鬼子の剣士は夜明けを望む   作:安代圭

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第30話 後継

 閉ざされた視界の中、規則的な振動が明の体を揺らす。

 今の明は、耳栓と目隠しをされた状態で隠に背負われている。くぐもった音と、拍動の音、そして隠に触れている腹と腕の暖かさ。目も耳も閉ざされた中では、他の感覚が鮮明だ。

 明は産屋敷家への道中にいた。かの家の所在地は最高機密として秘匿されているため、(おとな)うには何人もの隠の手によって運搬されなければならない。

 隠の首筋からはほのかに汗の匂いがした。明の鼻はそれを食料の匂いとして解釈した。栄養のある肉の所在を示すもの。自分と人間の決定的な断絶を示すその嗅覚を、諦念と共に受け入れる。

 小夜の葬儀を終えてから数日ほどかけて、様々な食料を口にしてみた。

 獣肉も魚も米も野菜も、問題なく摂取することができた。味覚の方にも変化はなかった。他の鬼が言う「吐き気のするような不味さ」は兆候すら感じ取れなかった。栄養の問題でも味覚の問題でも、明が敢えて人肉を欲する理由はない。

 しかし、それが被食者にとってどれほどの意味があるだろう。明の体が人間を食料の一つとして数えていることに違いはないのだ。隠たちにとって、明が捕食者であるのは否定しようのない事実だった。彼らがそれを知っているのか、無意識にそれを感じ取っているのかは別として。

 たとえどれだけ人に馴れていて、血の味を知らない虎だったとしても、猛獣のいる檻の中に入りたがる人間はそうはいない。彼らの反応は至極真っ当なものだ。

 ──私を背に負っている彼らが常に緊張していることを、どうして咎められるだろう。

 彼らの態度に傷つきすらしないことに自嘲する。

 自分がもはや人とは言い難い生き物になってしまっていることを確信していた。

 それでいながら明は、「空腹時の自分が人を襲うのではないか」という危惧はしていなかった。

 単純な話だ。

 人の匂いが美味しそうだとは思っても、食べたいとは思えなかった。

 例えば、隣人から肉じゃがの匂いがしたとして、即座に「隣人を食べたい」と思うだろうか? ──否だ。

 ただ、匂いの感じ方が変わっただけ。食欲は今まで通りの食事で満たせた。鬼に変異したばかりの時に感じるらしい飢餓感も、今のところは全くない。彼らと違い、緩やかで段階的な変化だからだろう。自分が衝動的に人を襲ってしまう状況を想像できなかった。飢餓のあまりに生きた豚にかぶりついてしまう自分を想像できないのと同じように。

 数日の間、人を遠ざけて過ごしたなかでそういったことが飲み込めて、ようやく落ち着くことができた。少なくとも、今の状態の自分が人を食べることはないだろうと確信した。

 遠藤師匠は「何であるかではなく何でありたいかを重視しなさい」と遺書に言葉を遺した。今は亡き育ての母は「誇り高い人間として行動する限り、人であれる」と語った。

 ──私は人だ。まだ、人間だ。

 人を食わずにいられるうちは、鬼ではない。欠けたままの左腕は、私の肉体が辛うじて人の側に留まっていることを明自身と周囲の人間に証明してくれる。かたわの鬼は存在しないことは、鬼殺隊の経験上でも確かな事実だ。

 それでも、今の自分の状態を誰かに伝えることは憚られた。中途半端に伝えてしまえば、立場が悪くなるだけなのは目に見えていた。わざわざ誰かに伝えようとも思えなかった。

 小走りの隠の振動の調子が変わる。上り坂だろうか。

 産屋敷の邸宅は遠い。道順を覚えさせないよう、わざと遠回りしている分、随分と時間がかかっていた。

 目隠しの下で目を瞑る。

 外からの情報がないと、思考はどうしても内側に向かう。取り留めなく過去を反芻する脳の手綱をとることもせず、流されるままに明は己の思考を眺めていた。

 つい最近読んだ遺書が瞼の裏に浮かんだ。

 小夜は筆まめな人だった。遺書も頻繁に書き換えていたようであり、遺書に書かれていた日付はまだ新しかった。いつだったか、小夜は『情報は鮮度が大事だ』などということを言っていた気がする。事務的なものが一通、そして明と真菰に個人的なものが一通ずつ、柱邸の遺書管理用の棚に保管されていた。

