもしたのか?」

「していない」

 即答すると、鬼は唸った。

「妙な事もあるものだ。勧誘するまでもなく、次に会う頃には勝手に鬼になっているかもな」

 からからと豪快に笑った。

「鬼になったら俺を探せ。共に鍛錬をしよう」

 どうやら自分を殺す気は無いらしいと、それだけははっきりした。鬼の偏食は理解できるが、隊士を生かして返すというのは随分と奇妙な話だ。

 その理由はわからないのが不気味だが、今自分のすべきことは、少しでも会話をして情報を引き出し、持ち帰ることだ。

 恥を捨てろ。情を捨てろ。どれほど耐え難くとも、合理的な行動をしなければならない。

 腹を括って口を開く。

「鬼の武人よ、名を聞いてもいいか」

 鬼は一瞬目を見開き、すぐさま満面の喜色を浮かべた。

「俺は猗窩座だ。お前は?」

「東出明と言う」

「あかる。明、か。覚えておこう」

 一音違いか、と猗窩座は面白そうに明の名を繰り返した。

「お前の歳は十三ぐらいか? これほど若い隊士に傷をつけられたのは初めてだ。数年後には体も剣技も練り上げられているだろう。お前と鍛錬する日が楽しみだ」

 その言葉には紛れもない称賛が込められていた。

 やはりこの鬼は武芸に対して並々ならぬ拘りがあるらしい。

「私も貴方の体術は目新しかった。これほど洗練させるのに何年かかるのか。その武技には敬意を表する」

 半分は本音を込めて、半分は鬼の口を緩めさせるために、鬼の武芸を称しておく。

 猗窩座は期待通りに笑みを広げて口を開いた。

「そうだな……鬼になってから百年は経ったか」

「百年前の武術か。ならば見覚えが無いのも道理だな。なんと言う流派なんだ?」

 猗窩座は露骨に顔を顰めた。

「知らん。強ければいいんだ。名に意味などないだろう」

 これは見誤ったらしいと明は方向を修正する。

「それもそうだな。にしても、どうしてここに来たんだ? 十二鬼月が二人も来るほどのものがあるようには見えないが」

「それは後輩の尻拭いのためだ。下弦の陸とやらのな。俺は偶々近くにいただけだ」

 こともなげに鬼は言う。

 ──他の鬼が死んだことを感知したのか。これは持ち帰るべき情報だろう。

「上弦ともなると仕事が増えるのか。鬼になる気が失せそうだ」

 鬼になったら自害すると決めているが、それをこの鬼に言う義理はない。

「だが、功を成せば血が与えられる。あの方の血は体を強化してくれるぞ。そうすればもっと強くなれる」

 鬼はここぞとばかりに言った。

 猗窩座が六人目の隊士の腕を引き千切って食べる。少し細めの腕には、薄く長い切り傷がついていた。──小野塚の腕だ。

 憤怒を飲み込み、言葉を続ける。怒りで胃の腑が焼けるように熱い。その痛みは全身の傷よりもなお強烈だった。

「私は体の強度よりも剣技を磨きたいものだがな。人を食べねばならないのも気が進まないし」

 そう口にしてから、明は先ほどまで疑問に思っていたことを思い出した。

「貴方のように女を食べない鬼は初めて見た。女を好んで食べる鬼ならよく見て来たが」

「俺は強い男の肉が好きだからな。特にお前たち隊士の肉はいい。引き締まった筋肉の噛み応えはいいぞ。ぶくぶくと太った金持ちの肉は喰う気にならん」

 手元の肉をまた噛み千切って、鬼は続けた。

「若い肉も美味いが、食い出がないのが難点だな」

 鬼は同僚の遺体に対し、虫唾が走る評をした。怒りを噛み殺して、明はただ沈黙する。

 会話をしながらも、明は全集中の呼吸を続けていた。骨折による炎症を抑え、内臓の損傷を少しでも回復しようとする。──この分なら、少なくとも夜明けまでは保つだろう。

 鬼が隊士全員の遺体を食べ終わるまで、明は短い会話を続けた。

 最後の肉片を口にした猗窩座が立ち上がる。

「早く鬼になれ。共に武を高めよう」

 返答を聞きもせずに去った鬼の背を、見えなくなるまで目で追った。

 目を瞑り、今度こそ呼吸による回復のみに集中する。

 内臓は損傷しているが、死ぬほどではない。回復の見込みはある。

 砕けた骨の位置を、筋肉の収縮を使ってできる限り元の場所へ修復する。

 痛みに耐えながら呼吸を続け、長い夜明けを待った。

 

 

 鎹鴉の晴彦の声を聞いた気がして、明は意識を浮上させた。

 激痛で薄れかけていた意識が、開いた目に差し込んだ朝日によって覚醒する。

 複数の足音が聞こえた。隠たちのものだろう。

 遺体とも呼べない残骸と成り果てた隊服と肉塊と骨の山を前に、絶句しているのがわかった。

「……生きて、いらっしゃいますか」

 かけられたか細い声に応えるように、呻き声をあげる。

 瞬間、隠が明の元に駆け寄った。

「無事なんですね!? 話せますか!? 怪我の状態は!?」

「……手足が、折られている。肋も。……内臓に……骨が、刺さっている」

 まともに声を出す体力はもはや無く、息に乗せて口だけを動かして伝えた。

「お任せ下さい。助けます。必ず。……すぐに、藤の家紋の家に医師を呼びますので」

「──だめだ」

 反射的に声を出した。途端、身体中の傷に響いて呻く。

 動きを止めた隠に、明はこれだけは言わねばならぬと口を開いた。

「よりによって、……藤の家紋の家の人に、鬼の世話をさせては、いけない」

 今まで明は、藤の家紋の家を訪ねた事がない。彼らは鬼の被害者だ。そこに鬼子の自分が押し入って、彼らを怯えさせることなど、絶対にしてはならないと誓っていた。

「晴彦……鎹鴉が、私の家を知っています。どうか、そちらに運んでください」

 明は目を閉じ、回復に集中する。痛みを抑えることを目的にした呼吸に切り替えた。

 傍に担架を広げられる。そこに乗せられる前に、明は口を開いた。

「…………筆記具を、お持ちの方は、いらっしゃいますか」

 担架に乗せようとする隠を制して、明は続けた。

「鬼について話します。どうか、記録を」

 口を開くたびに走る痛みを無視して、明は出来る限り聞き取りやすいように声を出した。

「任務……下弦の陸討伐、完了後、……帰還中に、上弦の参と遭遇。……最初に交戦した私を、無力化した後、…………隊士全員を、惨殺、捕食。……何らかの方法で、下弦の陸が死んだ、のを、察知したらしい」

 矢立と紙を取り出した隠が、一言も聞き漏らさぬようにと明の口元に耳を添えた。

「外見、……十代後半の、青年。……全身に……刺青のような模様あり。……戦闘方法、武器は……使わず、……徒手空拳のみ。打撃、蹴りが主、……関節技は未確認。流派、不明。

 血鬼術の、詳細……不明。人間、その他の、周りの環境……に、影響を及ぼすような、ものでは、なかった。………鬼の、足元の地面に、紋様が、広がっていた。……鬼自身に、作用する術、である可能性が、高い」

 気力だけで維持していた意識が薄れていく。体の限界に到達していた。

「食人傾向、男のみ。……女は、食べない。隊士を筆頭に、……鍛えられた、男の肉を好む」

 視界が黒く染まっていく。隠の声が遠い。

 伝えるべき事を伝えたという安堵を最後に、明の意識は転落した。




主人公の性別:女が作劇でやっと役に立ちました。


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