鬼子の剣士は夜明けを望む   作:安代圭

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第三章 鬼火・業火
第19話 指導


「一つ、約束してほしいことがある。今後一切、私の事を姉と呼んではならない」

「──何故」

 杏寿郎は眦を決した。明は努めて淡々と言葉を続ける。

「鬼の混じった隊士をよく思わない者は多い。煉獄家にこれ以上の迷惑はかけたくないんだ。隊では()()明と名乗り、煉獄家との関りを隠している。──頼む」

 鬼殺隊の中での煉獄家の立ち位置は、杏寿郎も承知しているはずだ。

 何百年と鬼を狩り続け、産屋敷家に仕えてきた一族。代々炎柱を輩出している煉獄家は、隊士からの信頼も厚く、ある意味で柱の象徴のような存在でもある。担う役割はただの柱以上に重い。

 その上、今煉獄家の名を背負っているのは、杏寿郎ではなく父の槇寿郎だ。迷惑を被るのが杏寿郎自身だけでないなら、おいそれと跳ね除ける事はしないと思われた。

「……人前で呼ばなければ良いのだろう。この家でだけでも、姉上と呼んではいけないか」

 しかし、義弟の反応は明の予想に反した。どこか寂しさの滲んだ声音に、明の心がぐらつく。

 ──この弟も辛いのだ。

 母を亡くし、父から稽古を拒絶され、義姉にまで他人としての線引きを求められたのだ。辛くないはずがない。

 小夜がいる分、自分の方が幾分かましだ。弟はあまりに孤独に過ぎる。

「…………家で、二人きりの時のみなら。ただし、鎹鴉、及び他の隊士には、決して私の事を姉と言ってはならない。徹底して他人のふりをすること。それでいいか」

 明が折れると、杏寿郎は硬い顔でうなずいた。

 

 

 姉と再会して、まず目を引かれたのは彼女の虹彩だった。

 もともと赤かった瞳だが、以前よりも鮮やかな色合いに染まっているように見えた。三年間の別離の中で記憶が色褪せていたため、余計に鮮烈な赤に見えたのかもしれない。

 衝動のままに駆け寄ったものの、言葉に詰まり、背の伸びた姉をただ見上げた。

 ──元気そうでよかった。

 その声も頭を撫でる手つきも、かつてといささかも変わるところがなくて、やはりこれは姉なのだと実感した。

 母の瞳とは形も赤の色合いも違うのに、細められた目が母のものと重なって、動けなかった。

 共に家で稽古をするようになってからは、姉の動きをよく観察するようになった。

 父とも母とも血の繋がっていない姉だが、言葉や所作の端々に両親の面影が見える気がした。

 特に、剣筋は父のものと見紛うほどに近い。

 ────炎の呼吸 伍ノ型隻式 炎虎

 燃え盛る虎の牙が杏寿郎に迫る。

 ────炎の呼吸 肆ノ型 盛炎のうねり

 揺らぐ炎を纏って、杏寿郎の木刀が明の木刀を噛んだ。

 しかし、明の木刀の勢いを殺しきれず、押し負ける。体勢が崩れた。

「──重心」

 姉の言葉に瞬きで応じる。

 一言だが、言わんとする事はわかった。腰を下げ、重心を安定させねば、炎の呼吸の型の威力を引き出せない。

 その間にも杏寿郎に木刀が迫る。鋭く打ち込まれるそれをいなして、杏寿郎は反撃の隙を窺った。

 ──それにしても、何という強さだろう。

 久々に見る明の剣は、以前にも増して洗練されていた。

 ──片腕でこれだけの力を載せられるとは。

 喉元を狙った突きを半身になって躱し、そのまま不知火に転じる。

「──視線」

 杏寿郎の反撃を易々と受け止めた明は、やはり一言だけ発する。

 視線で狙いが見抜かれるぞ、というのは、先の休憩中にも言われた事だ。

 体の一部ではなく、体全体を見るようにしろ、というのも。

 ──剣先は人の目で追える速さで動いていない。手足、肘、腰、その全ての動きの連動から相手の剣筋を読むんだ。これは剣士に限らず、鬼相手にも通じる技術だ。

 実際に鬼狩りとして任務に赴いている姉の言葉だ。経験から来る重みが感じられ、杏寿郎は粛々と受け止めた。

 しかし、言われてすぐに身につくものではない。

「──足元」

 上体ばかり注視していたせいで、まともに足払いを食らってしまった。

 ────炎の呼吸 参ノ型隻式 気炎万象

 更に頭上から降ってくる刀を、片膝をついたままどうにか横に受け流す。

 ────炎の呼吸 壱ノ型隻式 不知火

 しかし、二撃目は対応しきれなかった。首の真横で寸止めされた木刀を、悔しい思いで目の端に捉える。

 ──この姉はなんと厚い壁だろう。

 