 

 ──猟銃と山刀は一番古い付き合いの猟師である高尾茂吉に。蔵書は全て風柱邸に寄贈する。その他の遺産は東出明に任せる。

 

 『さほど物は持っていないが、使えそうなものがあれば、明と真菰で分配して欲しい』と明への遺書に書かれていたので、衣類の大半は真菰に譲った。背丈の伸びた明では丈が合わず、胴接ぎをしてまで着ようとも思わなかった。──着れる気がしなかった。例えどのような理由であれ、一度でも食料と勘違いしてしまった友人の、それも故人の服に、どうして袖を通せるだろう。

 明に宛てられた遺書には『もらった万年筆の使い勝手が良かったので、是非使って欲しい』とあったので、着物の代わりに文具の類を形見として受け取った。それは明にとって故人を偲ぶための品ではなく、戒めとして手元に置くためのものとなった。

 明に宛てられた遺書は、三通の中で最も長く、日付も新しかった。

 

 ──もの言えぬ死者の特権を使って、鬼体実験への許容を強要するつもりはない。

 ──けれども、私の狩りを認めてくれた貴方なら、私の実験の価値を理解してくれると信じている。実験を継続せよとは言わない。けれども、どうかこの記録と成果を無駄にせず、今後の鬼殺に役立ててほしい。

 ──私に武人の道理はわからない。今でも、救った人の数こそが全てだと思っている。結局のところ、私と貴方は他人だから、全ての価値観を共有することはできないし、理解できたと思う事の方が傲慢なのだろう。

 ──だから、私から言えるのはこれだけだ。貴方が選んだ正義は間違いでは無い。どのような道を選んだとしても、私は貴方を肯定する。貴方の信じる正義を貫いてほしい。

 

 小夜を拒絶したことへの恨み言は一つもなかった。そこには明の意思への尊重だけが綴られていた。

 

 ──私が隊士を続けられたのは、貴方が私を認めてくれたからだ。貴方がいなければ、私は自分の狩りを広めようなどとは思わなかった。昼伐隊編成は、貴方がいたからこそ成し得た。心から感謝している。ありがとう。

 

 遺書に書かれていた感謝の念が重いほどに、胸が抉られる心地がした。他に言いたいことが山ほどあっただろうに、謝辞だけを伝える文字が痛かった。いっそ罵りや恨み節が少しでもあればと思わずにはいられなかった。

 明による狩猟技術の肯定が小夜の中でどれほどの重いものだったかも、初めて知った。その重さが鬼体実験の許容への期待と等しかったのだとようやく理解して、居た堪れなかった。

 

 ──どうか、願わくは、貴方が心安らげる未来が訪れますように。貴方の友として、心から幸福を願う。

 

 遺書は祈りと明への肯定で満たされていた。

 読み進めるたびに、自分の奥歯を噛み締める力ばかりが強くなった。

 ──違う。

 ──私は、そのように書き残してもらえるような人間じゃない。

 感情のままに貴方を否定した。貴方の仕事の重さを理解できる立場にいたはずだったのに、衝動的に拒絶してしまった。私が辛い時はいつも支えてくれていたのに、恩を(あだ)で返すことしかしなかった。

 その上、私はこともあろうか、貴方の死体の匂いを食料の匂いと勘違いしたのだ。

 どうして今更、友人などと呼んでもらえるだろう。

 遺書に書かれた小夜の几帳面な筆跡を何度もなぞった。紙の上を往復したはずの小夜の手の動きを、繰り返し、繰り返し。読むたびに息が苦しくなるのに、それでも読まずにはいられなかった。

 

 隠の足が止まる。今までとは異なり、引き継ぎの人間の気配はなかった。目的地に着いたのだろう。屈んだ隠の動きを察して、そっと地面に足を下ろす。硬い地面の感覚が久々に思えた。目隠しと耳栓をとる隠の手を、黙って受け入れる。

