遠藤良平は、変り者の剣士として有名だった。
育手のもとで風の呼吸を学ぶも、支給された日輪刀は東雲色に変化。より自分の体質に合った剣技を学ぶため、炎の呼吸を扱う煉獄家の剣士に師事した。
ここまでならばよくある話だが、炎の呼吸を修め終わった遠藤は、さらに様々な呼吸法・剣技を求めて同僚の隊士に教えを請うた。本人曰く、「新しい呼吸法を覚えるのが楽しかった」ようで、最終的に習得した呼吸法の数は片手では足りない。
最終的に、炎の呼吸を軸として独自の解釈で剣技を統合した「
数多くの型に精通した遠藤ならば、明に合った剣技を教えられるのではないか──そう思った槇寿郎は、遠藤に鎹鴉を飛ばした。
「──新しい育手、ですか」
目の前でかしこまって正座している明は、槇寿郎の言葉を反芻した。
「……もう、父上にはご指導いただけない、と」
「ああ。俺も、最終選別まで指導してやりたかったが、俺ではお前の才を十全に引き出すことはできん。隻腕での戦い方など、経験がないからな。だから少しでも詳しそうな遠藤に任せようと思う」
「その、遠藤様は、私の事を忌避したりはしないのでしょうか。隊士の方には一層、気味の悪い見た目に見えるのですよね?」
己の腕を斬った隊士の事を思い出しているのだろう。明は残った右手で、左腕の肘を握った。
「大丈夫だ。もう話は通してある。引き受けると言ってくれたよ。……もともと、お前を育てることになったきっかけは、お館様のご指示だった。当時は噂にもなったからな、年配の隊士や関係者には知っている者も多い」
「そう、ですか……」
明は軽く目を閉じた。表情が硬い。急な話で戸惑っているのだろう。無理もないか。
「勝手に話を進めていて、すまない。どうしてもこの家から出たくなければ、それでもいい。俺から遠藤に謝っておく。……夕飯のあとに、俺の部屋に来なさい。それまでに決めておくように」
「……承知いたしました」
障子越しの気配を感じて、槇寿郎は声をかけた。
「明か。────入れ」
「失礼いたします」
小さな手が障子を開けた。瑠火にしつけられた所作が身についている。これならば、遠藤のもとに送り出しても大丈夫だろう。
自分にも瑠火にも懐いていたし、杏寿郎とも仲が良い。離れるのは寂しいだろう。しかし、この子は剣術を好んでいる。隊士の厳しさも知っているから、生半可な技量ではすぐに死ぬとわかっている。──きっと、遠藤のもとでの稽古を選ぶだろう。
「決められたのか」
「はい」
明の顔には緊張が見られた。
「育手のご紹介、感謝申し上げます。遠藤様に、『すぐに参ります』とお伝えください。……今までありがとうございました、師範。今日、この日を以て、煉獄の姓を返上いたします」
「────何を」
言っているんだ、と言いかけて言葉が出なかった。
「これからはただの『明』として生きてまいります。鬼子の存在が、煉獄家に禍をもたらしてはいけません。……どうか、勘当してください」
思いがけない事態に、槇寿郎は硬直した。
──この子は。
厄介者として追い出されるのだ、と解釈したのだ。
斬りかかられて、隊士にとっての自分の存在を客観的に自覚した。忌まれ疎まれる見た目の自分は、煉獄家にとって迷惑でしかないのだと────
槇寿郎はぎり、と歯を食いしばった。
「……明よ、俺は、……出来ることなら、お前を手放したくはなかった」
この利発な娘にそう思わせてしまった自分の行動を後悔した。
「本当に、すまない。俺ではお前を育てきれる自信がないんだ。……だが、俺はずっと、お前のことを娘だと思っている。たとえ、血がつながっていなくとも。お前は確かに、俺の炎を継ぐものだ」
「──しかし」
もともと白い肌からさらに血の気をひかせて、しかし語調だけは強く、明は言い募った。