 

「────おい、お前」

 背後からかけられた言葉に、明は瞬時には反応できなかった。

 杏寿郎の首筋に添えていた木刀を引き、声の方を振り返る。

「…………師範」

 門の近くに、懐かしい炎の羽織を纏った人影があった。

 久々に見る養父の顔に、明は僅かの間、呆けた。

 任務帰りだろう。羽織の裾が少し汚れていた。

「ご無沙汰しておりました。勝手に家に上がっており、申し訳なく」

 気を取り戻し、すぐさま頭を下げる。

 自ら縁を切っておきながら、杏寿郎に稽古をつけるという暴挙は、やはり許されることではないのかもしれない。

「ここで何をやっているんだ?」

「……お忙しい師範の代わりに、稽古を」

「無駄な事を」

 吐き捨てるように言った槇寿郎の言葉に、明は眉根を寄せた。彼の言葉の意味がわからなかった。

「お前らには剣才がない。隊士になったところで野垂れ死ぬだけだ」

 ──何を言っているんだ?

 杏寿郎は明らかに炎の呼吸の才に恵まれている。それがわからぬ父ではあるまい。

 混乱のまま、口を動かせないでいると、父は家の中に姿を消した。

 杏寿郎に視線を戻す。弟の沈んでいながらも驚いてはいない表情から、以前にも似たような事を言われたのだと察せられた。

 ──杏寿郎が困惑するわけだ。

 滅多な事では動じない肝の据わった弟が明を頼った理由が、ようやくわかった。この父の態度の急変は、さぞかし衝撃的なものであっただろう。

 

 

「──師範。中に入る許可を頂きたく」

 稽古を終えた明は、槇寿朗の部屋の前に立った。

 返答はなく、代わりに勢いよく障子が開いた。

「まだいたのか」

「稽古の途中でしたもので」

 隊服のままの父から、ぷんと酒精の匂いが漂った。任務帰りに酒を飲んできたのか、それともこの部屋で飲んでいたのか。

「お前も鬼殺隊なんかやめてしまえ。隻腕で戦い続けるなど不可能だ。どうせどこかで野垂れ死ぬ」

 顎には無精髭が生えていた。明が煉獄家にいた頃は、いつも清潔な身なりをしていたはずだった。

 あまりの父の変わりようと、その声の暗さに、明は声を失った。

「猿真似しかできない癖に」

 父の言葉は的確に明の心を抉った。

 ──やはり父も、私の炎の呼吸が形ばかりの張りぼてだと分かっている。

 明は炎の呼吸の型を、より自分に適合するように改変を加え編みなおす傍らで、杏寿郎との稽古では今までと同じく父の剣技の模倣に努めていた。

 剣筋の再現ばかりに注力していた型は、自分の体質にも隻腕の制限にもそぐわず、型の本来の力を引き出しきれていない。それを一目で見抜いた養父の眼に、畏怖に近いものを覚えた。

「これでも甲にはなれました」

「口答えを……っ!」

 振りかぶられた父の腕。

 隊服の人間から害意を向けられた瞬間、考える前に体が動いていた。全力で後方に跳び退り、左腕を盾に防御の構えをとる。

 自分の取った行動に気がついた瞬間、明は硬直した。あまりにも過剰な防御行動だった。

 ──父を敵と認識してしまった。

 ──この行動に弁明の余地は無い。

 恐々と腕を下げる。

「………………無礼を…………致しました…………」

 消え入るような声を出す。

 視線の先の槇寿郎も、同じく愕然とした表情をしていた。次いで、痛ましげに歪む。

 この反応をしてしまった理由ならわかりきっていた。隊士から憎悪を向けられ、何度も斬りかかられてきた結果だ。

 自分の命を守るために、明は敵意に敏感にならざるを得なかった。鬼のみならず人間も警戒しなければならない状況、昼夜問わず殺気に晒される日々は、明の神経をすり減らすのに十分だった。