 目元を覆う布が外された瞬間、明は眩しさに目を細めた。長らく念入りな目隠しをされていたため、明るい日差しに目が慣れない。

「東出様。こちらが鬼殺隊本部、産屋敷邸です」

 堅苦しく腰を折る隠に対し、同じく丁寧に頭を下げた。

「ここまでありがとうございました。お疲れ様です」

 礼をする明に、隠は恐縮したように顔をわずかに引き攣らせた。

「いえ、仕事ですのでお構いなく。……お館様の居室までご案内します」

 落ち着かなげな足取りで先導する隠の後を、明は黙ってついていった。まだ玄関口のため屋敷の全容はわからないが、軽く見渡した限りでも、明が踏み入ったどの屋敷より広いようだった。日当たりが良く、暖かい。高くなってきた日差しが、柔らかく柱の木目を照らしていた。広さに反してさほど人はいないようで、生き物の気配は乏しい。隠の息と足音、そして時折吹き抜ける風の音だけが聞こえていた。

 産屋敷耀哉に会うのはこれで二度目だ。

 小夜は『当主のことは信用しない方がいい』と言った。元から、産屋敷耀哉への感情は信頼からは程遠いものだったので、裏切られたと言う感はない。むしろ、納得の方が大きかった。

 とはいえ、『鬼を滅して人を守る』という隊の方針自体は信用していいはずだ。少なくとも、裏で鬼と結託している、などの裏切りは無いだろう。むしろ、その目的のために手段を選んでいないから、小夜に『信用するな』などと言わしめたのではないか。

 ──鬼の体で実験をしていた小夜がそう言ったのだから、相当なことだったのだろう。

 小夜の殉職は、彼女から警告を聞いてから一週間も経っていなかった。故に、最初は小夜の死に産屋敷が関与しているのではないかとも疑った。しかし、当主は小夜の能力を高く評価していたはずだ。小夜が知ってしまったことの内容にもよるが、鬼殺のために手段を選ばないだろう産屋敷が小夜という人材を簡単に捨てるとは考えにくい。十中八九、無関係と考えて良いはずだ。──そうであって欲しい。もしもその最悪の筋書きが真実であったならば、明は当主を殺すだろう。

 小夜が知ってしまったものとは何か。おそらく、明を始末しようとしているとか、或いは利用しようとしているとか、そういった(たぐい)の話なのだと思う。その程度のことならば、少なくとも今日話すにあたって支障はない。

 奥の一室に辿り着くと、隠は中に「東出隊士をお連れしました」と声をかけてから、一礼して去っていった。次いで、襖越しに入室を許可する声が聞こえた。あの日の墓地で聞いたものと同じ、妙に響く声だった。

「失礼致します」

 膝をつき、襖の引き手に手をかける。軽く開けてから手を襖の親骨に沿って滑らせ、低い位置で押し開けた。右腕しかないため多少不恰好になってしまうが、こればかりは仕方がない。

 部屋の中には、あの日よりも幾らか成長した見た目の少年が座っていた。その柔和な微笑みを見た瞬間、言い知れぬ嫌悪感と不信感が湧いた。

 先入観とは恐ろしいものだ。

「久しぶりだね、明」

「ご無沙汰しておりました。お館様におかれましては、ご健勝のようで何よりです」

 作法というものは一見面倒だが、決まった手順をなぞればよいというのは楽であるし、自分の胸中を押し隠すのにも役に立つ。湧いて出た感情を懐に押し留め、眉一つ動かさないまま、明は入室の作法をなぞり続けた。この手順を叩き込んだ養父母の顔が、頭の隅にちらりと浮かんで消えた。

「小夜のことは残念だったね。生きていたならば、それこそ鬼殺隊を支える一柱になってくれていただろうに。君にも、友人が死んで間もないのに休む暇をあげられなくてすまない」

 白々しい、と思った。直属の上官だった風柱でさえ『篠原』と苗字で呼んでいたのに、馴れ馴れしく『小夜』と呼ぶ当主に不快感を覚えた。当主の悲しげな表情がわざとらしく見えて、明の神経を逆撫でる。

