鬼子の剣士は夜明けを望む   作:安代圭

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第16話 狭霧山

 床に伏してから十日ほどで、明は歩けるまでに回復した。更に三日後にはほぼ完治と言ってよい状態にまでなっていた。

 呼吸の効果を考慮しても異常だと医者は語った。おそらくは鬼に寄った体の影響だろう。

 明が郵便受けを開くと、中に詰まっていた枝がばらばらと落ちた。鼻につく悪臭からして、藤の枝だろう。

 明は眉一つ動かさず、落ちた枝を纏めて隅に除けた。この程度の嫌がらせなら大人しい方だ。

 任務に復帰してからのこの一週間で、明は二度も隊士から襲撃を受けていた。

 未だ明への明確な処罰を決めない上層部に対して、一般隊士の不満が噴き出し始めたのだ。

 晴彦によれば、殉職した隊士の同僚や友人達からの非難が風柱と鬼殺隊当主へ殺到しているらしく、風柱の伊藤はそれを鎮めるのに苦労しているようだった。

 明が内通の容疑者だとしても、独断での私刑は考えるまでもなく隊律違反である。法に関しては言うまでもない。通常の任務では、鬼は首を斬れば遺体を残さず消えるため、警官と問題になることはない。しかし、明の遺体が残ったならば、隊士は殺人の罪を問われることになるだろう。──鬼殺隊が隠蔽しなければ、だが。

鬼殺隊は隊士達に帯刀させている。司法の手が及ぶことを厭って、上層部が隊士の不始末そのものを隠そうとする可能性は、大いにありえるように思えた。もしかしたら、隊が隊士を庇った前例があるのかもしれない。

──いや、それはさすがに邪推のしすぎか。

 けれども、以前の任務で明に刀を向けた二人の隊士が両方とも隊律違反での処罰がなかったという事実が、事態を悪化させているようだった。──上も、鬼混じりの隊士を庇うつもりがないのだと、そう考える隊士が続出した。

 下弦の陸討伐隊に穏健な者ばかりが集められていたのも、今となっては災難だった。彼ら全員が死んだ今の風柱地区には、小夜を除き、明を敵視する者しかいない。

 郵便受けの中の枝を全て取り除くと、奥に白いものが入っているのが見えた。

「────手紙?」

 押し込まれていた枝に折られてひしゃげていたが、郵便受けの奥に一通の手紙が入っていた。取り出してよく見れば、鴉の脚で握られたような痕もついている。寝ている間に鎹鴉が来ていたらしい。裏返して差出人を確認する。達筆な字で「伊藤清繁」と記されていた。

 ──遂に、決まったのか。

 心臓が一際大きく鼓動した。

 ──処刑は、ないはずだ。

 私が鬼と内通したという明確な証拠はない。憶測だけで人を殺すほど、鬼殺隊は無法組織ではないはずだ。産屋敷家の独裁体制に近いと聞いているが、当主は明を監禁せず、戦力として利用する方針をとっていた。今更、殺しはしないだろう。──言い聞かせるように頭の中で繰り返しても、体から緊張が抜けない。

 手紙を手に家に戻り、部屋の隅に蹲って慎重に開封する。

 ──東出明殿、と書き出されたそれは、通達ではなく私信の体裁で書かれていた。

 曰く、明の処遇に関する会議は難航している。二度の集会が開かれたが、未だ決する見込みがない。

 この間に東出隊士が二度も襲撃された事を、非常に重く見ている。私刑によって殺される事はあってはならない。しかし、隊士の統御ができていないことを恥ずかしく思うが、彼らの不信感を鎮めることは現状では難しい。

 故に、監視、謹慎のために育手の鱗滝左近次に身柄を預かって戴くことになった。そこでどう過ごすかについては、私の関知するところではない。

 そこまで読んで、明は大きく息を吐いた。

 ──難航。

 明を処分するに値するほどの証拠がないためだろう。憶測だけで罰するような組織ではなかったことを、今は喜ぶべきか。

 難しい状況だろうに、伊藤は頼み通りに鱗滝の元に向かう体面を作ってくれた。

 ──そこでどう過ごすかについては、私の感知するところではない。

 修行したければしてこいと、取り計らってくれた伊藤に無言で感謝を捧げる。

 明は立ち上がり、鱗滝の元へ向かうための荷造りを始めた。

 