 今や明は、隊服の人間に対して無警戒でいる事ができなくなっていた。

 気まずい沈黙が満ちる。

 けれども、明にはどうしても槇寿郎に言わねばならない事があった。

「……師範が指導を辞めたところで、杏寿郎が諦めるとお思いですか」

 あの弟は、自分と同じだ。

「杏寿郎は誰の助けがなかったとしても、剣士になるでしょう」

 それを聞いて、槇寿郎は苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。

「……何故、そう思う」

「師範と瑠火様の息子ですから」

 ──煉獄の家に生まれた者として、人を守れ。与えられた力で人に尽くせ。

 明と同じ教育を、杏寿郎も受けてきたのだ。生まれてから遠藤師匠に引き取られるまでの期間、明はそのほとんどを杏寿郎と共に過ごした。他ならぬ義弟の性格を、嫌と言うほどに理解している。

「私は杏寿郎に炎の呼吸を教えます。私の知る限りの技術を、師範から授かった全てを、杏寿郎に伝えます。杏寿郎が道半ばで死ぬことのないように」

「……好きにしろ」

 音を立てて障子が閉じられる。

 和紙の裏に消えた人影を見つめながら、明は出入りを禁じられなかった事だけを飲み込んだ。

 

 

 ──どちらにも適性があるということは、どちらも極められないということだ。

 明は杏寿郎の剣筋を見つめながら、己の刀の色を思い出していた。

 青と赤を帯びた紫紺の日輪刀は、明が水と炎へ他の呼吸以上に向いている事を示している。

 しかし、比較的にどちらに向いているかということと、どれだけの才があるかということは別の話だ。

 杏寿郎の炎の呼吸を間近で見ていれば、この弟が自分よりも炎の呼吸への高い適性を持っていることが容易に察せられた。

 これは、水の呼吸を扱う真菰にも感じてきた事だ。

 炎の呼吸では杏寿郎に及ばず、水の呼吸では真菰に及ばない。

 ──自分の強みは適性の深さではなく、適性の広さだ。

 雑念を振り払うように、明は息を吐く。

 曲がりなりにも炎の呼吸が使えているのだ。それで満足するべきだろう。

 炎の呼吸のみを使った立ち合いでも、未だ杏寿郎を制していられているのは、明の動作予測の精度が高いからだ。杏寿郎の型が完成する前、威力が乗り切る前に木刀を当て、型を崩すことで制している。

 手応えからして、杏寿郎の体が成長しきっていない今ならまだ、正面からまともに打ち合うこともできそうだ。純粋な力比べでも負けはしまい。

 しかし、二年後三年後には押し負けるようになるのは目に見えていた。これが明の適性と隻腕の限界だ。

 ────炎の呼吸 玖ノ型 煉獄

 隣の杏寿郎が炎の呼吸の奥義を演じる。

 渾身の力で振られる木刀。近づくだけで肌が灼けそうなほどの闘気が杏寿郎の全身から燃え立つ。

「……最初の構え、切っ先を二寸下に。三度目の斬り込みに重心が乗り切っていなかった」

「──はい! 姉上!」

 弟は元気よく明の講評にうなずく。

 この奥義、煉獄の名を冠した玖ノ型に関しては、杏寿郎の技は完全に明のものを上回っていると言っていい。明の体ではこれ程の威力は出せない。

 それでも、まだ、指導の余地はあった。瞼の裏に焼き付いた父の剣技。自分にはできずとも、完全な型の形ならば知っている。

 第三者の視点から型を観察し、違いを指摘する。自分では気づきにくい癖を炙り出してやれば、杏寿郎は素直に型を修正し、驚くほどの速さで上達を遂げた。

「──姉上。今のは?」

「指摘した事は直っていた。素晴らしい。敢えて言うなら、膝が内に入り気味だったな」

「承知した!」

 才と肉体に恵まれた弟が、無邪気に明を慕う。その純粋な尊敬の視線すらも、明の神経を逆撫でた。

 この弟は、明が欲しいものを全て持っている。

 いずれは炎柱にもなるだろう。明がどれほどなりたくてもなれない地位に。炎の呼吸の極みにも辿り着く。

 杏寿郎から教えを乞われたときは、師と母を喪い自失していた自分の足を動かす(よすが)になった。しかし、今となっては、弟の存在は救いであると同時に、明の心を容赦なく抉るものにもなっていた。

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