「いえ。……小夜の遺志を継ぎ、任務をこなす事こそが、最大の弔いになるでしょうから」

 幼さの残る少年の顔が明に向けられている。貧相な体に、日に焼けておらず色の白いままの肌。普段は歳上の隊士、鍛えられた屈強な肉体を持つ剣士達を相手にしているからか、当主は聞き及んでいる年齢よりも一層若く見えた。

「任務に励んでくれてありがとう。ようやく、君を柱に任じられて嬉しいよ」

 耀哉の言う通り、産屋敷邸来訪の名目は、正式に柱に任じられるためだった。

 昨年で四十になった風柱の伊藤は、加齢による体力の衰えに苦しんでいるようであり、「近いうちに引退するつもりだ」と度々漏らしていた。おそらくは鬼殺隊の中でも最高峰だろう剣技の冴えは健在だが、夜通しの任務が体に障るようになったらしい。古傷の調子も悪く、この冬は辛そうにしている日も多かった。

 そして先日、小夜が殉職した。小夜がこなしていた仕事の多くは地区責任者としての柱の管轄に含まれていた。昼伐隊の総責任者としても、明は経験が浅すぎ、そして若すぎた。結果として、小夜の抜けた穴の多くを伊藤が埋める事になった。

 潮時だ、と伊藤は言った。

 伊藤は当主に明を柱にするための推薦状を送った。明を当地区の最高戦力とし、隊士達の統括を任せる。自分は小夜の遺した昼伐隊組織を引き継ぎ、そして地区内の事務や柱の補佐、後進の育成に力を注ぐ、と。

 明としても、先任が地区に留まって補佐をしてくれるというのはありがたかった。主に部下の差配の面で、自分ではまだ力不足だという自覚があった。

「号はどうしようか。君は多くの呼吸を使っているからね。遠藤と同じ合柱(あわせばしら)がいいかな」

混柱(まじりばしら)を名乗らせて頂きたいです。私の剣に師のような統合と調和はありません。多くの流派をそのまま混ぜて使っているだけの粗野なものです。合柱を名乗るに値しません」

「──そうかい。ではそのようにしておこう」

 混の字に込められた含みを察したらしく、耀哉は少しだけ眉を(ひそ)めた。

 ──混柱。複数の呼吸を『混ぜて』使う柱。

 しかし、多くの隊士はそのようには認識しないだろう。『鬼混じり』の柱。明の容姿を見た隊士は、真っ先にそう認識するはずだ。敢えて自虐とも取れる号に決めたのは、一種の開き直りと意思表示のためだった。己の出自を隠すつもりはない。そして、私を厭っても構わない。馴れ合う必要もない。私の下につくのが嫌ならば、追って引き止めるつもりはない。

「──それで、本題の方ですが」

 産屋敷邸を訪れた名目は柱の拝命だ。しかし本来、柱を任ぜられる時に当主と顔を合わせる必要はない。明がここに来たのは、当主と話すべき事項が幾つかあったためである。その概要については、先んじて書をしたためて晴彦に運ばせていた。

 頷いて先を促した耀哉に対し、明は口を開いた。

「まずは、私の鬼化の進行についてです。同僚及び風柱曰く、私の『鬼の気配』が以前よりも濃くなっているようです。いつ鬼に変じてもおかしくないと思われます。

 これへの対応として、鎹鴉を二羽……鴉の負担を考えますと、理想としては三羽を私につけて頂き、交代制による常時監視体制を整えたく存じます。また、並行して鬼に変じた場合の討伐隊の編成もできるように、準備をしておいていただきたいです。無論、可能ならば自刃するつもりですが、これに関しては念を入れるべきであると考えております。呼吸使いが鬼になれば、相当に厄介な事態になりましょう」