「鬼殺隊で私が、どのように評価されるかわかりません。半分鬼の化生が、煉獄の名を汚すわけにはいきませんから。煉獄の名は、鬼子が名乗るべきものではありません。
今までずっと、煉獄家の立ち位置を教えていただいていたのに、真の意味で理解できておりませんでした。……思いあがりをしておりました。浅慮を恥じております」
強情な瞳だった。丁寧ながら硬い口調と態度が、どこか瑠火を思わせた。
「炎柱としても、鬼子を娘などと呼べば、隊士に示しがつきませんでしょう。見た目だってこのように、煉獄家の方々とは程遠いのです。……万が一にでも、
──『父』と呼んではくれないのか。
槇寿郎の胸の内に隙間風が吹いた。唐突に娘が突きつけてきた距離が、あまりに遠かった。
「…………お前は頭が固いから、言っても聞かないのだろうな」
槇寿郎は諦めたように息を吐いた。何を言っても、この子は煉獄の姓を名乗るつもりはないのだろう。
「せめて何らかの姓を名乗れ。お前は鬼ではなく人だ。…………そうだな、『東出』とでも名乗るといい。鬼殺の剣士として縁起もよいだろう」
槇寿郎は腕を伸ばした。身を固くした明の頭に、ぽん、と手を乗せる。柔らかな髪が、槇寿郎の分厚い手の下でたわんだ。
「もう一度『煉獄』を名乗りたくなったら、いつでも名乗っていい。俺はお前の父親だ。何があろうとも」
「…………はい」
消え入りそうな声で答えた娘の頭を撫で、ゆっくりと手を離す。
「明の名は、お前を抱いて見た夜明けから取ったものだ。どのような見た目であっても、お前は日の元を歩く存在だ」
鮮血のような赤い瞳が槇寿郎を見上げている。
「夜明けが希望となる『人』だ」
縦に深く裂けた瞳孔が、槇寿郎の目を捉えて離さない。
「お前の道を太陽が照らすように、東から登る太陽がお前を守るように、この姓を贈らせてくれ。鬼を遠ざける太陽と、夜道を照らす月の加護があらんことを祈る」
この家で過ごす最後の夜だった。少しでも屋敷を目に焼き付けておこうと、ゆっくりと廊下を歩いていた時、瑠火に声をかけられた。
「明、来なさい」
「はい」
瑠火は部屋の中で正座をして手招きしていた。座るように促され、明も腰を下ろす。
「最後に少し、話をしておきましょう」
静かな瑠火の声を聞き、明は背筋を伸ばした。
「人を人たらしめるものが何か、わかりますか」
「…………いいえ。教育、でしょうか」
明は自信なさげに答えた。
「それも正解と言えるでしょう。しかし、私があなたに伝えたいのは、もう一つの答えです」
夕焼けのように鮮やかな紅の瑠火の瞳が、明をまっすぐに見つめた。
「人と獣を分かつのは、誇りです。人としての矜持を持ち続け、誇り高い人間として行動する限り、あなたは人です」
明の異形の瞳に、艶やかな白髪に、最後に剣だこのある右の手に、視線を移していく。
「あなたは人とは違う体を持って生まれました。人にない力があります。それを私利私欲の為でなく、人々の為に使いなさい。その力は、人を守るために与えられたものだと、片時も忘れてはなりません。それを全うできたなら、あなたは人として生きられる」
槇寿郎は任務で家を空けることが多かったため、明と杏寿郎を育て、導いてきたのは瑠火だった。
「あなたは強い子です。弱き人を守りなさい。それが、強く生まれた者の責務です」
瑠火の瞳に、力強い煉獄の炎が見えた気がした。槇寿郎の剣技にも似た、激しくも暖かな炎を。明は瑠火の言葉を聞くたび、震えるような気分になる。槇寿郎が剣の師であれば、瑠火は明にとって精神の支柱だった。
「あなたの力は、世のため人のために使いなさい。天から賜りし力で人を傷つけてはなりません。あなたの力は鬼を斬るためのものであり、人に向けることは許されません。
……そうやって在り続ければ、あなたの目に恐れを見出した者も、きっと、あなたの背に安らぎを覚えるでしょう」
瑠火は最後に微笑んだ。
「短い間でしたが、あなたを育てられて良かった」