 小夜が任務から帰ってすぐに、鱗滝が住まうという狭霧山を目指して家を発った。

 真菰の育手である鱗滝は元水柱だ。流れるような歩法と柔軟さを持ち味とする水の呼吸は、ある意味で炎の呼吸の対極に存在する流派である。

 片腕で戦うなら、水の呼吸を主軸においた方が良いだろうと気付いてはいた。

 父の言っていた通り、炎の呼吸は片腕で扱う事を想定していない。重い斬撃を強みとする炎の呼吸は、両腕で扱ってこそ真価を発揮する。

 実際に、明は任務中に玖ノ型・煉獄を使ったことがない。片腕ではどうしても、奥義としてのあの型の威力を引き出せなかったためだ。足を止め、体を捻って溜めを作っても、それに見合う破壊力にはならなかった。無理に『煉獄』を使うよりも、伍ノ型の炎虎や壱ノ型の不知火を使う方がよほど実用的だった。

 それなのに自分が炎の呼吸を主として使い続けていたのは、炎柱である養父が演じた型への未練と憧れが捨てきれなかったためだ。日輪刀が炎の呼吸への適性を示したのも、その未練にしがみつく言い訳になった。

 隻腕の己には合わぬはずの炎の呼吸を使い続けた結果が、あの惨状だ。

 ──自分の炎の呼吸への未練と執着が隊士を殺したのだ。

 ようやく見えてきた狭霧山を見上げる。名の通り、山の上は霧が深くかかっていた。

 急く心が足を速める。先触れに飛ばした晴彦が明の来訪を伝えているはずだ。ほどなくして麓の家に辿り着く。

 元柱と聞いて無意識に煉獄家のような家を想像していたが、案外と質素な家だった。

 中に人の気配があった。鱗滝のものだろう。軽く戸を叩く。

「──入れ」

 短い声を聞き、明は戸を引いた。薄暗い家の中で、天狗の面を被った老人が明に顔を向けた。

「お初にお目にかかります。東出明と申します。この度は無理な願いを聞いていただき、感謝申し上げます」

 深々と頭を下げる。

「ご指導、ご鞭撻の程、よろしくお願いいたします」

 鱗滝は明を見定めるように見つめていた。

「……お前が、煉獄の鬼子か」

「────はい」

 鱗滝は明が引き取られる前から鬼殺隊に所属している。当然、知っていてもおかしくはない事だった。

「上弦の参と遭遇して、お前だけが生きて返されたと聞いた」

 その言葉に、明は身を固くした。天狗の面の奥から、明を検分するような視線を感じた。

「弟子からの頼みである故、聞き入れたが…………真菰の鼻が鈍ったわけではなかったようだ」

 鱗滝が立ち上がる。老人とは思えぬほどに身軽な所作。

「望み通り、稽古をつけてやろう」

 明が鱗滝と共に家を出るのと、宍色が飛びかかってきたのが同時だった。

 ────水の呼吸 捌ノ型 滝壷

 ヒュゥゥゥ、という呼吸音と共に、少年の持つ青い刀が水流を帯びる。

 ほぼ無意識での反射の域で、明は半身になって懐に入り、少年の手首を取って捻り上げた。

 少年の手から、音を立てて刀が落ちた。

「──君は……」

 取り押さえてから、今までとは異なり、相手が隊服ではないことに気がついた。

「──鱗滝さん!」

 関節を極められた少年が叫ぶ。

「早く、刀を────」

 少年が腕に力を込める。肘を壊してまで脱しようとしているのだと気づき、明は反射的に手を離した。少年の拳が明の顎を掠める。明は飛び退って距離を取った。

「──落ち着け、錆兎」

 刀を拾って明を追おうとした少年の肩を掴み、鱗滝が一喝した。

「鬼ではない。真菰の紹介で来た隊士だ」

「……隊士?」

 少年は目を瞬かせた。明の隊服に気づいたようだった。明は構えていた腕を下ろし、口を開いた。

「東出明という。これから(しばら)く、鱗滝さんの世話になる予定だ。君が、真菰の弟弟子か?」

「……俺は、伴田錆兎だ」

 錆兎と名乗った少年は、構えていた刀を迷うようにして下ろした。

 