 自分の剣術は対剣士戦に秀でていること。鬼化によって両腕と再生能力を手に入れた自分を確実に殺すためには、複数人の柱を討伐に向かわせるのが望ましいこと。明は稽古場での訓練によって一対多数の戦闘に慣れているため、 生半可な階級の隊士を集めて物量で圧する作戦は不適当であり、(いたずら)に戦力を消耗するだけの結果になりかねないこと。自分の剣術の特徴や討伐時の注意点などについて、可能な限り詳細に書き綴った書類も事前に提出してある。

 明自分が心身ともに完全に鬼と化し、人に仇なす存在になる。それが最も恐れるべき事で、尚且つ警戒するべき事だ。それは産屋敷の立場でも同じはず。他の提案についてはともかく、これに関しては撥ね除けられることはまずないだろう。

 とはいえ、これは保険に過ぎない。今までの経過を見る限りでは、普通に過ごしていて急激に鬼化が進行するのはまずないだろうと思われた。鬼の血さえ浴びなければ、変化は緩やかなものになる。対処は容易だろう。自決をする余裕は十分にあるはずだ。

 今回の嗅覚の変化は間違いなく、十二鬼月の血を浴びたのが原因だ。鬼舞辻の血が濃い鬼の血液ほど、明の体にも強い影響を及ぼすのだろうと推測された。故に、上弦の血を被ったときにどうなるかは予想がつかなかった。もし完全に鬼と化し、善悪の箍すら外れ、剣技の冴えだけが残されたならば、自分は厄災に成り果てる。──けれどもそれは、「上弦との接敵」という仮定に限られる話だ。もし上弦の鬼を発見したならば、ほぼ確実に鴉が他の柱に応援要請を行う。わざわざ明のための討伐隊を編成するまでもなく、柱が集結する事だろう。

 だからこれは、二重三重の保険の末端だ。それを理解した上でわざわざ頼むことにしたのは、産屋敷の鴉にこそこそと監視されるのに嫌気が差していたからだった。監視の目を外すことができないならば、いっそ正式に置いて堂々と見られる方がまだましなように思われた。

「…………わかった。自分を殺すための頼み事をされるのはこれが初めてだよ。鴉も、今の君の担当に加えて二羽派遣しよう」

 つらつらと事務的に述べた明に対し、耀哉はまた悩ましげな表情で言葉を返した。心配する素振りも、どうせ形だけのものなのだろう。明は冷めた心持ちでそれを見ていた。『信用しない方がいい』と小夜に言わせるほどのことをしているのだ。この当主が明の事を案じることはありえない。当主の表す感情の全ては、印象操作のための欺瞞(ぎまん)と考えるべきだ。

「もう一つは、隊内制度についての進言です。つい先日まで平隊士であった私が言うのは出過ぎた真似かもしれませんが、ご容赦ください」

「現場の声は大事にしたいからね、運営に関しても遠慮なく意見を言ってくれて構わないよ」

「最終選別の方式に関する企画書をお読みいただけたでしょうか」

「うん、読んだよ。とても興味深かった」

 当主は軽く目を伏せ、穏やかに返した。

「上手くできたなら隊への利益は大きいと思っていますが、結果が読みにくいので、私の地区で試行する許可を頂きたいです」

 新人隊士の配属先は各地区の隊士数の兼ね合いで決まる事になっているが、基本的には同期の隊士同士は同じ地区に配属される。十二鬼月などとの戦闘で隊士の数が壊滅状態にでもならない限り、四月の新人は水柱地区、五月の新人は炎柱地区、と言ったように、月毎に配属先が巡る。

 旧風柱地区──即ち、混柱地区に配属される予定の直近の最終選別だけ試しに裁量を任せてほしいと、こちらも企画書と共に許可を願う書状を出していた。

「正式に採用するには柱合会議を通した承認が必要だけど、明の地区の回だけ試す分には問題ないよ。ただし、入隊から一年間の指導には責任を持ってもらう。各地の育手への連絡は私からするから、準備が出来次第、本部に伝えてね」

 あまりにあっさりと許可されたことに拍子抜けした。こちらは難しいかもしれないと思っていたが、勘違いだったようだ。

 小夜の遺品整理は、ほぼ全て明が(おこな)った。小夜の部屋には、大量の蔵書、書き付けや様々な記録が遺されていた。そこには小夜の思考の断片が刻まれていた。日記とは別に彼女が作っていた雑記帳には、真菰や明と話したこと、そこから発展させたり細部を詰めたものなどが書かれていて、読むごとに小夜との会話が思い出されて辛かった。故人の手記を無遠慮に読むことに罪悪感がないわけではなかったが、これには小夜自身の私的な事はほぼ書かれておらず、仕事の草案やらばかりが書き付けられていたので、引き継ぎのためにも目を通すことにした次第である。

 その他、記録解析の途中で気づいた事、気になった事、隊律に関する疑問なども事細かに記されていた。その中に、選別制度に関する改定案があった。

 もともとは、三人での食事会で話題に上がったものだったように思う。書かれていた幾つかの要素は、聞き覚えのあるものだった。紙面にはいくつもの書き直しや加筆した形跡があり、小夜が繰り返し考えていたという事が伺えた。

 ──小夜の遺したものを、一片も無駄にしたくない。

 その一心で、明は当主に掛け合うことを決めた。それが自分にできる罪滅ぼしだと思った。

「ありがとうございます。お手数おかけしますが、よろしくお願い致します」

 感謝の意を表すために、深々と頭を下げる。畳についた自分の無骨な右手が目の前に見えた。硬く、節の目立つ、剣士の手。──目の前の少年の手とは似ても似つかない武人の手だ。

「……随分と居心地が悪そうだ。悪いね。何が嫌なのか教えてくれないかい? 君にとってはどうやら、私の態度はあまり好ましくないらしい」

 困ったような言い方をした耀哉に対し、明は顔を上げ、また俯いた。

「……畏れながら」

 相手に気取られるとは、未熟だ。そして、不敬な態度を取っていただろう自分に苛立ちを覚えた。もし煉獄家の教育を疑われでもしたら不本意だ。依然として変わらぬ当主への嫌悪感に、僅かばかりの罪悪感が混じる。

「私のことは『東出』とお呼びくださいますよう、お願い申し上げます」

 この少年が明を含む隊士を『子供』と呼ぶたびに悪寒が走っていた。親し気に隊士を己の子として扱い、名前で呼ぶ距離の近さに、拒否感を覚えずにはいられなかった。その親身な物言いの裏で何を考えているのか理解できない点もまた、嫌悪感を増大させている。

 ──きっと、この当主は選別を生き抜いた隊士しか子供として扱っていない。

 多くの命を犠牲にする最終選別を執り行いながら、喪われる命を当然のものとして受け入れているそのありようが、明には認めがたかった。

「お館様は隊士を実の子のように扱っていらっしゃるようですが、……私は、ただの部下として扱って頂いた方がありがたいです」

 私の親は煉獄の彼らだけだ。今はもう、彼らを親と呼ぶことはできないが。

 ……遠藤師匠も、父のように慕っていた。あの人はもう、この世にはいない。

 父と呼びたい人は、師範と師匠の二人だけだ。

「お館様と私では一つしか違いませんので、父と思うのは少々難しいのです」

 明は苦笑をして見せる。

 私にとっての父とは、「鬼を殺せ」と刀を握らせ、剣技を教える人だった。力と責務を与えたのが父だった。

「情があれば判断が鈍ることもありましょう。距離感が近ければそれだけ、秩序が軽んじられることもございます」

 継子をしていた野沢は任務中の上下関係を重んじる隊士だったな、と思い出された。的確だった彼の指揮を、明は今も目標にしていた。

「上司と部下の立ち位置があればこそ、風通しの良くなることもあると考えます。……もちろん、上の者が積極的に下の意見を汲み上げる必要がありましょうけれども」

「そうか」

「はい。……それに、私と親し気にしていては、お館様の立場も悪くなりかねません」

 耀哉は思案気に目を伏せたのち、ゆっくりと口を開いた。

「君がそう望むなら、これからは『東出』と呼ぶことにしよう。頼りにしているよ。子供であっても部下であったとしても、この隊の力になってくれるのなら、君への信頼が変わることはないのだから」

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