 その晩、明は鱗滝と、その弟子の錆兎と義勇という少年達と共に食事を取った。

 少年達は共に十二歳で、多くの隊士と同じく、鬼によって家族を奪われたところを鱗滝に拾われたのだと語った。入隊前のため隊の事情には詳しくないのか、多少の警戒こそあるものの、初対面以降は明に敵意を示すことはなかった。

 義勇と名乗った少年は真菰の入隊とほぼ入れ違いに鱗滝の元に迎え入れられたようだったが、錆兎の方は真菰と共に稽古をしていたようだった。

 夕飯後に山に入り、水の呼吸の型を反復しながら、今日のことを振り返る。

 ──鱗滝さんの技は洗練されていた。

 一通り型を見せてもらったが、真菰のもの以上に流麗で力強かった。遠藤師匠も水の呼吸を使えるが、彼自身は炎の呼吸を主軸としていたため、鱗滝ほどには極めていない。初めて見る元水柱の剣技は、想像以上に美しかった。

 片腕でどうやればあれに近づけられるか、少しずつ型の形を修正しながら模索する。多少の助言も貰えたが、鱗滝先生自身も手探りでの指導のようだった。

 ────水の呼吸 参ノ型隻式 流流舞い

 重心を水平に移動させて足を運ぶ。

 炎の呼吸は岩の呼吸と並んで構えにおける重心が最も低く、重心移動を用いた重い攻撃力が特徴的だ。

 対して、水の呼吸は腰の位置が少し高い。炎の呼吸より踏ん張りがきかないため斬撃が弱くなるが、膝を柔らかく使うぶん、立ち回りが楽になる。

 握りを変え、もう一度参ノ型を繰り返す。

 足運びに関する鱗滝先生の助言は的確だった。後は、刀の振りをこれに合わせるだけだ。

 ──ふと、霧の中に人の気配が混じった。

 刀を操る手を止め、気配の方向を振り返る。明の視線に促されたのか、夜霧の中から宍色の髪と白い羽織が浮かび上がった。

「…………昼は、斬りかかって悪かった」

 歯切れ悪く、少年は口を開いた。

「──気にしなくていい。慣れている」

 本心からの言葉だった。このところ隊士からの敵意にばかり晒されている明にとって、錆兎からの攻撃は些細なものに過ぎなかった。その上、このように謝罪するような相手であれば、恨みも怒りも持ちようがない。

 それきり無言のままの少年に対し、明は再度口を開く。

「────鬼の判別ができるという点で加点、彼我の実力差を見極めきれずに無謀に斬りかかった点で減点」

 途端、不可解な顔になった錆兎を見据えて、明は続けた。

「判断が早いのはよいが、だからといって慎重さを失ってよいわけではない」

 真菰の弟弟子だ。同じような指導を受けてきたのだろう。だから、師の近くに鬼がいると認識してから、即座に攻撃に移れたのではないか。入隊前の子供であるのに鬼を前にしてすぐに斬りかかれるとは、よほどの精神力の持ち主に違いない。

 極められた関節を壊してまで脱しようとした判断も、生死の淵を渡る鬼狩りとしては見事なものだった。

 口角の片方を上げてみせる。

「──なに、私は隊士として先輩だからな。これでも一応、甲であるし。後輩の評価と指導をするのは当然だろう?」

 おどけたように言えば、ようやく少年は張り詰めていた気配を緩めた。

「明日からは共に稽古をするだろう。よろしく頼むよ」

「────ああ!」

 

 翌日、鱗滝の指示のもと、錆兎と義勇を相手に水の呼吸の型だけを使って模擬戦をしている時、思わぬ来訪者が現れた。

「────真菰」

「……久しぶり、明」

 用事で山を降りていたはずの鱗滝と共に現れた真菰は、明に向かってひらひらと片手を振って応えた。

「錆兎も久しぶり。義勇も、随分上手くなったね」

「真菰! 継子になったと聞いた!」

 先んじて駆け寄った錆兎に続き、明も木刀を下げて近寄った。義勇がその後ろからおずおずと加わる。

「──うん、水柱様が認めてくださってね」

「めでたいことだ!」

「ありがとう」

 穏やかに微笑んでいた真菰が、明に視線を戻した途端に少し顔を硬くした。

「鱗滝先生への紹介、感謝している。見舞いに来てくれたことも、ありがとう。……しかし、何故、ここに?」

「今日明日は休日だったから。しばらく帰れてなかったし、先生に…………明にも、会いたくて」

 どこかぎこちない様子の真菰を見ていた鱗滝が天狗面の下で口を開いた。

「義勇、真菰に木刀を。帰って早々だが、稽古に参加してほしい」

「──私が?」

 真菰は戸惑うように目を瞬かせてから、義勇に差し出された木刀を受け取った。

「東出は、全ての呼吸を使っていい。任務と同じように戦ってみろ。

 錆兎、義勇はよく見ておけ。甲の隊士同士の模擬戦は、なかなか見られるものではない」

 真菰は迷いがあるようだったが、明に切っ先を向けて構えた時には、彼女の気配は実戦さながらに研ぎ澄まされていた。

「……じゃあ、いくね」

「頼む」

 ────水の呼吸 壱ノ型 水面斬り

 錆兎と義勇とは段違いの速度の踏み込みと共に、木刀が水流を伴って迫る。

 ────炎の呼吸 弐ノ型隻式 昇り炎天

 明は硬い音を立てて弾きあげて応じた。──あまりに鋭く、正確な技だった。水柱の継子の肩書は伊達ではない。久方ぶりの同格の剣士との試合に、明は口の端に笑みを浮かべた。

 明の呼吸の調子が変わる。燃え立つような気配が収斂する。

 ────風の呼吸 弐ノ型隻式 爪々・科戸風

 速度と範囲に優れた風の呼吸の技を、真菰に向かって叩きつけた。

 迫る四条の剣風を、真菰は最小限の動きで攻撃を回避する。──ならば。

 ────水の呼吸 拾ノ型隻式 生生流転

 ヒュゥゥゥゥ、と一際大きく息を吸って体を回転させる。水の呼吸の型の中でも最も精度の高い技。ねじれ、うねる龍のように、刀が弧を描く。

 ────水の呼吸 肆ノ型 打ち潮

 対するは淀みのない斬撃の連続。

 寄せては返す波の如く、二つのうねりが何度も交差する。

 水の呼吸には真菰に分があるが、拾ノ型は回転するごとに威力が上がる。切り結ばれた五回目、真菰の残心が乱れた。このままでは力負けすると悟った真菰が、後ろに跳ね飛んで距離をとる。

 ──逃がさない。

 ────雷の呼吸 撃ノ型 紫電一閃

 踏み込みと同時に地面が抉れた。残光を纏った横薙ぎが真菰に迫る。壱ノ型の歩法のみを流用した一閃。見開かれた真菰の(はなだ)色の瞳と目が合った。

 ────水の呼吸 参ノ型 流流舞い

 ふわり、と真菰の体が揺れる。参ノ型の足運びで避けたのだ。明の木刀は真菰の着物の表面だけを撫で斬った。真菰は半歩下げた足の動きから繋げて、流れるように足を運び続ける。明を見据える目には迷いはない。

 ────水の呼吸 肆ノ型 打ち潮

 真菰の刀はそのまま攻勢に転じた。先ほどは防御に使用した打ち潮を、前進しながら重ねていく。

 明は一撃目を半身を翻して(かわ)した。──右肩に振り下ろされる木刀を、

 ────炎の呼吸 肆ノ型隻式 盛炎のうねり

 重心を落としての迎撃。刀を弾いた動きのままに、次へと繋げる。

 ────合の呼吸 離ノ型隻式 嗟若(さじゃく)

 火花を散らし、流れるような軌跡を描く。木刀が真菰の脇腹に食い込み、深々と噛んだ。

 くの字に折れる体。真菰が息を詰まらせた。

「────やめっ!」

 真菰が倒れ込むのと同時に、鱗滝の鋭い声が響いた。

 

 流派と呼べるほどのものでもないが、同じ呼吸法を使う隊士の間にも、それぞれ微妙に違いがある。こういった動きの癖のようなものも、育手から隊士に受け継がれていくため、剣士の動きを見れば、誰それの系譜の弟子だということがなんとなくわかるものだった。

 水の呼吸は使い手が多いため、特にこういった分化が顕著になる。──明が扱った水の呼吸は、鱗滝が以前に見た遠藤のそれに近かった。

 真菰からの手紙に「明は複数の呼吸を使う」と書かれていたのを読んで、真っ先に思い浮かんだのが遠藤の顔だった。

 人間業ではない呼吸の切り替えを用いた戦法に加え、彼独自の型であるはずの離ノ型を使うのを見て、明が遠藤の門下であることを確信できた。

 ──しかし、鬼子は煉獄に拾われ、育てられたはず。

 煉獄の鬼子か、と聞いた時、明は否定しなかった。

 他に比べて段違いの精度を見せた炎の呼吸の型も、煉獄家での稽古を示唆(しさ)していた。

 そして、気にかかるのは隻腕。

 隻腕の状態で戦い慣れているのを見るに、右手を失ったのは入隊以前だろう。

 ──あまり踏み込むべきではないか。

 明の仄暗い背景を察して、鱗滝は天狗面の下で唇を引き結んだ。

 

「……真菰。さっきは悪かった。怪我をしていないだろうか」

 休憩中の真菰の隣に腰を下ろし、明は真菰の脇腹に視線をやった。互いに対剣士戦に秀でており、実力が拮抗(きっこう)する明と真菰の試合では、寸止めなりをする余裕がない。直撃を予感して多少速度を緩められたが、今頃は隊服の下に青痣が浮かんでいるだろう。

「大丈夫。……明こそ、体の調子はもういいの?」

 随分酷いありさまだったのに、と真菰は言葉を添えた。言われて、直近で真菰が見た自分が満身創痍で昏倒している姿だったと思い出す。

「だいぶ前に完治しているから、心配はいらない。……見舞いに来てくれて、ありがとう。小夜から聞いた時、とても嬉しかった」

 改めて感謝を伝える。真菰の表情は晴れない。

「入隊して初めての友人が、真菰で良かった。真菰からの手紙は励みになっていたし、今日は刀まで交えてくれた。こんなにも気にかけてくれてたこと、感謝しかない」

「…………私は、」

 真菰は思い詰めた顔で、絞り出すような声を出した。

「あなたを、斬ったんだよ。……そんなふうに言ってもらう資格は、」

 その暗い声に苛立ちを覚えた。

「──私の目を見ても、真菰は私を厭わなかった。そのことに、どれほど救われたか」

 何故にこの友人は自分を責めようとするのか。これほど私を助けておきながら、些細な事故一つで引け目を感じているなんて、筋違いにも程がある。後ろめたく思うべきなのは、真菰ではなく私の方なのに。

「君がどう思っていようが、私は真菰を大事な友人だと認識している。今だって、真菰のおかげで、鱗滝さんに稽古をつけてもらえている

 ……役に立てるかはわからないが、真菰が必要としてくれたときは、手を貸すと誓う。だから、────」

明は右手を強く握りしめた。

 ──いけない。

 やめろ、と警告する自分の声が聞こえた。今すぐ口を閉じろ、と。言おうとは思っていなかったところまで、口が回ってしまっていた。これは言うべきではないのだ。けれども、言葉を押し殺すことができなかった。

「……だから、真菰のことを、これからも友達と呼んでいいだろうか」

 ──ああ、言ってしまった。

 言ってから、胸に後悔が湧き上がった。

 ──容疑をかけられるような鬼の友人だなんて、汚点にしかならないだろうに。

 ──彼女との縁を切る事こそ、恩に報いる唯一の方法だろうに。

 なんて、馬鹿なことを言ってしまったのだろう。真菰のためを思うならば、彼女の罪悪感をそのままにして、そっと距離を取るべきだった。それなのに、よりによって大勢の隊士から殺意を向けられている今、真菰の手を取ろうとしている自分に吐き気がした。

 それでも、取り消す言葉が出てこなくて、明は息を詰めた。

 一度手に入れた暖かなものを手放すのは、辛すぎる。煉獄家と縁を切った時に、その痛みを充分すぎるほどに知った。『東出』と呼ばれる度に、あの家にはもう戻れない事実が突きつけられるようで息が苦しかった。今はもう自己勘当を後悔してはいないが、もう二度と、手のひらから零れ落ちる喪失感を味わいたくはない。

 ──なんて、身勝手な。

 自嘲と糾弾の混じる自分の声が脳内に響く。それでも、先ほどの言葉を取り消すことができない。真菰が頷くことを期待している自分のことが、いっそ殺したいほど憎かった。自分のことが心底卑しく思えた。

 真菰に視線を向けられず、明は視線を手元に落とす。

「────明。私は、あなたがいなければ、私は最終選別で死んでいた」

 静かな声だった。

 歓喜と罪悪感が込み上げる。──そうだ、真菰ならこう言ってくれるのだ。わかっていて自分は、彼女からの負い目と友情にすがろうとした。

「あなたのおかげで、私は仇を討てた。恩を感じているのは、私の方」

 山を覆う霧の中に風が吹く。眼前の白い靄がかき乱されてたなびいた。

「これからも、よろしくお願いしても……いい、かな」

 

 任務へ向かった真菰を見送った翌日、霧深い朝空から見覚えのある鳥影が舞い降りた。

「──紫苑?」

 小夜の相棒の鎹鴉だ。鴉は脚に括り付けられた紙を押し付けるように差し出した。促されるままに手紙を外すと、紫苑はすぐに飛び立った。

 ──小夜からの手紙か。

 霧を吸って若干湿った手紙を開きながら、家に残してきた友人の顔に想いを馳せた。紙面には彼女らしい几帳面な文字が並んでいた。

 それは、明の無事を案じる文言から始まっていた。

 (つづ)られた文字を追い、明は顔を曇らせる。

 曰く、任務中に骨折をしてしまい、しばらく任務を離れることになった。この機会にしておきたいことがあるため、家を空ける。帰った時に家が無人でも驚かないでほしい。

 以上の事が簡潔な文言で述べられていた。

 任務で負傷するのは、よくある話だ。小夜の狩り方は特殊なため、怪我をすること自体は少なかったが、ありえないわけではない。

 しかし、時期が時期だ。

 ──もし、地区の隊士たちが明と同居していた小夜に標的を移していたのだとしたら。

 ──家を空ける理由が、用事だけではなく、「家にいると危険だから」だとしたら?

 手紙を握る手に力が篭った。手の中でぐしゃりと紙がひしゃげる。今まで漠然と抱いていた不安が現実味を帯びて目の前に(そび)えていた。自分のせいで小夜や真菰にまで被害が及んでしまうようなことがあれば、──

「──何かあったの?」

 年若い声を聞いて、はっとして明は手紙から顔を上げた。義勇が思案げに明を見つめていた。

「…………友人が任務で腕を折ってしまったそうでな」

 しばし逡巡し、短く答えた。

「それは、……災難、だったね」

「任務に負傷はつきものだし、珍しい事ではないが、心配にはなる」

「じゃあ、俺も入隊したら傷だらけになるのかな。今も鱗滝さんや錆兎にぼこぼこにされてるけど」

「ここの修行は厳しいからな」

 明は口の端を上げて笑って見せた。自分が自然に笑えているかわからなかった。

「続ければ、きっと真菰のように強くなれるだろう。真菰が怪我をしたという話は殆ど聞かない。

 水の呼吸は柔軟さが武器だ。対応力ならばどの呼吸にも勝る。極めれば、そうそう負傷することもなくなる」

「……やっぱり、真菰はすごい人なんだ」

 義勇は今まで真菰とあまり関わりがなかったためか、真菰の滞在中も錆兎ほどには打ち解けていなかった。代わりに、真菰の剣技を興味深そうにしげしげと観察していた様子が印象に残っていた。

「明も、真菰と同じくらい強いけど。明も錆兎や真菰みたいに、昔から剣を教わっていたの?」

 錆兎は鬼の襲撃を受けて孤児になってから育手に引き取られた口だったが、武士の家系の出であったため、呼吸こそ知らなかったものの、剣術には馴染みがあったらしい。

 対して義勇は剣には縁のない家の出身で、引き取られたのも錆兎の後だった。最近拾ノ型を身につけたばかりのようで、先を行く錆兎に焦りを感じているようだというのが、ここ数日共に稽古から伺えた。

「そうだね。私は、真菰と似たような出身だから。物心ついた時から、育手の教えを受けていた。……だから、義勇はこれから伸びると思うよ」

 ここ数日、共に稽古をしての所感だった。経験こそ浅いが、筋がいい。基礎が堅実に身についている。

 そう伝えると、義勇は顔を綻ばせた。

 

 水の呼吸漬けの日々を送っていたが、早朝の型演武だけは全ての呼吸の型を(さら)っていた。

 炎の呼吸の型を繰り返しながら、遠藤師匠からの手紙を思い出す。

 ──お前も型に(はま)らず、(こだわ)らず、 伸び伸びと自分の剣を探し、 極めてほしい。

 師匠は初めから、模倣に執着した私の欠点に気が付いていた。

 私の強みは何か。

 隻腕のこの体に、全てを叩き伏せるほどの膂力も破壊力もない。

 野沢ほどの間合いはなく、真菰ほどの速さもない。

 風柱邸の稽古場と、狭霧山での手合わせの中で、改めて自覚したことだった。

 代わりにあるのは、一流の剣士を見て育ち、膨大な数の模擬戦を重ねた経験から来る、先読みの精度だ。身についた動作予測は、鬼との格闘戦でも強力な武器になってくれていた。そしてそれを支える、豊富な呼吸と数多の型。

 相手の動きを読み、機会を読み、居ついた一瞬を斬り伏せる。逆に、剣技の緩急と多彩な型で崩れを誘って打ち据える。

 そういう戦い方こそが、自分に適しているのだろう。使う炎の呼吸自体も、その戦い方に合うように編みなおすべきだ。

 ──それはきっと、篝火(かがりび)ではない。

 煉獄家で教わったものとは、似て非なるものになるだろう。燃え盛り道を示す炎ではなく、掴みがたく捉えどころのない、燐火のような剣技になるはずだ。

 それに躊躇がないと言えば、嘘になる。

 しかし、理想が現実と噛み合うことはほとんどない。求める者が必ずしも望んだ才や恵まれた体を得られるとは限らない。

 ──師も、炎の呼吸への適性に限界を感じて、合の呼吸を編み出した人だ。似た思いをしていたのかもしれない。

 随分と顔を見ていない師のことが、近くに感じられた。

 

 鱗滝の元で修行を初めて丁度二十日目に、本部から通達を受けた。

 ──東出隊士への容疑を解く。

 ──至急、任務に復帰せよ。隊への貢献を期待する。

 




明治コソコソ噂話
 年齢は上から真菰14歳、明13歳、義勇・錆兎12歳。
 真菰とはしめ縄に使う植物の名前です。この小説の真菰は、物心つく前に鱗滝さんに引き取られて名づけをされました。このため、姓も鱗滝さんのものを使っています。
 一方、錆兎は親元で育ってから鬼によって孤児になったので、義勇と同様に生みの親の姓を使っています。「鬼殺の流」に因み、この小説内では伴田姓としました。

錆兎の鬼即斬の判断力は間違いなく鱗滝・真菰譲りです

水の呼吸の流派の描写は、「武士道シックスティーン」の早苗の剣術を元ネタにしています。
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